2015年12月14日月曜日

Chicago

今年のミュージカル納めはChicago。シアターオーブの気合いの入った2015年ラインアップの締め。去年来日が決まった時から楽しみにしていた公演。






Chicagoは多くの人と同じように映画をみて初めて知った。ゼルウィガーの刺すようなかっこよさにしびれた。曲はもちろん全部知っているし、中学からずっと聴き続けてる。

舞台のChicagoはやはりその派生系である映画とは違った。舞台はもっと生臭い。

映画Chicagoは絶妙におしゃれだ。やりすぎず、力をグッと抜いて、シックにまとめてくる。女優の投げる視線、控えめな照明、綺麗な衣装には高級感がある。しかし、Chicagoは酒とジャズに溺れ、欲に駆られた女囚のはなしだ。ミュージカル版の女性たちはもっとその汚さを乱暴に突き出してくる。Cell Block Tangoではそんなお上品にとどまってなんかいない。男を殺めた自分の罪状を噛み付くように声をあげて正当化する、ダンスも心臓が鼓動を打つように衝動的だ。髪も乱れていれば、衣裳も挑発的だ。

むしろ、舞台全体に妖しさを醸していのは男性のアンサンブル。透けたトップスやはだけた上半身にはハットを乗せている。名と役がある女性と違い、彼らは全て匿名、あくまで女性を崇め、立てる存在としている。女性が急なら、男性は緩だ。身体をくねらせながら、ゆっくりフロアを舐めるように舞う。

この良さが最高に出たのがRazzle Dazzle 。正直映画版ではなんてことない曲と思っていたのだけど、男性の振り付けがとても良かった。あと何と言っても、ミラーボールや銀紙を降らす、ようなチープな演出が絶妙だ。舞台だったらもっといろいろやることもできるだろうに、敢えてその安さをだしているのが、ロキシーとヴェルマの目指す大衆劇場の空気を表現していた。

Chicagoの演出はとてもminimalistだ。使う大道具(ほぼ小道具に近い大きさだけど)も椅子くらい。あとは銃、ステッキ、ハシゴしかないのじゃないだろうか。バックダンサーから裁判官まで何役もこなす演者もずっとスケスケの衣裳のままである。衣裳も、人も、大道具も変わらないのに、その何もない真っ黒な舞台で全てを魅せてみせているのが本当にすごい。

そしてChicagoで忘れてはならないのは音楽の素晴らしさ。最近のミュージカルはオケボックスを舞台裏隠してしまうことも多いが、Chicagoではむしろ舞台の「上」中央、一番いい位置にオケが設置されている。ピアノを除いてはほとんどが一つの楽器につき1人だし、ソロも多い。そう、Chicagoではミュージシャンもキャストなのである。指揮者は途中セリフも入るし、最後カーテンコールではMCも務める。シロップのようにどろりと甘美なメロディー、スパイスのようにピリリとエッジの効いたリズム、観劇ファンでなくともジャズを聴きにくるだけでも十分に楽しめるのがChicagoだ。

そしてそして、last but not least、 キャストだ。
今回の来日で一番注目されたのがやはり、シャーロット・ケイト・フォックスだろう。名前に聞き覚えがなくても、朝ドラ、マッサンの妻エリー役の女優といえばわかる人は多いのではないだろうか。はっきりいえば、観劇ファンからすれば、舞台の実績がほとんどない彼女の主役への抜擢は観劇ファンからすると、「日本での話題作りだな」という印象をうける。日本はまだ芸ではなくて「ヒト」の人気で客を呼んでいる。海外公演の方が芸のレベルが高いのに、人が入らないのはそのせいだ。しかし、幕間で席を立った時に思った、「シャーロットのロキシーはこれとしてアリだな!」。ロキシーはヴェルマとは違う。元々虚弱で甘えったれで、果てしなく男に依存してる。そんな彼女が自分のチープな名声によって、キラキラ、クルクル回るのをシャーロットはよく表現していた。ロキシーはかっこいい必要はないし、痺れるようなキレと自立心を持ってる必要はない。経験が浅いことを割り切り、逆手にとった「未熟で自己陶酔したロキシー」はとても清々しく、エロティックなロキシーからのアルターナティブは好感が持てた。

