2019年4月26日金曜日

空色のペンキが売れすぎる街

こちらにきて、現地の人との接触がなかなかない、という話は前回の投稿にもかいた。
そんな私が最も“ローカル”に近いコンタクトが得られるのは、ドライバーさんたちを通じてである。
ドライバーさんというと、「国連職員やっぱり特権階級だなやれやれ」と思われる方もいそうだが、
私のいまの長期出張先に関して言えば、治安や政情が不安定すぎるため、全ての移動は公用車に制限されている。
ドライバーさんたちいなくしては、私はアパートからも一歩もでれず、水さえ買いにいけないので、私たちは文字通り彼らに生活の根底を支えられている。

今年の年始から国連の語学研修センター主催のアラビア語講座に通っていることもあり、
なけなしのアラビア語(本当に誇張なしにHi, how are you くらいしかまだ言えない)で話してみると、ドライバーさんたちは皆とても喜んでくれる。
「”家に帰りたいです”ってなんていうの?」(この会話はフランス語で行われる)っていってみたりして、
5分程度の短い帰路の間、ともにアラビア語を復唱しながら帰るのが、楽しみだったりする。
私が改めて、言うまでもないことだが、言語というのは本当に他文化圏の生活になじんでいく過程で大事である。
なにか内容を伝える手段ということではなくて、
相手の言葉を話すこと自体が、歩み寄りを示しており、それだけで関係性や自分が背負う印象というのは変わる。例えば、私がある日車にのると、ドライバーさんがアラビア語方言とおもわしき言葉で話していた。切ったタイミングで「ごめんね、ちょっと姉から電話がきて」と言っていたので、「أخت كبيرة (big sister)だね!」というと、顔がパッと明かりをともしたように明るくなり、「ねぇね、ユースフはハゲっていって」などと同僚ドライバーをディスるアラビア語を覚えさせようとしてきた。
フランス語で仕事をするここのオフィスにも、現地語はおろかフランス語も話さない同僚はいるが、こんなじゃれあいはやはり、英仏で話しているだけではなかなか生まれない。
アラビア語で、「姉」と言えたからといって、なにが捗るわけでもないが、
その二語を知っているだけで、ドライバーさんとの距離はぐっと縮まるのである。

私が小柄で童顔なこともあり、(おそらくドライバーさんの中には年下もいるのだが)
ドライバーさんたちはそんなわけで私をとてもかわいがってくれて、風邪だといえば、食べきれないほどの物資をかってきてくれたり、水のボトルが重いと一緒にアパートの5階まで運んでくれたりする。

この派遣先に来る前は、周りから、
「フィールドはとにかく現地の職員にうまく仕事をしてもらうのが大変」「西アフリカは特に開発水準が低いから、人材の質がおもわしくない」などと聞いていたが、少なくとも、うちのオフィスでは上記を感じることは幸いなことにあまりない。特にドライバーさんたちは、現地職員の中でも、肉体労働者としてある種、末端に位置するわけだが、彼らの優秀さはローカルスタッフのなかでも目を見張るものがある。

例えば、先日R&R 帰り。
R&Rとは、Rest and Recuperate(休んで回復!)の略で、国連システムのなかに準備された危険地の保険休暇。これは前回の投稿にかいたような、危険地赴任にともなう極度のストレスを緩和するために与えられる休暇である(期間はきつさによるけど、同地は8週間に一度だった)その帰国便で、私と同じ乗換えをした乗客の荷物が全員ロストバゲージされてしまった。もともと、出張として同地にきてたため、スーツケースひとつ分の荷物がなくなるのは割と不便で、なんせ、1週間に10便しか飛ばしてないような、大変僻地の空港なので、そもそもロスバゲされた荷物が返ってくるかどうかが不安だった。

