2023年11月9日木曜日

消えたミルクとアイスコーヒー

 5月にニューヨークに行った。実際用事があったのは私のパートナーだけで、それをよい口実に私と子はノコノコとついていった。

2023年10月16日月曜日

コーシャーパンは今日も焼き立て

今日もきっと、オーブンで焼き立てのコーシャーパンをもらって満足げな顔ででてくるとおもう。 

2023年8月21日月曜日

ジジいの歴史はウチらが蹴散らすーSIXを観てー

 ここ最近観た舞台のなかで一番スカっと爽快感がある舞台といえば、圧倒的にSIXだと思う。私が初めてSIXの音源に出会ったのは2020年。仕事で死にたくなるようなことが起きて、プライベートまでズタボロになったとき、ミュージカルの曲をサブスクサービスに勧められるがままに聴いていたら流れてきたのが、Ex-Wivesだった。

元嫁ってなんか妙に生々しいタイトルだし、なんだかその表現自体、その女性を過去の夫に基づいて定義しているようで、すこし悲壮感やムカムカ感がある。でも、その「元嫁」が元々持つ語感を一蹴するように、バチクソにかっこよい曲だった。メンタルが荒れてた私はその頃自分でつくったムカつく事があったときに聴きたいミュージカル曲というプレイリストをつくってそればかり聴いていたのだが、中でももっともヘビーにループしてたのがSixのEx-Wivesだった(もう一曲はMean GirlsのI'd Rather Be Me)。


セットはバンドも含め舞台に全員をのせてるライブ形式

そんなSixはその曲名からも、バチクソにかっこいい曲調からしても意外だが、歴史もののミュージカルである。歴史ものは、ミュージカル、ひいては舞台において定番のジャンルだ。有名どころでいえばエリザベート、ハミルトン、モーツァルト!その他にも歴史ベースのフィクションまでいれればMiss SaigonやAllegienceあたりもその範疇にはいってくる。事実は小説より奇なりとはよくいうが、ほんとにその通りとしか言いようがなく、歴史が紡いだドラマはそれがフィクションとしてはむしろ嘘っぽく思えるくらいに時に強烈だ。そんな定番かと思えた歴史ものというジャンルに一石を投じたのがSIXだと思う。


Sixは英国のヘンリー8世の時代を描いた話。

それも彼の6人の妻の視点から振り返るものだ。

そう、これは彼女たちが歌うとおり、His-toryではなく、Her-story。

数々の女性と浮名を流し、結婚しては妻を処刑してたヘンリー8世というクソ男をこき下ろして、彼女たちにスポットをあてる舞台である。


これが本当に痛快ですばらしい。

まず演出としてはこの舞台はライブ形式だ。劇中では歌がセリフの一種とされるミュージカルにおいてはめずらしくマイクは手持ちで、うしろにこれまたオール女性バンドをしたがえて、観客を煽りながら歌っていく(このライブ形式なる演出でほかに有名どころはおそらくHedwig and the Angry Inch)

そのため、まず一般的な作品より観客とダイレクトに対話をしていく形式で、その上アゲアゲなノリなのでシンプルに観ていてテンションがあがる。ジャンルとしてはロック、POP、R&Bで、普通のビルボード上位曲を順にきいていくかのようなキャッチ―で聞きやすく、現代の私たちの生活にスッとはいってくるような曲調ばかり。それもそのはず、キャラクターは見た目も含め、現代を代表するポップスディーバを模してつくりこまれている。

Catherine of AragonはBeyoncé

Anne BoleynはMiley Cyrus

Jane SeymourはAdele

Anna of ClevesはNicki Minaj

Katherine HowardはAriana Grande

Catherine ParrはAlicia Keys


がモデルだとか(にしてもヘンリーはキャサリンて名前の女好きすぎである)


上記の歌姫さまさま全員が同じバンドの前で一斉に歌うなんて豪華すぎるイベント、それこそグラミー賞でも、スーパーボウルハーフタイムショーでさえ実現できない。

そんなQueensが共演するんだから、ハモリはつよつよ、地声はパイプの様に太く、たまにスっとオケがぬけてアカペラで歌う箇所もお腹ごと震わせるような力強さである。衣装もスパンコールとスタッズだらけのバッチバチのギッラギラ。そんな世紀のライブならぬ5世紀の時を超えたライブがSIXの醍醐味だ。

そして、Her-storyの触れ込み通り、この作品は女性、さらにはもっと広く虐げられてる層、マイノリティーをぶち上げてくれるエンパワー系作品である。

まずとにもかくにも口が悪い。例えばEx-Wivesでは「ヘンリーのブツなんてくそみたいにちっちぇーのに、その話をするやつをするとかマジでいないよな!」と今にも中指をたてんばかりの権幕で歌うラインがあったりする。それはいわば、毎日イラ立ち、不満、やるせなさを感じながらもそれらを唇をぎゅっと噛んで押し殺している私たち観客のフラストレーションを代弁してる。彼女たちが叫びあげるセリフのような不満を直接感じたり、声に出そうとおもったことがなくとも、目の前で拳を突き上げて、ヘンリーをつるし上げる彼女たちを前に、しまい込んでいた自分の隠れたイライラがグイっと喉から引っ張り出されて、つっかえがとれるような爽快感がある。彼女たちは私たち全員のためのヒール役をやっている。


だからどんなに口が悪くてもこの作品は下品ではない、めちゃくちゃに口が悪いのに品性とプライドを感じる。それがたまらなく気持ちがよいし、かっこいい。


ちなみに観た後に調べていて知ったのだが、Sixの脚本・作曲はToby Marlowというノンバイナリーのゲイの方と、Lucy Mossという女性がやっている。どちらも制作当初、ケンブリッジ大に通う20代の学生で、Marlowは文学専攻、Mossは歴史専攻でフェミニスト批評を勉強していていた。これにはつい納得せざるを得ず、やはりこれは知性と熱意に裏打ちされたBadass BitchがつくるBadass Bitchのための作品なのだなとおもった。