そして、Amra-Faye Wright。シカゴのヴェルマといえば彼女。年齢を検索して驚いた、55歳!空気をピタリと止めるようなキレと若さには出せない貫禄。15年もこの役を演じきった彼女にしか出せない圧倒的自信。それなのに、まだ毎回即興もいれているらしい。信じられないエンターテイナーだ。だから。10年以上やっていても、人はまだ彼女のヴェルマを観に行くのだろう。彼女のシカゴを観れたことはとても幸運だった。

Chicagoで締めくくる2015。ジンは冷たく、ピアノが熱いジャズフロアのように、来年も緩急がピリリとついた年になりますよう。



2015年11月17日火曜日

Foster your marbles -パリ同時多発テロをうけて-

J’envoie tous mes condoléances aux victimes de l’attaque qui s’est passé à
Paris pendant le weekend, aussi qu’aux autres victimes ailleurs y compris
Beyrouth, le Burundi, la Syrie, qui souffrent à leurs coins du monde.

It aches that yet again, one of the places that I hold dear to my heart had to suffer as it did.

私の周りの聡明たちな友人たちがこの数日で色々な考察を綴っていて、どれも私の拙い言葉よりも理路整然と物事を整理していると思う。だから、ここで私はあえて理ではなくて、情で語りたい。いま、ネットというバーチャルな空間だけでも吹き荒れている衝突にあえて、三人称ではなくて、一人称で話したい。

この2年間で、これまで私が育ってきた国の全てではテロが起こりました。そう言われると驚かれるかもしれない、どんな危険で激動な人生を送ったのだ、と。

まず、この言葉を発した時、聞く人はどこを思い浮かべるんだろう。

****************************************************************
アルジェリア(2013年・ガスプラント人質)
タイ(2015年・バンコク・エラワン)
オーストラリア(2014年・シドニー・マーティンプレイス)
フランス(2015年1月/11月・パリ)

****************************************************************

このリストをみると、納得する人の方が多いのかな、私には分からない。慣れる?慣れることなんてない。
朝起きてつけたテレビをみて、私は毎度のごとく、「信じられない」と思った。

涙もでなかったし、拳が怒りに震えることもなかったけど、胃腸がギリギリするくらいに絞られるようだった。

暴力そのものに対してもそのなのだけど、それ以上に自分にとっての「日常」がビリビリ破られる気持ちになるからだ。だから、何度体験したって、どんなにテロが起きそう、と予見されていても、胃腸か絞られるような辛さは変わらない。
そして、それを契機として、溢れるヘイト、阻害、排除、団結、糾弾、それがもっと怖かった。暴力に続いて瞬く間に引かれていく、「we」と「they」。それが「じぶんごと」として怖かった。私はどの国にも外国人として滞在したことがある。あわせて10年これらの国に流浪してきた。they の刃がいつ自分向けられてもおかしくないと思ってしまう。そして、もし仮に日本が戦争を始め、「団結」していったときに、「あんなどこで育ったかも分からないやつは敵国のやつだ」と日本でだって、いつその求心性のレトリックで排除されてもおかしくない。大袈裟でしょうか?

でも、他国や、日本の歴史でだって、これが起こりうることだということを私たちに示している。

パリに祈ることはできても、国旗を掲げて団結することは私には辛い。これはもしかしたら、伝わらない感覚かもしれないけれど、私にとって、フランス、日本、アルジェリア、オーストラリア、女、〇〇社員、〇〇区民、そんな括りはそれぞれ「私」といういれもの中に入っているビー玉のようなのです。

