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2021年5月6日木曜日

国際機関就活と臆病でマッチョになりたいわたし

 国際機関への入り方はについてよく聞かれる。

JPOのような指定校推薦的な制度については散々語り尽くされているが、若手選抜枠の先に公募で仕事をつないでいくって結局どういうことなのか。

国際機関とは一般的にアカデミアと同じように、短期契約をつないでいく世界である。特定の役職に空席がでた、もしくは新しく役職が新設されると、組織のリクルーティングサイトに公募がだされ、それを閲覧した人たちがこぞって応募書類を提出し、その後選ばれた人たちが、面接を経て職を得る。場合によっては試験を課すところもある。

さて、公募の競争で選ばれるとはとんでもないことである、と最初に言っておく。
私は一つ前のポジションで採用側にもまわったが、一人のポジションに対して応募は100を超えた。これでも少ない方だと思う。この中で私たちが最終的に選んだ部下さんは本当にとてつもなく優秀だった。あの中で光る一人に選ばれるのは本当に大変だ。

ではどうやったら生き残れるか。数百分の1の賭けに毎回出て連勝を収めるのはきつい。自分より少しでもよくできる人、よくパフォーマンスできる人がいた時点でどんなに自分が優れていてもゲームオーバーだからだ。

答えは、プレイするゲームを競争ゲームじゃなくするということである。具体的に方法は3つ。1)出来レースをつくること、2)自分でプロジェクトをたちあげること、もしくは3)自分でポジションをつくること。

1)は既存のポジションを出来レース状態にもっていくことだ。これはアカデミアでもよくあることだと思う。
・仲良くした上司が別の部署・事務所にいったときに、そこでの公募を通して、一緒にお供させてもらう。
・一緒に仕事をした別のマネージャーから見染められて、そこの部署が出した公募を通して採ってもらう。
・ドナーに評価されることで、彼らが自分に組織内にいてほしい、という意向を示して特定の公募で通りやすくしてもらう
などなどパターンは色々だが、要は意思決定権がある人と懇意にする、評価されることで、
タイミングよく出た公募のポジションで、有利にしてもらう、ということだ。

2)自分でプロジェクトをつくること
今や国際機関で働く大半の職員はフィールド(途上国の現場)で働いている。
ほとんどのフィールドワーカーにとってはこの手段が最も身近で現実的であるとおもう。
国際機関がいまや政府の下請けコンサルのようであるということは先の投稿でも述べた。
資金のほとんどが義務的拠出金ではなく、プロジェクト委託費である現在、国際機関のピープルマネジメントの最も大きな制約の一つは人件費だ。
コンサル業を経験したことがある人は、6割以上の職員が特定のプロジェクトの人件費で雇われている状況を想像してほしい。
「あなたのことは本当に評価しているし、いてほしい。でも・・・うちの事務所は今カツカツなのよ」
こんなセリフはあなたがフィールドで働く国際機関職員なら、聞きなれたセリフだろう。

この状況を逆に最大限に利用した方法が、プロジェクトを自分でつくる、という手段だ。
つまり、ドナーに営業をかけて、とってきたプロジェクトの人件費で自分を雇う。
これは最も自分にコントロールの効く就活方法だ。

なぜなら
・オフィスは大抵年から年中プロジェクト・プロポーザルをかいており、むしろその人手はたりない。
・自らの通常業務をやっていれば、「私営業かけるんで!」というのを止めるマネージャーはなかなかおらず、むしろ歓迎される。
・自らプロポーザルをかけば想定されるスタッフの専門性や、何人どの職位で人をつけるかも(少なくとも一次案は)計画できる。
・ドナーと自ら責任者として話を握りに行けば、プロジェクトの委託が決まった時に、自分が体制にいることを対外的に前提にするように持ち込むこともできる。
・一度失敗しても営業をかける機会はいくらでもあるので、何度だって挑戦できる。

逆にリスクは
・今の国、事務所(風土気候があわない、パワハラが横行してる等)があまり自分に合わない場合、別のオフィスのプロジェクトをたてるのは管轄的に難しい。強いていえば広域プロジェクトを立てることは可能。
・マネージャーや事務所長がパワーフリークだった場合に、それはそれ、これはこれ、で結局プロジェクトを立ち上げたのは自分でも人繰りは全部直接ぐいぐい手を回してきて、気づいたら人事上のコントロールがなかった。(1年分の人件費をくんだはずなのに、同じ役職の人を二人に増やして半年しか延命できなかった、そもそも自分が同プロジェクトの人材にはいってなかった)。
・大きなオフィスだと、ひたすら営業する営業部隊と実行部隊が分かれていることがある。その場合営業部隊としてプロポーザルを書いても、結局100%実行部隊に人件費をもっていかれてしまう、または実行部隊だから営業資料書かせてもらえない(これは稀)等の部署間の分業問題に阻まれる。
・結局プロジェクト費を充てるので、そのプロジェクト期間中しか延命できない。

だが、多分これが普段のルーティンワークから最も遠くない方法で、
自分でイニシアチブを握って就活をする方法ではある。

さて、私は実は前職では3つ目の方法を試した。
それは
3)自分でポジションをつくること
である。
ここでポジションをつくるといったときそれはプロジェクト費を用いた2)の方法ではなく、
それは基幹予算(Core Budget)をもちいたプロジェクトに紐づかない予算を用いた正規ポストである。通常これは、一番難易度が高く、リスクが高すぎるといわれる就活手段である。
それはそうだ。
国際機関の非プロジェクト予算(義務的拠出+間接費)の割合が年々減っていくなかで、
多くの組織では、もともとは基幹予算を使って雇っていた正規ポストを切る話のほうがもっぱら耳にする。
これまであった正規ポスト数をぐっと減らしたり、柔軟に取り潰しや復活が利くプロジェクト費に切り替えたり、とことがどこの組織でも日々行われている。
よほどのことがない限り、新しいポストなんてつくらない。

なぜ私がそれでもこの手段を選んだのは以下の理由からだ
・本部所属であったため、そもそもプロジェクトが著しく少なく、そもそもドナーもプロジェクトをほとんどつけてくれない
(中央集権的にプロマネしている組織はもう少し状況は違うと思われる)
・本部の職域上、民間企業でいうところの経営企画職にいたので、そもそもプロジェクトが立てにくい。
(組織の中計の立案支援、とかプロジェクトにするのはかなりむずかしい。ドナーからすると何の委託やねんこれ問題が発生する)
・直属のボスがとっても偉い人だったので、組織全体の予算プロセスに噛んでいた。


あとはこれが一番大事なのだが、

仲のいい社内の友人がこの手段に成功していたのでガンガン入れ知恵してくれた←!!

社内に精通している友人は本当に大事・・・。
このジュネ友、本当に個性的で私のジュネでのキャリア上も生活上も不可欠な人なので、もっと語りたいところですが、
その話はまた別の機会に。

ここまでが国際機関の主要3つの就活方法。
ここからは3)を選んだ私のその後の話である。
実際ポジションをつくるときってどんな状況なの、ということ、
その先私自身の場合どうなったの、という話。
半分以上は小話として読み飛ばしてくれればと思う。

上記のジュネ友とお弁当しながら(ジュネーブは不味くて物価が高いので我々みんなお弁当です)
来年どうしよっかなーと私がつぶやいていると、
あんたもこうすればいい、と自分の時のことをあれこれと教えてくれる。
重要なことをまとめると要はこういうことであった。

・組織の予算のスケジュールとステップを完全に把握する(これが最も大事)
・自分のボスに残留意向をつたえ、自分の部署に人件費の予算マージンがないか単刀直入に聞く
・予算ステップのラウンドのどの段階でどの粒度のものをボスが提出するか把握し、どこまでどんな承認が通ったかポイントポイントで確認し、上記相談を根気よくつづける

