2019年4月26日金曜日

空色のペンキが売れすぎる街

こちらにきて、現地の人との接触がなかなかない、という話は前回の投稿にもかいた。
そんな私が最も“ローカル”に近いコンタクトが得られるのは、ドライバーさんたちを通じてである。
ドライバーさんというと、「国連職員やっぱり特権階級だなやれやれ」と思われる方もいそうだが、
私のいまの長期出張先に関して言えば、治安や政情が不安定すぎるため、全ての移動は公用車に制限されている。
ドライバーさんたちいなくしては、私はアパートからも一歩もでれず、水さえ買いにいけないので、私たちは文字通り彼らに生活の根底を支えられている。

今年の年始から国連の語学研修センター主催のアラビア語講座に通っていることもあり、
なけなしのアラビア語(本当に誇張なしにHi, how are you くらいしかまだ言えない)で話してみると、ドライバーさんたちは皆とても喜んでくれる。
「”家に帰りたいです”ってなんていうの?」(この会話はフランス語で行われる)っていってみたりして、
5分程度の短い帰路の間、ともにアラビア語を復唱しながら帰るのが、楽しみだったりする。
私が改めて、言うまでもないことだが、言語というのは本当に他文化圏の生活になじんでいく過程で大事である。
なにか内容を伝える手段ということではなくて、
相手の言葉を話すこと自体が、歩み寄りを示しており、それだけで関係性や自分が背負う印象というのは変わる。例えば、私がある日車にのると、ドライバーさんがアラビア語方言とおもわしき言葉で話していた。切ったタイミングで「ごめんね、ちょっと姉から電話がきて」と言っていたので、「أخت كبيرة (big sister)だね!」というと、顔がパッと明かりをともしたように明るくなり、「ねぇね、ユースフはハゲっていって」などと同僚ドライバーをディスるアラビア語を覚えさせようとしてきた。
フランス語で仕事をするここのオフィスにも、現地語はおろかフランス語も話さない同僚はいるが、こんなじゃれあいはやはり、英仏で話しているだけではなかなか生まれない。
アラビア語で、「姉」と言えたからといって、なにが捗るわけでもないが、
その二語を知っているだけで、ドライバーさんとの距離はぐっと縮まるのである。

私が小柄で童顔なこともあり、(おそらくドライバーさんの中には年下もいるのだが)
ドライバーさんたちはそんなわけで私をとてもかわいがってくれて、風邪だといえば、食べきれないほどの物資をかってきてくれたり、水のボトルが重いと一緒にアパートの5階まで運んでくれたりする。

この派遣先に来る前は、周りから、
「フィールドはとにかく現地の職員にうまく仕事をしてもらうのが大変」「西アフリカは特に開発水準が低いから、人材の質がおもわしくない」などと聞いていたが、少なくとも、うちのオフィスでは上記を感じることは幸いなことにあまりない。特にドライバーさんたちは、現地職員の中でも、肉体労働者としてある種、末端に位置するわけだが、彼らの優秀さはローカルスタッフのなかでも目を見張るものがある。

例えば、先日R&R 帰り。
R&Rとは、Rest and Recuperate(休んで回復!)の略で、国連システムのなかに準備された危険地の保険休暇。これは前回の投稿にかいたような、危険地赴任にともなう極度のストレスを緩和するために与えられる休暇である(期間はきつさによるけど、同地は8週間に一度だった)その帰国便で、私と同じ乗換えをした乗客の荷物が全員ロストバゲージされてしまった。もともと、出張として同地にきてたため、スーツケースひとつ分の荷物がなくなるのは割と不便で、なんせ、1週間に10便しか飛ばしてないような、大変僻地の空港なので、そもそもロスバゲされた荷物が返ってくるかどうかが不安だった。

すると、迎えにきてくれたドライバー氏がすぐに私をインフォメーションデスクと思わしき場所に案内し、慣れた様子ですべて荷物を届け出るための手続きをしてくれた。
今どのような状況で(荷物は乗換え空港で積み込まれないまま取り残されてしまったよう)、いつ届く予定か(次飛行機が飛ぶ金曜日)、連絡手段(電話)、交換手段
を正確に現地語で聞き出し、教えてくれた。
なお、先方に指定する連絡先にはドライバー氏の電話番号を書き、「現地語でわからないかもしれないから、まずは自分に連絡がくるようにして、その後君に連絡する」といってくれた。翌日は私のデスクまでくると「念押しをするために、インフォメーションデスクまで自分でもう一度電話して、まだ荷物はきてないか、いつくるのか、と聞いたほうがいいよ」と言いに来た。確かに、荷物が取り残された、って話事体が適当かもしれない。
それを金曜まで毎日リマインドしてくれた後、
金曜になると、「空港から電話がきたよ。荷物ついたって。とりにいくといいよ」と私まで連絡をくれた。しかし、空港に入るのにはパスポートが必要。この時私はビザ更新中で、パスポートが手元になかった。
「どうすればいい?」と電話口できくと、
「それなら、社内のxxをつかまえれば彼は空港といつも仕事しててツーカーだから、一緒につれていくといい」
といってくれた。
その通りに社内の担当者を捕まえ、空港のセキュリティーをすり抜け、私の下に荷物は返ってきた。

なぜこんなエピソードを長々と話したかといえば、
私はいたく感動したからだ。
これは、報連相、危機対応として本当に完璧だった。文句の付け所がない。
そして気づいたのだ。彼はおそらくドライバーよりもずっといい職につける人なのだ、と。そういえば、違うドライバーさんは前職が銀行員だといっていた。
開発を仕事にしていると、「途上国の政府・公的機関のキャパシティが低い」ということがしばしば課題や制約として挙げられる。
でも、この日思ったのだった。もしかしたら、公務員人材、現地の大事なコア人材を横から手を伸ばして横取りしているのは、国連なのではないか。
この時のドライバー氏をみているかぎり、「あれこんな人がこの国の地方政府にもいたら、キャパ不足からくるフラストレーションはずいぶん減るのでは」と思えたのだ。
国連は彼らにいいお給料を払っている。同地のような文字通り世界最貧国で、現地で得られる一番いい職はまちがいなく、国連で働くことだ。
残念ながら、この国の「発展と開発」を願い、その推進を名目にはいっている、私たち国連はその国の一番の人材を搾取し、自分たちのために使ってしまっている。
ドライバーさんたちだって、国連がいなかったら、国家公務員や市職員になっていたかもしれない。
そこにハッとして、スーツケースを転がしながら私はとても複雑なきもちになった。
この国には、車をはしらせればすぐに空色の建物が目に入る。
どれも、国連機関や国連と組みながらはたらくNGOの建物だ。
この国では残念ながら、国連は一大産業なのである。