すると、迎えにきてくれたドライバー氏がすぐに私をインフォメーションデスクと思わしき場所に案内し、慣れた様子ですべて荷物を届け出るための手続きをしてくれた。
今どのような状況で(荷物は乗換え空港で積み込まれないまま取り残されてしまったよう)、いつ届く予定か(次飛行機が飛ぶ金曜日)、連絡手段(電話)、交換手段
を正確に現地語で聞き出し、教えてくれた。
なお、先方に指定する連絡先にはドライバー氏の電話番号を書き、「現地語でわからないかもしれないから、まずは自分に連絡がくるようにして、その後君に連絡する」といってくれた。翌日は私のデスクまでくると「念押しをするために、インフォメーションデスクまで自分でもう一度電話して、まだ荷物はきてないか、いつくるのか、と聞いたほうがいいよ」と言いに来た。確かに、荷物が取り残された、って話事体が適当かもしれない。
それを金曜まで毎日リマインドしてくれた後、
金曜になると、「空港から電話がきたよ。荷物ついたって。とりにいくといいよ」と私まで連絡をくれた。しかし、空港に入るのにはパスポートが必要。この時私はビザ更新中で、パスポートが手元になかった。
「どうすればいい?」と電話口できくと、
「それなら、社内のxxをつかまえれば彼は空港といつも仕事しててツーカーだから、一緒につれていくといい」
といってくれた。
その通りに社内の担当者を捕まえ、空港のセキュリティーをすり抜け、私の下に荷物は返ってきた。

なぜこんなエピソードを長々と話したかといえば、
私はいたく感動したからだ。
これは、報連相、危機対応として本当に完璧だった。文句の付け所がない。
そして気づいたのだ。彼はおそらくドライバーよりもずっといい職につける人なのだ、と。そういえば、違うドライバーさんは前職が銀行員だといっていた。
開発を仕事にしていると、「途上国の政府・公的機関のキャパシティが低い」ということがしばしば課題や制約として挙げられる。
でも、この日思ったのだった。もしかしたら、公務員人材、現地の大事なコア人材を横から手を伸ばして横取りしているのは、国連なのではないか。
この時のドライバー氏をみているかぎり、「あれこんな人がこの国の地方政府にもいたら、キャパ不足からくるフラストレーションはずいぶん減るのでは」と思えたのだ。
国連は彼らにいいお給料を払っている。同地のような文字通り世界最貧国で、現地で得られる一番いい職はまちがいなく、国連で働くことだ。
残念ながら、この国の「発展と開発」を願い、その推進を名目にはいっている、私たち国連はその国の一番の人材を搾取し、自分たちのために使ってしまっている。
ドライバーさんたちだって、国連がいなかったら、国家公務員や市職員になっていたかもしれない。
そこにハッとして、スーツケースを転がしながら私はとても複雑なきもちになった。
この国には、車をはしらせればすぐに空色の建物が目に入る。
どれも、国連機関や国連と組みながらはたらくNGOの建物だ。
この国では残念ながら、国連は一大産業なのである。

国連はいわゆる「不幸産業」だと思うことが、皮肉な気分なときにはしばしばある。
私たちは、不幸がないところにはいないし、不幸が大きいところでどんどんプレゼンスが大きくなる。
困難が大きい私がいる同地でも、国連の存在は不可欠だ。やるべきことは溢れるほどにある。
しかし同時にこの国において、国連という産業があまりにも不可欠な市場になってしまったことによる社会の軋みもかんじた。
国連が撤退していくことは本来的にはその国にとってよいことだ。
不幸産業が食っていくための不幸が減っているということなのだから。
でも、この地ではいま国連が撤退していくことを労働市場は求めないだろう。
国内で得られる最もよい仕事の一つを提供しているのは国連なのだから。

スーツケースをかかえて水色のロゴをペイントをされた4FWにのって空港からオフィスに帰る道。
車窓からに流れる建物はやはり空色が多い。
ドライバーさんが愛想がいいけど、少しというか結構適当で、
外装屋さんで、空色ペンキが少し売れ残る、私たちがこの地で求めていくべきなのは、そんな日なのかもしれない