国際機関への入り方はについてよく聞かれる。
2021年5月6日木曜日
国際機関就活と臆病でマッチョになりたいわたし
2020年8月20日木曜日
Szégyen a futás, de hasznos
はっきり言って今はかなり疲弊しているし、この数ヶ月、経験したことのないようなストレスで心身ともにギリギリだった。今までも、前職や、短期出張先で、上司があわない、労働環境がきつい、などが理由で結構なストレス負荷の中で仕事をしたことがあったが、個人を標的とされて、数ヶ月にわたる心理負荷をかけられたことは初めてで、自分にはちょっと耐え難かった。
この数ヶ月で色々「ああすればよかった」「こうできたかもしれない」とか今も後悔や迷いを感じることはあるが、なにか正しい選択をしたとすればそれはその耐えがたい心理的負荷から逃げたことである。逃げた自分は全力で褒めたい。
さて、ここでもTwitterなどでも今まで転職がうまくいった人の典型みたいな余裕と満足感を放っていたとと思う。急にそれがこんな展開を迎えて驚かれるかたもいるとおもう。
この数ヶ月で気づいたことは、私がこの2年間ラッキーだったということだ。2年の間、私はそれはそれは良い大ボスの下で、白すぎて蛍光色かとおもうくらいのホワイトな労働環境で働くことができており、どこかそれを組織の性質と同一視していた。しかし、離職をめぐる数ヶ月でわかったことは、うちの大ボスのようなマネージメントを組織的に担保する仕組みはないということだ。長期出張では限りなく対局を体験したし、組織の戦略系の役務についていたこともあり、組織的な課題も理解してるつもりだったが、あまりに日常が健やかそのものだったので、どこかで楽観視しているところがあったのだと思う。
私が経験したことはかなり特異であるとはいえど、ある程度は国際機関に共通する構造的な問題である。国際機関の特徴の一つに短期の有期契約をつなげていく、流動的な雇用形態がある。一年以上のフルの福利厚生がついた契約をもってる専門職(P-staff、ローカル職員のことはG-Staffという)は国連では半分以下。4-5年の契約なんてみつけようものなら、「長期」契約をもってる特権階級だなんて揶揄われたりするものだ。
このような有期契約なので、全ての契約は部署と特定のタスクに紐づいている。言い換えれば人事異動はないし、その組織全体としてその人を抱えたという意識は希薄である。よく言えば、古き良き会社であるところの「会社が従業員を所有してる」みたいな感覚もない。
そんなわけなので国際機関は採用は9割部署・現場権限で行う。その部署やオフィスが予算獲得して、ニーズがあるので、といって募集をかけ、その採用者の上司にあたる人や管理職で採用チームを組み人を選ぶ。結果、人事の権限が非常に弱くなる。考えてみてほしい、人事異動も採用も行わない人事だ。一体何をしてるんだろうと日本の終身雇用の会社からは思われてもおかしくない。
もちろん人事規則の番人としての機能は有しているのだが、「わたしが採用したわたしの仕事をする部下なのだから、私のチームはこうする!」というマネージャーに対して、それに対抗する術をもたない。
結果、私の機関では特に顕著だったが、「上司ガチャ」で誰を引くかでかなり明暗がわかれた。なぜなら、どうしようもない上司を引いてしまったときに、それを自浄するガバナンス機能を有していないからだ。
国際機関には組織内のガバナンスを担保する様々な仕組みは役職としては用意されている。Ethics & Conduct(倫理課)、Ombudsperson(仲裁制度)、労働組合、産業医。ただ、実質的にハラスメントにあったときにその上司と対等に掛け合い、場合によってはそこに指導や処分をするに十分な仕組みはなかった。労働組合や仲裁制度は結局量的に訴状が積み上がらないと動けず、産業医はあくまで自分自身の心身の健康をサポートしてくれるエキスパートである。一番所轄範囲に近いと思われる倫理課は、結局匿名で訴えを出しても、その内容からその過程で誰かは明白になり、散々ネガキャンをくらって、あとのキャリアに響くというのがうち組織でも他機関でも聞かれることだ。結局短期契約の世界では次がつながらないと組織生命はおわる。「ま、私のこと訴えてもいいけど、次雇わないよ、あんたのこと」という態度をとるマネージャーを防ぐことは難しい。