自分で改めて書いていて思ったが、
自分のボスとかなり関係構築ができていて、いろんなことがざっくばらんに話せるのが結構大事な前提条件ですね。
うちのボスはあまり馴れ合いとか、わちゃわちゃした公私混同の関係を好かない人で、結構業務上は業務上の関係、コミュニケーションはオブラートなしに簡潔にみたいなタイプ(要はちょっと社交ではコミュ障タイプ。親近感・・・!)だったので、逆にこういうことは正面切って話しやすかった気がします。

加えて、小間使いのようには働いていた私が残ることで一番得するのははっきりいってボスで、そのボスが部署の予算案決定権をもっていたのはとても大きかった。
最終的に自分の部下の管轄範囲だけやる人より、自分に直接くっついて色々やっているくれる人がいたほうが彼女も楽だから。

ボスへの相談は最初は「できたらねー」「どうなるかねー」
みたいなかんじだったのが、気づいたら「部長さん会議にこういう職務内容で予算もう決めちゃうって通しちゃうから」
になっていて、心配していたのに正直拍子抜けした。

気づけば職務内容にほかの人にあまりないような私の技術が特記されていて(この技術を持っている人は優先されますとあった)
もう勝った、と思った。完全にポジションを作れたし、公募で競争しなければいけないにせよ、出来レースだと思った。
また、その職位につける最年少の年次ではっきりいって浮かれていた。

ただ、最後の最後で誤算が生じた。
それはボスの異動である。
ボスが急遽別のオフィスに異動することになった。
ボスは自分が最後まで選考プロセスに関われないかもしれない、というリスクを見越して
自分の部長級の部下に選考を任せた。

結果、任された部長はボスがどうせもう自分の上司ではなくなるし、と彼女を見限って、
自分の好きなように別の人を選んだ。
私は結果を正式な発表よりも前にボスの驚いたメールを通じて知った。
「本当に私もびっくりしたんだけど」から始まるそのメールを読んで私は放心状態になった。
一番つらかったのはそれまで毎日一緒に仕事をしており、本当に慕っていた先輩がその選考パネルの中にいながらも、その状況に対して何もアクションをとらず、私以外が選考されていくのをただただ見ていたことである。
ポスト作る就活、また前述の出来レースに持ち込むパターンの場合、つらいのは
手違いがおきたときに、それを訴え出てどうにかする手段がないことである。
なぜなら公募による選考は「自由な競争によるもので、選考パネルが決めるはずのものだから」である。

「何言ってるの?これ私が受かるはずのポジションでしょ?」

といいに行く場所はない。
政治的にポジションを決めにいこうとしていたのはこっちだからである。
それが裏をかかれて、別の人の政治に覆されてしまったときに、相当大事にして人事や倫理委員会を巻き込んで「いかに自分の方が優れていて落ちるはずがないか」などと傲慢きわまりないと思われるプロセスを踏まない限り、不当性を訴え出ることはむずかしい。

仲良くしていた先輩は無垢すぎた。
とまわりの仲のいいひとたちからは言われた。
部長は自分の都合に融通できそうな人を選び、いろいろと私に難癖をつけた。
無垢な彼女は本当にそれを真に受けた、と。
ボスは何かこういうことが起こったときのために先輩を送り込んでいたのに、その何かが本当におこってしまったときに、公正明大な彼女は、「それでもこれをパネルの外に漏らしてはいけない」とボスに報告しなかった。
ボスも私と同じくらいつらかったと思う。
信頼して託した部長には裏切られ、念のために同席してもらった先輩は期待どおりに動いてくれず。

かくして、私は自分の契約が切れる5日前になぜか職に就きもするまえに次の職から失業した。しかも、一番信頼していた先輩が私よりずっとふさわしい人がいる、という部長の話に説得されてしまったこと、彼女に直接いろいろ尋ねても「これは公正な選考だったから」と半ば怒り気味にいって言われたことで、本当に傷ついた。
それまで先輩は私が思い描く上司の鏡だと思っていただけに、なおさらショックは大きかった。「だからやっぱり私は職場の人と仲良くなるのはやめよう」と人間不信になりかけた。
そしてそんな混乱と傷心のなか、別のポジションに急遽不時着し、そこで起きたのが先の投稿にかいた、新しい上司のハラスメントだった。

今までだって、ゆるやかな鬱っぽい症状や、心理的な理由による体調不良は経験したことはあったけど、こんなにいきなり頭に隕石をドッジボールのようにぶつけられたことは初めてで、約一年前の私は心身の健康に相当な支障をきたした。1年以上前から準備してきた就活が人間関係もぶちこわしながらだめになり、不時着した別のポジションが、まさにCrash landing onやばい上司で、しかも相談した先の人事がパワハラだった。
我ながらアメリカのわざとらしいオフィスドラマだって、こんなことが4週連続立て続けに起こったら、「ありえなさすぎて、うそっぽい」と笑ってチャンネルを変えると思った。

でもチャンネルを変えられないのが人生というやつだ。

国際機関はそんなに倍率の高い選考を勝ち上がっていて雲の上の存在しかなれない、
何度も何度も就活をするとか、終身雇用の方がよほどよい、

こうした話は今でもよく耳にするが、
私は選考はゲームへの戦略次第だとおもうし、
就寝雇用の下、勝手に望まぬ配属に付き合ってる方が辛い、とは本気で思う。

しかし、この業界で就活をつづけるということは上記のようなアメリカドラマ以上のアップダウンに巻き込まれる可能性はいつだってはらんではいる。
本来は配属のほうがよほどコントロールが効かないはずなのに、
こんなにもショックなのは、コントロールがある程度効くからだと思う。
それは自分の毎ステップにオーナーシップを持つと決めたことで伴う必要経費なのかもしれない。

よく、自分や家族との生活に自由を勝ち取るために実力で殴り勝ちに行けるようになりたい。そのためにレベルアップを常にしたい、と言ってきた。
それはとてもマッチョな言い草に聞こえるかもしれないけれど、
実は、去年の私のような心の軟な部分をザクザクと刺される経験をしたくないというのがその本心だ。

臆病で傷つきやすい自分を守るために、喧嘩なんて吹っ掛けられないかっこいいマッチョになりたい。


Interlaken を挟む湖の一つThun湖

2020年8月20日木曜日

Szégyen a futás, de hasznos

仕事をやめました。
8月頭に日本に戻ってきて、
ジュネーブで2.2年間勤めた職場を昨日やめた。


はっきり言って今はかなり疲弊しているし、この数ヶ月、経験したことのないようなストレスで心身ともにギリギリだった。今までも、前職や、短期出張先で、上司があわない、労働環境がきつい、などが理由で結構なストレス負荷の中で仕事をしたことがあったが、個人を標的とされて、数ヶ月にわたる心理負荷をかけられたことは初めてで、自分にはちょっと耐え難かった。


この数ヶ月で色々「ああすればよかった」「こうできたかもしれない」とか今も後悔や迷いを感じることはあるが、なにか正しい選択をしたとすればそれはその耐えがたい心理的負荷から逃げたことである。逃げた自分は全力で褒めたい。


さて、ここでもTwitterなどでも今まで転職がうまくいった人の典型みたいな余裕と満足感を放っていたとと思う。急にそれがこんな展開を迎えて驚かれるかたもいるとおもう。


この数ヶ月で気づいたことは、私がこの2年間ラッキーだったということだ。2年の間、私はそれはそれは良い大ボスの下で、白すぎて蛍光色かとおもうくらいのホワイトな労働環境で働くことができており、どこかそれを組織の性質と同一視していた。しかし、離職をめぐる数ヶ月でわかったことは、うちの大ボスのようなマネージメントを組織的に担保する仕組みはないということだ。長期出張では限りなく対局を体験したし、組織の戦略系の役務についていたこともあり、組織的な課題も理解してるつもりだったが、あまりに日常が健やかそのものだったので、どこかで楽観視しているところがあったのだと思う。