人によってはSixの筋や演出はわかりやすすぎるし、安直と感じると思う。

でも、そんなありきたりで、擦られたおしている言い草や悪態でさえ、SIXが示す不満の根本にある問題は全く解決されていない。この舞台の示す抵抗や反発がありきたりすぎるとしたら、そんなありきたりでアホみたいな抑圧もいまだ蔓延っているということだ。


だからやっぱりそんなわかりやすいポップスに乗せた、安直な反発に私はぐっとくる。

そうやって自分たちの気道をそっとつぶしてこようとする社会をグッとにらみつけて、蹴散らかすBad Ass Bitchになる元気とガッツをくれるから。

高く積み上げた品性をバチバチのスタッズと、めり込むように尖ったヒールに乗せて。


エリザベス女王在位70周年を祝したPlatinum JubileeでのSixのパフォーマンス。いまだに古臭いと昨今批判に去られている英国王室だけど、王様をこき下ろす曲を女王のためのイベントでやるんだから、やはり日本の皇室とは議論になっているオープンさのレベルが違うと思う

開幕の年Olivier賞を取った時のパフォーマンス

2022年6月15日水曜日

平成最後のぶち上げ全部盛りの宴 -Moulin Rouge!を観て-

演芸、もしくは芸術を目の前にして、その凄さを前に思わず笑てしまう、という経験はあるだろうか。 Dear Evan Hansen をみて息を呑むような瞬間を体験したり、マチルダで反逆的な解放感を味わったことは今も色濃く記憶に残っているが、実はなかなか思わず「笑てしまう」経験はなかった気がする。 ムーランルージュは一曲目のWelcome to the Moulin Rouge! から呆気に取られて声にだしてケラケラと笑ってしまった。隣を見るとパートナーも「うわぁ…な、なんやこれ」という顔をして口を開けて笑みをこぼしている。 昨今のミュージカルは引き算の巧さを競うように出してきた作品が多いように思う。10人満たないキャストで演じ通すDear Evan Hansen, ハモリの美しさを前面にだしてピアノとギターの中心にしたミニマルな演奏のWaitress、時代を代表する傑作と言われるハミルトンもたとえばセットや衣装はモノトーンでとてもシンプルだ。派手な印象が強い芸術、ミュージカルだが、近年は闇雲な派手さよりも、引くところをグッと引く演出こそが巧みである、という共通見解があったような気がする。

そんな時代にMoulin Rouge! は突き抜けた足し算演出で殴り込んできている。ミュージカルを観たことある人も、ない人も、舞台エンタメ(コンサートなど含む)でおおよそ考えうる演出と効果は全て放り込まれている。 一曲目の曲末にはキラキラの紙吹雪、ド派手でラメだらけの衣装、それに続く舞台で爆発する花火、ワイヤーで天井からでてくるブランコ、紐で吊られるエアリアル、止まっている瞬間が一度もないほど激しく動く振り付け…. 目に飛び込んでくる光と色、アクションの鮮やかさにはエンタメの真髄が詰め込まれている。 驚かされるのは、ここまで「トッピング全部乗せ」なのにこれらが完全にピタリとハマり、整合がとれていることだ。 引き算の演出はその「引き算」の行為自体がテクニックだと思う。しかし足し算そのものはただの浅はかな欲張りだ。それを一流にするには、足し算以上の圧倒的な技術が必要である。 私たちがあんぐり口をあけて、Moulin Rouge! の前に完敗した気持になるのはもちろんのその華やかな舞台効果に五感を奪われるからではあるが、それ以上に、可能だとは想像しようもなかった完成度のバランスが目の前に展開しているしていることに他ならないからだ。 先述のとおり、ミュージカルには元来派手な印象がある。それはミュージカルはそれまでの古典芸術に比して、あらゆる演芸を呼び込んで組み合わせたことに一つの特徴があり、元来多角的に刺激が展開されるからだと思う。そのため、説明しようとすればするほど、「ミュージカルってそういうもんじゃないの?」という問いを受けそうなのだが、実はオタクとして冷静に頭をひねるとMoulin Rouge!と比較可能な作品は現代作品に多くない。そう、現代作品とわざわざ断りをいれたのはここがポイントなのだからである。ミュージカルの元来の派手なイメージを築いてきた古典作品たちは華美で豪勢なものが多くあげられる。Chorus LineFunny Girl Me and My Girl Cinderellaあたりをはじめ、もう少し現代に近くなると歴史的ロングランを続けているPhantom of the Opera等があげられるだろうか。このあたりの作風を現代につなぐ形で牽引してきたのがロジャース&ハマースタインやソンドハイム、今も現役のアンドリュー・ロイド・ウェバー卿などである。しかし、これらの作品が初演の幕を開けてからすでに半世紀近くがたっている。当時の「全部盛り」で使われていた舞台効果はすでに古典の域に入っている。レースやフリルでボリュームを出した華やかな衣装はハミルトンやエリザベート等の歴史ものなのなら当然の様に出てくるし、すごい音圧を放つ重厚なアンサンブルもレミゼやウェストサイドストーリーを見に行けば必ず保証されている。舞台の立体的な展開はオペラ座の怪人に行けば拝めるし、プロのダンサーたちによる圧倒されるようなエネルギーを放つ踊りはCatsChicagoでみることができる。上記は全て「生もの」の講義のステージでは当たり前になってしまった。それぞれの効果を取り上げればそれはむしろ引き算演出の作品でも見受けることができる。