加えて、開発(Development、平時の支援)と緊急人道支援(Humanitarian/emergency assistance、戦時や災害などでの支援)のうち、後者を所轄範囲として有している機関はこの「上司が絶対」カルチャーはかなり強まる。一言でいえば、命に関わる危険な環境だからだ。前に長期出張先での話を書いたときにも言及したが、緊急人道の世界はかなり、体育会系だ。自分たちもリスクの高い場所にいるし、裨益者もタイミングを誤れば命を落とす。そんな環境では軍隊型の組織運営は是とされる。合理的だ。「はやくしないと人死ぬよ!」ってときに「じゃあみんなの意見をまずは順番に聞こう」とかやってる余裕はないのだ。緊急人道においては縦型の指揮系統がちゃっちゃと成果を出す傾向にある。
そのため、緊急人道をやっている組織は、このような上司に強い権限を与えるようなマネージメントを是認するような人事規則や規範の中で運営されている。厳しくしすぎると、体育会運営が必要な場所でそうできなくなるから。
私は夏に上司がこのような体育会バリバリの人に変わった。コロナ下で本当にさまざまな「想定外」が起こる中で、かなり多くのことは「部署や現場判断にまかせます」というのが組織見解となった。そのため同じ課題に直面しても人によって対応はバラバラだった。私は自分に降りかかった課題について、自分の古巣で多くの人がとっている対応をお願いしたいと新ボスに願いでたがそれはことごとく叩きつぶされた。私としては理性的に話を詰めたかった。別に納得ができる理由があるなら良いと思った。しかし、そのようなキャッチボールはできず、新ボスは「私があなたのボスだから。いいからやれ」という態度を崩さなかった。
これを人事部に相談してしまったところから、状況はさらに転がり落ちていく。運の悪いことに人事部の管理職も同じく緊急人道の叩き上げ、戦火からかえってきたような人だった。私の話を聞くや否や「あんたが問題だということがわかってるか?」と電話で詰められた。上司に楯突くというジェスチャー自体がショッキングというような反応だった。最終的には48時間以内に離職するか上司の指示を飲むか決めろと迫られた。すでにこちらのメンタルをギリギリと削ってくるようなコミュニケーションに精神が衰弱してる中、この連絡をうけて、人のウェルネスも含めてマネージしてるはずの人事がこのようなことをいう場所に私はこれ以上いられないとおもい、組織を去ることに決めた。
古巣や大ボス、同僚たちからは怒りやショックの声が寄せられた。「意味がわからない」「ひどすぎる」。
でも私も含めそのときに全員が痛感したのはそう思うカルチャーは私たちの部署のそれだったということ。組織が全体として浸透させようという意思をもってはいなかったということだ。
こんな話はっきり言って、日本の会社ではよく聞く。ましてや「社員を所有してる」と考えてる会社ではそんなこと息を吸うように行われてる。つい最近も日本の友人と話していたら、明確に「こういう働き方は家族の都合上無理です」と人事面談で告げた社員に、まさに行くのは難しいと伝えたその部署を移動させたという話をきいて驚愕したばかりだ。だから、私が心底苦しかったのは青い芝に囲まれていたからかもしれない。私の古巣のES(従業員満足度)を重んずるカルチャーを横目でみながら、脳天をおしつけられて地面にぐいぐいと埋められていくのはキツい。それはガラス瓶の中にいれられて、最初はたっぷりあった酸素が徐々に抜かれていくような気持ちだった。苦しい。どんどん苦しくなる。ガラス瓶の外はあんなに楽に息が吸えたのに、と手をガラスの壁に伝わせながら外を見る。
苦しくて、酸素がなくて耳鳴りがガンガン、あたまはぐるぐるで、まともにせいかつできなくなりそうだった。だから私はガラス瓶を割って出た。割ったその手は血だらけになって刺さった破片が今もとれないけれど、でも瓶の外には逃げた。
逃げる以外の選択肢はあの時点ではなかったと思ってる。
逃げるは恥だが役に立つというのは実はハンガリーの諺だ。私のジュネーブの2年間、そして離職プロセスを通して支えてくれた友人の1人はハンガリー出身の娘だった。
「日本ではハンガリーの逃げるは恥だが役に立つって諺が有名なんだよ。自分の納得できない嫌な状況を打開する女の子のドラマで有名になったから」
「なにそれおもしろい。でもなんかその使い方はちょっと違うかも」
「そうなの?」
「この諺はね、捕食されそうなとき、敵から逃げる動物のことをいうのよね。迫り来る脅威からは逃げよう、みたいな意味」
「あ、そうだったんだ」
私は少し考えてからメッセージアプリに指を走らせた。
「じゃあ、私の今の状況だったら使えたりするのかな?脅威から逃げてきたきがしてるんだけど」
すぐ既読になったメッセージに沢山の泣き笑いの絵文字がつく