私が経験したことはかなり特異であるとはいえど、ある程度は国際機関に共通する構造的な問題である。国際機関の特徴の一つに短期の有期契約をつなげていく、流動的な雇用形態がある。一年以上のフルの福利厚生がついた契約をもってる専門職(P-staff、ローカル職員のことはG-Staffという)は国連では半分以下。4-5年の契約なんてみつけようものなら、「長期」契約をもってる特権階級だなんて揶揄われたりするものだ。


このような有期契約なので、全ての契約は部署と特定のタスクに紐づいている。言い換えれば人事異動はないし、その組織全体としてその人を抱えたという意識は希薄である。よく言えば、古き良き会社であるところの「会社が従業員を所有してる」みたいな感覚もない。


そんなわけなので国際機関は採用は9割部署・現場権限で行う。その部署やオフィスが予算獲得して、ニーズがあるので、といって募集をかけ、その採用者の上司にあたる人や管理職で採用チームを組み人を選ぶ。結果、人事の権限が非常に弱くなる。考えてみてほしい、人事異動も採用も行わない人事だ。一体何をしてるんだろうと日本の終身雇用の会社からは思われてもおかしくない。


もちろん人事規則の番人としての機能は有しているのだが、「わたしが採用したわたしの仕事をする部下なのだから、私のチームはこうする!」というマネージャーに対して、それに対抗する術をもたない。


結果、私の機関では特に顕著だったが、「上司ガチャ」で誰を引くかでかなり明暗がわかれた。なぜなら、どうしようもない上司を引いてしまったときに、それを自浄するガバナンス機能を有していないからだ。


国際機関には組織内のガバナンスを担保する様々な仕組みは役職としては用意されている。Ethics & Conduct(倫理課)、Ombudsperson(仲裁制度)、労働組合、産業医。ただ、実質的にハラスメントにあったときにその上司と対等に掛け合い、場合によってはそこに指導や処分をするに十分な仕組みはなかった。労働組合や仲裁制度は結局量的に訴状が積み上がらないと動けず、産業医はあくまで自分自身の心身の健康をサポートしてくれるエキスパートである。一番所轄範囲に近いと思われる倫理課は、結局匿名で訴えを出しても、その内容からその過程で誰かは明白になり、散々ネガキャンをくらって、あとのキャリアに響くというのがうち組織でも他機関でも聞かれることだ。結局短期契約の世界では次がつながらないと組織生命はおわる。「ま、私のこと訴えてもいいけど、次雇わないよ、あんたのこと」という態度をとるマネージャーを防ぐことは難しい。


加えて、開発(Development、平時の支援)と緊急人道支援(Humanitarian/emergency assistance、戦時や災害などでの支援)のうち、後者を所轄範囲として有している機関はこの「上司が絶対」カルチャーはかなり強まる。一言でいえば、命に関わる危険な環境だからだ。前に長期出張先での話を書いたときにも言及したが、緊急人道の世界はかなり、体育会系だ。自分たちもリスクの高い場所にいるし、裨益者もタイミングを誤れば命を落とす。そんな環境では軍隊型の組織運営は是とされる。合理的だ。「はやくしないと人死ぬよ!」ってときに「じゃあみんなの意見をまずは順番に聞こう」とかやってる余裕はないのだ。緊急人道においては縦型の指揮系統がちゃっちゃと成果を出す傾向にある。


そのため、緊急人道をやっている組織は、このような上司に強い権限を与えるようなマネージメントを是認するような人事規則や規範の中で運営されている。厳しくしすぎると、体育会運営が必要な場所でそうできなくなるから。


私は夏に上司がこのような体育会バリバリの人に変わった。コロナ下で本当にさまざまな「想定外」が起こる中で、かなり多くのことは「部署や現場判断にまかせます」というのが組織見解となった。そのため同じ課題に直面しても人によって対応はバラバラだった。私は自分に降りかかった課題について、自分の古巣で多くの人がとっている対応をお願いしたいと新ボスに願いでたがそれはことごとく叩きつぶされた。私としては理性的に話を詰めたかった。別に納得ができる理由があるなら良いと思った。しかし、そのようなキャッチボールはできず、新ボスは「私があなたのボスだから。いいからやれ」という態度を崩さなかった。


これを人事部に相談してしまったところから、状況はさらに転がり落ちていく。運の悪いことに人事部の管理職も同じく緊急人道の叩き上げ、戦火からかえってきたような人だった。私の話を聞くや否や「あんたが問題だということがわかってるか?」と電話で詰められた。上司に楯突くというジェスチャー自体がショッキングというような反応だった。最終的には48時間以内に離職するか上司の指示を飲むか決めろと迫られた。すでにこちらのメンタルをギリギリと削ってくるようなコミュニケーションに精神が衰弱してる中、この連絡をうけて、人のウェルネスも含めてマネージしてるはずの人事がこのようなことをいう場所に私はこれ以上いられないとおもい、組織を去ることに決めた。


古巣や大ボス、同僚たちからは怒りやショックの声が寄せられた。「意味がわからない」「ひどすぎる」。

でも私も含めそのときに全員が痛感したのはそう思うカルチャーは私たちの部署のそれだったということ。組織が全体として浸透させようという意思をもってはいなかったということだ。


こんな話はっきり言って、日本の会社ではよく聞く。ましてや「社員を所有してる」と考えてる会社ではそんなこと息を吸うように行われてる。つい最近も日本の友人と話していたら、明確に「こういう働き方は家族の都合上無理です」と人事面談で告げた社員に、まさに行くのは難しいと伝えたその部署を移動させたという話をきいて驚愕したばかりだ。だから、私が心底苦しかったのは青い芝に囲まれていたからかもしれない。私の古巣のES(従業員満足度)を重んずるカルチャーを横目でみながら、脳天をおしつけられて地面にぐいぐいと埋められていくのはキツい。それはガラス瓶の中にいれられて、最初はたっぷりあった酸素が徐々に抜かれていくような気持ちだった。苦しい。どんどん苦しくなる。ガラス瓶の外はあんなに楽に息が吸えたのに、と手をガラスの壁に伝わせながら外を見る。


苦しくて、酸素がなくて耳鳴りがガンガン、あたまはぐるぐるで、まともにせいかつできなくなりそうだった。だから私はガラス瓶を割って出た。割ったその手は血だらけになって刺さった破片が今もとれないけれど、でも瓶の外には逃げた。


逃げる以外の選択肢はあの時点ではなかったと思ってる。


逃げるは恥だが役に立つというのは実はハンガリーの諺だ。私のジュネーブの2年間、そして離職プロセスを通して支えてくれた友人の1人はハンガリー出身の娘だった。


「日本ではハンガリーの逃げるは恥だが役に立つって諺が有名なんだよ。自分の納得できない嫌な状況を打開する女の子のドラマで有名になったから」


「なにそれおもしろい。でもなんかその使い方はちょっと違うかも」



「そうなの?」


「この諺はね、捕食されそうなとき、敵から逃げる動物のことをいうのよね。迫り来る脅威からは逃げよう、みたいな意味」


「あ、そうだったんだ」


私は少し考えてからメッセージアプリに指を走らせた。


「じゃあ、私の今の状況だったら使えたりするのかな?脅威から逃げてきたきがしてるんだけど」


すぐ既読になったメッセージに沢山の泣き笑いの絵文字がつく


「たしかに!それ最高ね。間違いない、あなたは正しく脅威を振り払って逃げてきたのよ。大丈夫。役に立ったから」


大丈夫。役に立ったから。


Szégyen a futás, de hasznos


ヨーロッパ最高峰のマッターホルン

スイスに来るなら夏の登山が本当におすすめ


2020年2月3日月曜日

あなたが嫌いな日本の会社っぽさは、日本の外ではあなたの強みかもしれないー国連にみる一見日本的な企業文化ー

海外の企業で働く人、国際機関就職者、などをみると一辺倒に、「日本/海外」、「日本の会社/国連」という二項対立で語るひとが少なくないように思う。その中には、海外の会社はこれがいい!とか、日本の会社に比べて国際機関はこんなにいい!と手放しに海外の会社や国際機関を礼賛するものもあって、びっくりしたりする。