国連はいわゆる「不幸産業」だと思うことが、皮肉な気分なときにはしばしばある。
私たちは、不幸がないところにはいないし、不幸が大きいところでどんどんプレゼンスが大きくなる。
困難が大きい私がいる同地でも、国連の存在は不可欠だ。やるべきことは溢れるほどにある。
しかし同時にこの国において、国連という産業があまりにも不可欠な市場になってしまったことによる社会の軋みもかんじた。
国連が撤退していくことは本来的にはその国にとってよいことだ。
不幸産業が食っていくための不幸が減っているということなのだから。
でも、この地ではいま国連が撤退していくことを労働市場は求めないだろう。
国内で得られる最もよい仕事の一つを提供しているのは国連なのだから。

スーツケースをかかえて水色のロゴをペイントをされた4FWにのって空港からオフィスに帰る道。
車窓からに流れる建物はやはり空色が多い。
ドライバーさんが愛想がいいけど、少しというか結構適当で、
外装屋さんで、空色ペンキが少し売れ残る、私たちがこの地で求めていくべきなのは、そんな日なのかもしれない

2019年3月10日日曜日

「初めての緊急人道支援」体験記

フィールドオフィスに来てから3週間目になりました。
3か月現地にべったり張り付ける機会はとても貴重である。
もちろん、国連で働くとなると過半数の人はフィールドに行く(私の機関にいたっては9割を超える)。ただ、ジュネーブに在籍しながら長期のミッションに出してもらえる機会はそう多くない。ましてや、仕事をぬきにしたって本拠地を移すことなく、見知らぬ場所にどっぷり潜りこむなんてなかなかあることではない。
自分が2019年の1/4も過ごそうとしている場所について、少しでも書いて残しておこう、との思いを胸に、最初はこの国に降り立った。

しかし、3週間目にはいり、わかったのは、私はおそらく帰国までこの国についてほとんど書けないだろう、ということだった。

筆がのらなかったのか?それとも、思ったほどこの場所に興味をもてなかったのか?
そういうわけではない。
私がこの場所について書けるほどに「知る」のがとても難しい、ということがわかったのである。

だから、この投稿は私の「xx国」見聞録ではない。
これはしがない国際公務員のはしくれの緊急人道支援体験記である。

まずはこの場所について到底かけるわけがないとおもったその理由自体を書きたいと思う。

これは緊急人道支援体験記であると述べた。
緊急人道支援とはなにかご存じだろうか。多くの人にはそんなの当たり前かもしれない。なぜ聞くのかといえば、いま振り返ると私自身があまり正しい認識をもっていなかったからである。
少し業界の話になるが、いま援助業界・国連まわりではHumanitarian-Development Nexusが話題だ。緊急人道支援と開発の連携強化を謳うとても大きな国際的援助潮流である。
ここで、援助を少しでもかじったことある人でも日本人ならおもうのではないだろうか。「え、そもそも人道支援も開発援助の一部なんじゃないの?そこは並列概念?」
「並列概念だったとしても、どちらもODAをつかって、外務省・JICAがやってるんでしょ。連携ってどういうこと?」
私はすくなくともそう思って不思議だった。
しかし、実際に落ち着いて整理してみると、緊急人道支援と開発は、目的、活動、カルチャー時には実施主体も大きく異なる。一個人の単位でみると普段の生活まで大きく異なる。
国際協力という双方を内包する括りの中でキャリアを考えている人はなにが自分にむいてるか考えるために一つの軸として頭においてもいいかもしれない。

緊急人道支援とは、一言でいえば、Life-saving activites、文字通り人命救助活動である。実施する活動として筆頭にあがるのは、物品とサービスの提供だ。食糧、水、毛布、仮設住宅、怪我・病気・メンタルヘルスへのインパクトに即対応できる医療サービス、命の危険にある人の保護。

一方開発は、長期的な国・地域の経済・社会的発展を目指して実施される、構造的な介入といえる。技術を育てるための職能訓練、感染症予防のためのワークショップ、物流効率を上げるための橋梁建設など。

じゃあこのような活動内容がどのような業務の違いを生むのか。
上記を読むと気づくかもしれないが、緊急人道は圧倒的にロジスティクスの占める部分が大きい。確実に、安全、迅速な物流を掌握し、展開することが一番といっていいほどに大事である。サービスの場合も、質の高さよりも、とりあえず何もよりも先に人命を救助するためにただただ、基礎サービスでもいいから迅速に提供することの方が大切だ。
難民キャンプのマネジメントなど長期的な支援の展開ともなると、一つの村を運営する、みたいな話になるので、コトは複雑化するのだが、包摂的(inclusive)な介入は大事であるという前提は保持されつつも、基本的には与える、ということに重点が置かれ、語弊を恐れず言えば、自主自立は二の次である。

活動地は、前者は「人道的危機」状態にある地域。
筆頭にあがるのは紛争地、(シリア、イエメン等)。その他国内の政情不安と社会不安が蔓延して、生活事体がままならなくなっている場所(リビア、ベネズエラ、中央アフリカ共和国)、自然災害が甚大な被害を及ぼしている場所(インドネシア・スラウェシ島地震等)
後者は、ざっくりいえば上記の定義以外のすべての開発途上国(先進国での活動もあるのだが、ここでは話が複雑になるので割愛する)。いわゆる長期的発展に取り組む余裕がある場所だ。
業界にはtransition という概念もあるくらいで、緊急人道状態を脱した場所で初めてできるのが、開発行為だという理解がある(活動地事体がこんなにくっきりわかれているということも私はあまり知らなかった)
蛇足ついでにもう一点付言すると、これはより「貧しい」「開発が遅れている」場所が緊急人道を受けるわけではない。シリアは紛争前は中東でも堅調な発展をみせていた国だったし、ベネズエラも南米屈指の産油国だ。
確かに一人当たりGDPが低いところは危機国に転落しやすいが、それはその国の脆弱性からくるものであり、「貧しさ」から緊急人道支援をしているわけではない。

こんな具合に活動の内容も、活動地域の状況も大きく違うので、
いわゆる人のキャラ、事務所のカルチャーも違う。
緊急人道は圧倒的に体育会系だ。
私の中では商社と物流を掛け合わせたようなひとたち、と整理されている。
危険地で迅速なロジスティクスを求められている人たちである。モノが届かなければ人が死ぬ。自分自身が生活の拠点をそのような危険地に移そうという覚悟がある人だ、アドレナリンが走っているのが好きな、ジャンキータイプも多い。
「つべこべ言わず」の世界があり、「考える前に手を動かせ」といわれるけれど、でも考えが足りないと「お前はあほか」みたいな走りながらどんどん目指すところに軌道修正していくみたいなところがある。ボスの権威はより強く、縦の指揮命令系統がある。

一方開発はもう少しふわふわしている。
緊急人道側からいわせれば、「答えがないことを永遠話している」のが好きで、基本的にゆっくり落ち着いて仕事したがる。短い時間で成果がもとめられるときも、まずは「なんでこんなに締め切りまでが短いのか。」ってところから聞いちゃうのが開発の人だ。

お互いを揶揄するとき、開発は緊急人道のことを、「頭も大して使ってない体育会系のハイな人たち」というし、緊急人道は開発のことを「なんの役に立つのかわからないことを永遠かけてやっていて、インパクトも大して残してない」なんて言ったりする。

