2019年3月10日日曜日

「初めての緊急人道支援」体験記

フィールドオフィスに来てから3週間目になりました。
3か月現地にべったり張り付ける機会はとても貴重である。
もちろん、国連で働くとなると過半数の人はフィールドに行く(私の機関にいたっては9割を超える)。ただ、ジュネーブに在籍しながら長期のミッションに出してもらえる機会はそう多くない。ましてや、仕事をぬきにしたって本拠地を移すことなく、見知らぬ場所にどっぷり潜りこむなんてなかなかあることではない。
自分が2019年の1/4も過ごそうとしている場所について、少しでも書いて残しておこう、との思いを胸に、最初はこの国に降り立った。

しかし、3週間目にはいり、わかったのは、私はおそらく帰国までこの国についてほとんど書けないだろう、ということだった。

筆がのらなかったのか?それとも、思ったほどこの場所に興味をもてなかったのか?
そういうわけではない。
私がこの場所について書けるほどに「知る」のがとても難しい、ということがわかったのである。

だから、この投稿は私の「xx国」見聞録ではない。
これはしがない国際公務員のはしくれの緊急人道支援体験記である。

まずはこの場所について到底かけるわけがないとおもったその理由自体を書きたいと思う。

これは緊急人道支援体験記であると述べた。
緊急人道支援とはなにかご存じだろうか。多くの人にはそんなの当たり前かもしれない。なぜ聞くのかといえば、いま振り返ると私自身があまり正しい認識をもっていなかったからである。
少し業界の話になるが、いま援助業界・国連まわりではHumanitarian-Development Nexusが話題だ。緊急人道支援と開発の連携強化を謳うとても大きな国際的援助潮流である。
ここで、援助を少しでもかじったことある人でも日本人ならおもうのではないだろうか。「え、そもそも人道支援も開発援助の一部なんじゃないの?そこは並列概念?」
「並列概念だったとしても、どちらもODAをつかって、外務省・JICAがやってるんでしょ。連携ってどういうこと?」
私はすくなくともそう思って不思議だった。
しかし、実際に落ち着いて整理してみると、緊急人道支援と開発は、目的、活動、カルチャー時には実施主体も大きく異なる。一個人の単位でみると普段の生活まで大きく異なる。
国際協力という双方を内包する括りの中でキャリアを考えている人はなにが自分にむいてるか考えるために一つの軸として頭においてもいいかもしれない。

緊急人道支援とは、一言でいえば、Life-saving activites、文字通り人命救助活動である。実施する活動として筆頭にあがるのは、物品とサービスの提供だ。食糧、水、毛布、仮設住宅、怪我・病気・メンタルヘルスへのインパクトに即対応できる医療サービス、命の危険にある人の保護。

一方開発は、長期的な国・地域の経済・社会的発展を目指して実施される、構造的な介入といえる。技術を育てるための職能訓練、感染症予防のためのワークショップ、物流効率を上げるための橋梁建設など。

じゃあこのような活動内容がどのような業務の違いを生むのか。
上記を読むと気づくかもしれないが、緊急人道は圧倒的にロジスティクスの占める部分が大きい。確実に、安全、迅速な物流を掌握し、展開することが一番といっていいほどに大事である。サービスの場合も、質の高さよりも、とりあえず何もよりも先に人命を救助するためにただただ、基礎サービスでもいいから迅速に提供することの方が大切だ。
難民キャンプのマネジメントなど長期的な支援の展開ともなると、一つの村を運営する、みたいな話になるので、コトは複雑化するのだが、包摂的(inclusive)な介入は大事であるという前提は保持されつつも、基本的には与える、ということに重点が置かれ、語弊を恐れず言えば、自主自立は二の次である。

活動地は、前者は「人道的危機」状態にある地域。
筆頭にあがるのは紛争地、(シリア、イエメン等)。その他国内の政情不安と社会不安が蔓延して、生活事体がままならなくなっている場所(リビア、ベネズエラ、中央アフリカ共和国)、自然災害が甚大な被害を及ぼしている場所(インドネシア・スラウェシ島地震等)
後者は、ざっくりいえば上記の定義以外のすべての開発途上国(先進国での活動もあるのだが、ここでは話が複雑になるので割愛する)。いわゆる長期的発展に取り組む余裕がある場所だ。
業界にはtransition という概念もあるくらいで、緊急人道状態を脱した場所で初めてできるのが、開発行為だという理解がある(活動地事体がこんなにくっきりわかれているということも私はあまり知らなかった)
蛇足ついでにもう一点付言すると、これはより「貧しい」「開発が遅れている」場所が緊急人道を受けるわけではない。シリアは紛争前は中東でも堅調な発展をみせていた国だったし、ベネズエラも南米屈指の産油国だ。
確かに一人当たりGDPが低いところは危機国に転落しやすいが、それはその国の脆弱性からくるものであり、「貧しさ」から緊急人道支援をしているわけではない。

こんな具合に活動の内容も、活動地域の状況も大きく違うので、
いわゆる人のキャラ、事務所のカルチャーも違う。
緊急人道は圧倒的に体育会系だ。
私の中では商社と物流を掛け合わせたようなひとたち、と整理されている。
危険地で迅速なロジスティクスを求められている人たちである。モノが届かなければ人が死ぬ。自分自身が生活の拠点をそのような危険地に移そうという覚悟がある人だ、アドレナリンが走っているのが好きな、ジャンキータイプも多い。
「つべこべ言わず」の世界があり、「考える前に手を動かせ」といわれるけれど、でも考えが足りないと「お前はあほか」みたいな走りながらどんどん目指すところに軌道修正していくみたいなところがある。ボスの権威はより強く、縦の指揮命令系統がある。

