2016年7月18日月曜日

拝啓チェ・ゲバラ様

拝啓チェ・ゲバラ様、

今年、2016年はキューバ革命57周年です。
あなたがゲリラと共にハバナを掌握してから既に半世紀が経ちます。
キューバでは未だに新年が近づくと、Feliz Ano Nuevo(あけましておめでとう)と共に¡Viva el Aniversario de la Revolución! (革命記念日おめでとう)の言葉が添えられます。
キューバの中にまだ革命は動脈を巡る血のように流れています。
ハバナでは年月が革命の記憶と共に刻まれている。






ハバナの革命博物館でみたグランマ号は驚くほど小さく、心許ない姿でした。船というよりもボートと呼ぶ方がしっくり来るほど"おばあちゃん(=グランマ)"はガラスケースの中自分が受ける不釣り合いな注目に、どうも居心地わるくしているように見えました。

この小さな小さなボートにあなたやカストロ、82人もの人が乗り込み、キューバに上陸したところからキューバ奪還の戦いは始まったと聞きます。でも、グランマをみているとそれ自体が現実味がなく、まるでそれは建国のために作られた神話のようにさえ感じます。

Revolutionary Neighborhood「革命的な街角」と書いた市街の壁


日本にいるとキューバについて耳にするのは、革命と、アメリカとの緊張関係の話がほとんどです。長いカストロ政権が敷いた不便にも思える社会主義体制、資本主義の放つ物質的豊潤を捨て、その甘い蜜を米国の帝国主義とともに地面に叩き付けたその成り立ちも含め、私はキューバに対して、とても尖った、血気盛んなイメージを持っていました。かつての最大貿易相手国の顔面でピシャリとドアを締め、イデオロギーを貫徹することを誓ったそこはどんな場所なのかに興味があって、ハバナに足を運びました。

"corner of the cretins" from the left Batista, Reagan, Bush Sr, Bush Jr. -バカのショーケース- 左からバティスタ、レーガン、ブッシュ×2。革命博物館より。


実際にキューバを訪ねてみて、なぜ外国人のあなたがキューバの人たちに、その新たな建国に、その身を投じたのかが少しわかったような気がしました。
キューバの人たちは、皆、太陽を食べて生きているかの様に明るい。
ハバナの街に繰り出すと、人から絶えず声をかけられ、どこにでも音楽が流れている。
街行く人は刻まれるビートに肩を揺らし、信号を待ちながらステップを踏んでいてる。
流れるリズムに突き動かされるその衝動を全く押しとどめることなく、放っている。
他にもわずかではあれどラテンの国には訪れたことはありますが、ハバナのように街全体がダンスフロアのような場所は初めてでした。
横断歩道を渡るその足取りが、サルサの様に軽やかに進むのをみながら、キューバの人たちがその身に通わせる熱射のようなエネルギーに圧倒されました。

街角で突然始まるジャズライブ


歩いていたら、声をかけてきたホテル勤めの三人組。みんな英語はあまりはなせないが、ヨーロッパ客の接客のため、
フランス語とイタリア語がはなせた。

大抵のことならば、「踊って忘れればいいじゃない」「ラムでも呑めば気持ちが晴れるよ」 そんなことを言い兼ねない雰囲気をキューバの人たちはまとっています。
そんな天性の明るさをもった彼らが本気でゲリラ戦を計画し、大国に反旗を翻した革命だったからこそ、アルゼンチン人のあなたも胸を突き動かされたのではないでしょうか。

一方、ハバナの街を見回すと、目に映る景色はキューバが標榜する「米国へのアンチテーゼ」とは少し違いました。むしろ、そこではアメリカ的なカルチャーと、それに反駁するような文化が互いにぶつかり合いながらも、うねるようにして混ざり合っていました。

住宅街の端で、こどもたちがしているのは、サッカーではなく、野球です。
街角に売っている昼食メニューは大抵がピザ、
Cuba Libre(自由キューバ)というカクテルはキューバの名産ラムをコークで割っています。
外国人観光客が集う5つ星ホテルの周りに止まっているのは、ハバナ名物のカラフルなアンティークの「アメ車」でした。


高級ホテルの前にずらりと並ぶアメ車

住宅街では子供が野球をしている
ハバナで私たちは公的に認可された民泊(Casa Particular)に泊まりました。クリスマスの夜、ホストである奥様の誕生日を兼ねたホームパーティが開かれました。ご飯を食べるも束の間、すぐにみんな数フロア下まで聞こえるほどの大音量の中踊り始めました。「今日のためにちゃんとベストな曲のミックスしてきたんだ」と旦那さんは得意気に言います。TV画面に目を向けると、音楽とともに流れているのは、ホットパンツの女性たちと腰をくねらせるJustin Bieberだったと言ったら、あなたはどんな顔をするでしょう。「君たちもほら、座っていないで!」を手をとられ、私と友人も、交互に流れてくる、ラテン・ジャズとアメリカ・ポップスに慣れないサルサのステップを、けらけら笑って、汗をかきながら踏みました。その横で子供達は大きなミッキーやミニオンズのぬいぐるみを取り合って、駆け回っています。

ホストファミリーの奥様の誕生日兼クリスマスパーティー
そんな、光景は今に始まったことではありません。
アメリカの文学の大家ヘミングウェイは、その半生をハバナで送っています。
老人と海にある、海とはカリブ海です。
そんなヘミングウェイが愛したハバナの名所、Floditaカフェで流れるアフロキューバンジャズはラテンとアメリカの音楽がスパークしながらできたカルチャーです。
代表的なクバーノ名曲の一つ、グアンタナメーラの由来の地、グアンタナモにあるのは、イラク戦争中に悪名を馳せた米軍基地です。
ハバナの大統領官邸は米ホワイト・ハウスをそっくりそのまま5cmだけ高くつくった設計だと言うことはここにきてはじめて知りました。