ここまでは私もなんとなくイメージがついていた。
幸い私は本部におり、開発も緊急人道もやっている機関にいるので、両集団を目にすることがあり、その違いはむしろ分かりやすくみることができたかもしれない。

さて、わからなかったのが、
ここでの生活である。
イラクで仕事をしている、イエメンで仕事をしているときいたとき、どんな反応をするだろうか。「そんな危険なところで大変ですね」、これがまず一番に出てくる言葉ではないか。私もこちらに着任して「そんな危険なところで大丈夫?」「危ないよね、気を付けてね」とよく言われる。
このイメージが実体と少しずれている。
まずは緊急人道活動を行っている場所では、安全はほとんど自分の管理下にない。
もちろん最終的には自分の責任、という前提はあるのだが、
例えば、私が今いる場所では、いわゆるgreen zone(立ち入り許可地域)がかなり狭く区画化され、住んでもいいアパートは決まっており、なにより公私含めてすべての移動は公用車である。
すべての移動というのは文字通りだ、一片の誇張もない。
それが例え自分の家の20m先にある場所でも自分の足ではなく、オフィスの車を呼んでドライバーに連れて行ってもらわなければならない。
スーパーは2つあるうちのどれか、外食は8つほどあるうちのレストランのどれかである。
なんとなく街を散策する、ということはできないし、ましてや職場以外の人と話すこともほとんどない。確実で堅固な安全管理がされており、それは完全に職場によってコントロールされている。

緊急人道支援を行う、ということは危険と隣り合わせでハラハラ緊張感をもちながら生活するというよりも、軟禁状態の圧倒的な移動の制約下のストレスと戦う世界だ。
人は体験してみたいとなかなかわからないもので、このような行動制限があってはじめてわかったのは、手段(公用車での移動)が制限されていると、目的(xxにいきたい)というのも大きく制約をうけるのである。
まず、家にかえってちょっと買い物に行く、ということがなかなか億劫だ。電話をしてわざわざドライバーさんにきてもらって、車にのってそこにでかけなければならない。なんだか「おおごと」になってしまうのである。疲れる。
あとは、場所がまったく多様化しない。車には乗った瞬間に「じゃあ、どこにいく?」と言われる。目的地がなくてはいけないのだけど、ぷらぷら散歩もできない中で、あらたな商店、レストランを見つけることは非常に難しい。とりあえず、口伝できいたり、事務所のwelcome booklet に書いてあった数限られた場所を永遠とぐるぐると順にまわっていくことになる。きっと、green zoneのなかにはほかにもおいしいご飯屋さんなどあるのだとおもうのだが、なんたって、知る術がない。

結果、ほとんどの社会生活が事務所にしかなく、家の中でひたすらこもる生活が続く。
なんだかジュネーブにいたときも大してアクティブだった訳ではない気もするのだが、人は選択肢をもっていることに安心するのだと思う。
屋内生活が多いとおもってもってきたダンスシューズと手芸セットもなんだか帰宅後生気が十分になくて手に取れないことが多い。

そんな生活をしているものだがら、この国のことは驚くほどわからない。この国の危機状態を支援するためにきているはずで、その情勢や被害については毎日のように読んでいるはずなのだけど、この国の風土や人柄、文化などについて知る機会が驚くほどすくない。
そんなわけで私はこの国のことはきっとほとんど書けずに帰るのです。

このブログをキャリアのHow to で書くことはほとんどないけれど、もしこれを読む人に国際協力業界への転身・就職を迷っている人がいたら、開発・緊急人道を一つの軸として、カルチャーフィットを検討することをおすすめする。本当に別企業くらいの違いがある。

緊急人道支援のお仕事にきた私はいまなかなかにハードな日々を送っているのだが、それは、常に身を危険にさらしている緊張感というよりも、
慣れない体育会野球部で外出禁止の合宿生活をおくっている、みたいなカルチャーショック&ストレスと戦っているというほうが近い。

だから、もし周りで、シリア、イエメン、リビア、イラクなどで働いている人がいたら、「危険な中で大変だね」とか、「気を付けてね」という言葉よりも、
ただただ生活を営んでいることを全力で褒めてあげてください。軟禁状態の閉鎖生活を彼ら・彼女らは毎日耐えている。

あ、あと全国のめちゃくちゃ厳しい体育会運動部で合宿生活を送ってる子たちにも言ってあげたい。本当に君たちはがんばっている!いまならわかるよ、わたしも!

2018年11月19日月曜日

Hamilton という完全犯罪

ハミルトンをみてきました。
もう一度いいます。ミュージカル ハミルトンをみてきました。

一階のちょうど真ん中くらい。WEの劇場はこじんまりなのがとても好き
私はご承知の通り、重度の舞台オタクなので、「いつものことか」と思うかもしれないのですが、いや、今度ばかりは(オオカミ少年ぽい)ちょっとレベルが違うことなんですよ。

ハミルトンとは社会現象です。
舞台とかそういうことじゃないんですよね。
3年前トニー賞で全部門ノミネートされ、そのうち3部門以外すべて受賞した作品です。

これは例えれば、オリンピックの競泳で、
自由形、バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、全ての泳法のすべての競技に出場して、
ほとんどで金メダルをとる、みたいな離れ業です。
はっきり言って意味が分からない。

Victoria Palace Theatre ロゴを見るだけで胸が高鳴る(だって3年も待ったんだもの)
交通整理のテープまでブランディング
さて、そんなハミルトン、
3年近く、のどから手が出るほど観た過ぎて、のどが裂けるかとおもうほど(大袈裟)観たい舞台で、且つこんな評判を3年間聞き続けると、もう期待は驚くほど上がるわけです。
しかし、この舞台の鑑賞体験はそんな天井をうつほどに上がりきった期待値をやすやすと越えてきたんですよね。
どこがすごい、とかじゃないんですよね。
自由形、バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎで他を圧倒した泳者をみておもうのは、「すごい生き物が水を泳いでる」という。
舞台に隙がない。一つ一つすべての動きや演出が意味をもっており、考えつくされている。
妥協がなく、舞台のすべての要素に全力が投じられており、ある意味息をつく暇をあたえない舞台だ。
観初めて、4曲目ほどで、ゆっくり息をはきながら、自分が開始からそこまで、息を止めるようにして、張り詰めた空気に吸い込まれいたことに気づいた。
そしてその完成度ゆえに、ハミルトンは素晴らしい舞台であることを、電流のように全身で感じながらも、同時に泣くのは難しい舞台だった。
それを振り返りながら、私は不思議に思った。なぜなら、私はハミルトンのパフォーマンスをトニー賞でみながら、一節目からテレビ越しに涙を流したからだった。
そこにある圧倒的な違い、それは、この舞台の仕掛人である舞台作家Lin Manuel Mirandaだったのだとおもう。Mirandaは今日の米舞台界の圧倒的なカリスマだ。彼は、エンタメ界におけるグランドスラム、EGATP(エミー賞、グラミー賞、アカデミー賞、トニー賞、ピュリッツァー賞)に最も近い人、といわれ、事実エミー以外を総なめにしている。彼がつくってきた舞台は、どれも脚本、作曲に加えて、主演は彼本人が必ず務める。ハミルトンの場合、初演のアレクサンダー・ハミルトンはMirandaだ。

