2015年8月12日水曜日

2世

私たちの思考や思いは言葉をもって運ばれる。ある言葉を知ったことで、自分の中で、全く新しく概念が生まれるということがある。

私は10年前くらいに「被爆者3世」という単語をきいて、その瞬間自分の中にアイデンティティーが新たに見出されて、とても驚いた。
それまでも、その後も言葉を通じた概念との出会いは有ったけれど、この時ほど、はっきりとした衝撃を伴ったことは後にも先にもない。
それは、水を泳ぐ魚が「君は海の生き物だよ!」と言われ、初めて水やその外の陸を意識するような気持ちだった。

毎年この日、ニュースでは平和を「被爆者3世」の活動が、現代へのつながりとして報道される。



(余談だが、長崎の方が3世アクティビズムは多い印象)


3世たちが、平和を訴える様子、非核を求める声が放送されるのを聞きながら彼らを活動へと突き動かす、意義や理由は私にもあるのだ、と思う。

「◯◯3世」という表現はどんな場合においても使えるわけではない。◯◯の厳格な定義には当てはまらないけれど、その地位が受け継がれているものに使われることが多いのではないかと思う。移民2世、在日コリアン3世などがその典型だ。被爆者3世という単語にびっくりしたのは、多分その地位に「継承性」があると思っていなかったから。

例えば、ひめゆり2世とか、ホロコースト被害者3世、は聞いたことがない。

何故、被爆者には3世が生まれるのか。

言葉を知ったあとすぐの考えたのは被爆体験は世界でも経験者が少ない特異な体験だからということ。その語り部としての地位が世代で引き継がれるということなのか。しかし、その点においてはダッカウの収容所経験者もなんら変わりない。そして、語り部の役目を果たすのは親族でなくたっていい。それよりも、「広島市民」とか「長崎市民」などその地に住んでいることの方が、語り部の地位に相応しい気もする。

おそらく「2世」概念に最も強く影響しているのは、原爆被害の遺伝性のように思う。単に広島市民じゃなくて、2世という概念が、生まれるのは、地縁ではなく血縁を円心とした被害の広がりがあるから。
例え、直接被爆していなくても、2世には疾患が及ぶことがある。うちの祖母は第一子である叔母が生まれるときは相当心配し、孫である私や従姉妹になんらかの生まれつきの身体傾向(大したものではない)があるとかならず、遺伝疾患のことが脳裏をチラつくという。

そして、やはりいまなお、原子力が平和利用、軍備として利用されていることの影響は無視できない気がする。チェルノブイリや福島の後、被爆被害の甚大さについて一番説得力をもつのは、その遺伝的リスクを僅かであれ背負った2世、3世である。だから、彼らは「3世として」、あえて血縁を誇示するかたちで運動を行う。被爆者の当事者性は世代を越えて共有されている。

政治学やシンクタンクという第三者性が絶対に必要とされる分野において身を立ててしまった私は「当事者」として行動したり、主張することがとてもヘタクソだ。それに飲み込まれるのが、怖くなってしまう。冷静に判断ができる自信がないから。

でも、8月6日には毎年かならず思う。もしかしたら、私も飛び込むに値する当事者性があるのかもしれない。
まだどうしたいのは分からない。

でも、一つだけいえる。「2世」にも治まらず、「3世」が生まれてしまっているのは、原爆投下がまだ現在進行形の問題だから。それは未だ移民が「2世」「3世」と連なっていき、いつまでも日本人、フランス人になれないのと同じ。そこにあるのはかさぶたでたはない。まだ生傷だ。



2015年8月11日火曜日

Who was Charlie? 今シャルリー・エブドを再考する

シャルリー・エブドの襲撃事件から半年以上が経った。
事件当初フランスではレジスタンスぶりと言われる数十万人規模のデモが各地で起き、ついには各国首脳まで行進に参加するなど、異例の熱気と怒りが同国を覆っていた。
その事がずいぶんと昔のことに感じるほど、今のフランスには1月の騒乱の面影はない。ニュースを聞いていても、ギリシャのEU離脱危機や債務問題、ツールドフランスなどが耳をかすめていくが、民衆の支持を一気に集めた極左雑誌の名前はもう聞くことがなくなった。

Charlie Hebdoを巡るフランス共和国の動揺、騒乱、言説の渦について、当初から私は胸がとてもザワザワした。過激派に襲われた12人のジャーナリストの死への悔やみや、犯人への怒り、がものすごいスピードで何か違うものに転がり落ちていっているように感じた。はっきり言って、とても怖かった。