私が「日本」というおっきな袋にたくさんの人と一緒にビー玉としてガラガラと詰め込まれているのではない、自分の方がいれものなのです。




だから、自分の中のガラス玉がカンカンと激しくぶつかって、耳を刺すように響くのはとてもつらい。だから、胃腸がねじれる絞られたような気持ちになる。

*大好きなイラン系アメリカ人のコメディアン、Maz Jobraniが、自身のコメディーで ”think about it, part of me likes me, part of me hates me”
と言っていた。わかる。私でそうなのだ、多重国籍やハーフの人の気持ちを想像するとやりきれない想いになる。

トリコロールの追悼バナーを巡る議論も実は両方とも一人称の気持ちから来ているんではないかと私は見ていて思う。トリコロールを付ける人はきっと、パリの事件をもって想起する個人や、場所、思い出、情が「わたし」としてあるのだろう。それを懐疑的に捉える声も、トリコロールを掲げることで、その国旗の外に押しやられる世界の他のどこかが強く思いにあるのだと思う。

だからこそ、私はそれを一人称・二人称のままに感じて、示してほしいと願って成らない。

国旗のもとに、自分や想いを寄せる相手をおっきなビー玉袋にいれて、袋と袋に繋がれない境をつくってしまったり、その中身の多様性、個人がみえなくなってしまうのは悲しい。バナーを批判的に語るひとも、客観的に語りすぎて、自分を袋にいれてしまってはもったいない。「じぶんごと」として語れば国旗を載せている人と根幹は同じなのではないかと私は思う。

外から中がみえない麻袋では、中に入ったガラス玉一つ一つはおっきな袋を体積として成す一部でしかない。それを、上からハンマーで袋叩きにしても、なかでどのビー玉がガラス屑になってしまったかはわからない。全部がただの破片と化す。

わかるのは、何でできているのかよくわからない麻袋がしぼんだということだけだ。

そして、それこそがテロリストがはじめとする、憎悪をかきたてる人たちがしようとしているコトそのものではないの?

一つ一つは割るのを躊躇してしまう珠を、押し込めて見えなくすることで、匿名な塊にすることで、抹消することについて無感情になる。空爆やテロも同じ。あの人数、一人一人を武器を持たず自分の手だけで殺められるとは思えない。

だから、周りをいっしょくたに袋に押し込めるようなこと、自分を袋に入れてしまうことをしたくない。自分の様々なtrait/特性、情を感じる括りというのを、自分の中に納めていたい。

自分という袋のなかにそれを全部納めて、共存することをみて、
自分と同じガラス玉をもっている人、自分とは違う珠を持っている人をみつけて、それを互いに指さしながら、「自分」として接してほしい。

Let yourself be the biggest unit for all that you belong to. Don’t let
yourself be owned by a larger unit

(あなたが属する全てについて、あなたが一番大きな単位になってほしい。他のもっと大きな単位の何かに自分を所有されないでほしい)

私は、エゴなことに自分の体験の積み重ねでしか、物事は考えられない。

人間の想像力とはそんなものだ。

ニュースでどんなことを目にしていても、結局自己体験や近親の人の体験が一番強い。

「あんなこと、報道しているけどね、〇〇さんがこないだ行って来たらね、全然大丈夫だったのよ」こんなことを聞かないでしょうか?

だから、自分を大きく柔らかい袋として、たくさんのビー玉を詰め込んでほしい。

目の前で起きることが、They や Weから、I の問題になると、人はもっと腹、胎を傷めて考えられる。

だから私は袋を作るよりも、 ビー玉を増やしていきたい。

*今年は、上記ほとんどの街に仕事で久しぶりに再訪する予定だ。1つ1つのガラス玉に映った自分を見直して、そっと自分にしまい直したい。

2015年11月12日木曜日

すごい10周年 in 日本武道館 -Chatmonchy-

チャットモンチーはわたしの青春だ。
音楽なしじゃ生きていけないのに、雑食なわたしにとって、「好きなアーティストは?」と問われて答えられる名前は多くない。

でも、そんな時に大抵答えるのは「チャットモンチー」だ。新譜が出るのを知った上で、待ちの態勢から全て買っているのはチャットモンチーだけ。

アーティスト(特に音楽は)、概して完成された世界観をギュッと握って、研いだものを作品として私たちに投げてくる。チャットモンチーの曲は少し違う。独特なざらざら感があると思っている。なんというか、彼女たちの進行形の必死さ、辛さ、それでも走る一生懸命さ、それが全部舌触りで感じられる。ボタンを押したら出てくる缶ジュースではなくて、その場で勢いよくミキサーにかけられていく生ジュース。果肉の甘きも酸いも、一緒に噛み締めて、果肉のゴロゴロを感じながら、それに共鳴して涙が出そうになる。