London のPiccadilly Theatre前

しかし、時は50年たっている。圧倒的な「全部盛り」だって革新に革新が重ねられている。現代の本気の「派手派手演出」はそんなものではない。2022年の私たちの派手派手演出のベンチマークはスーパーボールのハーフタイムショーやアイドルのドームツアーだ。Satineの登場シーンの派手派手衣装はブリトニーなみに露出しながら、BeyoncéDangerously in Loveのジャケ写を彷彿とさせるキラキラビジューだらけ。照明はマイケルやマドンナのコンサートばりに強いカラー照明をバッキバキにあてる。オペラ座でろうそくが置かれた地下室をみてかっこいい、と思ってた私たちは舞台上で無遠慮にバッチバチに上がる花火をみながら、「あれ、何でいままでこれってやられていなかったんだっけ?」と思っていることに気づく。そう、引き算のかっこいい舞台がセンスよく、お行儀よくシアターに連なっている間に、「全部盛り舞台」は更新されてきていなかった。無意識の中で演出の限界を更新していなかった自分を一瞬にして自覚させられ、見たこともないようなお祭り騒ぎをみせてくれる、それがMoulin Rougeである。

もう一点、圧倒的に素晴らしかったのが、音楽である。

Moulin Rougeはジュークボックスミュージカルである。オタクの皆様にはおなじみだが、ジュークボックスとは既存の曲を用いて、あとからそれに筋を宛書するミュージカルのジャンルだ。圧倒的に有名なのはMamma Mia、他にはBeautiful Carol King曲)、Tina Tina Turner曲)、最新のものだとMJMichael Jackson曲)が代表的なものとしてあげられるだろう。正直に告白すると私はJukebox Musicalが苦手だ。そもそも過去観たことがあるのもMamma Miaだけだ。それはJukebox作品の音楽は全く有機的にストーリーとつながってないからだ。製作過程を考えれば当然のことだ。既存の曲から作るため、Jukeboxはシーンや感情、セリフが強く制約を受ける。Mamma Miaも結構突拍子もない話だが、他の作品の多くも、どうしてもシーンが歌と歌を無理やりダラダラと繋げる助走のようになりがちだ。しかし、Moulin RougeJukeboxとしてその他の作品と大きく違う点が一つある。ここまで読んで気が付くひともいるかもしれないが、ほとんどのJuke Boxは単一歌手/グループのものに縛って劇中歌を決めているものが多い。多くの場合はその歌手へのオマージュや経緯を込めているものなので当然と言っちゃ当然だ。一方Moulin Rougeはあらゆる有名歌手から曲を引用している。それはいわば「平成最強ポップメドレー」なのだ。Whitney HoustonMadonnaにはじまり、Green DayBritney SpearsAdeleGagaと連なるセットリストはまさに私が人生の大半を過ごした平成を彩る青春ぶち上げメドレーだった(もちろん70年代くらい曲もあるのだが誤差として許してほしい)。ソロデビューをしたビヨンセが腰と拳を振りながら「かっけー!」と思った中学時代、何度闇落ちしても這い上がってくるブリトニーのToxicGreen Dayをアホみたいにみんな聞いていた高校時代、エッジを極限まで極めたGaga様が登場を飾った大学時代が曲とともに全身を駆け巡る。最後総立ちで客席中がジャンプと歓声で揺れるカーテンコールはもう10年分くらいの紅白を生でライブ鑑賞してる気分になって、本当に高まった。30年分のあらゆるポップスの名曲を詰め込んだらそれこそ陳腐なxxx歌謡祭ノリにもなりかねないのだが、それをうまくまとめ、本当にシーンごとにぴったりの曲をキュレーションしている音楽チームは圧倒的な手腕を持っていると言わざるを得ない。

終演後総立ちのカーテンコールの興奮冷めやらぬ劇場内

そして最後にMR!をすがすがしい鑑後感を成しているのが、「強よ強よガールズパワー」なストーリーの再解釈である。Moulin Rouge!は言わずとも知れた2001年のヒット映画である。原作映画もまた色々な芸術作品からの引用をしているが、その一つにCyrano Bergereacというフランスの古典演劇が挙げられる。特にRoxanneという曲はそのまま同作のヒロインを引用している。このCyrano Bergereac自体も広義のロミジュリ・ジャンルを構成しているといわれ、これ自体がかなわぬ恋ストーリーの翻案(アダプテーション)とされている。つらつらと古典作の名を色々と挙げたが、通底しているのは女性が綺麗な飾りものとして、恋や人生の主体性がほぼ男性にしか与えられていないことが挙げられる。映画Moulin Rouge!の場合もキャバレーの専属女優のSatineはあくまで花魁のように小屋やパトロンに所有され、終始彼女が「誰のものか」という観点で話は進む。彼女はあくまでか弱く、華美で切ない客体である。ミュージカル版MR!も基本的には映画の大筋のストーリーを踏襲しているのだが、その解釈は大きく異なる。舞台版においては、女性が圧倒的に強く、彼女たちが自らの選択を握りしめ、抑圧の中でもそれを「クソくらえ」を蹴飛ばしていた。例えば、Satineの登場シーン。Diamonds are a girls best Friend での幕開けは映画と共通しているのだが、そこから続くのはBeyoncéSingle Ladies。「私が欲しいならさっさと指輪もってきなさいよ」と挑発するSatineとダンサーたちは、Black Pantherに扮した2016年のBeyoncé自身のSuperbowlのパフォーマンスさながらだった。

BeyoncéとBruno Mars による2016年のSuperbowl Halftime show

Satineを買おうとする男爵との食事シーンに流れるのも映画のRoxanneから打って変わり、Lady GagaBad RomanceやブリトニーのToxicに合わせて女性たちがバッチバチに息が切れるまで踊る。こんなの恋じゃねぇよ、毒みたいなクソ男と言わんばかりのパフォーマンスが描くSatineや女性たちはもはやただ売られるのを待つ花魁のようなショーガールではなかった。不満には声をあげ、自分の価値はこれよ、と相手の顔面に突き付け、理不尽を蹴飛ばしかねないようなエンパワメントされた女性像がそこにはあった。映画では華美な女性ばかりが舞うダンサーシーンも、すっけすけのストリッパー男性が男女ロール逆転した形で女性とペアを組んでいたり、Lady Marmaladeを歌うDiva 4人衆も豊満なブラック女性や、華やかなドラァグがその一角を成しており、身体性をとっても自らにオーナーシップを持った女性像があふれんばかりに表現されていた。