復習もかねて、簡単に事件のあらましを説明する。
2015年1月7日にムスリム過激派数人が、フランスの雑誌 Charlie Hebdoの編集部を襲撃し、同誌が刊行したイスラムを冒涜する風刺画に対する報復として、社内にいたコラムニストや風刺画家を銃殺した。犯人はすぐさま警察にその身を追われ、翌日には倉庫で見つかり、その場で銃殺される。しかし、事件のショックはこれで収まらず、同事件に対する講義のデモは国全体を動員するかと思う市民運動に発展した。

この運動の大きな特徴として、それが、「共和国」の名の下に、共和国的価値観(les valeurs républicains)を護ることを大義として行われたという点がある。

 Je ne suis pas d'accord avec ce que vous dites, mais je me battrai jusqu'à la mort pour que vous ayez le droit de le dire.  Voltaire 


私は君と意見を異にするが、君がその意見を表明するためには命をかけて戦おう —ヴォルテール


これは、多くのデモでスローガンとして掲げられた言葉だ。

例え異なる価値観が共存する中でも、それらが自由に交わり、正当性を主張し合う場が用意されることこそ、res publica の目指すところであるという強い信念に基づいている。
いわば、「表現の自由」の原点。

CHの事件がおこった直後の反応みて、私の直感的な反応は「怖い」だった。
私がそう思うのは、自分が犯人に同調や同情しているからではもちろんなく、過激な暴力はどんな思想を背景にしようとも許されるべきではないと思う。
でも、それでも怖さを感じたのは、この事件がなぜ「民主主義」や「共和国理念」の下、ここまで多くの人を動員するのか理解できなかったからである。


・「共和国」に対する攻撃?
もう一度立ち返ると、この事件は極めてマージナルな過激派が、これまた政治的に急進的な週刊誌を襲撃したという事件だ。これが、なぜ「共和国」という体制に対する攻撃だと受け取られたのか私には解せない。

この事件を簡略化すると、イスラームを冒涜する風刺画を掲載した一民間誌に対して、激怒した過激思想を有するムスリムが、その表現者に対して暴力をもって報復した、という構図になる。
語弊を恐れずに言うと、私はCH事件はその過激性・暴力性に違いはあれど、その構図においては「フライデー襲撃事件」と何ら変わらないと思う。
(フライド襲撃事件:北野武のプライベートで交友関係のあった民間人に執拗な取材をおこなったフライデーに対して、たけし軍団が、編集者に押し入り、傘などで編集部の人間を殴打するなど傷害を追わせた事件。)しかし、この時、社会が「言論の自由のため」に立ち上がるということはなかった。それは、たけし軍団がフライデーのみを直接の標的としたからであり、彼らの行為がメディア各社に脅迫状をおくる等、社会の中で自らの意見を発する術を奪おうとする行為ではなかったからである。では、なぜ過激派→CHの攻撃はフライデー襲撃事件と同じように整理されず、その攻撃には公共性を付与されたのか。
これは報道と名誉毀損の攻防ではあれど、「共和国主義」に対する攻撃を意図されたものではなく、そのような図式の下、解釈されることは問題の危険なすり替えではないか。


・シャルリー・エブドは共和国主義の代表性を有するか?—Are you really Charlie?—
もし、CH事件を共和国への攻撃とするならば、それは、CHの掲載する表現やその政治的思想が共和国と高い同一性/融和性を有していることを認めざるを得ないと思う。ようは、CHの発していた言論を「我々」の声としてフランス共和国の市民を代表する声であるとするならば、これを死に至らしめようとした過激派はまさしく共和国への攻撃であろう。

しかし、共和国理念と同体どころか、シャルリー・エブドはとても周縁的な雑誌である。元々政治的には極左であり、元々の創刊時の雑誌名はなんと日本語からとった「Hara-Kiri(腹切り)」だった。大衆誌とはほど遠く、多くの人からは眉をひそめられるような政治的には過激な部類に入る雑誌だ。強い批判と皮肉を込めた風刺画が同誌の売りの一つであり、権威性のある大抵のものは攻撃の対象となった。宗教でいえば、イスラム教だけでなく、キリスト教、ユダヤ教、政治的ならば、極右はもちろん、中道左派まで、完全にこき下ろす。体制、権威、権力の影のかかるものはすべて嫌うという、アナーキストに近い、アンチシステムな論客である。

