2015年10月24日土曜日

ソウル-アジアの観劇ホットスポット-

弾丸でソウルまで旅行してきた。
目的はただただ、観劇すること。
これを伝えると大抵反応は二分する。

—え、韓国に観劇.....?韓流ファンだっけ?

—えええぇーーー!うらやましいぃ!

観劇ファンの間で韓国のシアターの充実っぷりは実は割と有名だ。

今回のそもそものきっかけは、とても好きなフランスのミュージカル2作品(Roméo et Juliette, Notre Dame de Paris)と、ナイトショー(Crazy Horse Paris)がすべて同じ時期に来韓していることを知ったからだ。



どれも目と鼻の先まできているのに、ソウルまでで、東京までは来てくれない!
今でこそ、渋谷のHikarieにシアターオーブができて、今年に限って言えば1ヶ月に一度は海外カンパニーが来日しているが、基本的に日本にはあまりミュージカルが来てくれない。理由は簡単だ。客が入らないから。

バレエやクラシックなんて絶えず何かしらが来日していて、クリスマスころになると、決まってどちらも毎年チャイコフスキーをやっていたりするのに、それでもお客さんは絶えない。

しかし、シアターオーブにくる公演は大抵1ヶ月前、下手すると当日でもチケットはとれる。例えばこの間、オーブに来ていた、PIPPIN。あの作品の来日は本当に事件であった。
これは、ミュージカル・オタクの戯言では決してなく、ファンではなくても、世間的にレジェンドな作品なのだ。テニスを常に追ってなくても、錦織圭くんに会えるのはすごいとわかる、そんな作品。公演の一ヶ月半前、「しまった、ちょっと乗り遅れた!」とおもって取れた席は最前列だった。私は、心臓が止まりそうに感動したのだが、(詳しくはPIPPINの観劇レビュー)、当日会場を見渡すと、一階が埋まるのがやっとで、二階は数列しか人が入ってなかった。びっくりして、悲しかった。「みんな、なんで来てないの!」

そんなわけなので、日本には来日公演がなかなかきてくれない。

しかし、韓国は違う。
ミュージカルが大衆エンタメとして根付いている。
私と旅友がチケット発券の列に並んでいると、
横には当日券を求める人がたくさん並んでいた。

日本では、ミュージカルは計画的に観に行く人しかほとんど売れない。
当日買うのは、突然暇ができたミューオタだけだ。
しかも、席には家族連れがいる。
日本では、女性か中年夫婦がほとんど。

「あ、今日◯◯の席あいてるからいこーよー」

こんな具合に映画のようにミュージカルが楽しまれてる場所を、
私は他に、ロンドンとブロードウェイしか知らない。

*しかもすごくマニア受けなフレンチ・ミュージカルでこの集客・・・。考えられない。



そして、そして忘れてはいけないのが、韓国のローカルキャストのレベルの高さ!!!!
ソウルは決して外から呼んできているだけではない。
地場の舞台俳優がものすごくレベルが高くて、層が熱い、いや厚いのだ。

私たちが観てきたのは、In the Heights。ブロードウェイで2008年、トニー賞で13の部門にノミネートされた作品。


When You're Home / In the Heights (韓国キャスト)


このミュージカル、ラップが多くて、油断すると簡単に「ダサく」なってしまう。
(実際には日本キャストがやったときはコケた)
エキストラや脇役だれに歌わせても、抜群に巧い。
歌い方もミュージカル唱法。
高音までちゃんと地声で歌いあげてくれるし、発音もしっかり。
実は、K−POPスターも何人かでているのだが、片手間にやった感じではなく、ちゃんとギアチェンできている。

ストリートダンスが多い作品だったのだが、
バキバキの筋肉のキャストがこれまた、一流のダンスを踊ってくれる。
日本のキャストももちろん踊れるのだけど、韓国の方が、「男っぽい」かんじが個人的には舞台としては迫力があって、好きだ。



そう、先に見たノートルダムも実はダンサーは半分以上がローカルキャストだった。
舞台は基本的にコストダウンが難しい。
一番コストがかかる「人」を現地調達できることで、遠征公演も出費も抑えられる
(もちろん、韓国キャストを安い労働力といっているということではなく、海外から人を連れてくるのは、渡航費もかかるし、いわばフルタイムに「身柄を拘束する」ための人件費もかさむ)
そして、