アメリカとキューバの大衆文化は切っても切っても切り離せません。

ヘミングウェイの愛したカフェ、Flodita
とても不思議でした。
革命の時に、アメリカがキューバに課した経済制裁はまだ解かれていません。
今でもキューバの人たちは基本的食糧を配給で得ています。
2008年からすこしずつ合法化されている個人商店もほとんどはガランとしてモノがなく、ガラクタのようなものがポツポツとおいてあるくらいです。売っている服はみな同じ、軽食屋で変えるのは、大抵ボソボソとしたこっぺパンにペラペラのハムとチーズを挟んだ、ハモン・ケソ・パンです。

ガランガランの配給所

モノがぽろぽろとおいてある雑貨屋さん
本屋は今も革命本ばかり

かたや、資本主義を体現するような消費大国を反目し、それと逆行するような政治経済体制を敷きながらも、生活文化の中では、キューバは驚くほどアメリカ的な部分を内面化しています。

そうすると、不思議に思えてきます。なぜ、アメリカ禁輸措置がいまだ解かれていないのか。冷戦は私が生まれた翌年、1989に終結しました。あなたが革命家だったあのころ、世界を二分していたあの緊迫が、歴史となってから既に30年近くたつことを、あなたが聞いたらきっと驚くでしょう。国際連合では、キューバへの経済制裁の「解除」を求める決議がすでに24回採択されています。24回目だった昨年、賛成は191カ国、反対したのはたった2カ国。アメリカとイスラエルだけです。そして、経済制裁の解除を阻んでいるのは他でもない、在米キューバ人です。

皮肉だと思いませんか?
あなたは苦笑するかもしれません。メキシコにいたキューバ人ディアスポラの革命運動からできた国は、いまディアスポラによって、足かせをはめられています。あなたは知っているでしょうか。アメリカには今、150万人のキューバ系移民が住んでいます。マイアミのDade Countyでは、70%の住民がキューバ系だそうです。全国キューバ系アメリカ人財団は、アメリカ政界における最も強固なロビー団体の一つです。キューバと取引するビジネスに対してはかつては常に爆弾テロ予告をした、と言われるほどに強硬な立場をとっています。今年の米大統領選には、このマイアミから、Mark Rubioというキューバ移民2世の候補がティーパーティーの保守派の申し子として、強固な外交政策を一つの軸として出馬していました。もちろんキューバとの国交回復にも反対です。

葉巻を噴かすタロット屋のおばちゃん
しかし、在米キューバン・ディアスポラが一貫してキューバを敵対視しているかといえば、そう一筋縄にもいきません。上記の150万人もの在米キューバ人達が送ってくる送金は50億ドルにも及び、ニッケル、医療、観光、と並びキューバのGDPを支える4大収入源の一つです。キューバの家庭の6割はこの送金を肥やしに生活していると言われています。在米キューバ人たちは自らの祖国を憎みながらも、それに恋い焦がれる、アンビバレントな思いに揺れています。米国の握る砂糖のモノカルチャーから抜け出したキューバが築いた新たな経済を駆動する歯車の一つが在米ディアスポラからの仕送りとは、なんとも数奇な顛末です。


キューバとアメリカ、どちらも胎の中でお互いを少しずつ抱えている二カ国。
この時代遅れにも見える交易の断絶を双方のキューバ人が解こうとしないのは、「こんなにも近いのに」ではなく、「こんなにも近いからこそ」なように私は感じました。
革命は、そのイデオロギーは、キューバにとって建国のアイデンティティーなのではないでしょうか。いまでも政権を祝うのではなく、「革命」を祝っていることには意味があるように思えます。キューバは自国の革命が成立すると、ソ連までもを時に非難し、第三世界の旗手として、革命を輸出する国を標榜しました。パラグアイやボリビアにとどまらず、遠くはコンゴやエチオピアまで革命の後押しを買って出ました。その革命の唯一無二のアイコンが、チェ・ゲバラさん、まぎれもなくあなたです。今や世界中の反体制を志す人々にとって、あなたの肖像が象徴となっているのをあなたはご存知でしょうか。こちらでは、2011年アラブの春という中東政治の地殻変動を起こす反体制運動の連鎖がありましたが、そのとき発端となったチュニジアのジャスミン革命でも若者はあなたのTシャツをきていました。あんたが忌み嫌ったアメリカでもヒッピーや、パンクな学生があなたの顔を模したTシャツを着ることは珍しくありません。「支配」「現状」に対する反骨を標榜することでこそ、キューバはキューバたる風采を保ってきた。そして、マイアミは、そのキューバを否定し、忌むことで自分たちを自己定義してきた様に感じます。

ジャスミン革命に参加する若者(Al Jazeeraより)

至るところにあるゲバラのポートレート
何かに反対する、拳をあげて、異を唱える。それはとてつもないエネルギーを要します。キューバというネイションの求心力、そのバイタリティーはその反骨の精神とともに今まで培い、cultivateされてきたのではないでしょうか。

先住民は駆逐され、「スペインと黒人の間に生まれた不幸の子」と評されるキューバ。
宗主国と黒人奴隷の狭間の完全に溶解することもないけれども、分離もしない、危うい自我を持ちながら、その原動力を反骨に見いだしたように私は感じました。

キューバは本当に耳の幸福のためだけに行ってもよいと思えるくらい音楽がユニークで刺激的


スペインの民謡と黒人由来のビートが織りなすグアヒーラ音楽、
それに合わせて我を忘れたように汗を光らせ踊るサルサは、
自らの反目しあうエネルギーの中でうねり、謳うキューバそのものでした。

2016年7月