そのため、同誌の政治的な立場は元々”Anti-gaulliste=反ド・ゴール主義”と称される。
ド・ゴールとはいわずとも知れた、シャルル・ド・ゴール将軍。フランス人に最も愛される大統領であり、第五共和制の創始者。共和国主義の権化である。ということは、反ド・ゴール主義のCHはその中核的な思想の真っ向から対峙する政治的立場をとっているといっていい。また、Hara-Kiri時代から読者は極端に少なく、1981年には売り上げ不足で廃刊においこまれ、10年した1992年にやっと、CHとして再スタートをきっており、購読者とい浮観点からも到底大衆の意見を代表しているとは言いがたい。

CHは共和国主義を真っ向から切り捨てる思想を有しており、支持者はとてもすくなく、とてもではないがメインストリームといえる立場を有してはいなかった。同誌に共和国主義を見いだすのは、それこそ手のひらを返すようなご都合主義な気がしてならない。


・声を持たぬ市民はだれか—identifying the subaltern—
そもそも、「表現の自由」の名の下制限されるのは、公権力であり、政権の暴走や専制を防ぐことがその意図である。公的権力がその権威の下に自らに対する批判や反論の「表現」の術を断つこと、そのことで自らの主張を有無を言わせず押し進め、独裁性を帯びていく、という危機が念頭にある。市民の声が正常に政治・行政に反映されなくなるとき、民主主義は機能不全に陥ることから民主主義のための必要条件の一つとされる。言葉の成り立ちや定義は重要ではないという意見もあるだろう。問題であるのは、ある主張が暴力をもって断たれたことであって、それが公権力であるかどうかは二次的だと。でも、これが民主主義、共和国主義に対する冒涜だという主張するためには、やはりこの基本理念の理解の下に問題を整理する必要があると思う。

CH後の一連の動きの中で、やはり最も衝撃をうけたのは、1月11日にフランス全土で行われた370万人のデモである。このデモの先頭をに立ったのは、名だたる国家首脳である。仏オランド、独メルケル、英キャメロン、イスラエルのネタンヤフなど44カ国以上の国家主席があつまった。日本からも駐仏大使が参加している。
(彼らはRépublique広場(共和国広場)からNation(国民広場)までVoltaire大通りを抜けて行進した。これだけでも、それに込められたシンボリズムは言うに及ばないとは思う)


 国家主席の”デモ”・・・?


 
  共和国広場に集まる人
—Paris Match

このデモの画をみて「公的権力が表現の自由を主張して行進する」ということの矛盾と怖さについて考えずにはいられなかった。風刺というのは、権力を持つ者に対して、力を有さない市民が批判の全力を筆と言葉に込めて突き上げることにこそ、その力強さと正義を宿しているのであり、権力を既にもたれし者が主張する表現の自由は、全体主義とどうやって峻別しようがあるのかわからない。

もう一度、考えてみたい。フランス社会において今、力を持たない市民と、チェックアンドバランスを受けるべきマジョリティーは誰なのか。




上)ムハンマドの裸体
下)「”フランスではまだ攻撃はありません”—「一月終わりまでお願い事かなうんだよ!」」
これが、本当に共和国主義や言論の自由を掲げてまで守るべき、言説なのだろうか?
シャルリー・エブド誌より



ムスリムはフランスの中で今最も抑圧される市民の一つだ。彼らを揶揄することで「風刺」は成立しない。それは、弱き声をさらに押し込める「弱い者いじめ」と何ら変わりない。繰り返すが、CHの襲撃や暴力は断固として糾弾されるべきだ。しかし、「表現の自由」の下、公権力たる国家主席がフランス社会のサバルタン、ムスリム市民に対する攻撃の矢を擁護したことには暴力的であり、ムスリム・コミュニティーとの溝をこれまで以上に深くえぐったと思う。

CHと表現の自由を巡る言説については、1)共和国主義との対立構図、2)共和国主義とCHの代表する思想の不和、3)公権力がマイノリティーに対する攻撃的な言論を擁護する不当性、という3点において正当性・整合性がないという思われる。でも、ここで思考を止めてはならない。問題は、なぜそのガタガタの議論が370万人の人を動員し、支持を得たかである。