開演前からずっと踊ってくれている強よ強よダンサーお姉さま

Moulin Rouge!は今や古くなってしまったミュージカルという芸術形態を、そして陳腐な女性像一気に現代に更新してくれる作品だ。元祖「全部盛り」芸術としてのミュージカルの2020年代の姿を、「こういうことでしょ」とマントを翻すようにいとも鮮やかに演出している。そして、平成を生きた私たちの青春、これからを強よ強よに生きていく私たちの背中をドンと蹴飛ばして、リズムをガンガン刻むBeyoncéのように勇気とともに前に送り出してくれる作品だ。

 


2022年1月12日水曜日

レマン湖の白鳥は冬やってくる

祖父が亡くなった。

数日前から携帯から目が離せない日が続いた。LINEの画面にぽっと浮かんだ母からのメッセージを見た時は驚きはなく、ただそうか今だったのかとおもいながら重い息をついた。身の回りを片付けたり、家族と連絡をとりながら、ふと急な空腹に追われた。なぜこんな時に、しかも日も変わった夜中に空腹を覚えるのか、自分でもその間の悪さと、場違いな様に乾いたような笑いが出る。明日のために作っておいたチキンカレーに火をかけ、冷凍ご飯をチンした。

 

役人をしていた祖父は日本からまだ外貨の持ち出し制限があるようなころ、ジュネーブに長期出張をしていたことがあり、ジュネーブで勤める私によく嬉しそうに思い出話をしてくれた。毎朝食べれるクロワッサンがそれはそれは美味しかったこと、羽目を外してフランス側シャモニーにスキーに出かけたらうっかり足を怪我してしまったこと。

 

熱々のチキンカレーにスプーンを沈め、はふはふ言いながら食べる。ガラムマサラを多めに入れたカレーのピリピリとした香りが空腹を埋めていく。

 

冬のジュネーブにはレマン湖に越冬しにきた大きな白鳥がいるよね。こっぺは湖のどちら側に住んでるの?私が普段歩き、目にする景色を鮮明に思い描けるというだけで、東京で仕事をしていた頃よりも私の仕事を身近に感じてくれていた気がする。

 

熱々のカレーをまた口に運ぶ。

数日前からできている口内炎が染みる。

 

祖父は家事をすべからく自分でできるかといえばそんなことはないし、ポリティカリー・コレクトではない言い方をしてしまうことはなくなはなかったが、少なくとも孫の私に対して女性だからと振る舞うことは全くなかった。いつでも「しっかり頑張りなさいね」と仕事をする私を激励してくれた。最後に言葉を交わした時も、私がきたとわかると手を握って、「しっかり頑張んなさいよ」と優しく言った。

 

最近はめっきり人に「頑張って」ということが減った。その言葉が呪縛となって、辛い思いをする人があまりにも多く、頑張れという言葉が肩にのしかかり、相手を地面にじりじりと沈めてしまうのではないかということの方が心配だからだ。一生懸命な人、辛い境地にいる人、踏ん張り時な人をみれば見るほど、張り詰めた気を抜いてほしくて、「のんびりね」「いつでもやめていいからね」という事の方が多くなった。

 

でも、祖父の「頑張りなさいね」は不思議とそんなプレッシャーは感じさせることはなかった。とてもオープンな考えであることに加えて、超がつくほどポジティプ思考な祖父は、親や祖母が心配しているときも、私や他の孫たちをみても「まぁ大丈夫だろう」という圧倒的な自信と安心が感じられた。祖父の言う「頑張れ」は「辛くても、歯を食いしばって頑張れ」ということではなく、「何をしたってどうにかなるんだから、歩きたい方向に歩くことを応援してる」という意味だったと私は受け取っている。果てしなく辛い環境にいたらきっとすぐに辞めてもいいと言う人だったし、それも含めて、自分の思うことに自信をもって、行動に移す勇気をもっていい。そんな「頑張りなさいね」だった気がしている。

 

亡くなるほんの2週間ほど前に祖父と話していたとき、ふと祖父は「こっぺの仕事は世界の人のためになってるんだから」と言った。今の自分の仕事があまりに取るに足らないような矮小さで、恥ずかしさで隠れたくなった。私なんて組織の末端の末端しかも、支援の場からは距離がありすぎて、私が明日からいなくなっても世界の平和と厚生には微塵の影響もない。援助という行為事態、あまりに多くの難しさを抱えており、私は世の中のただの中間搾取だと感じることも多い。世界のためになる仕事をしていると言うことは慚愧に堪えない。私がこの仕事をしているということで胸を張れることがあるとすれば、こうやって祖父が「うちの孫はジュネーブで世界の人のためになる仕事をしている」と思ってくれることそれ自体だったかもしれない。

 

「頑張るね、おじいちゃん。私はこれからもっともっと世界の人のためになる仕事をするね」なんて言うことはあまりに陳腐で、そんな自分自身にもわからないことを言うことは傲慢すぎてできないけれど、祖父が誇らしく、今以上に誇らしく思える仕事はしていきたいなと思った。

 

電線につもった雪が暗い空に白く網のように張り巡らされてるのをみながら、サクサクと雪を踏み締めた。東京には珍しいほどに雪が降りしきる日でした。


冬の間レマン湖にやってくる白鳥たち

2021年8月23日月曜日

彼女が心痛めるその貧困はどこに

先日ジュネ友たちと例によって仕事終わりにグダグダとご飯を食べながら、あれやこれやを話していた時だ。話は旅行をしばらくできていないみたいな話題に及び、私は友人たちに好きな旅行先、または恋しくなる旅行先はあるかと聞かれた。私はこの質問を聞かれたときにいつもそう答える通りに、「それはやっぱりイランだなぁ」と答えた。もちろん大好きな旅行先はいくつもあるけれど、イランに魅了された2度の旅行以来、私は過小評価されすぎなイランの名前を必ず出すことにしている。