「たしかに!それ最高ね。間違いない、あなたは正しく脅威を振り払って逃げてきたのよ。大丈夫。役に立ったから」
大丈夫。役に立ったから。
Szégyen a futás, de hasznos
ヨーロッパ最高峰のマッターホルン
スイスに来るなら夏の登山が本当におすすめ
2020年2月3日月曜日
あなたが嫌いな日本の会社っぽさは、日本の外ではあなたの強みかもしれないー国連にみる一見日本的な企業文化ー
例えば、日本の古臭い企業文化、非効率の助長している要因としてしばしば挙げられるものは
国連の中でも散見されるものが多い。
日本でしかなさそうなのに海外でも普通にあること— こっぺ (@attachmisfits) November 21, 2019
-根回し
-会議のための会議
-喫煙所の社内政治
-社内会議の議事録
-体育会文化
-判子もらうために走り回る(こちらではサイン)
-職階をとびこえて話を通してはならないという規範
-縦割り/たこつぼ化
加盟国はお客様、となりの機関は競合他社ーコンサルモデルとしてみる国連ー
国連で働いていると、普段の私たちは各国に対して指導的立場でかかわり、超国家的な権力で秩序を築いているという印象を与えていることが多いらしい。それは、おそらく本や、授業、世界史や時事で出てくる国連が人道的介入のような形で行動している事例が多いからなのではないかと思う。 ...
役人というと霞が関の官庁を想像されそうだが、官庁から市役所くらいの幅を想像してほしい。さて、官僚組織の中で特異にみられる現象の一つとして、会議のための会議というものがある。会議を開いて各部署から関係者を呼び、議題に沿ってみんな好き勝手話すけど、特にそこで意思決定がされるわけではない。国連ではこれをよくcoordination とかconsultationと呼ぶ。これらの会議がある意義は、二つ。
‐意見の代表性を担保すること
ある取り組みを進めるにあたって、テンプレ的な意見は「この取り組みは関係者全員の同意をとっているのか」。特に公共セクターにおいては、「全員」が強調されることが多い。Selective ではなく、Inclusiveな意思決定文化である。公共の利益を実現しようとしている故の文化だ。組織の幹部に説明するにあたっても、お金をだしてるドナーに説明するにあたっても、このピースが欠けることは許されない。すると、意見を聞きましたね!という場を設けることがとても重要になる。大した意見もでない、というのはむしろいいサインの場合もある。「特に是正するべきところはないので、そのままどうぞ!Keep Going」ということなので。大した意見が出ない会議を経ると、晴れてこの取り組みは「Consultした結果、全員のコンセンサスを得られました」と表立っていえることができる。
(緊急人道と開発の社風の違いについてはここでは割愛するが、詳細はこちらを参照)
「初めての緊急人道支援」体験記
ご飯がとてつもなく安くておいしくて、空色屋根のエレガントな教会建築が綺麗な素敵な場所でした。
こんなに寒くなくて、私がロシア語を話せたらぜひ住んでみたい街だった


2019年10月10日木曜日
加盟国はお客様、となりの機関は競合他社ーコンサルモデルとしてみる国連ー
もしくは、一国の開発の話であっても、「xx国さん、もっとこうした方がいいよ、ほらここはやってあげるからさ」なんて言いながら介入している光景が想像されるからかもしれない。このイメージが完全間違っているかというと、そういうわけではないのだが、実際に働いていると、国連はもっとずっと小役人というか、平たく言えば下請け業なのである。私は前職は日本で省庁や公共団体の仕事を下請けするコンサルだったのだが、国連の仕事や立場というのは、私の前職の公共コンサルと酷似している。心機一転!といって転職したはずだったので、なんだが笑える話である。
この話、「国連業界」の業界人は当たり前のようにすぐ受け入れてしまう話なので、私もあまり疑問にも思っていなかったのだが、話すたびによく驚かれるので、今日は少し、国連というビジネスモデルについて話してみたいと思う。
国連は大きくわけて、財源を3つもっている。1つは、分担金。毎年、加盟国が定められた額を払うものである。もちろん額は国のステータスなどによっても違う。カードや学会の年会費、くらいにおもってくれればよい。2つ目は募金。これはレジ脇においてある募金箱のようなものから、法人がCSRのために行うようなより大きな額のものまで含み、要は国に紐付いていない出資。3つ目は、ある加盟国が特定の国でプロジェクトを実施するために国連に下請けとしてお金を出す場合である。
