2017年9月27日水曜日

Finding Neverland -創造力の帆を広げ、現実をすすむ舵を切る-

2015年のトニー賞以来、ずっと気になっていた作品がある。
Finding Neverlandだ。

(このポスターデザインもとても好き。このためだけにパンフレットを買いかけた)

この年あたりから(まだほんの二年前)、来日公演に飽きたらず、現地公演情報を熱心に収集するようになり、観に行けない作品も限られた情報を湛然に調べ上げるようになった。そんなタイミングでテレビ越しに見たミュージカルの祭典であるトニー賞は私にとって新作を総浚いするまたとない機会だった。一年に一度開催されるこのイベントは、いわばミュージカルの競りのようで、その時、そのタイミングで一番 "活きのいい" 作品が次々と並べられ、我こそはと最高値(トニー賞)のために競う。

この年の話題作はあるレズビアン女性の自叙伝、Fun Home、リバイバル公演で王様役を渡辺謙が日本人として39年ぶりにノミネートされた King and I であった。

しかし、数あるパフォーマンスの中で、私が目を引かれたのは、ノミネートさえされていなかった、作品だった。それがFinding Neverlandである。

(Tony賞のパフォーマンス。Matthew Morrisonが歌う Stronger)

この作品がそのブロードウェイでの常演作品としての寿命を終え、来日するというので、万難を排して観に行ってきた。

Finding Neverlandでなんといっても特筆すべきは、その個性的で洗練された振り付けと、巧緻を極めた演出だろう。本作は2004年、ジョニー・デップが主演した同名の映画を原作としている。ロンドンの劇作家ジェイムズ・バリーが、「ピーターパン」を書き上げるまでの課程、その創作の源泉となった家族との交流についての実話を描いた作品だ。彼の生の生活、その手がける創作、その狭間を揺らめく想像が、切り分けられないほどに密に交錯する様を、視覚的に描出する振り付けと演出がすばらしかった。

ピーターパンを書いていたときのバリーの実生活は、作家が描くファンタジーとはかけ離れた気鬱に帯びていた。興行収入ばかりにとらわれた劇場オーナーに駆り立てられ、社交界での見栄に気を払う妻に素行を咎められる中で、彼にとって現実こそが茶番に満ちたフィクションだった。舞台上では、舞台関係者との打ち合わせや、自宅での晩餐こそ、チープなコーラスと、子供じみたジェスチャーで表現される。

Circus of My Mind や We Own the Night のカラクリ仕掛けのような振り付けではこれが特に際立つ。

(冒頭、We Own the Night、28分ころからCircus of Your Mind. ブロードウェイのオリジナルキャストより)

それに対して、バリーの創作の世界は、眉をしかめるような悲痛な表情で、でも愛おしさの溢れる必死さで、マイナーコードのバラードで空間いっぱいに広がる。

そのコントラストが本当にとても巧みであり、哀惜と憂いに満ちながらも、夢を語るバリーの世界がとても真摯に表現されていた。
特に、父を失い、病に倒れる母をみて、無理矢理に「大人」のように冷めてしまった少年ピーターと、
現実の世界に帰る場所を見出せない「子どもでいたい」バリーの歌う世代を超えたmale duet、
When your Feet Touch the Groundは胸に響く悲痛で愛おしい曲だ。

[Barrie]
When did life become so complicated?
Years of too much thought and time I wasted
And in each line upon my face
Is a proof I fought and lived another day
When did life become this place of madness?
Drifting on an empty sea of waves of sadness
I make believe I'm in control
And dream it wasn't all my fault
When your feet don't touch the ground
When your world's turned upside down
Here it's safeIn this place
Above the clouds
.....
[Peter]
Everyday just feels a little longer
Why am I the only one not getting stronger?
Running 'round pretending life's a play
It doesn't make the darkness go away
I may be young but I can still remember
Feeling full of joy, crying tears of laughter
Now all my tears are all cried out
Make believe, but count me out
'Cause my feet are on the ground
And the inner voice I found
Tells the truth
And there's no use
If your head's in the clouds

[Barrie]

I was once like you
Life was a maze
I couldn't find my way out
But what I say is true
You'll be amazed
Make believe and you will find out that it's true


(When Your Feet Don't Touch the Ground - Matthew Morrison)

また、バリーの内なる葛藤を描いたstronger、
シルビアとバリーのキャンドルライトのダンスシーン、
シルビアの最後の旅立ちのシーンは、
影や、風など、いわば「手に取れない」効果を使った実験的な演出が多く、
この意味でも自身が劇作家であったバリーの創作世界を「ワクワクさせる」ような魅せ方で表現することにこだわられた作品であったと思う。

これほどまでに精緻に細かやかを追求した作品も珍しいと思ったが、それだけに日本ツアーをしていたカンパニーがその目指した完成度に達していなかったのは少し残念でもあった。バリー役、シルビア役の哀愁ある演技、アンサンブルのダンス、子役の演技、いずれも、ブロードウェイでやっていた時のオリジナルキャストには到底及ばず、その完成の形を知っていると、口惜しい気持ちにならざるを得ない。特に先に述べた、「あえての」チープさや、悲痛さを秘めた愛おしさ、などの表現はその複雑さがカギであり、そこが徹底されないと、コントラストや、作品メッセージの本質がなかなか伝わらない。自宅に帰って掘り出したオリジナル講演の動画、思わずあぁーー、と声をもらしてしまう。

裏を返せば、それはオリジナルキャストの凄さに尽きるともいえよう。私が元々のトニー賞でみたバリー役のマシューモリソンは特に圧倒的な表現の完成度であったが、彼はもはや1人の演者というよりも製作陣と共に本作を作り上げたのであり、作り手として演じた彼の表現力はやはり他の追随を許さない。

単に想像に逃避をもとめるのではなく、想像と現実のアンビバレントで不安定なバランスを描いた Finding Neverland は、ピーターパンの放つ曇り一つなきファンタジーのイメージに反し、とても人間臭く、それがとても響く作品だ。バリーが自分と子どもを救いたい一心で描くファンタジーや、それを劇中劇として表現する本作の創意工夫ある演出は想像力が掻き立てられる以上に、クリエイティビティーを刺激される。観るものにその場限りの癒しを与えるのではなく、その後自ら自分の世界を創作する少しばかりの思い切りと、不安はそのまま抱えてよいのだよ、といわんばりの安心感をくれる作品だ。