かつて「世界の半分」とも言われたイランの古都エスファハーン

もちろん友人たちには何故イランがいいのかと聞かれた。私は過去の投稿でも話している通り、それはイランの人が国をあげて旅行者としてのわたしたちを歓迎してくれたからだ、と答えた。外の人がめったにこない数十人の村で受けるような歓待を、他人に対する無関心が染みついていてよいはずの大都市に行っても受ける。それがあまりにも特異だと話した。そしてそれは、外の人が目にするイランについてのハイポリティクスのイメージ(その多くは反米的な政権、核開発、経済制裁の話だ)からはあまりにかけ離れていて、私はそのイメージを気持ちよく覆される場所としてもイランは素敵な旅行先だ、と自信をもっていった。


それに対して、友人の一人は言った。「でもどんなに人は親切で、ハイポリティクスと市民生活は関係ないと言っても、抑圧を目の前で目にして心が痛まないの?」
一瞬私はなにを聞かれているのかわからなかった。あきらかに困惑した顔をしていたであろう私の顔をまっすぐ見ながら彼女は続けた。「だって、イランにいったら女性はみんなブルカでしょ?それを見てこの国で受けている抑圧に心が痛むでしょ。」
まず、初めにことわっておくとイランでよく目にするのはブルカではない。ブルカは顔まですべて覆っている衣服で、主にアフガニスタンなどで着られることが多い。私の限られた知識と理解では、イランで最も皮膚を出さない衣服として多く着られているのは顔の正面だけを出している、ニカーブやチャドルだ。
彼女がブルカとすぐに言ったことにも驚いたが、そのことはとりあえず置いておいて私は返した。
「でもイランではスカーフを巻くのが法律できまっているからね。もちろん女性はみんなスカーフを巻いてるけど、体すべてを覆っている人が多いどころか、本来一番隠さなきゃいけない髪もガンガン出ている人がむしろ多くて抑圧で胸が痛くなるっていう光景ではないよ」


「でも、インドで貧困にあえぐ人をみたら、胸が痛むでしょ。それと同じよハイポリティクスに関係あるもの、目の前の女性の抑圧は。」


何度かこのやり取りを繰り返したが、堂々めぐりで議論は熱を帯びるばかりだったので、私は早々にこの話を切り上げた。


アフガニスタンとの国境の街でお邪魔したサフラン商人の家。イラン人のお宅はどこもびっくりするほどめっちゃめめちゃきれいである


でも、はっきり言ってショックだった。この街で同志と思ってきた人のソーシャルバブルではめったに聞くとのなかった暴力的な他者化と想像力の放棄を久しぶりに突き付けられた。彼女の指す「インドで貧困であえぐ人」とは誰の事なのだろうか。


世の中ではもちろん9%、6億人以上が絶対的貧困の中で暮らしている。インドで絶対的貧困下で暮らす人は約3億の人にも上る。私は自分がその貧困が課す苦しみに無関心だと言いたいわけではない。例えば、私が心を痛める貧困を映す光景として彼女の言葉を聞いて瞬時に思い浮かべたのは、あまりにも有名なケビン・カーターの「ハゲワシと少女」の写真だ。あれこそ貧困にあえぎ、食料が得られないばかりか今にも食糧になり果てようとしている子供の辛いシーンを切り取っている。また、イエメンで支援が十分に届かず、栄養失調の子どもの姿だ。あれも圧倒的な貧困を映した画だし、心が痛む。しかし、旅行先で訪れたインドで私たちが人々が貧困にあえぐ姿を目にすることは果たしてあるだろうか。私は大学在学時に開発経済の先生にくっついてスラムにホームステイさせてもらったことがある。私の同窓である読者たちにとってはあまりになじみ深く定番すぎる引用でいささか恥ずかしいくらいだが。彼らは某東南アジアの国で間違いなく最も多面的な貧困に苦しんでいるコミュニティの一つだった。しかし、私が彼らをみて心を痛めるかといわれると自分の前に広がっているのは与えられた状況で何とかやっている人たちなのである。私が最も滞在中にハッとさせられたのは、ハエのたかる生肉を切った肉切り包丁でそのままチューペットの口を切り、幼児にそのまま渡した瞬間だった。そのときみた衛生観念の欠落と、それがもたらす脆弱性、情報(広くは教育)がいかに人をレジリエントにするかを生で感じた。しかし、それは目の前の苦しい状況に心を痛め涙を流す状況とは明らかに違う。たとえ国に3億人絶対的貧困人口がいても、今にも人が死にそうで苦しむ姿を見ることは容易ではない。今にも人が死にそうな状況というのはある極限状態であるか(戦地のイエメンのように)、日常のある瞬間的な危機状況を切り取った瞬間(ハゲタカと少女のように)だ。例えば、上記の不衛生なチューペットをしゃぶった幼児がその直後下痢でなくなったら私はひどくショックだったろうし、かなりつらかったと思う。しかし、旅行で行った先で、戦地を縦断をかいくぐりながら歩くことや、今にも死にそうな子を目にすることはどれだけあるだろう・・・。



インドで貧困にあえぐ人、と言った彼女は、インドには行ったことがない。イランにも行ったことがない。行ったことのないインドで歩きながら横でバタバタ人が倒れていることを想像しているか(切り取ったような危機が常態化している)、またはただただその日を送っていかなきゃいけない人たちの日常に対して自分の定義する健康で理想的な生活を重ね、その乖離に自己中心的な涙を流している(自分の尺度で相手の辛さを判断している)、のではないだろうか。


地元の茶屋でシーシャをくゆらせるひとたち

話をイランに戻すとことはより鮮明に映る。イランではもちろんスカーフを被ることが法律で決まっているし、それは女性に対する権利の制約が政権の考え方を反映している。しかし、それで横にいる私たちは胸を痛め涙を流すだろうか。それは程度問題でどこだって、制約はある。日本のジェンダー不平等は世界でなかなか類をみないぐらい酷いし、労働倫理もなかなかに劣悪な状態だ。じゃあ、彼女は日本にきてヒールを履く女性をみて「女性性に対する抑圧の象徴だ」といって胸を痛め、過剰サービスなコンビニ店員をみて「低賃金の過重労働だ」と辛さにコンビニアイスを握りしめるのだろうか。私はもちろんイランで女性が裁判で不当な判決をうけたとして平等や公正を求めていたらそれには連帯したいし、インドで下痢でなくなる子が減るように上下水道を整備する案があったらそれには賛同を示したい。