しかし、彼は決して歌がうまいわけではない。クリエーターとしては一流なのだが、彼はその歌声で人を惚れ惚れさせるわけではない。どちらかというとこもった声で、高温はかすれ、ラップ曲では歌っているというより、叫んでいるようになることも多い。

しかし、彼の粗削りのパフォーマンスが、この舞台を不完全に完成させている。ハミルトンはアメリカ建国の話だ。オバマ政権の最後、次期大統領選のキャンペーンの勢いの中で、排外主義が台頭し、言葉のトゲが柔な肌にぐさぐさと刺さる日々の中で、自身もラティーノであるLin Manuel Mirandaが建国期のアメリカの、ツギハギでボロボロながらも必死だったころに希望を込めて書いたのがこの舞台だ。

私は最初Hamiltonという舞台を聞いたことがあるか?という言葉で冒頭このレビューをはじめようかともおもったが、投げかけべき質問は、むしろ、アレクサンダー・ハミルトンという人物を聞いたことがあるか?ということかもしれない。
私は彼を知らなかった。10ドル札にかたどられた彼は、通称Founding Fathers(建国の父)の中でも最も知名度が低く、ドル札でしかみたことがないという人がアメリカでもほとんどだったという。
開演とともに流れる曲、Alexander Hamiltonで語られる彼の生い立ちで、私たちは、彼がカリブの島で生まれた私生児で、母を亡くしたあとに、アメリカにわたってきた移民であることを知る。
そんな彼が一代にして初代財務長官に上り詰めたことに驚きながら、キャストは「みてろ、また一人移民が上まで這い上がっていくから(Another immigrant coming up from the bottom)」とうたう。

I’m just like my country I’m young scrappy and hungry (俺ら、この国<アメリカ>みたいに、まだ若く、ツギハギで、ハングリーだからさ)【My Shot】
と叫ぶように声を張り、額から汗をツーっと流すMirandaと今のアメリカを生きるキャストたちにその言葉の真価を私たちは見る。Hamiltonは史実としては白人の人物もすべてカラード(Colored)のキャストをあえて登用していることで話題になった、ブラックのワシントンやラファイエット、アジア系のエライザ、そしてラティーノのハミルトン。アーサー・ミラーが『The Crucible(坩堝)』のなかで魔女裁判を使って、赤狩りに克明に抗議したように、HamiltonはそんなMirandaと彼が率いるキャストたちが、その歌とパフォーマンスを通じてアメリカの今に語り掛け、歴史に身を重ねて身を奮い立たせる舞台だ。Essentials of Migration Management 2.0 - Home
こめかみが切れるほどの必死さと、肌が震えるのほど当事者性がこの舞台を泥臭く完成させる。
そんな、英米キャストで見ることの違い、初演キャストと、その後のキャストでみることのコントラストを非常に考えさせられた鑑賞体験でした。

Miranda率いるトニー賞パフォーマンス

実際のパフォーマンスというと、前述のとおり、むしろ米国初演キャストよりも完成度は磨きつくされているくらいで、ただただ最高峰をみているなという感想につきる。
冒頭で、オリンピックの水泳種目のすべてを総なめにしたような舞台だということを述べたが、本当に、それを肌身でかんじるというか、ただ話題になったから、全てをとったのではなかったことがわかる。照明から、舞台セット、振り付けまでどこにも隙がないほどに考え抜かれている。無理矢理に一言で述べるならば、特に印象にのこったのは、緩急の絶妙なコントラスト。
例えばアンジェリカのソロ【Helpless】で、アンサンブルがダンスをピタッととめて、回転式の床をつかうことで、時を振り返る演出、
その後、戦友となる仲間に初めて出会うAaron Burr Sirのシーンでは、オーケストラがいきなりスッと消え、拳で机をダンダンダンとたたく音だけで歌うアカペラ

衣装やセットも引き算の仕方が一流。
セットも実は木製の枠組みがほとんどで、それをぐるっと囲むように二階バルコニー部分がある。その他目立つセットは椅子と机くらい、
衣装も多くのシーンは、薄いベージュのピタッとした軍服ぽい衣装でアンサンブルはほとんどそろえている。身体のラインを見せる、スキニーな衣装はPippinを彷彿とさせるところがあった。
椅子は振り付けの中でもとてもうまく使われており(特に【Yorktown】等)、作品を通じて、「権力の座」「Ownership」のシンボリズムとしてストーリーと絶妙に共鳴していた。
衣装が実は色のトーンをそろえながらも、何回も着替えを挟んでいることや、
セットもここぞというところで、効果的につかっているところに、
考えに考えつくされた引き算の美学があり、その精緻な時計仕掛けのようなアートに始終圧倒されていた。

セットの様子。二階から吊られた階段がシーンによってはパタンと降りてくる。床は三重の回転式
最後に、家に帰ってから、買ってきたパンフレットをニマニマしながら眺めていたときのこと。背表紙にいろいろなキャラクターのシルエットが描いてあるんですが、ひとつずつ、「これはワシントン、これはラファイエット」と追っていったとき、ふと指がとまる。
それはどうみても、額と額をよせているハミルトンと妻エライザのシルエット。
となると、あのメインロゴの左手を掲げているのは・・・?
そこでふとハッとして思わず「えっ」と声をあげてしまった。
このシルエット・・・・Burrなのでは?
Hamiltonの名と星を土台に迷いなく指を天に掲げているのは、この作品の"ヒーロー"たる主人公だとなんの疑いもなく思ってきた。

よくよく、見るとその顔の形も長髪のハミルトンではなく、短く刈ったBurrに酷似している。
背筋をスッと伸ばし、星の元に身を翻すのは、建国父ハミルトンではなく、彼を殺した政敵Burrなのだ。

パンフレット裏面にはキャラクターのシルエットが







Who lives who dies who tells their story…【History has Its Eyes on You】
まさにその節と完全に呼応したそのシンボリズムの強さに心底おどろいた。
このシルエット一つをもって、舞台の解釈の深みをまた一つ重ねるその巧さに、改めてハミルトンというこの舞台の精到に計算つくされた完全犯罪を確信したのでした。

2018年11月15日木曜日

ようこそかしまし部屋へ

日本の民間企業から国連に転職して大きく変化したことの一つは女性率の高さだ。

あえていうまでもないことだが、日本はジェンダー後進国だ。昨年更新されたWEFジェンダー平等ランキングでも日本は(安定の)117位(過去最低を更新)。それでも、いまの日本の途上国開発の戦略的重点分野の一つはジェンダーだというのだから、やや驚いてしまうのだが(10位以内にがっつり食い込むフィリピンやルワンダにはむしろ習うべきところの方が多い気がする)、これについてはここではひとまず置いておくとする。