・メディアの第三者性
とても、表層的なことから指摘すると、この運動が驚くほどの早さで加熱したことには、間違いなく、メディアの力がある。今回、多くのメディアは「被害者」として語っていた。CH誌に自らを自己投影しながら、報道した彼らは「They」ではなく、「We」として報道を行った。ジャーナリスト達が「当事者」として、自らの権利の侵害を訴えたことで、報道の客観性は損なわれ、情動的に訴える論調が吹き荒れた。普段は、社会情勢の、権力のWatchdogの最前線を走るジャーナリストが「一番冷静さを失った人」になってしまったことのエンジンは大きかったように思う。

The legitimacy and wisdom of criticism directed at offensive speech is generally inversely proportional to the level of mortal danger that the blasphemer brings upon himself...when offenses are policed by murder, that’s when we need more of them, not less, because the murderers cannot be allowed for a single moment to think that their strategy can succeed.
New  York Times
—不敬な言説はそれを発した者に死のリスクが伴えば伴うほど、その不敬な言説に対する批判は正当性や良識さを失う。つまり、もしもその攻撃や無礼が殺人の脅迫を招くならば、それこそその攻撃がもっと必要であるという証拠だ。なぜなら、殺人者に一時たりとも彼らの戦略が成功していると思わせてはならないからだ。
ニューヨークタイムズ

(ニューヨークタイムズの論説は、不敬な攻撃的発言が殺害予告をまねけば招くほど価値あると主張していた・・・。相手を激昂させることが報道の目的ではないはずではないか)

・Identité Française—フランス社会のアイデンティティーの犠牲—
もっと本質的になぜ今回の事件が共和国主義を掲げた市民の動員になってしまったかを考える。それは、ムスリム市民が今フランス社会のアイデンティティーを外縁的に定義する「他者」だからではないか。ここからは、自分の修論の主論とかなり重なってくるのだが、現在、グローバル化、EU地域統合など、国家の意義や境界が揺らぐなか、自らを規律・制度的なアイデンティティーで自己定義してきたフランスはアイデンティティー・クライシスに陥っている。自らの国を規律してきたルールにおいてネーション神話を気づいてきたフランス共和国は、その国を律するルールがより越境的に形成されるにしたがって、その根底を揺さぶられている。「国外」と「国内」の線を引くことが難しくなったフランスは、自らの「中」に「外」を見いだすことで、「あの”他者”ではないということが共和国市民である」という意味付けをするようになった。そして、その「内なる他者」となったのが、ムスリムだ。最も顕著なのは、国民アイデンティティー省なるものまで創立し、ことあるごとにムスリムに周縁性のレッテルを貼り続けた前サルコジ大統領だが、その流れは政権が変わろうともフランス社会の中で途切れることなく続いている。ムスリムの、イスラームの「共和国主義」と反する要素を見つけるにつけ、これを「共和国への反逆だ」ということで、フランス・アイデンティティーは今支えられていることは否めないと思う。




フランス中道右派の週刊誌 L'Expressの表紙
上)革命の象徴、ドラクロワのマリアンヌがペンを持ち、民衆を導く画
下)「イスラムに対峙する共和国」



”「あんなことを断固許さない」「あんなことは絶対しないこと」がフランス国民”

「私はA!」じゃなくて「私はBじゃない!」といって定義されるアイデンティティー


そんな言説によっって、いまのフランス国民の紐帯はつなぎ止められている気がしてならない。

そんなことをしたところで「他者性」に追いやられるムスリムとの軋轢は強まるばかり。
移民であることが経済的弱者であることと同義になっていること、
移民一世の社会的劣位が世代を越えて継承されてしまっていること、
それゆえに、異文化性の問題と社会層間の軋轢が区別できなくなってしまっていること、
社会的な差別について「悪い市民」というだけで、それを制度的に対処しようとしないこと、

これらのことが解消されない限り、フランスがいくら共和国主義を歌い上げようとも、暴力的な衝突は止まない。民主主義への暴力を考えるときに、その「攻撃されているとする」民主主義は正しく機能しているか、今一度考えたいものです。

(本当に言論の自由を考えるべきなのは、CHのデモがおこる地球の裏で、「ピースとハイライト」のパフォーマンスが政権批判ではない、とサザンが謝罪声明を出さざるを得なかった日本なのではないか、そんな事もちらつきます)

シャルリーは誰だったのか、
それは共和国広場で民主主義の旗をひるがえすマリアンヌ?
それとも、自らの築いた礎を揺るがされ、石畳を彷徨うCharles (≒Charlie) de Gaulle?