5月にニューヨークに行った。実際用事があったのは私のパートナーだけで、それをよい口実に私と子はノコノコとついていった。
同時に日本では「海外志向」「国際的な人材」などと陳腐な言葉を枕につけられてきた私はとことんアメリカに縁がない。滞在国もアジアやヨーロッパに寄っているし、旅行先も中東やアフリカにはいっても、アメリカにはほぼ出張でしかいったことがない。いままでのプライベートのアメリカ滞在はすべて別の目的地への乗り換えにかこつけて滞在をのばしたパターンで、今回はじめてアメリカを私費で「アメリカ旅行」をした。
アメリカ英語で育っているので、私の英語は鼻につくほどアメリカンなのだが、私にとってアメリカはちかくて、遠い場所である。
そんなアメリカで何をしたの?と聞かれたら私は迷わず「アイスコーヒーと観劇をたのしみにきた」というと思う。私のミュージカル好きは散々レビューなどでも語ってきているので、ここであえてまたダラダラと書くことは不要だろう。
アイスコーヒーはアメリカの飲み物だということを知らない人は多い。アジア特に常夏の国や日本みたいに酷暑に見舞われる国にいけば今は大抵アイスコーヒーがおいしく飲めるが(額に汗をたらしながら、ベトナムの練乳いりのアイスコーヒーを流し込むのはいつだって最高だ)、ヨーロッパでアイスコーヒーはまだまだ珍しい。
軽く調べると、どうやら1920代にアメリカのファストフードチェーンが流行らせたらしいのだが、おいしいコーヒーを愛するヨーロッパで、コーヒーとはどんなに外が暑くてもあくまで熱々で飲むものだ。朝はカフェオレをボウルサイズで飲むフランス人も、一日中バルでエスプレッソをくい飲みするイタリア人もアイスコーヒーにストローを刺して飲んでいる人はほとんどみかけない。温暖化の影響か最近は東京に負けないくらい熱く、エアコンさえないヨーロッパで、私は夏はアイスコーヒーを常に渇望してるのだが、行き当たりばったりのカフェやバルにはいっても、「まぁつくれるけど・・・」と変な顔をされて、カップチーノのなかに氷を落としたなぞのぬるいアワアワを出されることが多い。なぜかと聞かれると難しいが、たぶん熱々にあっためたオレンジジュースを私たちが妙にかんじるように、彼らにとってコーヒーとは熱いものなのだ。
そんなわけでアメリカで私が楽しみにしてたのはアイスコーヒーだ。近々に冷えたおいしいアイスラテを毎日のむことが私がアメリカで楽しみにしていたことだ。
先にも書いたが、そんなアメリカは私にとってとてもforeignな場所だ。私もパートナーもそれなりにいろんなところにプライベートでも出張でもいってきたが、アメリカ滞在の最初の24時間ほどどっとつかれる経験はなかなか過去にしたことがない。まだ子連れ旅行初心者なので、今回のアメリカ滞在も事前にパートナーが入念に準備をしてくれた。それが出発前日に滞在ホテルから急にキャンセルをくらった。すでに子どものオムツもミルクも送り付けていたのでこれはめんどくさい。幸い徒歩すぐ近くのホテルに空きが急にでたので、路頭に迷うことはならなかったが、子の物資をどうにかしなければならない。
ついて初日、早速友人に軽く会う用があったため、ホテルから20分ほどの場所にある彼女宅にでかけた。行きはよかった。ホテルの近くから出てるメトロで二駅ほどだ。運よくエレベーターもあって、ベビーカーでも困らなかった。問題は帰路だった。翌日からパートナーは仕事だったので、私たちは夕方日が暮れるまえには帰路に就いた。しかし、行きはのってこれたメトロが逆方向は今日運行していないという。友人宅はManhattanとQueensの間のRoosevelt Islandという小さな島にあったので、次の代替案はロープウェーだった。ロープウェーは動いていた。しかし券売機はこわれていて、切符が買えない。しかも係の人もおらず、ベビーカー用の扉もあけてもらえない。どうしようかとしばらく周りを見渡したが、事態はかわらず、周りの人たちはつぎつぎと柵を超えて無賃乗車をしていく。各国無賃乗車は多いが、こそこそとやるでもなく、走り抜けるように柵をこえていくわけでもなく、白昼堂々当然のように無賃でのり、周りがだれもそれを気に留めようとしない光景は結構異様にうつった。そういえば、行きのメトロも構内で生活している麻薬中毒者とおもわれるひとがずっと車いす用の扉をあけて人の無賃乗車を手伝っていた。よこにはしっかり駅員がいる。なぜそれが堂々と行われているかわからない。むしろなぜほかの人たちが切符を買っているのかがわからなくなってくる。そこまでアナーキーな場所は他国だと結構激烈に治安が悪い場所だが、ニューヨークにおいてはそうではないらしい・・・。メトロとロープウェイの道を断たれた私たちは次にバスをまってみた。しかし30分まっても予定のバスがこない。あきらめて徒歩で橋をわたろうとしたが、橋にあがるエレベーターが閉まっていた。もうあたりは暗くなってきて、日中は25度ほどあった気温も一気にさがってきた。日が暮れる前には帰るはずだった私たちの格好は明らかに薄着すぎた。子の体温がさがってしまうのが心配になって、だんだん私は不安に駆られてきた。歩いたら25分ほどの道が帰れない。