自分の好きなものや嫌いなものがあるとして、それが何によるものなのかは冷静にみつめることは大切だと思う。それは自分がいる会社が素晴らしいのかもしれないし、上司がすばらしいのかもしれない。本当に、「日本」、「国際機関」というところがポイントなのかは検討に値するかもしれない。

例えば、日本の古臭い企業文化、非効率の助長している要因としてしばしば挙げられるものは
国連の中でも散見されるものが多い。




これらは少なくともうちの組織や、話を聞いたいくつかの国際機関では珍しくないことではないようです。
仕事をしない老害が窓際にずっといる、管理職のローテーションで全然専門外の上司がきて困っている、こんなこともよく日本・海外の対比で聞かれますが、これも国連にもみられる現象です。

私が就職してからずっと心にとめていることとして、人を恨まず、構造を恨め、というものがある。基本的に組織においては、絶対するべきではないことは懲罰的措置がされ(情報漏洩したら処分など)、積極的にしてほしいことにはよいフィードバックが与えられる(売上に貢献したからボーナスアップ)。ある行動が蔓延しているとしたら、それには大抵それが助長されるような構造がある。だから、日本であろうと、海外であろうと構造が同じだと同じような言動が見られるようになる。

国連組織は基本的に官僚組織だ。私たちが小役人的仕事をしているということは前の投稿にも書いた。

加盟国はお客様、となりの機関は競合他社ーコンサルモデルとしてみる国連ー

国連で働いていると、普段の私たちは各国に対して指導的立場でかかわり、超国家的な権力で秩序を築いているという印象を与えていることが多いらしい。それは、おそらく本や、授業、世界史や時事で出てくる国連が人道的介入のような形で行動している事例が多いからなのではないかと思う。 ...


役人というと霞が関の官庁を想像されそうだが、官庁から市役所くらいの幅を想像してほしい。さて、官僚組織の中で特異にみられる現象の一つとして、会議のための会議というものがある。会議を開いて各部署から関係者を呼び、議題に沿ってみんな好き勝手話すけど、特にそこで意思決定がされるわけではない。国連ではこれをよくcoordination とかconsultationと呼ぶ。これらの会議がある意義は、二つ。

 ‐意見の代表性を担保すること
 ‐批判の事前予防

ある取り組みを進めるにあたって、テンプレ的な意見は「この取り組みは関係者全員の同意をとっているのか」。特に公共セクターにおいては、「全員」が強調されることが多い。Selective ではなく、Inclusiveな意思決定文化である。公共の利益を実現しようとしている故の文化だ。組織の幹部に説明するにあたっても、お金をだしてるドナーに説明するにあたっても、このピースが欠けることは許されない。すると、意見を聞きましたね!という場を設けることがとても重要になる。大した意見もでない、というのはむしろいいサインの場合もある。「特に是正するべきところはないので、そのままどうぞ!Keep Going」ということなので。大した意見が出ない会議を経ると、晴れてこの取り組みは「Consultした結果、全員のコンセンサスを得られました」と表立っていえることができる。
二つ目は、一つ目にも関係するが、意見を聞く、という姿勢事体が批判を牽制することにつながったりする。「は?そんなこと知らない場所でやってたの?何これ意味わからないじゃない」という憤りのほとんどは、「自分の知らないうちに」というところにかかっている。説明の場を設けて、他の人もいる目の前で建設的な議論をすることはあとあとの本質的な批判を受けることを予防することにもなる。
さらに、この会議のための会議を前にして、この人からは厳しい意見がでそうだなーっておもったら、するのが事前の根回しである。会議のための会議は概ね了承を得るためにするので、大きな意見の衝突が予想される場合は、事前にそのネゴは行っておくのが常だ。
Inclusive な文化に基づき、加点を狙うより、減点を避ける官僚の労働倫理において、会議のための会議や事前の根回しはまだまだ果たすべき機能が大きく、こちらでもなくなる気配はない。


体育会文化もそうである。うちの組織は数百のオフィスを持っているが、同じ組織の中でも、
・作業の量と迅速性
・資金調達
を人事評価メーターにしたところはたいてい、厳しい体育会文化が育つ。
多くのことを早くやればやるほどよくて、お金を取ればとるほどよい、ということなら、
四の五の言わせずひたすら人を働かせるのが最も効率がいいからだ。
逆にチーム全体の働きやすさやスタッフの心身のケアをする責務についてマネージャー強く監督するようになると一気に体育系マネジメントは鳴りを潜める。もちろん、人格者な体育会系の人もいるが、厳しい体育会文化の下では合わないひとはつぶれてしまうことが多い。

そもそも海外!という主語が日本以外の190か国以上を十把一絡げにして、ありとあらゆる企業や文化を語ろうとしているので無理がありすぎるのだが、もしあなたが「今日も決済上げるためにハンコにかけまわり、会議の事前根回しして、隣の部署とはちっとも情報共有できてないし、日本企業なんて嫌だ!海外にいきたい!」とおもっているなら、転職先のビジネスモデルやマネジメントカルチャーはよく見てから吟味するといいと思う。
私は今の組織をとても気に入っているが、それは今までいた組織に比べて、ダイバーシティが当たりまえとされていて、フラットなマネジメント文化が際立っているからだ。
逆に上記にあげたような、会議のための会議や根回しは毎日のようにあるし、部署ごとのたこつぼ化(こちらではSylosという)はかなり激しい。しかし、これらについては私はあまり気にならないたちなので、逆に自分の強みになると思っている。こういう役人的な仕事が好きじゃない人は多い。それが苦にならないということだけで能力になる。(ということはこちらにきてよくわかった)

むしろ、官僚でなくても、民間でさえ役人ぽい仕事の仕方がしみついた日本の企業の出身者は国連の基幹業務(本部とか政策連携とか)に向いてるのではないかなぁというのが私の意見だ。
同じように日本でビシバシ体育会で鍛えられた部活出身者や、商社・ロジスティクス系の業界出身の人は、国連の中でも緊急人道側のお仕事で本当に強みがあると思う。あの特殊なカルチャーにフィットする人材は世界を見渡しても稀有だと思う。それが居心地がいいなら、それは能力なので自信をもったほうがいい(それが苦手だった私みたいな人材にはわるいことを言わないから、国連の中では開発側をすすめておく)
(緊急人道と開発の社風の違いについてはここでは割愛するが、詳細はこちらを参照)
「初めての緊急人道支援」体験記

日本の会社はこれだから疲れる、これだから窮屈だと考えて海外や国連を目指す人も少なくないと思う。日本のいまの自分の企業にないものを求めるのももちろんいいと思う。でも、まずは一度立ち止まって、自分の嫌いなその慣習や文化がどんな構造を背景として存在しているのか考えてみるのは、そう悪いことではないようにおもう。そうするとおのずと自分が次に目指したい場所、それが日本以外の国のほうがいいのかも浮かび上がってくる。
でも、もっといえば、日本の会社っぽい場所を見つけて、それを逆に強みに利用するのも手かもしれない。日本特有だと思ってる文化も、構造を同じくする全く違う国や業界でもしかしたら共通する文化かもしれないから。

先週出張で訪れたウクライナ、キエフ
ご飯がとてつもなく安くておいしくて、空色屋根のエレガントな教会建築が綺麗な素敵な場所でした。
こんなに寒くなくて、私がロシア語を話せたらぜひ住んでみたい街だった

 






2018年11月15日木曜日

ようこそかしまし部屋へ

日本の民間企業から国連に転職して大きく変化したことの一つは女性率の高さだ。

あえていうまでもないことだが、日本はジェンダー後進国だ。昨年更新されたWEFジェンダー平等ランキングでも日本は(安定の)117位(過去最低を更新)。それでも、いまの日本の途上国開発の戦略的重点分野の一つはジェンダーだというのだから、やや驚いてしまうのだが(10位以内にがっつり食い込むフィリピンやルワンダにはむしろ習うべきところの方が多い気がする)、これについてはここではひとまず置いておくとする。