とにかく女性が多い。
国連全体だと38%。うちの機関についていえば47%程度いる。
そして特にこれは先進国×本部ということも影響しているだろうが、上から下までどの職階をみてもきちんと女性がいる。
むしろ管理職にこそ女性が多い印象さえうけるといってもいい。
現に4つある局のうち2つの局は女性局長、副事務総長(No.2)、統括室長(No.3)も女性、うちの局では、5つの部のうち3つの部も部長は女性。おそらく部長レベルでみるとうちの局にかぎらず、本部では過半数が女性だと思われる。

対照的に、日本で勤めていた民間企業では、自分と同じ年代(ざっくり言うと2008年入社以降)は女性率3割(30人中10人、絶対数としては決して多くない)、これでも少ないが、上に上がれば上がるほど、女性は少なくなり(採用人数×昇進率)、基本的に「上司」と呼ばれるような役職に女性はほとんどいなかった。700名いる会社全体の中で、片手に収まるほど。

顧客でも状況はほぼ変わらず、会議で私が女性1人なのはデフォルトで、驚くことではなかった。「文化遺産」なんていう、いかにも女性が多そうなテーマで20以上の自治体(県、市町村)が集まる80-90人ほどの会議で、外から参加してる私と同僚以外には女性担当者が2人ほどしかいなくて、見渡す限りのグレーと黒のスーツの波に呆気にとられたこともある。

そんな具合なので、私が下っ端としてちょこちょこでて行く会議でも、8割が女性になり、「あら、今日はGender parityが崩れちゃったわね、クフフフフ(笑)」なんてひと笑いが起こるいまの職場は未だに私の中では新鮮だ。

うちのオフィスは一人オフィスを持っている管理職以外は、4-5人入る大部屋がそれぞれのフロアにいくつかあり、それをシェアしてつかっている。
私が割り当てられた大部屋はなんと全員が女性で、その雰囲気さながら私は、この部屋を勝手に「かしまし部屋」と呼んでいる。

かしまし部屋にいる女性は、私を含めて5人。
私ともう二人の若手はほぼ同い年だ。
一人はファッションにぬかりがなく、オフィスでは常に弾丸トークで電話をかけまくってる、デキ女のおしゃれっ子。
もう一人は童顔で、いつもニコニコ笑顔が柔らかいのに、実は鉄人レース*を年数本走るというものすごいストイックなアスリート
(*Iron man race - 水泳3.8km、自転車180km、マラソン42.195kmを一度にやってその総合タイムを競うレース。ちなみにトライアスロンは水泳1.5km、自転車40km、マラソン10km。アイアンマンはマラソン部分だけでフルマラソンの距離がある。はっきり言ってネジが外れてる)

残りの二人はアラフォーの中堅女性で、
一人は、ガハガハ笑いながら、子どもの保育園の迎えの時間に間に合うように、
ブルドーザーのごとく仕事をなぎ倒すようにしていく文字通り肝っ玉母ちゃん。
最後の一人は超が付くほど几帳面で「あー、あの人アメリカ人ぽいわよね」と自分もアメリカ人なのに、言っちゃうような生真面目先輩

そんなかしまし部屋の毎日はびっくりするほど前職のオフィスと違う。

真夏、冷房のないうちのオフィスで、室内はヨーロッパといえども西日で温室のようになる。
すると、肝っ玉母ちゃんがガバッと立ち上がったかと思うと、バタバタとどこかに消えていった。
ほどなくして戻ってきたかと思うと、手には5本のアイス
「はーーーい、もう暑いし金曜だし、みんな今からアイスタイムーーーー!」
部屋の残りの面々も、テンションは爆上がり。
「いぇーい!アイスーーー!」
「はい、午後もがんばりまーす」

また、別の日、
きまじめ先輩がなにやら、ジーーーーーっと窓の外をみている。
気づいた童顔アスリートちゃんが、「どしたの、なにか気になるの?」と話しかける。
すると彼女は視線を窓の外から一切そらさずいう、
「あのね、この外、今月から工事はじまったでしょ?」
「私たちのオフィスの目の前に彼らの控室のプレハブがあるのよね」

「うんうん、それがどうしたの?」

「私昨日気づいちゃったの、14時半くらいに彼ら着替えタイムはじまるの」
(ここで部屋一同仕事の手をとめ、聞き耳をたてる)

「いやぁ、土建やさんていい身体してるのよねー」

全員一斉彼女方をふりむく、
「やばーーーー。それ覗いてたの?エロー」
「いやいや、覗いてないし。勝手に着替えてるから窓の外みてただけ」
「早く教えてよ。独り占めとかずるいでしょ」
「わたしたちも眼福ひつよーーーう」
「ちょっと、今日の着替えはじまったら教えてね」
「了解。ちゃんと見逃さないようにするわ」

なにが面白いって、このメンバーの中でよりにもよって、
生真面目先輩がこれを言い出したことに全員が、笑いと驚きを隠せない。

この日、全員でかけよって窓の外を観察したのはいうまでもなし

このノリ、どこか懐かしいとずっとおもっていたのだが、
このあたりで確信した。
そう、これは15年前まで私がいた女子高のノリなのである。

一度思い立つと、もうそれ以外に形容しようがないくらいに、しっくりきた。

男女比が半々になった国際機関においては、
もはや一周まわって女子高ノリが存在する。
高校は共学、大学・大学院はもはや男子校のようなジェンダー比にいたため、私自身がこのノリを久しくわすれたいた。

代わって今度は私たちが、マジョリティーとしてハラスメントやPCに気を付けなければならないのだけど、逆の極から、大きく振れてきた私にとっては
いま、まだかしまし部屋のノリが新鮮で清々しい。

この部屋の女子高ノリを知っていて、かしまし部屋にはよく他の女性社員もたちよっていく。

今日のお弁当のレシピから、パートナーとの悩み、生理痛がヤバいはなしから、
Tinderであった男が100年の恋も一瞬で覚めるほどやばい奴だったこと、
Black Fridayのセールの戦利品はなんだったか、などに話を咲かせ、
全員がコーヒーとチョコ過多な部屋で、
2人・3人でコーヒー・チョコ断ちチャレンジ週間などの企画をたててみたりする。

私が、「中高生だから」していたと思っていた話題や、
「公共ではしない(友達と少人数でしかしない)」と思っていた話題がかしまし部屋にはある。

子供の夜泣き具合で朝のおしゃれへのやる気が変わる肝っ玉母ちゃんが紅いリップを引いて来ているのをみて、「今日はゆっくり準備できたんだな」と安心したり、
おしゃれデキ女にデスク小物を褒められてちょっと気をよくしたり、
ポーカーフェイスの生真面目先輩が、実はMUJIの筆箱にサンリオのシールを貼りまくってるのをみて、ちょっとクスってなったり、
童顔アスリートと、おすすめのドラマや映画のリンクを仕事メールで送りあってお昼ぺちゃくちゃする毎日は、
どんなに仕事が単調だったり、トラブル続きでも、それだけで少しだけ楽しい。
勉強や授業がどうであろうが、とにかく学校にいくのが楽しかった頃に、ほんのすこしだけ似ている。