一方開発はもう少しふわふわしている。
緊急人道側からいわせれば、「答えがないことを永遠話している」のが好きで、基本的にゆっくり落ち着いて仕事したがる。短い時間で成果がもとめられるときも、まずは「なんでこんなに締め切りまでが短いのか。」ってところから聞いちゃうのが開発の人だ。

お互いを揶揄するとき、開発は緊急人道のことを、「頭も大して使ってない体育会系のハイな人たち」というし、緊急人道は開発のことを「なんの役に立つのかわからないことを永遠かけてやっていて、インパクトも大して残してない」なんて言ったりする。

ここまでは私もなんとなくイメージがついていた。
幸い私は本部におり、開発も緊急人道もやっている機関にいるので、両集団を目にすることがあり、その違いはむしろ分かりやすくみることができたかもしれない。

さて、わからなかったのが、
ここでの生活である。
イラクで仕事をしている、イエメンで仕事をしているときいたとき、どんな反応をするだろうか。「そんな危険なところで大変ですね」、これがまず一番に出てくる言葉ではないか。私もこちらに着任して「そんな危険なところで大丈夫?」「危ないよね、気を付けてね」とよく言われる。
このイメージが実体と少しずれている。
まずは緊急人道活動を行っている場所では、安全はほとんど自分の管理下にない。
もちろん最終的には自分の責任、という前提はあるのだが、
例えば、私が今いる場所では、いわゆるgreen zone(立ち入り許可地域)がかなり狭く区画化され、住んでもいいアパートは決まっており、なにより公私含めてすべての移動は公用車である。
すべての移動というのは文字通りだ、一片の誇張もない。
それが例え自分の家の20m先にある場所でも自分の足ではなく、オフィスの車を呼んでドライバーに連れて行ってもらわなければならない。
スーパーは2つあるうちのどれか、外食は8つほどあるうちのレストランのどれかである。
なんとなく街を散策する、ということはできないし、ましてや職場以外の人と話すこともほとんどない。確実で堅固な安全管理がされており、それは完全に職場によってコントロールされている。

緊急人道支援を行う、ということは危険と隣り合わせでハラハラ緊張感をもちながら生活するというよりも、軟禁状態の圧倒的な移動の制約下のストレスと戦う世界だ。
人は体験してみたいとなかなかわからないもので、このような行動制限があってはじめてわかったのは、手段(公用車での移動)が制限されていると、目的(xxにいきたい)というのも大きく制約をうけるのである。
まず、家にかえってちょっと買い物に行く、ということがなかなか億劫だ。電話をしてわざわざドライバーさんにきてもらって、車にのってそこにでかけなければならない。なんだか「おおごと」になってしまうのである。疲れる。
あとは、場所がまったく多様化しない。車には乗った瞬間に「じゃあ、どこにいく?」と言われる。目的地がなくてはいけないのだけど、ぷらぷら散歩もできない中で、あらたな商店、レストランを見つけることは非常に難しい。とりあえず、口伝できいたり、事務所のwelcome booklet に書いてあった数限られた場所を永遠とぐるぐると順にまわっていくことになる。きっと、green zoneのなかにはほかにもおいしいご飯屋さんなどあるのだとおもうのだが、なんたって、知る術がない。

結果、ほとんどの社会生活が事務所にしかなく、家の中でひたすらこもる生活が続く。
なんだかジュネーブにいたときも大してアクティブだった訳ではない気もするのだが、人は選択肢をもっていることに安心するのだと思う。
屋内生活が多いとおもってもってきたダンスシューズと手芸セットもなんだか帰宅後生気が十分になくて手に取れないことが多い。

そんな生活をしているものだがら、この国のことは驚くほどわからない。この国の危機状態を支援するためにきているはずで、その情勢や被害については毎日のように読んでいるはずなのだけど、この国の風土や人柄、文化などについて知る機会が驚くほどすくない。
そんなわけで私はこの国のことはきっとほとんど書けずに帰るのです。

このブログをキャリアのHow to で書くことはほとんどないけれど、もしこれを読む人に国際協力業界への転身・就職を迷っている人がいたら、開発・緊急人道を一つの軸として、カルチャーフィットを検討することをおすすめする。本当に別企業くらいの違いがある。

緊急人道支援のお仕事にきた私はいまなかなかにハードな日々を送っているのだが、それは、常に身を危険にさらしている緊張感というよりも、
慣れない体育会野球部で外出禁止の合宿生活をおくっている、みたいなカルチャーショック&ストレスと戦っているというほうが近い。

だから、もし周りで、シリア、イエメン、リビア、イラクなどで働いている人がいたら、「危険な中で大変だね」とか、「気を付けてね」という言葉よりも、
ただただ生活を営んでいることを全力で褒めてあげてください。軟禁状態の閉鎖生活を彼ら・彼女らは毎日耐えている。

あ、あと全国のめちゃくちゃ厳しい体育会運動部で合宿生活を送ってる子たちにも言ってあげたい。本当に君たちはがんばっている!いまならわかるよ、わたしも!

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