ほとんどの人がこのうち1つ目しかおそらく知らず、リマインドされて、あー、たしかに募金箱ある、となり、3つ目に関しては聞いたこともないと、というところだと思う。でも、実際ほとんどの国連機関では3つ目の財源が半分以上を占める。ユニセフなどは2つ目の募金が大の得意なので、その割合は機関によっては違うものの、大抵のところが多い順に下請けマネー→分担金→募金だろう。うちの機関にいたっては財源の9割がこの下請け業によるものだ。国連とは多くの国が拠出した資金が財源としてプールされ、特定の国に紐付かないことで、国際益を実現しているという印象が強いと思うが、それは国連ビジネスのほんの一部の話である。そのため、ほとんどの仕事は特定の国から発注され、そのドナーの目的を達成するために実施される。
構造としては、前述のとおり、コンサル(やその他の公共調達等)と一緒で、特定国から、プロジェクトの公募がでて(これは全世界の国民だれでも見れるように公開されていることが多い)、それをみて、国連側が企画書をだして、コンペの結果、そのプロジェクトを受注し、実施するのである。いや、そもそも公共調達の世界や、コンサルの世界がなじみがないので、そんなこと言われても、って感じかもしれない。
さらにざーっくりと捉えると、例えば会社で営業やプロマネをやった経験がある人ならば、相見積もりと企画書をだして、自分が案件をとってきたり、または自分が発注側として逆に外注先にだしてもらって、業者選定をしたりすることは多いのではないかと思う。
要は、国連もそんなことをして仕事をとっているということである。
意外だろうか?
出稼ぎにいくまでの8か月間、私は本部にいたので、
いわゆる、経営企画のようなことをしていたのだが(これについては詳細は過去の投稿を参照)出稼ぎで現場(いわゆる支店)みたいなところに行ってみて、もうこの下請け業の世界にどっぷりになり、途端に仕事の中身が前職に酷似するようになった。
さて、ここまで下請け業とか、コンペとか、ビジネスモデルと言った言葉を使ってきたが、あなた方、民業じゃないじゃない!競合いないじゃない!と思った方もいるだろう。そう思いますよね。国連は唯一無二だし、コンペといいつつ、随意契約じゃないか、一社一本釣りなんでしょ?と思われるかと。
いや、それがですね。
うちの業界ものすごい競合が多いんですよ。
しかも市場は飽和状態で、競争は熾烈。
国連にとっての、競合他社、それは国連です。
ん?と思うだろう。
私自身もいまだ全体像を把握していないのだが、国連には40近くの機関と、それを超える様々な下部組織がある。100はないだろうが、ざっくりみつもっても60-80は独立して活動する機関や組織がある。下記は、国連の簡略な組織図。全体を網羅していないが、まぁ、なんとなくその規模感や複雑さはつかめると思う。
(出典:https://www.un.org/en/pdfs/18-00159e_un_system_chart_17x11_4c_en_web.pdf )
ちなみに先日国連総会でグテレス事務総長が、国連が230億円の赤字であり、資金が底を尽きた、という声明をだし、日本のメディアでも話題になっているが、これは、国連本部の事務局の予算に関する話である。いまから詳しく話すとおり、上記の機関のほとんどは国連本部からの予算分配はうけない独立採算であるため、この赤字の影響は直接はうけていない。いわば、日本で各省庁がそれぞれ財源をもっていて(共通国庫から財務省が分配するのではなく)、そのうち内閣官房だけ深刻な赤字になった、みたいなイメージである。
さて、冒頭で国連の三つの財源について話したが、これ、少なくとも一つ目の分配金については、一つの公庫にあつめられて、予算配分されていると思われる方も多いかもしれない。しかし上記の話からも分かる通り,国連本体に紐づいてる委員会や部署以外、機関はそれぞれすべて独立採算制です。そういう意味では国連は一社ではなく、財閥といったほうが近い。しかも、財源も、その獲得手段もみんな同じときている。
そのため、ある国が「プロジェクトの発注を公示」すると、その瞬間、UNDP、ILO、UNICEF、UNHCRが一気にみんな手をあげて、そのプロジェクト受注をめぐってみんなで競争することになるのです。国連では特に現職の事務総長の下、One UNとして、いまよりも効率性や、連携を目指しているが、それでも、このビジネスモデルが変わらない限り、結構限界もあるのではないかと思うのが正直なところだ。