特にドラムの久美子さんが脱退したあとのチャットモンチーはそれはそれは痛々しいくらいに必死だった。もともとスリーピースバンドで最低限の音で曲をつくっていたのに、そこから、ツーピースになってしまった。ベースだったあっこちゃんはドラムに転向し、ギターとドラムだけで、かき鳴らす音楽。叫ぶように歌う歌。アルバム「変身」が出たのは2012年暮れでほぼ私が大学院を卒業するころ。そこから会社に入って、私ももがいてもがいている時期で、ライブでツーピース時代の曲を聴きながら涙しそうになった。


積まれた段ボール
あれもこれも捨てられない
言ったばかりの「さようなら」
今さら後には引けません

夢が夢でなくなる東京

おいしそうな花のミツ
私はまだまだ世間知らず
甘い匂いに負けそう

   -「東京ハチミツオーケストラ」- 


留学の時よく聞いていた曲




コンタクトはずして 酸化した現実

今日も見慣れた景色 無性に不安になる
あったかい布団這い出して 扉を開けた
ネオン輝く 虹色のメリーゴーランド

ジェットコースター 走り続けた

ヘッドライトの先に歪むレール
上がっては降りての 胸の高鳴り
ジェットコースター もう止まらない
ヘッドライトの先に潜むカーブ
振り落とされないよう 振り落とされぬよう

    -「真夜中遊園地」ー


ランナーズハイになるしかないときはこの曲がお守り



いつもゴールを探してる

道はばっちりナビってる
いまどこ走ってるかって?
知らない そんなこと

いきなり荒野で立ち往生

行先 再度検索中
ナビは明日を指している
壊れてる?なんなのよ!

景色を変えたいのなら

歩いて 走って スキップして
とにかく前へ とりあえず前へ
目指すは誰かの背中でもいい

  -「レディナビゲーション」-


劣等感とあきらめと、辛い!!がいっぱい詰まってるのに、
それでもポジティブで、でもやっぱり頑張る!を高らかに笑顔で歌い続けるチャットモンチーはやっぱりずっと応援歌。

真夜中遊園地

サポートを迎えるようになって、新しいアレンジになったLast Love Letter もとても好き


今回はうたってなかったけど、この曲もとてもいい

2015年10月24日土曜日

ソウル-アジアの観劇ホットスポット-

弾丸でソウルまで旅行してきた。
目的はただただ、観劇すること。
これを伝えると大抵反応は二分する。

—え、韓国に観劇.....?韓流ファンだっけ?

—えええぇーーー!うらやましいぃ!

観劇ファンの間で韓国のシアターの充実っぷりは実は割と有名だ。

今回のそもそものきっかけは、とても好きなフランスのミュージカル2作品(Roméo et Juliette, Notre Dame de Paris)と、ナイトショー(Crazy Horse Paris)がすべて同じ時期に来韓していることを知ったからだ。



どれも目と鼻の先まできているのに、ソウルまでで、東京までは来てくれない!
今でこそ、渋谷のHikarieにシアターオーブができて、今年に限って言えば1ヶ月に一度は海外カンパニーが来日しているが、基本的に日本にはあまりミュージカルが来てくれない。理由は簡単だ。客が入らないから。

バレエやクラシックなんて絶えず何かしらが来日していて、クリスマスころになると、決まってどちらも毎年チャイコフスキーをやっていたりするのに、それでもお客さんは絶えない。