とにかく女性が多い。
国連全体だと38%。うちの機関についていえば47%程度いる。
そして特にこれは先進国×本部ということも影響しているだろうが、上から下までどの職階をみてもきちんと女性がいる。
むしろ管理職にこそ女性が多い印象さえうけるといってもいい。
現に4つある局のうち2つの局は女性局長、副事務総長(No.2)、統括室長(No.3)も女性、うちの局では、5つの部のうち3つの部も部長は女性。おそらく部長レベルでみるとうちの局にかぎらず、本部では過半数が女性だと思われる。

対照的に、日本で勤めていた民間企業では、自分と同じ年代(ざっくり言うと2008年入社以降)は女性率3割(30人中10人、絶対数としては決して多くない)、これでも少ないが、上に上がれば上がるほど、女性は少なくなり(採用人数×昇進率)、基本的に「上司」と呼ばれるような役職に女性はほとんどいなかった。700名いる会社全体の中で、片手に収まるほど。

顧客でも状況はほぼ変わらず、会議で私が女性1人なのはデフォルトで、驚くことではなかった。「文化遺産」なんていう、いかにも女性が多そうなテーマで20以上の自治体(県、市町村)が集まる80-90人ほどの会議で、外から参加してる私と同僚以外には女性担当者が2人ほどしかいなくて、見渡す限りのグレーと黒のスーツの波に呆気にとられたこともある。

そんな具合なので、私が下っ端としてちょこちょこでて行く会議でも、8割が女性になり、「あら、今日はGender parityが崩れちゃったわね、クフフフフ(笑)」なんてひと笑いが起こるいまの職場は未だに私の中では新鮮だ。

うちのオフィスは一人オフィスを持っている管理職以外は、4-5人入る大部屋がそれぞれのフロアにいくつかあり、それをシェアしてつかっている。
私が割り当てられた大部屋はなんと全員が女性で、その雰囲気さながら私は、この部屋を勝手に「かしまし部屋」と呼んでいる。

かしまし部屋にいる女性は、私を含めて5人。
私ともう二人の若手はほぼ同い年だ。
一人はファッションにぬかりがなく、オフィスでは常に弾丸トークで電話をかけまくってる、デキ女のおしゃれっ子。
もう一人は童顔で、いつもニコニコ笑顔が柔らかいのに、実は鉄人レース*を年数本走るというものすごいストイックなアスリート
(*Iron man race - 水泳3.8km、自転車180km、マラソン42.195kmを一度にやってその総合タイムを競うレース。ちなみにトライアスロンは水泳1.5km、自転車40km、マラソン10km。アイアンマンはマラソン部分だけでフルマラソンの距離がある。はっきり言ってネジが外れてる)

残りの二人はアラフォーの中堅女性で、
一人は、ガハガハ笑いながら、子どもの保育園の迎えの時間に間に合うように、
ブルドーザーのごとく仕事をなぎ倒すようにしていく文字通り肝っ玉母ちゃん。
最後の一人は超が付くほど几帳面で「あー、あの人アメリカ人ぽいわよね」と自分もアメリカ人なのに、言っちゃうような生真面目先輩

そんなかしまし部屋の毎日はびっくりするほど前職のオフィスと違う。

真夏、冷房のないうちのオフィスで、室内はヨーロッパといえども西日で温室のようになる。
すると、肝っ玉母ちゃんがガバッと立ち上がったかと思うと、バタバタとどこかに消えていった。
ほどなくして戻ってきたかと思うと、手には5本のアイス
「はーーーい、もう暑いし金曜だし、みんな今からアイスタイムーーーー!」
部屋の残りの面々も、テンションは爆上がり。
「いぇーい!アイスーーー!」
「はい、午後もがんばりまーす」

また、別の日、
きまじめ先輩がなにやら、ジーーーーーっと窓の外をみている。
気づいた童顔アスリートちゃんが、「どしたの、なにか気になるの?」と話しかける。
すると彼女は視線を窓の外から一切そらさずいう、
「あのね、この外、今月から工事はじまったでしょ?」
「私たちのオフィスの目の前に彼らの控室のプレハブがあるのよね」

「うんうん、それがどうしたの?」

「私昨日気づいちゃったの、14時半くらいに彼ら着替えタイムはじまるの」
(ここで部屋一同仕事の手をとめ、聞き耳をたてる)

「いやぁ、土建やさんていい身体してるのよねー」

全員一斉彼女方をふりむく、
「やばーーーー。それ覗いてたの?エロー」
「いやいや、覗いてないし。勝手に着替えてるから窓の外みてただけ」
「早く教えてよ。独り占めとかずるいでしょ」
「わたしたちも眼福ひつよーーーう」
「ちょっと、今日の着替えはじまったら教えてね」
「了解。ちゃんと見逃さないようにするわ」

なにが面白いって、このメンバーの中でよりにもよって、
生真面目先輩がこれを言い出したことに全員が、笑いと驚きを隠せない。

この日、全員でかけよって窓の外を観察したのはいうまでもなし

このノリ、どこか懐かしいとずっとおもっていたのだが、
このあたりで確信した。
そう、これは15年前まで私がいた女子高のノリなのである。

一度思い立つと、もうそれ以外に形容しようがないくらいに、しっくりきた。

男女比が半々になった国際機関においては、
もはや一周まわって女子高ノリが存在する。
高校は共学、大学・大学院はもはや男子校のようなジェンダー比にいたため、私自身がこのノリを久しくわすれたいた。

代わって今度は私たちが、マジョリティーとしてハラスメントやPCに気を付けなければならないのだけど、逆の極から、大きく振れてきた私にとっては
いま、まだかしまし部屋のノリが新鮮で清々しい。

この部屋の女子高ノリを知っていて、かしまし部屋にはよく他の女性社員もたちよっていく。

今日のお弁当のレシピから、パートナーとの悩み、生理痛がヤバいはなしから、
Tinderであった男が100年の恋も一瞬で覚めるほどやばい奴だったこと、
Black Fridayのセールの戦利品はなんだったか、などに話を咲かせ、
全員がコーヒーとチョコ過多な部屋で、
2人・3人でコーヒー・チョコ断ちチャレンジ週間などの企画をたててみたりする。

私が、「中高生だから」していたと思っていた話題や、
「公共ではしない(友達と少人数でしかしない)」と思っていた話題がかしまし部屋にはある。

子供の夜泣き具合で朝のおしゃれへのやる気が変わる肝っ玉母ちゃんが紅いリップを引いて来ているのをみて、「今日はゆっくり準備できたんだな」と安心したり、
おしゃれデキ女にデスク小物を褒められてちょっと気をよくしたり、
ポーカーフェイスの生真面目先輩が、実はMUJIの筆箱にサンリオのシールを貼りまくってるのをみて、ちょっとクスってなったり、
童顔アスリートと、おすすめのドラマや映画のリンクを仕事メールで送りあってお昼ぺちゃくちゃする毎日は、
どんなに仕事が単調だったり、トラブル続きでも、それだけで少しだけ楽しい。
勉強や授業がどうであろうが、とにかく学校にいくのが楽しかった頃に、ほんのすこしだけ似ている。

2018年9月18日火曜日

ケアの断片が編み込まれた職場

3ヶ月もすぎ、仕事でもただ不安や心配があるというだけじゃなくて、
仕事ならどこでもあるようなアップダウン、うまくいく日、いかない日を経験するようになってきました。
まぁどこだって、ちょっとありえないなという上司や同僚とかっているもので、
それはこの新しい環境でも例外ではないわけです。

私はスポ根の対局のような人間なので、「苦労は買ってでもしろ」みたいなのは強い言葉を使えば、クソくらえと思っています。不要な苦労や、不要な苦痛はいらないと思っている。
どんな経験からも観察や知見を得ることができる、という言葉には間違いはないとおもうけど、その方法で学ぶ必要はあるのか、ということは常に考えるべきだと思うのです。
火を使うときに気をつけるべき、というのは熱い鍋にずっと指をおしつけていなくても学べるわけで、その学びから、「いやいや、みんな耐えてきたからその熱さに耐えようよ」というのはナンセンスだとおもっている。