例えば、アメリカが「労働について、SDGsの推進に資するプロジェクトを1.2憶円で1年間発注する」と宣言したとして、
- UNDPは同国の多面的な貧困に資するプロジェクト形成を目指し、特に労働に焦点をあて、キャパビルプロジェクトをする、といい
- ILOは民間セクターと連携しながら、エシカル・リクルーティングの推進を実施し、労働搾取を軽減する、と提案し、
- UNICEFは同国で広く観察される児童労働に着目し、これの根絶にむけて、意識情勢のキャンペーンをする、と企画し、
- UNHCRは同国の難民が労働市場で強く差別されている現実に鑑みて、難民の地位向上のため、制度上の改革を目指し、同国政府と省庁間ワーキンググループを開催する、などとアピールする、
などということが起きる。
それぞれの機関は、自らの「労働」についての強みを示し、同国でのプレゼンスと自分の機関のキャパシティを示した上、
自らが最もその1.2憶の労働プロジェクトをやるにふさわしいと提案する。
そして、その結果そのドナーの意向に最も沿い、信頼を勝ち得た国連組織が、そのプロジェクトを下請けされるのだ。
もちろん、そのプロジェクトの実施にあたっては、随所にドナーの「ブランディング」がされる。
これについては要求が年々厳しくなってきており、そのプロジェクトで作成される対外向けの資料、ウェブサイトなどはすべて「日本」「EU」、「アメリカ」等と大きくロゴとともに示され、中には、そのドナーの広報を行うためにTシャツ、ノートなどキャンペーングッズなどを作成するための特定の予算が確保されていることもある(私が派遣された某国オフィスにも日本の国旗が一面についたIDストラップやシールが大量に平積みされていた)。
国連は財閥全体としても、各機関の中でも不整合や重複が多いといわれるが、ビジネスモデルをみるとそれはなんら不思議なことではない。
国際益として最大公約数を実施できる部分はほんのわずかである。
ほとんどはある特定の一国ドナーの手足としてプロジェクトを実施しており、その無数の下請けプロジェクトの集合が国連をかたちづくっているので、
全体としての統合することは非常に困難なのだ。
さて、上記では自らの強みを示し、下請けされるにふさわしいと示すことができた機関こそが活動できるという話をしたが、個人のレベルとしてみても、コンサルがそうであるように、「仕事をとってこれる人」というのはこの手の下請け業の一つの「できる人」の定義だ。(ないがしろにされるのが“マネジメント”であるのもまた同じだが、この話はひとまずここではおいておく)
上述のようにドナーによってプロジェクトの発注をする場合、
まずはコンペが実施されることが公示され、同時にコンペのための応募要項と応募用紙が大使館や本省からまわってきて、それをにらみながら、せっせとドナー国の戦略や彼らにとっての優先分野、刺さる言葉などを使いながら、「この案件、うちに下請けだしてくれれば、こんなことできますよ」っとまさにコンペ資料を書くのである。
私の周りを見回すと、まだまだ民間から直接国連に来る人は少ないが、このコンペで仕事をとってくる型の職種にいた人は非常に国連の現場では重宝されるとおもう。
特に、官公庁との事業や補助金などに慣れていればなおさら(もちろん、公務員として審査する側もやっていた人も)私は、いわゆる人が想像するような「国際協力の現場の仕事」や「草の根支援」はしたことがない、東京のオフィスワーク歴4年半でこの業界に入ったくちだ。分野に固有の知識(e.g.途上国における若者雇用支援、人身取引被害者に対する直接支援などなど)はほとんど持っていないし、ハンズオンとよばれるようなオペレーションの知識もない。しかし、それでも「応援出張」という枠組みで現場にあえて派遣され、重宝されたのは、私が公的機関に対するプロポーザルを書きなれていたからだった。
どんなに難民支援がしたくとも、若者に活力を与えたくとも、資金がとってこれなくてはなにもできない。
二つの大戦が生んだ超国家的組織、世界の政府、というイメージが強い国連だが、
安保理の拒否権問題などを持ち出すまでもなく、
そのビジネスモデルをみるだけでも、国連がむしろ加盟国につよく従属しており、その国益実現の下請け先になっていることはよくわかる。
国連を巨大な財閥でありとして捉え、中にいるのは、全て同じ顧客をもった競合他社、と解釈すると、また見えてくるイメージや、ニュースから読める行間もかわってくるかもしれない。