ムスリムの女性も実は不自由を望んでいる、あれは男性による加護の印であり、彼女らは満足している!とか、それを抑圧と決めつけるのは西洋の横暴だ!、とかそんな稚拙なことを言うつもりはない。どこにだっていろんなものを好む人はいるし、それはインドだって、日本だって、イランだってそうだが、そんなこと当たり前で議論の余地もない。私が聞く限りイランでも多くの女性はスカーフの法律をうざいと思ってるし、かったるいと思っている。政権めんどくさいなぁ、変わらないかなぁとも思っている。でも、人がただ送る日常を一気に客体化して、横で勝手に「あなたをみて辛いわぁ」というのはあまりにも暴力的だし、横暴で、その人にとってはそれが最も失礼な行為だと思う。


なぜかナスだけを売ってるナスおじさん

私も日本のジェンダーギャップにはイラついているし、労働倫理もクソだと思っているが、私の結婚後の新姓をみて、「あなたも改姓させられたのね、なんて抑圧!かわいそう!」と目の前でハンカチをぬらされたら、え、ちょっと私いま可哀そう?って言われてる?勝手に可哀そうな人にされた?と困惑するし、なんなら結構腹が立つと思う。もし冒頭のジュネ友がイランを路上のかしこで人が鞭打ちにされているような惨状だと想像していないのだとしたら、そのただただそこにある制約の下暮らしている人に対して自分の価値で哀れみを表明するのは私には暴力だと感じられた。


もちろん、より構造的な問題として、自由の抑圧化が制度化されていたり、そのような抑圧がいちいち「苦しい」と感じないほどに常態化しているイランの状況は気がかりだ。衣服を制限されるのだって十分イライラするが、それにとどまることなくあらゆる面で女性たちが、市民が「日常」として自由の制約に耐えなければいけないのは個人の生活や人生の選択肢を奪うどころか、フィードバックメカニズムの欠如はより大きな悲劇をもたらす危険性を常に抱えている。その困難を打破するための市民のレジスタンスには私は連帯を示したいし、外部がサポートを差し伸べたり、共感することは暴力どころかむしろ重要なことであるとも思う。


大事なのは共感は、「共に」「感じて」いるから共感ということだ。至極当たり前なことだが、当事者の心が動いているタイミングでそれを想像し寄り添うからこそ、共感になるのであり、いつでもいいからと当事者の状態もみずに、勝手に何かを感じて表明をすることは共感ではない。いつ示すかによって同じ感情も共感になったり、独善的なステートメントになったりする。だから旅行先で道行く人などというほとんどコンテキストが与えられていない人に対して示せる共感なんて「今日はみんな暑くて大変だよね」くらいだと思う。文化に優劣はない、ある文化の基準でその他の文化を判断することはすべきではない、というオリエンタリズムのレッドラインは多文化の中で生きるにはイロハ中のイロハだ。自分のサバイバルのためにも意識を張っている人は多い。しかし、共感を示したつもりが独善的なステートメントになるリスクは寄り添おうとした故起きる齟齬であるためなかなかその暴力性に気が付くのが難しいのかもしれない。連帯したいと思っている相手を一気に客体におしやり他者化してしまうという、とても不幸な暴力を自分自身が起こさないためにも、問うてほしい。「あなたが心を痛めるその不幸はどこに」。


バーベキューした先で一緒にお花摘みをしたおばちゃま。原っぱでお花を探してルンルンしてて最高にかわいかった


2021年5月6日木曜日

国際機関就活と臆病でマッチョになりたいわたし

 国際機関への入り方はについてよく聞かれる。

JPOのような指定校推薦的な制度については散々語り尽くされているが、若手選抜枠の先に公募で仕事をつないでいくって結局どういうことなのか。

国際機関とは一般的にアカデミアと同じように、短期契約をつないでいく世界である。特定の役職に空席がでた、もしくは新しく役職が新設されると、組織のリクルーティングサイトに公募がだされ、それを閲覧した人たちがこぞって応募書類を提出し、その後選ばれた人たちが、面接を経て職を得る。場合によっては試験を課すところもある。

さて、公募の競争で選ばれるとはとんでもないことである、と最初に言っておく。
私は一つ前のポジションで採用側にもまわったが、一人のポジションに対して応募は100を超えた。これでも少ない方だと思う。この中で私たちが最終的に選んだ部下さんは本当にとてつもなく優秀だった。あの中で光る一人に選ばれるのは本当に大変だ。

ではどうやったら生き残れるか。数百分の1の賭けに毎回出て連勝を収めるのはきつい。自分より少しでもよくできる人、よくパフォーマンスできる人がいた時点でどんなに自分が優れていてもゲームオーバーだからだ。

答えは、プレイするゲームを競争ゲームじゃなくするということである。具体的に方法は3つ。1)出来レースをつくること、2)自分でプロジェクトをたちあげること、もしくは3)自分でポジションをつくること。

1)は既存のポジションを出来レース状態にもっていくことだ。これはアカデミアでもよくあることだと思う。
・仲良くした上司が別の部署・事務所にいったときに、そこでの公募を通して、一緒にお供させてもらう。
・一緒に仕事をした別のマネージャーから見染められて、そこの部署が出した公募を通して採ってもらう。
・ドナーに評価されることで、彼らが自分に組織内にいてほしい、という意向を示して特定の公募で通りやすくしてもらう
などなどパターンは色々だが、要は意思決定権がある人と懇意にする、評価されることで、
タイミングよく出た公募のポジションで、有利にしてもらう、ということだ。