こんなに反骨精神がつよく、なんかプロレタリアートの火を目に燃やすような人でもなかったのだけど、
5年も社会人をやっていると気づけばこんな感じに条件づけされていた。
「これいまおかしいこと言われてるんじゃ?」と、レーダーでキャッチすると、すぐピリっとするし、その瞬間からとてもdefensiveになるので、職場の私が感じのよい人ではないことは心得ている。
だから、前回の投稿にもあるように、前職の私はASAHIのごとくスーパードライだった。
決して正義感がつよいからもの申すタイプではない。
自分が個人としての人格としてそんな人だと判断されたくなかったからかなといま考えてみれば思う。
「この人仕事だからこうしてるんだな」と思われようとしてたのかもしれない。

例によって、そんなこんなで同僚の一人とぶつかることがあった。
その詳細についてはここでは重要じゃないので、割愛する。
一言でいえば、仕事に予算上、スケジュール上、モラル上の影響が出そうになっている状況だった。
そして、儒教文化からでてきたばかりの私は、ここでは目上の人に対しての異議申し立ては日本よりはしやすいんじゃないかなと思っていた。
でも、来てみて儒教とはまた別の構造的な問題があることに気づく。
先にも書いたように、国際機関における雇用期間の不安定性と短さである。

特にプロジェクト上で雇われている人の場合、マネージャーとの関係は数ヶ月後自分が仕事にありつけるかに影響する。失業のリスクをおかしてまで、マネージメントに異議を唱えることは非常にむずかしい。それはある意味キャラ問題でどうにかなる(場合もある)儒教文化よりも、さらに抗いがたい社会保障上の構造ともいえる。

さてさて、そんなモラルハザードが蔓延している状況で、同僚と衝突した私は悔しさで涙を溜めて、「もう今日は帰宅しようかな」くらいに考えていた。

数人でシェアしているオフィスの中部屋で満身創痍になっている私を前に、一番姉御肌の同僚が「あんたは完全に正しいこと言ったよ、えらかった。よく言ったとおもう」とパソコンから顔をあげていってくれた。それに対して私が「ありがとう、もう懲り懲りで、こんなの」というと、明らかにミーティングをしてた姉さまもう一人が「(ミーティング相手にむかって)ちょっと一瞬いい、ごめんね?Saki、いい?この組織は「もう懲り懲り」とおもってからが一人前よ、これであなたも一人前!(ミーティング相手に向き直り)はい、失礼、続けて」

そこからも、なんとなーく断続的に別の同僚が自分の地元にある日本人街について急に話を振ってくれたり、また別の同僚が「日本の英語の教科書にある、やばい例文」の話を持ち出して一笑いしてくれたり。

なんというか、顔面で地面を打ちそうになっている人を前に、瞬時の判断で安全マットをすばやくそこに敷く態勢がすごかったのである。

鷲田清一(はい、マイブームです)は自著『語りきれないこと 危機と傷みの哲学』の中で「ケアの現場は、ケアの”小さなかけら”が編み込まれたものだ」と書いている。「いろんなところで小さなケアが、それも意図していないケアも含めて、なんとなく起こっている。そういうケアのかけらがうまく自然に編み込まれている空間が一番いいケア施設だといわれている」と。

今の自分の職場はまさにそんな場所だと感じた。

誰一人、なにが問題か尋ねたり、それを解決しようか?とは言わなかったけど、「あ、この人はいまやばいな」と察してほとんど脊髄反射のように対応してくれたように感じた。
私はそのことにとてもびっくりしてしまい、悔しさのボルテージでエネルギー切れになったことすら忘れて、なんだかあっけらかんとその日をすごした。

その後も衝突の発端となった業務を一緒にやっている同僚が「お昼に外に行く?」とそれぞれ別々に声をかけにきてくれたり、
極めつけはその内の一人が「今日は一緒に帰ろう」と言って、バスでの帰路ずっと「Saki、あなたはうちのチームに本当に大切な財産よ。だからこれで気を落としたり、私はいらないんじゃないかって思わないでほしいの。あなたは私たちの宝物よ。それだけはわかってほしい」。ジュネーブの都心に向かう夕方のバスに揺られながら、語りかけた彼女の言葉を聞きながら思った。なるほど、そうか。私は今日”顔面から地面に落下しそうになったところ、同僚にぐっと袖をひかれて助けられたな”と思っていた。けれど、実際は20m高度からすでに顔面先にフリーフォールしていたのだときづいた。その落下中の私を視覚の角で捉えた同僚たちがとっさにブラインドで投げた安全セーフティーネットにすぽーんとキャッチされた私は、その動力のままに網につつまれながら、ぽわんぽわん上下に揺られていたことに1日を終えて初めてハッと気づいたのである。

仕事の場にはなるべくだったら感情を持ち込まないほうが私もプロとして望ましいと思う。けれども、こうして感情の波に足元からすくわれそうになったときに、眉ひとつうごかさずに安全網を投げてくれるような場は、それだけで安心できるなと思ったのでした。

You are a treasure

そんなことを言われたのは、小学校3年生の担任のステイシー先生以来。

あなたはトレジャー、洋画タイトルの下手くそな邦題みたい、なんて思いながら、バスを降りるころにはその日の夕飯の献立を考えてた。



先日弟を訪ねて行った、オランダのGiethorn


2018年8月12日日曜日

冷静と情熱のあいだに、もしくはフロントオフィスとバックオフィスのあいだで

こちらではどんな仕事をしているの?とよく聞かれるようになりました。
圧倒的に現場重視で実行部隊ありきの組織の中で、本部にいる若手ペーペーの自分がどのような役割を担っているのか。それ自体を咀嚼して理解するの自体に時間と熟考を要しましたが、二カ月たった今ようやく頭と腹両方できちんと納得する形で理解が追いついて来た気がします。

私の仕事は民間企業に例えると、ちょうど経営企画や統括室に相当する、と表現するのが今のところ一番しっくり来ています。
経営企画といえば、まさに文字通り経営を企画するところなので、例えば中期計画など組織の戦略を組んだり、四半期ごとにその活動を分析したり、新規事業を立ち上げたり、といった仕事をしているような場所です。
そこをいわば組織のブレーンと呼ぶ会社もあるのではないかと思います。
さて、このように表現すると、花形というか、組織で重役を任されているような印象を与えますが、私がこれを持ち出したのはむしろ自分のabilitycapacityを示すためではなく、inabilityincapacityを説明するためです。

こちらに転職して仕事上、私が一番苦労したのは海外にきたから、ということや業種・業態が変わったということより、この組織での立ち位置の違いでした。
私は前職ではコンサルタントをしていたので、常に社外にいる別組織の顧客からプロジェクトベースで仕事をもらっていました。
この時、顧客はまず 1)問題意識や課題意識があります。
専門性の理由で組織内ではできない、または(こちらの方が圧倒的に多いですが)人手や時間の余裕的に社内でまかなえない仕事がアウトソースされてきます。問題意識がずれていて、それを一緒に後々軌道修正されることはありますが、問題意識はある。

なのでもちろん2)その作業の必要性も認識している。
社外の人にお金を出してでも頼みたいと思っているので、その量や質は都度すり合わせが必要ですが、少なくとも誰かにやってもらわなきゃいけない、と思っている。

そして、3)明確な成果物がある。
多くの顧客は私たちに払ったお金を正当化しなくてはならないし、ちゃんと元を取らなくては、とも思っているので、要求がふわふわしていることはありますが、成果物はあります。会議の企画や準備、商談、分析、レポートなど。