その後配車アプリもなぜか初期登録ができず、本当にこころが折れそうになったが、なんとか複数の端末やアプリを駆使して家には帰れた。既に疲労困憊だったが、パートナーはそこから元のホテルに子の物資をとりにいってくれた。するとホテルはなんと軍に統制されていた。パートナーは相当不審がられたあとに困惑のなか、おむつだけ渡されて返ってきた。同じく送り付けていたミルクは返ってこなかった。
曲がるたびに治安も町模様もかわる、一度曲がればジュネーブがナイロビになり、バンコクがムンバイになる。無賃乗車含めみんな好きなことをしている。頭のなかの警戒やattentionのスイッチをしょっちゅう切り替えなきゃいけなくて、それがとても疲れた。それが私がアメリカに向いていないところなんだと思う。よくアメリカで花開いた人たちはいう、「ものすごいエネルギーなの!わくわくするし、誰がなにをやっていても気にしない。だから自由になれる」でもきっと私たちはその過多なエネルギーをもとめていないんだと思う。
翌日友人と会っていて、軍に制圧されていたホテルの事情がわかった。一夜にしてそのホテルはベネズエラ難民のシェルターになっていた。ベネズエラは4年前から経済危機で大量の難民が隣国や中米・北米に押し寄せている。ここまでは仕事柄知っていた。知らなかったのはアメリカの国内事情だ。ラテンアメリカに近く、且つ保守で移民排斥派が多いフロリダやテキサス等の州がそんなに国としてリベラル派が難民をうけいれるっていうなら、俺らばっかりにそのコストを払わせるなよ、くれてやるよ、といって数万の単位で予告なしにバスで自国にたどりついた難民をニューヨークに送り込んでいるらしい・・・。
https://www.npr.org/2023/03/13/1163068984/migrants-bussed-new-york-crisis-adams-asylum-biden-border-brooklyn-ruiz
ニューヨーク州は、州法でより手厚い難民保護の規定を設けているため、シェルターを提供する義務がある。バスで急にニューヨークのど真ん中に置き去りにされた難民たちをみつけてはホテルから客をだしてそこをシェルターにし、ニューヨーク州と軍がそれらの人々をかくまっているらしい・・・。
ニューヨークの一角でみたようなカオスは国全体でも体現されている。フロリダやテキサスの様に無賃乗車のような好き放題をする人もいれば、そのよこで、観光客を追い出してでも、すぐ人々かくまうニューヨーク州もあるのがアメリカだ。見つからなかったミルクを私は翌日もう一度探しに行った。すでにホテルには大量の難民の人が到着していて、彼らが名前の登録をしたり、物資をもらいにきていた。
受付がわりのテーブルの前で順番をまっていると、気だるそうな顔をした女性軍人が、よこの同僚を肘で軽くこづきながら、アゴでわたしをさしていった「なに、こいつ新しくきたやつ?」あまりにも露骨に失礼だったので、目の前の私が英語もわかるはずがない難民だと決めつけていたことに気づいたときはびっくりした。改めてミルクが届いているはずであることを伝えると「なんか誰か来てんだけどー」と言わんばかりにバックヤードにこえをかける。ちなみに彼女自身の名札もラテン系、その横の同僚は南アジア系の方だった。その後奥から人が順番に二人でてきて、最終的に対応してくれた明らかに管理職で、とても丁寧に私の連絡先まできいて、ミルクがみつからないことを詫びたあとに、みつかったら必ず連絡するといってくれた。現場のアメリカ軍人3階層と話したわけだが、ここでも階層があがるたびに見るからに品位も知性も露骨にあがっていくことも実にヒエラルキーの強いアメリカだった。
アメリカで生きていくことは簡単ではないし、とてつもないエネルギーが必要なことである、と「初アメリカ旅行」をした私は改めておもった。そのエネルギーが負のものだけでないこともまたアメリカだ。カオスのなかで不快感と不安も死ぬほどあるが、それと同じくらいあらゆるベクトルにエネルギーを放っている。ベビーカーを押していると”Im walking on this mothafucking road”と歌いながらあるくおっさんがいたり、公営住宅の横のみちでは道の向こう側からうちの子を刺して “So chunky, so CUTE!!!!”と拳をあげて叫んでくれるニカッと笑うイケイケの黒人のお兄さんがいる。滞在中に5月を迎えたニューヨークでは、カフェに入るとドレッドの定員さんがレインボーフラッグを頭にぶっ刺してる。グッゲンハイム美術館でおしゃれすぎるフランス人老夫婦に話しかけられて、そっかお互いヨーロッパからきたんだね、って話したかと思えば、船にいっぱいにのった大きな襟と低いポニーテールをさげたオーソドックスユダヤの女学生たちが興味深そうに私たちを見下ろしながら、ちっちゃく手を振っていたりする。
そのカオスとともに渦巻くエネルギーを外に放ちながら成長と変化を続けているのが、この国なんだとおもう。根っからの陰キャの私にはまだこの国に住む想像はむずかしいけど、またおいしいアイスコーヒーを飲みたくなったらここに来ようとおもった。