これも韓国が海外公演をたくさん呼んでこれる理由だと思う。

・観劇人口が多い(ファンやオタクじゃなくても観る)
・市場が大きいので、いい人材が集まる(舞台一本ですみたいな役者が多い)
・ミュージカルに向いてる人材が集まるので、レベルの高い自前ミュージカルができる
・いい人材が集まるので、ローカルキャストで海外公演を補完して、招致できる。

これがまた「観劇人口が多い」に跳ね返って、いい循環ができているのではないか、というのが私の思うところ。

市場原理を考えると、なかなか入らない舞台に投資をすることが難しいのは、
いわば、当たり前のことであり、そうするといい人が残ってくれないのはどこの業界も一緒だろう。
特に、舞台は人気がなくてもコストをカットすることが難しい。
高くしようと思えば舞台装置や衣装など青天井だろうけども、
安くすることには限りがある。

舞台セット、衣装、上演をする施設、どれも安っぽさを感じないレベルで留めるには
安価にはできない。
すると、やはり削られてしまうのは人件費なのだろう。

Crazy Horse Paris こちらはミュージカルじゃなくセクシーショーだけれど。
綺麗なお姉さんたちの素敵なダンスを堪能


ただ、頭の体操をここで止めてしまうと、韓国の舞台人気の真意には迫れないと思っている。
そもそも、上記の良循環のスタートである、

「観劇人口が多い(ファンやオタクじゃなくても観る)」

の理由がなぜだかが一番ひも解かなきゃいけない、ミステリーの肝だと思う。
日本のミュージカル劇場にいくと、
そのほとんどが「観劇ファン」で、特に宝塚、四季など特殊な舞台ともなると、
観客は「ヅカ・ファン」「四季ファン」と、とても狭くコアな人たちになってくる。
年齢は30-50代の女性が半分以上。

しかし、ソウルの劇場は、
親子連れや、カップル、若い男性のお客さんも多い。
当日券も買う人も多い(日本では固定層のファンがいくので、当日駆け込みでフラッと行く人はとても少ない)

周りの知人・友人に聞いてみても

「ミュージカルたまに行くよー」

と、映画とディズニーランドの間ぐらいの感覚で
馴染みがある。作品名をいっても有名どころは知っている。


ここからが、推論でしかないのだけど、
私は、これが駐屯米軍の影響ではないかと思っている。
そう思う一番の理由は他の米軍駐屯先にも同じような現象がみられるから。
例えば、ASEAN内ダントツでブロードウェイや米国音楽界に逸材を輩出している国といえばどこだか、ご存じだろうか。フィリピンである。

知っている人にはおなじみのミス・サイゴンの、オリジナルキャスト(キム役)のLea Salongaは
ブロードウェイで最も成功したアジア人女優だけど、彼女はフィリピン系(その後も、Les Misérables のÉponine, Fantine, Aladdin のJasmin, Mulanと輝かしい経歴。最新の作品ではWWII中の日系アメリカ人訳)
ご存じの通り、フィリピンはASEAN圏で最も大きい米軍拠点の一つであり、
ローカルなポップ文化にかなり深くアメリカ文化が浸透している。

Lea Salongaのうたう On my Own (Les Misérablees) 圧巻です。

もう一つ、身近な例が沖縄。
沖縄は、その人口規模を考えると驚くほど、日本の音楽界で活躍する人が多い。
特に90年代は顕著だ。
さらに、関東圏でもやはり横須賀周辺はJAZZの震源といわれるなど、米軍を中心とする音楽文化の広がりというのは無視できないものがある。

私が今回足を運んでいたBluesquare theatreも漢江鎮(ハンガンジン)も、
駐屯地がある、梨泰院(イテウォン)の隣駅だ。

ミュージカルとの関連性でいうと、
つまり、米軍駐屯エリアでは、米兵文化の広がりから、
洋楽カルチャーが醸成され、Barなどで洋楽を流したり、歌ったりする需要が生まれるとともに、
洋楽を聞く文化も大衆の間で一般的になったのではないかと。
現に、世界の音楽マーケットではJ-POPよりもK-POPの方が成功を収めているが、あれは音楽的に洋楽と親和性が高いからだと私は思っている。
つまり、需要側でいうとソウルの人は歌詞の意味が完全にわからなくても洋楽を聞くという文化が形成され、結果音楽的に洋楽への傾倒ができたとともに、言語面でも外国語で歌う舞台を鑑賞することに抵抗がなくなったのではないか。