さて、仕事するときのこれら条件がこちらにきて大きく変わりました。

まず、経営企画とは、フロントオフィスとバックオフィスの間に位置する部署ということ。
むしろ、バックオフィス寄り。
だって、メーカーに例えれば、何か特定の商品を管轄しているわけではないし、生産管理をしているわけでもなければ、販売をしているわけでもない。つまり直接売上を持っている部署ではない。
これが全ての条件を変える。
バックオフィスなので、私の顧客は社内にいます。
私の同僚たちは加盟国や被援助国、裨益者に価値を届けているけれど、私の仕事の結果変わるのは概ね社内です。フロントオフィスがよりうまく活動できる環境と土壌を整えることが仕事。

しかもこの経営企画、いるのは局長と私だけ。
(私と彼女の職階には7つ開きがあるので、彼女が私の直接の指示系統であること自体めちゃくちゃイレギュラーなのだが)
中堅社員が頭を寄せ合っているのであれば、組織の戦略づくりとそれを実践に落としていくことが仕事になるのだろうけど、大大大ボスという責任者/意思決定者の元に新米の私一人がついているとなると、

1)必ずしも問題意識はないし、2)作業の必要性は認識されていないし、3)明確な成果物がない。なんて中で作業をすることになる。

例えば、私がこちらにきてした作業の一つが報告書のテンプレ作成(現在進行形)
私が配属されている事業部門(組織には2つの局がある。そのうちの一つ)では、例えば私の着任時、幹部クラスへの四半期報告のための共通テンプレートがなかった。それぞれ全く異なるスタイルと書き方で自由にまとめられた報告書を文字通り、そのままホッチキスで止めて、一つの事業報告かのように提出していた。(これ自体、日本のトップダウンの組織からすると驚きなのだが)
こうなると、局としての成果や活動が報告できないし、何より組織として統率取れてるのかな?なんて不安を与えたりする。
なので、私と局長のポジションからは至極当たり前の作業としてこのテンプレ改編の仕事が着手されたわけだけど、それぞれの部からすれば、「まずはやることをやることをやるのが大切でしょ?その結果を報告するにすぎないだけなのだから、そこに時間をかけるなんてよくわからない」なんて声はもちろんあるし、
それぞれの部で最適だと思った形式を元々選んでいるので、目的には賛成だけど、実際慣れたフォーマットを変えることには消極的だったりする。
加えて、ここが一番響くのだが、このテンプレを変えた結果のインパクトが非常に見えにくい。もしかしたらこの結果、予算が増えるかもしれないし、活動もしやすくなるかもしれないけど、それにテンプレがどれだけ寄与したかはわかりにくいし、すぐには結果が出ない。

この圧倒的違いが、日々の業務をする上では大きな変化だったので、かなり、いやかなり悩んだ。
まずは、私が仕事をするためのファーストステップは部署をぐるぐる散歩しながら、御用聞きをすることから始まる。
必要なことやニーズを把握するために日々部署を尋ねて回って時間をなんとか作ってもらって、ざっくばらんに世間話のようなことをすることから始まる。必要性や彼らの問題意識が把握できないと、まず「顧客」になってもらえないから。
そこから、さらに迷ったのは、自分の仕事の意義を認識してもらうこと。すごいエゴの塊みたいになってしまうけれど、承認と評価を得るためのプロセスである。
なんてったって、テンプレを作るっていうのは、ようは私の毎日はエクセルを広げて入力フォームをカタカタ作ることである。一見したら、秘書業とも思われかねない。
「なんか、あの子エクセル上手ね」じゃちょっとまずいのである。給料以上の価値を出していない、ということだから。
というより、ぶっちゃけ私自身がちゃんと工夫しないと、本当イメージだけでなく、実際秘書だと思っている。
テンプレには組織としてトラックしたい指標や数値を埋め込んで、かつそれを入力していく手間もあれやこれやの関数を使ってできるだけ自動化したり、なんとかその意義が伝わるように工夫するのが私のデスクの毎日だ。
そしてここまでしても多分まだ、「めんどいなぁ、なんか新しい子がきたから報告の手間増えた」って印象は拭えないと思っているので、実際次の四半期レポートをそのテンプレで作って、それを使った分析もして、それを見てもらって初めて後々「なるほどね。まぁよかったかもこれやってもらって」と思われるくらいなのかな、と思っている。(というよりそのくらいの危機感を持たないと秘書じゃない?リスクは常にあると思っている)

だから、こちらにきてから仕事上一番頼りになったのは、民間企業で同じく転職や異動などでバックオフィスを経験してきた友人たちでした。自分がちゃんと正しい方向に歩いているかのか確認するために彼らの金言は本当に良い道標だった。

そして、バックオフィスにいると、社内でのコミュニケーションの重要性がより高まるということもこっちにきてひしひしと感じます。上記の通り、まず御用聞きから初めて、めんどくさがられる作業をお願いするなんてことをするとので、心象は命です。確かに自分もフロントオフィスにいた頃、「経理のあの人は感じがいいし、話がわかるからあの人に相談しよう」とか思っていたし、「社内のために時間割かれるのハイパーめんどくさいけど、xxさんならまぁいっか」なんて勝手なことを考えていました。
前職の私は社内では仕事は仕事と割り切り、社内コミュニケーションはASAHIかよって思うくらいスーパードライだったのですが、今は「感じがよくて、話しやすい子」と思われるのが仕事とその評価に直結します。能面みたいに寡黙に仕事をしていたら、「なんか何考えてるかよくわかんないし、そもそもあの子仕事何してんの」みたいなことになる。
だから、社交スイッチは常にオンだし、社交苦手目 人見知り科の私としてはこれは慣れるまで相当エネルギーを要した。立食パーティーがあるだけで、フルマラソンかよと思うくらいのエネルギーだけを使うのに、それが常に、である。作業的にはエクセルかたかたやってるだけなはずなのに、ものすごい疲弊する、なんて日が最初は多かった。
それでも妥協できないのがこのコミュニケーション。脱アサヒスーパードライな自分。

事業への熱い思いをかけている人たちを前に、彼らの情熱を受け止めて、ツボを探りつつ、一方で完全に利得と有用性ベースで冷静に説得するバランス、
そしてそれを全て包む「感じのよさ」(これが一番とらえどころがなくて難しい)が私のTOR(業務指示書)に書かれるべきじゃないかというくらい大事なのではないかなと思っています。

冷静側から情熱との狭間に
フロントからバックオフィスに転身したよってはなし


登るぞドォーモ

ジュネーブ建国記念の花火大会(8/11)

2018年7月25日水曜日

「国連に転職する」という当たり前じゃない選択

なぜ国際機関か、なぜ国連、なぜいまの組織か。
転職を決めて、国連で移民の仕事をする、と伝えたとき、多くの人は私に「とても “らしい”」選択だと言ってくれた。
流浪してきた帰国子女で、国際政治を専攻し、語学をテコにして仕事をしてきた。
いわゆる人が納得しやすい経路なんだと思う。「国際的なさきちゃんにぴったりだね」周りは喜んでくれる。私もいつからか「グローバル人材」と呼称されることに”慣れて”しまった。そう呼ばれたときに、一度頭の中で引っ掛けて、自問することを辞めてしまった。

だから、人は私にあまり聞かない。「なぜ国連にいくの?」と。でも、私の転職のどこをとってもそれはキャリアパスとして「当たり前」ではないし、むしろ、その選択は何度も自問し、それを意味を確かめていかなければいけない、と私は思ってる。