2018年10月18日木曜日

新人職員、国連組織のクイズ大会に参加してみる

職場のレク企画ってあるじゃないですか。
花見とか、W杯みんなでTV観戦とか、クリスマスパーティーとか。
国連職員にそれを企画させるとどうなるか。

昨日はうちの職場の「クイズ大会」に参加してきました。
クイズ大会ってあれですよ、「xxの部長の大学時代の部活はなんでしょう」みたいなやつじゃないですよ?
「日本で一番収容人数が大きいのは日産スタジアムですが、世界で一番収容人数が大きいスタジアムはどの都市にあるでしょう!」みたいなやつです。
あの高校生クイズとか、東大王、みたいなやつです。

はい、この時点できもーい!イカトウ感(いかにも東大)が漂います。
仲良くなる手段としてNERDすぎませんか笑。
私が大好きな米コメディBig Bang Theoryを彷彿とさせます。


打ち解けるためにガチのクイズ大会やろうぜ!ってもう発想がSheldon とRenardですね。

さて、このクイズ大会決して体育会系ではないわれら職員の気質もあって、早押し制ではなく、回答は紙で提出する形式。これがまずよかったですね。
社交性とか、チーム内の遠慮しあい、みたいなのが不要で、合議できめられるので(こういうことを言ってしまうのが、私自身社交スキルのないNERD的なところなのですが)すごくやりやすい。
それぞれあらかじめ組んだ3-4人のチームが事務局側によってさらにランダムに組み合わされて、計8人程度のチームとして出場します。

なんとなく雰囲気が伝わるように、ここには覚えているクイズをいくつか紹介。
1) 憲法上、アフリカにルーツが辿れないと市民権が与えられない国は?
2) 地球上の動植物の種の5%が住み、そのうち、80%がそこの固有種である島はどこ
3) アルファベットの中で唯一周期表にはいってないのは?
4) 地球上に生存したことのある動物で最もおおきいのはなに?
5) 世界で最も大きな湖は
*答えは末尾に小さく書いておきます。

実際に参加してみて、いやぁ、これは懇親の方法としてすごくよくできてるなと感心しました。なぜかって、これ、強いチームを目指すと、多様性を反映したメンバーにならざるを得ないんですよね。
まず分野は、食・芸術・地理・科学・音楽・スポーツ・動物の7種あり、
それぞれ、地域的なバランスと、年代を考慮して出題が行われる(おなじみの国連のかざすPC感)
そのため、きちんといろんな趣味・特性をもった、年代もばらけて、出身もバラバラのチームじゃないと得意が偏るのだ。大学生のクイズ研究会同士の試合とはここは違う。これはいかに「多様」な「当たり前」を持っている人を集めてこれるかがすべてなのだ。人は属性によって当たり前にしっている知識が異なり、それを結集させて戦うのが、国連クイズ大会である。
例えば私が貢献した出題は以下

6) ウィンブルドンで男子女子の賞金が同額になったのはいつ
a)2007
b)1997
c)1967
d)今も同額ではない

7) 次のうちルノワール作品ではないのはどれ
a)Moulin de la galettes
b)ピアノに寄る少女たち
c)日傘をさす夫人

8) 標高が一番高い首都は?

9 )日本でクリスマスツリーの点灯をするために使われたことのある動物は?
a) ハムスター
b) モルモット
c) うなぎ

10)日本で13世紀からある、笛とリズムで奏でられる音楽の種類は
a) bon odori
b) Noh-mai
c) Kabuki

11) 猛毒のため日本では調理するのに免許が必要な食材は?
(これは英語でちゃんと覚えてホッとした)

12) -卵を産む二種の哺乳類のうち、一種をのべよ
13) -インドネシアのうち人が住んでるのはいくつ
a) 1000
b) 2000
c) 3000

でも、これって私のなかでは「当たり前」だったものが多い。
6)については私は高校を通してゴリゴリのテニスファンだったので、ルール改正が行われたときはまさにリアルタイムでそのタイミングを見ているときだった
12)は私が高校をすごしたオーストラリアの人にきけば、多分中学生でも知っているとおもう。
7)はフランス語選択者の授業でつかった教科書でならったし、8)は日本の中学地理で最初に叩き込まれるものの一つな気がする。
極めつけに9)-10)-11)は日本人だと圧倒的に正答率があがる。
この3問に関しては、あまりにも日本関連問題がこの大会で多くてさすがに笑ってしまった。
多様性の観点からアジア問題をいれたいときに、適度にエキゾシズムがあるが、教養人ならギリ知ってそうで、事実確認がしやすいって、ところで落ち着いたのが日本あたりだったのだろうか笑。
全チームのなかで日本人を入れていたのはうちのチームだけ。
そりゃ「うわーこの子いれて超よかった」とでなる。私も日本人として存在するだけで、肯定されるのですごく楽。
同じことは、それぞれの「当たり前」を持ち寄った、動物オタクや、アフリカ出身のチームメイトにもいえる。
どんどんいろんな人を入れていったチームが強くなり、
その多様性ゆえに、お互いを肯定しあって仲良くなるので、本当によくできている。
各国の国連の定番のレクイベントらしいが、極めて理にかなっていて、気軽に参加したが妙に納得してしまった。

結果、うちのチームは日本問題で一気に差をつけた甲斐もあってか?笑、一位タイに。
国連組織のガチクイズ大会で一位になったって、その響きの無双感がわれながらすさまじい。

新人職員が、国連クイズ大会にでたら、予想に反して、知を戦わせるのではなく、多様性を戦わせるゲームでした。
国連はどこまでいっても、国連。
どこまで行っても、学級委員みたいな、憎らしいほどの正しさを愛していく場所です。


上記問題の答え
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1)リベリア
2)マダガスカル
3)J 
4)シロナガスクジラ
5)チチカカ湖
6)a)2007
7)c)日傘をさす夫人(モネ)
8)ラパス
9)c)ウナギ
10)能舞い
11)pufferfish(ふぐ)
12)Platypus, Echidna (カモノハシ、ハリモグラ)
13c)3000

2018年9月18日火曜日

ケアの断片が編み込まれた職場

3ヶ月もすぎ、仕事でもただ不安や心配があるというだけじゃなくて、
仕事ならどこでもあるようなアップダウン、うまくいく日、いかない日を経験するようになってきました。
まぁどこだって、ちょっとありえないなという上司や同僚とかっているもので、
それはこの新しい環境でも例外ではないわけです。

私はスポ根の対局のような人間なので、「苦労は買ってでもしろ」みたいなのは強い言葉を使えば、クソくらえと思っています。不要な苦労や、不要な苦痛はいらないと思っている。
どんな経験からも観察や知見を得ることができる、という言葉には間違いはないとおもうけど、その方法で学ぶ必要はあるのか、ということは常に考えるべきだと思うのです。
火を使うときに気をつけるべき、というのは熱い鍋にずっと指をおしつけていなくても学べるわけで、その学びから、「いやいや、みんな耐えてきたからその熱さに耐えようよ」というのはナンセンスだとおもっている。