そこで、まずは海外からの来韓公演を望む声が生まれ、人気があがり、
そこから派生する形で韓国語・韓国キャストで海外作品を制作するように。
音楽人材の観点からも、すでに洋楽的な歌唱の需要があり、しかも舞台俳優としても十分に稼げるため、人材にも困らないのではないか。

だから、日本も沖縄に劇場があったら、
実はもっと集客が望めるんではないか、なんてソウルから帰国後思ったりした。
(このあたりは、沖縄出身の日本のミュージカル女優、知念里奈あたりに聞いてみたいところ)


そんなわけで、
今アジアで熱いシアター都市はソウルなんです。
福岡に行くくらいの気持ちと予算でいけてしまうのでこれは癖になりそうです。

次に狙っているのは韓国キャストのNext to Normal
繁忙期のオアシスの逃避行をもくろみ中



2015年10月9日金曜日

The dead end of a very public secret -ルック・オブ・サイレンスレビュー


虫が寄生している木の実がコロコロ転がるのを見ながら、息子を虐殺された母は言う「早く出ておいで。いるのは分かっているんだよ。出てきてくれなきゃ、本当にいることが見えないじゃないか」

インドネシアの田舎の村の公然たる秘密。木の実がコロコロ転がるのだからそこにあることはわかっている。でも、それはこじ開けられることなく、重い沈黙で鍵がかかっていた。

前作アクトオブキリングについて私はこう書いた
「後悔と賞賛、嘔吐と歓声を往き来する彼らに精神の崩壊をみた。」(Act of Killing レビュー)

見終わった直後、今作は一作目に比べてナラティブが薄いと感じた。一作目はそれまで得意げに虐殺を語っていたマフィアボスが「自分は罪人なのか?」と涙ぐみ、暴力を再現した場所で嘔吐しているシーンで終わる。そこに狂気と正気が絡まりながら堕ちていく様を感じた。ルック・オブ・サイレンスでは加害者の語りをあと、賞賛もなければ糾弾もない。なにを描きたいのか、それは一作目と同じなのか、それとも違うのか、スッとはわからなかった。でも、タイトルを改めてみて、そのなにも生まれない重苦しい空白こそ本作の核ではないかと気がついた。

虐殺を語ったあと、アディは加害者をただただ見つめる。虫の音、扇風機の風が響く部屋。インドネシアの蒸し蒸しとした湿度までが観ているこちらの肌を這うような感覚になる。その語りを通して、確執は解決せず、納得も生まれず、赦しは訪れない。

公然たる秘密を開けたところにあったのは沈黙という空白と、どこにも行かない行き止まり。そのどうしようもないやるせなさこそがこの2作目の向けた眼差しだった。木の実が地に落ち、芽を生やすにはまだまだ時が必要である。

The dead end of the very public secret

ルック・オブ・サイレンス


虫が寄生している木の実がコロコロ転がるのを見ながら、息子を虐殺された母は言う「早く出ておいで。いるのは分かっているんだよ。出てきてくれなきゃ、本当にいることが見えないじゃないか」

インドネシアの田舎の村の公然たる秘密。木の実がコロコロ転がるのだからそこにあることはわかっている。でも、それはこじ開けられることなく、重い沈黙で鍵がかかっていた。

前作アクトオブキリングについて私はこう書いた
「後悔と賞賛、嘔吐と歓声を往き来する彼らに精神の崩壊をみた。」Act of Killing レビュー

見終わった直後、今作は一作目に比べてナラティブが薄いと感じた。一作目はそれまで得意げに虐殺を語っていたマフィアボスが「自分は罪人なのか?」と涙ぐみ、暴力を再現した場所で嘔吐しているシーンで終わる。そこに狂気と正気が絡まりながら堕ちていく様を感じた。ルックオブサイレンスでは加害者の語りをあと、賞賛もなければ糾弾もない。なにを描きたいのか、それは一作目と同じなのか、それとも違うのか、スッとはわからなかった。でも、タイトルを改めてみて、そのなにも生まれない重苦しい空白こそ本作の核ではないかと気がついた。

虐殺を語ったあと、アディは加害者をただただ見つめる。虫の音、扇風機の風が響く部屋。インドネシアの蒸し蒸しとした湿度までが観ているこちらの肌を這うような感覚になる。その語りを通して、確執は解決せず、納得も生まれず、赦しは訪れない。

公然たる秘密を開けたところにあったのは沈黙という空白と、どこにも行かない行き止まり。そのどうしようもないやるせなさこそがこの2作目の向けた眼差しだった。木の実が地に落ち、芽を生やすにはまだまだ時が必要である。