2)自分でプロジェクトをつくること
今や国際機関で働く大半の職員はフィールド(途上国の現場)で働いている。
ほとんどのフィールドワーカーにとってはこの手段が最も身近で現実的であるとおもう。
国際機関がいまや政府の下請けコンサルのようであるということは先の投稿でも述べた。
資金のほとんどが義務的拠出金ではなく、プロジェクト委託費である現在、国際機関のピープルマネジメントの最も大きな制約の一つは人件費だ。
コンサル業を経験したことがある人は、6割以上の職員が特定のプロジェクトの人件費で雇われている状況を想像してほしい。
「あなたのことは本当に評価しているし、いてほしい。でも・・・うちの事務所は今カツカツなのよ」
こんなセリフはあなたがフィールドで働く国際機関職員なら、聞きなれたセリフだろう。

この状況を逆に最大限に利用した方法が、プロジェクトを自分でつくる、という手段だ。
つまり、ドナーに営業をかけて、とってきたプロジェクトの人件費で自分を雇う。
これは最も自分にコントロールの効く就活方法だ。

なぜなら
・オフィスは大抵年から年中プロジェクト・プロポーザルをかいており、むしろその人手はたりない。
・自らの通常業務をやっていれば、「私営業かけるんで!」というのを止めるマネージャーはなかなかおらず、むしろ歓迎される。
・自らプロポーザルをかけば想定されるスタッフの専門性や、何人どの職位で人をつけるかも(少なくとも一次案は)計画できる。
・ドナーと自ら責任者として話を握りに行けば、プロジェクトの委託が決まった時に、自分が体制にいることを対外的に前提にするように持ち込むこともできる。
・一度失敗しても営業をかける機会はいくらでもあるので、何度だって挑戦できる。

逆にリスクは
・今の国、事務所(風土気候があわない、パワハラが横行してる等)があまり自分に合わない場合、別のオフィスのプロジェクトをたてるのは管轄的に難しい。強いていえば広域プロジェクトを立てることは可能。
・マネージャーや事務所長がパワーフリークだった場合に、それはそれ、これはこれ、で結局プロジェクトを立ち上げたのは自分でも人繰りは全部直接ぐいぐい手を回してきて、気づいたら人事上のコントロールがなかった。(1年分の人件費をくんだはずなのに、同じ役職の人を二人に増やして半年しか延命できなかった、そもそも自分が同プロジェクトの人材にはいってなかった)。
・大きなオフィスだと、ひたすら営業する営業部隊と実行部隊が分かれていることがある。その場合営業部隊としてプロポーザルを書いても、結局100%実行部隊に人件費をもっていかれてしまう、または実行部隊だから営業資料書かせてもらえない(これは稀)等の部署間の分業問題に阻まれる。
・結局プロジェクト費を充てるので、そのプロジェクト期間中しか延命できない。

だが、多分これが普段のルーティンワークから最も遠くない方法で、
自分でイニシアチブを握って就活をする方法ではある。

さて、私は実は前職では3つ目の方法を試した。
それは
3)自分でポジションをつくること
である。
ここでポジションをつくるといったときそれはプロジェクト費を用いた2)の方法ではなく、
それは基幹予算(Core Budget)をもちいたプロジェクトに紐づかない予算を用いた正規ポストである。通常これは、一番難易度が高く、リスクが高すぎるといわれる就活手段である。
それはそうだ。
国際機関の非プロジェクト予算(義務的拠出+間接費)の割合が年々減っていくなかで、
多くの組織では、もともとは基幹予算を使って雇っていた正規ポストを切る話のほうがもっぱら耳にする。
これまであった正規ポスト数をぐっと減らしたり、柔軟に取り潰しや復活が利くプロジェクト費に切り替えたり、とことがどこの組織でも日々行われている。
よほどのことがない限り、新しいポストなんてつくらない。

なぜ私がそれでもこの手段を選んだのは以下の理由からだ
・本部所属であったため、そもそもプロジェクトが著しく少なく、そもそもドナーもプロジェクトをほとんどつけてくれない
(中央集権的にプロマネしている組織はもう少し状況は違うと思われる)
・本部の職域上、民間企業でいうところの経営企画職にいたので、そもそもプロジェクトが立てにくい。
(組織の中計の立案支援、とかプロジェクトにするのはかなりむずかしい。ドナーからすると何の委託やねんこれ問題が発生する)
・直属のボスがとっても偉い人だったので、組織全体の予算プロセスに噛んでいた。


あとはこれが一番大事なのだが、

仲のいい社内の友人がこの手段に成功していたのでガンガン入れ知恵してくれた←!!

社内に精通している友人は本当に大事・・・。
このジュネ友、本当に個性的で私のジュネでのキャリア上も生活上も不可欠な人なので、もっと語りたいところですが、
その話はまた別の機会に。

ここまでが国際機関の主要3つの就活方法。
ここからは3)を選んだ私のその後の話である。
実際ポジションをつくるときってどんな状況なの、ということ、
その先私自身の場合どうなったの、という話。
半分以上は小話として読み飛ばしてくれればと思う。

上記のジュネ友とお弁当しながら(ジュネーブは不味くて物価が高いので我々みんなお弁当です)
来年どうしよっかなーと私がつぶやいていると、
あんたもこうすればいい、と自分の時のことをあれこれと教えてくれる。
重要なことをまとめると要はこういうことであった。

・組織の予算のスケジュールとステップを完全に把握する(これが最も大事)
・自分のボスに残留意向をつたえ、自分の部署に人件費の予算マージンがないか単刀直入に聞く
・予算ステップのラウンドのどの段階でどの粒度のものをボスが提出するか把握し、どこまでどんな承認が通ったかポイントポイントで確認し、上記相談を根気よくつづける