こんなに反骨精神がつよく、なんかプロレタリアートの火を目に燃やすような人でもなかったのだけど、
5年も社会人をやっていると気づけばこんな感じに条件づけされていた。
「これいまおかしいこと言われてるんじゃ?」と、レーダーでキャッチすると、すぐピリっとするし、その瞬間からとてもdefensiveになるので、職場の私が感じのよい人ではないことは心得ている。
だから、前回の投稿にもあるように、前職の私はASAHIのごとくスーパードライだった。
決して正義感がつよいからもの申すタイプではない。
自分が個人としての人格としてそんな人だと判断されたくなかったからかなといま考えてみれば思う。
「この人仕事だからこうしてるんだな」と思われようとしてたのかもしれない。

例によって、そんなこんなで同僚の一人とぶつかることがあった。
その詳細についてはここでは重要じゃないので、割愛する。
一言でいえば、仕事に予算上、スケジュール上、モラル上の影響が出そうになっている状況だった。
そして、儒教文化からでてきたばかりの私は、ここでは目上の人に対しての異議申し立ては日本よりはしやすいんじゃないかなと思っていた。
でも、来てみて儒教とはまた別の構造的な問題があることに気づく。
先にも書いたように、国際機関における雇用期間の不安定性と短さである。

特にプロジェクト上で雇われている人の場合、マネージャーとの関係は数ヶ月後自分が仕事にありつけるかに影響する。失業のリスクをおかしてまで、マネージメントに異議を唱えることは非常にむずかしい。それはある意味キャラ問題でどうにかなる(場合もある)儒教文化よりも、さらに抗いがたい社会保障上の構造ともいえる。

さてさて、そんなモラルハザードが蔓延している状況で、同僚と衝突した私は悔しさで涙を溜めて、「もう今日は帰宅しようかな」くらいに考えていた。

数人でシェアしているオフィスの中部屋で満身創痍になっている私を前に、一番姉御肌の同僚が「あんたは完全に正しいこと言ったよ、えらかった。よく言ったとおもう」とパソコンから顔をあげていってくれた。それに対して私が「ありがとう、もう懲り懲りで、こんなの」というと、明らかにミーティングをしてた姉さまもう一人が「(ミーティング相手にむかって)ちょっと一瞬いい、ごめんね?Saki、いい?この組織は「もう懲り懲り」とおもってからが一人前よ、これであなたも一人前!(ミーティング相手に向き直り)はい、失礼、続けて」

そこからも、なんとなーく断続的に別の同僚が自分の地元にある日本人街について急に話を振ってくれたり、また別の同僚が「日本の英語の教科書にある、やばい例文」の話を持ち出して一笑いしてくれたり。

なんというか、顔面で地面を打ちそうになっている人を前に、瞬時の判断で安全マットをすばやくそこに敷く態勢がすごかったのである。

鷲田清一(はい、マイブームです)は自著『語りきれないこと 危機と傷みの哲学』の中で「ケアの現場は、ケアの”小さなかけら”が編み込まれたものだ」と書いている。「いろんなところで小さなケアが、それも意図していないケアも含めて、なんとなく起こっている。そういうケアのかけらがうまく自然に編み込まれている空間が一番いいケア施設だといわれている」と。

今の自分の職場はまさにそんな場所だと感じた。

誰一人、なにが問題か尋ねたり、それを解決しようか?とは言わなかったけど、「あ、この人はいまやばいな」と察してほとんど脊髄反射のように対応してくれたように感じた。
私はそのことにとてもびっくりしてしまい、悔しさのボルテージでエネルギー切れになったことすら忘れて、なんだかあっけらかんとその日をすごした。

その後も衝突の発端となった業務を一緒にやっている同僚が「お昼に外に行く?」とそれぞれ別々に声をかけにきてくれたり、
極めつけはその内の一人が「今日は一緒に帰ろう」と言って、バスでの帰路ずっと「Saki、あなたはうちのチームに本当に大切な財産よ。だからこれで気を落としたり、私はいらないんじゃないかって思わないでほしいの。あなたは私たちの宝物よ。それだけはわかってほしい」。ジュネーブの都心に向かう夕方のバスに揺られながら、語りかけた彼女の言葉を聞きながら思った。なるほど、そうか。私は今日”顔面から地面に落下しそうになったところ、同僚にぐっと袖をひかれて助けられたな”と思っていた。けれど、実際は20m高度からすでに顔面先にフリーフォールしていたのだときづいた。その落下中の私を視覚の角で捉えた同僚たちがとっさにブラインドで投げた安全セーフティーネットにすぽーんとキャッチされた私は、その動力のままに網につつまれながら、ぽわんぽわん上下に揺られていたことに1日を終えて初めてハッと気づいたのである。

仕事の場にはなるべくだったら感情を持ち込まないほうが私もプロとして望ましいと思う。けれども、こうして感情の波に足元からすくわれそうになったときに、眉ひとつうごかさずに安全網を投げてくれるような場は、それだけで安心できるなと思ったのでした。

You are a treasure

そんなことを言われたのは、小学校3年生の担任のステイシー先生以来。

あなたはトレジャー、洋画タイトルの下手くそな邦題みたい、なんて思いながら、バスを降りるころにはその日の夕飯の献立を考えてた。



先日弟を訪ねて行った、オランダのGiethorn


2018年8月12日日曜日

冷静と情熱のあいだに、もしくはフロントオフィスとバックオフィスのあいだで

こちらではどんな仕事をしているの?とよく聞かれるようになりました。
圧倒的に現場重視で実行部隊ありきの組織の中で、本部にいる若手ペーペーの自分がどのような役割を担っているのか。それ自体を咀嚼して理解するの自体に時間と熟考を要しましたが、二カ月たった今ようやく頭と腹両方できちんと納得する形で理解が追いついて来た気がします。

私の仕事は民間企業に例えると、ちょうど経営企画や統括室に相当する、と表現するのが今のところ一番しっくり来ています。
経営企画といえば、まさに文字通り経営を企画するところなので、例えば中期計画など組織の戦略を組んだり、四半期ごとにその活動を分析したり、新規事業を立ち上げたり、といった仕事をしているような場所です。
そこをいわば組織のブレーンと呼ぶ会社もあるのではないかと思います。
さて、このように表現すると、花形というか、組織で重役を任されているような印象を与えますが、私がこれを持ち出したのはむしろ自分のabilityとcapacityを示すためではなく、inabilityとincapacityを説明するためです。

こちらに転職して仕事上、私が一番苦労したのは海外にきたから、ということや業種・業態が変わったということより、この組織での立ち位置の違いでした。
私は前職ではコンサルタントをしていたので、常に社外にいる別組織の顧客からプロジェクトベースで仕事をもらっていました。
この時、顧客はまず 1)問題意識や課題意識があります。
専門性の理由で組織内ではできない、または(こちらの方が圧倒的に多いですが)人手や時間の余裕的に社内でまかなえない仕事がアウトソースされてきます。問題意識がずれていて、それを一緒に後々軌道修正されることはありますが、問題意識はある。