国連での仕事について少しでも調べたことがある人なら知っているであろう。国際機関での職の多くは2-3年程度の有期雇用だ。それも若手のうちだけではない。役員クラスになってもここでは皆ずっと2年ほどの有期雇用を続けてきてる。これを話すとその次に聞かれるのは大体聞かれる。 
「じゃあ、2年経つとうまくいけば契約更新できるということ?」
実はこれもNOだ。国連では契約が終わると、そのあとまた求職のお知らせに応募しなければいけない。つまり、国連職員とは2年に一度就活をし続けるということなのである。同じオフィスにいる20年選手の部長だって、契約終了が近づくと同じようにまた就活をする。
今回の私の仕事も例に漏れず2年。そして、これが一番驚くべきことなのだが、これを言うと業界の人は「長いね」という。肌感覚だが、4割くらいの人は大体これよりも短い契約で働いている。
国連とはいわばそんなフリーランス集団だ。
日本にいたときの私は、曲がりなりにも終身雇用を用意された仕事についていた。いわゆる出来不出来で人をクビにはしない伝統的な日本企業だ。どれだけ、パフォーマンスが発揮できなくても、つまらない仕事でも、自分の生活は保証してくれた。色々古風なところは多かったが、用事があれば自己判断で早く帰り、ミーティングがなければ自宅から仕事ができ、繁忙でなければ2週間休んでも眉をひそめられることもない、(仕事量は少なくなかったけれど)日本に珍しい働き方が自由な場所だった。

そんな雇用の安定を「捨てて」有期雇用の不安定な生活に突入にするのは当たり前ではなかった。私は少なくとも怖かった。正直にいえば今も不安だ。

じゃあ、なぜ私はそれでも国連に行くという選択をしたのか。
一つは「異端児」を卒業したかったから。
これは能力と居心地の良さという観点で話したい。

就活の頃から新卒の頃にかけて気づいたことがある。
それは自分の比較優位、いわば集団の中でどれだけ際立つ存在であるか、と居心地の良さ、の二つは、
トレードオフ、ということだ。

こちらを立ててれば、あちらが立たず。
いわば交換条件なのである。

就活した時、新入社員の頃、
多くの人がそうであるように、私も不安で仕方がなかった。
自己証明をしたかったし、自分の価値を図ろうと必死だった。
そんな私にとっては、自分の持つ能力や性質に強い比較優位があるところに行くのは自己証明がとても楽だった。
前職に勤めている頃、不思議がられた。「なんでそこに勤めているの」。
いまの職場にくる前のJPOの選考でも、「なぜ国際機関を目指しているのに、その職場にしたのだ。なぜ5年も勤めたのか」と。
答えはシンプルだ。私みたいな人材が少ないからである。私の希少価値が高かったから。
国際業務が得意ではない場所で、語学や海外在住経験をテコにして来た私にとって、自分の埋めるべき穴や役割をみつけるのはそう難しくなかった。外務省や商社に行けばヤマといる私のような人材が、前職ではレアキャラだった。

しかし、同時に居心地はその犠牲になったかなと思う。
入社してすぐ、気づいたのは、自分自身が、多様で寛容な環境に慣れ切っていたということだ。
不寛容に不寛容な自分、ナイーブさに傷つきやすい自分に気がついた。
「え、帰国子女なの、ほらこれ音読して(店にあった英語のレシピ本を手渡される)」
「は、アルジェリアに住んでたの?狂ったイスラームの中で育ったんだね」
ぐっすり寝ていたところ、耳をぎゅっと引っ張って持ち上げられたような驚きと痛さだった。
他社との会話の中でも
「弊社はアフリカ中に拠点があります。ないところは全てただの砂漠です(同社のアフリカ拠点はその時点で9箇所。アフリカには全54か国ある)」
「モロッコってどこ、何語、モロッコ語?」
途上国の拠点を嬉しそうに紹介しながら「だいたいね、ここは日本の江戸時代くらいと思ってください」

開発について、人権について、国際政治については、話を広げようとはなかなか思えなかった。
そんな状況を前にして、自分自身の不寛容がおもてに出てしまうのがわかっていたし、
そんな話を始めることの方が結果疲れる作業になることもわかっていたから。

だから、自分の能力と関心にあう仕事をとってくることも楽ではなかった。
外交や開発の仕事をコンサルとして受けることが、当たり前の会社ではなかったし、
「やりたいなら、仕事を作りなよ」の一言の下、2年目からはせっせと企画書を書いて仕事を取ろうと奔走した。
会社はきっと社内をより多様化するために、チャレンジとして私のようなレアキャラを採用してみたのだろう。
でも、自分の比較優位は証明されやすい一方で、何をするにも、全てに説明が必要だった。
私の能力に、私の関心ごとに、私の存在そのものについて。
在社中に何度もBe the change you wish to see in the world (あなた自身が目指している変革そのものであれ)
という言葉を思い出したが、自分から組織全体を変えようと思うほど私には体力がなかった。

私は前職で明らかに「異端児」だったが、
異端児であることは体力を必要とする。
自分の関心ごとや、信条、が共有される環境で、居心地よく、
同じミッションの下、仕事ができる場所が欲しかった。

ナイーブな幻想は持っていない。
世界を変えられるのは国連だけじゃないし、
移民の仕事も、国際協力も開発も援助もできるのは国連だけじゃない。

でも、国連では少なくとも、国際協力で仕事をすることへの途方もなく体力のいる手間は必要ない。
それは当たり前のこととして、説明さえいらない。
そして、たくさんの「似た者同士」と仕事ができる。

職場環境としての圧倒的居心地の良さが私にとっての国連の魅力だ。
オフィスではおそらく、自国でしか生活したことがない人はおそらく一人もいない。
「おはよう」というくらいのテンションで「SDGsの目標10だけどさー」と話しだす人は珍しくないし、
私の同室の同僚はそれぞれ一つ前のポストではモロッコ、イエメン、ケニアにいた人たちだ。
日本人であるということがわかると、「私の地元のリオデジャネイロの日本人街ではさー」とか「実はJETS6年日本で英語教えてたんだよね」なんて人がいる。

これで、「グローバル人材」としての比較優位を私は無事に失った。
技術と能力はこれからは生身で勝負しなきゃならない。
でも、それと引き換えに得た居心地は代え難いと思っている。

二つ目はさらに個人的な理由だ。
私が長期的なプランで迷ったときに指針にしていることの一つに「10年前の自分に誇れる自分か?」という問いがある。
日本と他国と行ったりきたりしながら育ってきて、国際政治を勉強してきた自分にとって、国連で働くというのは自分の中での一つの答えだ。
夢というほど恋焦がれたわけではない。
でも、10年前の自分、ただの学生だった青二才の自分はとても喜ぶと思う。
きっと10年後に手が届くものと思っていなかっただろうし、そんな自分の中に住んでいる小さな自分をproudにさせてあげたい。そんな自分本位でしかない理由がある。
自分というストーリーを「語り直せるか」(鷲田清一)ということとも言えるのかもしれない。

変化の中、または全くの無変化の中で目眩がしたり、息苦しくなった時に、
自分というストーリーが一貫して繋がれていることに私たちは安心を覚える。
私にとっての国連転職はバラバラに思える自分の中のピースを回収していく作業でもあったように思える。

国連という転職について、そのミッションから話すことは難しくないし、
その公明な理念への共感に寄せて書くことだってできる。
でも、私自身に関していえば、ある意味「優等生すぎる」その理念は、いわば地球市民の模範解答であり、
私だけじゃなくて世界の大多数が求めていることだった。
もちろん、国際政治に、移民に関わる仕事はしたい。
でも、それだけじゃ、この不安定で、特殊でしかない仕事に「私が」飛び込む理由にはならなかった。

国連に飛び込むには世界の良心を背負う懐の広さと、絶えることのない情熱の炎が必要なのかと言われれば私の場合は決してそうではなかった。
むしろ、そのリスクをとって選びたかった最終的な理由は極めて個人的である。
私は、自分の居心地を求めて、また10年前の自分に誇れるストーリーを語り直せる、ということが魅力でここにきた。
これを言葉にする方が、どうかすると「世界平和のために」というより、よほどこっぱずかしい。
でもそれが本当のことだから仕方がない。

これらはどちらも国連が私に与えてくれるものだ。
だから、この場所に来たいま、その与えてもらった価値に対して、全力で自分のできることを還元したい、それを初心として、いま私はここジュネーブで仕事をしています。


そんな私の、とても大きな世界の前にして、とっても小さな自己完結をする、国連への転職の話。