自分で改めて書いていて思ったが、
自分のボスとかなり関係構築ができていて、いろんなことがざっくばらんに話せるのが結構大事な前提条件ですね。
うちのボスはあまり馴れ合いとか、わちゃわちゃした公私混同の関係を好かない人で、結構業務上は業務上の関係、コミュニケーションはオブラートなしに簡潔にみたいなタイプ(要はちょっと社交ではコミュ障タイプ。親近感・・・!)だったので、逆にこういうことは正面切って話しやすかった気がします。

加えて、小間使いのようには働いていた私が残ることで一番得するのははっきりいってボスで、そのボスが部署の予算案決定権をもっていたのはとても大きかった。
最終的に自分の部下の管轄範囲だけやる人より、自分に直接くっついて色々やっているくれる人がいたほうが彼女も楽だから。

ボスへの相談は最初は「できたらねー」「どうなるかねー」
みたいなかんじだったのが、気づいたら「部長さん会議にこういう職務内容で予算もう決めちゃうって通しちゃうから」
になっていて、心配していたのに正直拍子抜けした。

気づけば職務内容にほかの人にあまりないような私の技術が特記されていて(この技術を持っている人は優先されますとあった)
もう勝った、と思った。完全にポジションを作れたし、公募で競争しなければいけないにせよ、出来レースだと思った。
また、その職位につける最年少の年次ではっきりいって浮かれていた。

ただ、最後の最後で誤算が生じた。
それはボスの異動である。
ボスが急遽別のオフィスに異動することになった。
ボスは自分が最後まで選考プロセスに関われないかもしれない、というリスクを見越して
自分の部長級の部下に選考を任せた。

結果、任された部長はボスがどうせもう自分の上司ではなくなるし、と彼女を見限って、
自分の好きなように別の人を選んだ。
私は結果を正式な発表よりも前にボスの驚いたメールを通じて知った。
「本当に私もびっくりしたんだけど」から始まるそのメールを読んで私は放心状態になった。
一番つらかったのはそれまで毎日一緒に仕事をしており、本当に慕っていた先輩がその選考パネルの中にいながらも、その状況に対して何もアクションをとらず、私以外が選考されていくのをただただ見ていたことである。
ポスト作る就活、また前述の出来レースに持ち込むパターンの場合、つらいのは
手違いがおきたときに、それを訴え出てどうにかする手段がないことである。
なぜなら公募による選考は「自由な競争によるもので、選考パネルが決めるはずのものだから」である。

「何言ってるの?これ私が受かるはずのポジションでしょ?」

といいに行く場所はない。
政治的にポジションを決めにいこうとしていたのはこっちだからである。
それが裏をかかれて、別の人の政治に覆されてしまったときに、相当大事にして人事や倫理委員会を巻き込んで「いかに自分の方が優れていて落ちるはずがないか」などと傲慢きわまりないと思われるプロセスを踏まない限り、不当性を訴え出ることはむずかしい。

仲良くしていた先輩は無垢すぎた。
とまわりの仲のいいひとたちからは言われた。
部長は自分の都合に融通できそうな人を選び、いろいろと私に難癖をつけた。
無垢な彼女は本当にそれを真に受けた、と。
ボスは何かこういうことが起こったときのために先輩を送り込んでいたのに、その何かが本当におこってしまったときに、公正明大な彼女は、「それでもこれをパネルの外に漏らしてはいけない」とボスに報告しなかった。
ボスも私と同じくらいつらかったと思う。
信頼して託した部長には裏切られ、念のために同席してもらった先輩は期待どおりに動いてくれず。

かくして、私は自分の契約が切れる5日前になぜか職に就きもするまえに次の職から失業した。しかも、一番信頼していた先輩が私よりずっとふさわしい人がいる、という部長の話に説得されてしまったこと、彼女に直接いろいろ尋ねても「これは公正な選考だったから」と半ば怒り気味にいって言われたことで、本当に傷ついた。
それまで先輩は私が思い描く上司の鏡だと思っていただけに、なおさらショックは大きかった。「だからやっぱり私は職場の人と仲良くなるのはやめよう」と人間不信になりかけた。
そしてそんな混乱と傷心のなか、別のポジションに急遽不時着し、そこで起きたのが先の投稿にかいた、新しい上司のハラスメントだった。

今までだって、ゆるやかな鬱っぽい症状や、心理的な理由による体調不良は経験したことはあったけど、こんなにいきなり頭に隕石をドッジボールのようにぶつけられたことは初めてで、約一年前の私は心身の健康に相当な支障をきたした。1年以上前から準備してきた就活が人間関係もぶちこわしながらだめになり、不時着した別のポジションが、まさにCrash landing onやばい上司で、しかも相談した先の人事がパワハラだった。
我ながらアメリカのわざとらしいオフィスドラマだって、こんなことが4週連続立て続けに起こったら、「ありえなさすぎて、うそっぽい」と笑ってチャンネルを変えると思った。

でもチャンネルを変えられないのが人生というやつだ。

国際機関はそんなに倍率の高い選考を勝ち上がっていて雲の上の存在しかなれない、
何度も何度も就活をするとか、終身雇用の方がよほどよい、

こうした話は今でもよく耳にするが、
私は選考はゲームへの戦略次第だとおもうし、
就寝雇用の下、勝手に望まぬ配属に付き合ってる方が辛い、とは本気で思う。

しかし、この業界で就活をつづけるということは上記のようなアメリカドラマ以上のアップダウンに巻き込まれる可能性はいつだってはらんではいる。
本来は配属のほうがよほどコントロールが効かないはずなのに、
こんなにもショックなのは、コントロールがある程度効くからだと思う。
それは自分の毎ステップにオーナーシップを持つと決めたことで伴う必要経費なのかもしれない。

よく、自分や家族との生活に自由を勝ち取るために実力で殴り勝ちに行けるようになりたい。そのためにレベルアップを常にしたい、と言ってきた。
それはとてもマッチョな言い草に聞こえるかもしれないけれど、
実は、去年の私のような心の軟な部分をザクザクと刺される経験をしたくないというのがその本心だ。

臆病で傷つきやすい自分を守るために、喧嘩なんて吹っ掛けられないかっこいいマッチョになりたい。


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