なのでもちろん2)その作業の必要性も認識している。
社外の人にお金を出してでも頼みたいと思っているので、その量や質は都度すり合わせが必要ですが、少なくとも誰かにやってもらわなきゃいけない、と思っている。

そして、3)明確な成果物がある。
多くの顧客は私たちに払ったお金を正当化しなくてはならないし、ちゃんと元を取らなくては、とも思っているので、要求がふわふわしていることはありますが、成果物はあります。会議の企画や準備、商談、分析、レポートなど。

さて、仕事するときのこれら条件がこちらにきて大きく変わりました。

まず、経営企画とは、フロントオフィスとバックオフィスの間に位置する部署ということ。
むしろ、バックオフィス寄り。
だって、メーカーに例えれば、何か特定の商品を管轄しているわけではないし、生産管理をしているわけでもなければ、販売をしているわけでもない。つまり直接売上を持っている部署ではない。
これが全ての条件を変える。
バックオフィスなので、私の顧客は社内にいます。
私の同僚たちは加盟国や被援助国、裨益者に価値を届けているけれど、私の仕事の結果変わるのは概ね社内です。フロントオフィスがよりうまく活動できる環境と土壌を整えることが仕事。

しかもこの経営企画、いるのは局長と私だけ。
(私と彼女の職階には7つ開きがあるので、彼女が私の直接の指示系統であること自体めちゃくちゃイレギュラーなのだが)
中堅社員が頭を寄せ合っているのであれば、組織の戦略づくりとそれを実践に落としていくことが仕事になるのだろうけど、大大大ボスという責任者/意思決定者の元に新米の私一人がついているとなると、

1)必ずしも問題意識はないし、2)作業の必要性は認識されていないし、3)明確な成果物がない。なんて中で作業をすることになる。

例えば、私がこちらにきてした作業の一つが報告書のテンプレ作成(現在進行形)
私が配属されている事業部門(組織には2つの局がある。そのうちの一つ)では、例えば私の着任時、幹部クラスへの四半期報告のための共通テンプレートがなかった。それぞれ全く異なるスタイルと書き方で自由にまとめられた報告書を文字通り、そのままホッチキスで止めて、一つの事業報告かのように提出していた。(これ自体、日本のトップダウンの組織からすると驚きなのだが)
こうなると、局としての成果や活動が報告できないし、何より組織として統率取れてるのかな?なんて不安を与えたりする。
なので、私と局長のポジションからは至極当たり前の作業としてこのテンプレ改編の仕事が着手されたわけだけど、それぞれの部からすれば、「まずはやることをやることをやるのが大切でしょ?その結果を報告するにすぎないだけなのだから、そこに時間をかけるなんてよくわからない」なんて声はもちろんあるし、
それぞれの部で最適だと思った形式を元々選んでいるので、目的には賛成だけど、実際慣れたフォーマットを変えることには消極的だったりする。
加えて、ここが一番響くのだが、このテンプレを変えた結果のインパクトが非常に見えにくい。もしかしたらこの結果、予算が増えるかもしれないし、活動もしやすくなるかもしれないけど、それにテンプレがどれだけ寄与したかはわかりにくいし、すぐには結果が出ない。

この圧倒的違いが、日々の業務をする上では大きな変化だったので、かなり、いやかなり悩んだ。
まずは、私が仕事をするためのファーストステップは部署をぐるぐる散歩しながら、御用聞きをすることから始まる。
必要なことやニーズを把握するために日々部署を尋ねて回って時間をなんとか作ってもらって、ざっくばらんに世間話のようなことをすることから始まる。必要性や彼らの問題意識が把握できないと、まず「顧客」になってもらえないから。
そこから、さらに迷ったのは、自分の仕事の意義を認識してもらうこと。すごいエゴの塊みたいになってしまうけれど、承認と評価を得るためのプロセスである。
なんてったって、テンプレを作るっていうのは、ようは私の毎日はエクセルを広げて入力フォームをカタカタ作ることである。一見したら、秘書業とも思われかねない。
「なんか、あの子エクセル上手ね」じゃちょっとまずいのである。給料以上の価値を出していない、ということだから。
というより、ぶっちゃけ私自身がちゃんと工夫しないと、本当イメージだけでなく、実際秘書だと思っている。
テンプレには組織としてトラックしたい指標や数値を埋め込んで、かつそれを入力していく手間もあれやこれやの関数を使ってできるだけ自動化したり、なんとかその意義が伝わるように工夫するのが私のデスクの毎日だ。
そしてここまでしても多分まだ、「めんどいなぁ、なんか新しい子がきたから報告の手間増えた」って印象は拭えないと思っているので、実際次の四半期レポートをそのテンプレで作って、それを使った分析もして、それを見てもらって初めて後々「なるほどね。まぁよかったかもこれやってもらって」と思われるくらいなのかな、と思っている。(というよりそのくらいの危機感を持たないと秘書じゃない?リスクは常にあると思っている)

だから、こちらにきてから仕事上一番頼りになったのは、民間企業で同じく転職や異動などでバックオフィスを経験してきた友人たちでした。自分がちゃんと正しい方向に歩いているかのか確認するために彼らの金言は本当に良い道標だった。

そして、バックオフィスにいると、社内でのコミュニケーションの重要性がより高まるということもこっちにきてひしひしと感じます。上記の通り、まず御用聞きから初めて、めんどくさがられる作業をお願いするなんてことをするとので、心象は命です。確かに自分もフロントオフィスにいた頃、「経理のあの人は感じがいいし、話がわかるからあの人に相談しよう」とか思っていたし、「社内のために時間割かれるのハイパーめんどくさいけど、xxさんならまぁいっか」なんて勝手なことを考えていました。
前職の私は社内では仕事は仕事と割り切り、社内コミュニケーションはASAHIかよって思うくらいスーパードライだったのですが、今は「感じがよくて、話しやすい子」と思われるのが仕事とその評価に直結します。能面みたいに寡黙に仕事をしていたら、「なんか何考えてるかよくわかんないし、そもそもあの子仕事何してんの」みたいなことになる。
だから、社交スイッチは常にオンだし、社交苦手目 人見知り科の私としてはこれは慣れるまで相当エネルギーを要した。立食パーティーがあるだけで、フルマラソンかよと思うくらいのエネルギーだけを使うのに、それが常に、である。作業的にはエクセルかたかたやってるだけなはずなのに、ものすごい疲弊する、なんて日が最初は多かった。
それでも妥協できないのがこのコミュニケーション。脱アサヒスーパードライな自分。

事業への熱い思いをかけている人たちを前に、彼らの情熱を受け止めて、ツボを探りつつ、一方で完全に利得と有用性ベースで冷静に説得するバランス、
そしてそれを全て包む「感じのよさ」(これが一番とらえどころがなくて難しい)が私のTOR(業務指示書)に書かれるべきじゃないかというくらい大事なのではないかなと思っています。

冷静側から情熱との狭間に
フロントからバックオフィスに転身したよってはなし


登るぞドォーモ

ジュネーブ建国記念の花火大会(8/11)