しかし、シアターオーブにくる公演は大抵1ヶ月前、下手すると当日でもチケットはとれる。例えばこの間、オーブに来ていた、PIPPIN。あの作品の来日は本当に事件であった。
これは、ミュージカル・オタクの戯言では決してなく、ファンではなくても、世間的にレジェンドな作品なのだ。テニスを常に追ってなくても、錦織圭くんに会えるのはすごいとわかる、そんな作品。公演の一ヶ月半前、「しまった、ちょっと乗り遅れた!」とおもって取れた席は最前列だった。私は、心臓が止まりそうに感動したのだが、(詳しくはPIPPINの観劇レビュー)、当日会場を見渡すと、一階が埋まるのがやっとで、二階は数列しか人が入ってなかった。びっくりして、悲しかった。「みんな、なんで来てないの!」

そんなわけなので、日本には来日公演がなかなかきてくれない。

しかし、韓国は違う。
ミュージカルが大衆エンタメとして根付いている。
私と旅友がチケット発券の列に並んでいると、
横には当日券を求める人がたくさん並んでいた。

日本では、ミュージカルは計画的に観に行く人しかほとんど売れない。
当日買うのは、突然暇ができたミューオタだけだ。
しかも、席には家族連れがいる。
日本では、女性か中年夫婦がほとんど。

「あ、今日◯◯の席あいてるからいこーよー」

こんな具合に映画のようにミュージカルが楽しまれてる場所を、
私は他に、ロンドンとブロードウェイしか知らない。

*しかもすごくマニア受けなフレンチ・ミュージカルでこの集客・・・。考えられない。



そして、そして忘れてはいけないのが、韓国のローカルキャストのレベルの高さ!!!!
ソウルは決して外から呼んできているだけではない。
地場の舞台俳優がものすごくレベルが高くて、層が熱い、いや厚いのだ。

私たちが観てきたのは、In the Heights。ブロードウェイで2008年、トニー賞で13の部門にノミネートされた作品。


When You're Home / In the Heights (韓国キャスト)


このミュージカル、ラップが多くて、油断すると簡単に「ダサく」なってしまう。
(実際には日本キャストがやったときはコケた)
エキストラや脇役だれに歌わせても、抜群に巧い。
歌い方もミュージカル唱法。
高音までちゃんと地声で歌いあげてくれるし、発音もしっかり。
実は、K−POPスターも何人かでているのだが、片手間にやった感じではなく、ちゃんとギアチェンできている。

ストリートダンスが多い作品だったのだが、
バキバキの筋肉のキャストがこれまた、一流のダンスを踊ってくれる。
日本のキャストももちろん踊れるのだけど、韓国の方が、「男っぽい」かんじが個人的には舞台としては迫力があって、好きだ。



そう、先に見たノートルダムも実はダンサーは半分以上がローカルキャストだった。
舞台は基本的にコストダウンが難しい。
一番コストがかかる「人」を現地調達できることで、遠征公演も出費も抑えられる
(もちろん、韓国キャストを安い労働力といっているということではなく、海外から人を連れてくるのは、渡航費もかかるし、いわばフルタイムに「身柄を拘束する」ための人件費もかさむ)
そして、

これも韓国が海外公演をたくさん呼んでこれる理由だと思う。

・観劇人口が多い(ファンやオタクじゃなくても観る)
・市場が大きいので、いい人材が集まる(舞台一本ですみたいな役者が多い)
・ミュージカルに向いてる人材が集まるので、レベルの高い自前ミュージカルができる
・いい人材が集まるので、ローカルキャストで海外公演を補完して、招致できる。

これがまた「観劇人口が多い」に跳ね返って、いい循環ができているのではないか、というのが私の思うところ。

市場原理を考えると、なかなか入らない舞台に投資をすることが難しいのは、
いわば、当たり前のことであり、そうするといい人が残ってくれないのはどこの業界も一緒だろう。
特に、舞台は人気がなくてもコストをカットすることが難しい。
高くしようと思えば舞台装置や衣装など青天井だろうけども、
安くすることには限りがある。

舞台セット、衣装、上演をする施設、どれも安っぽさを感じないレベルで留めるには
安価にはできない。
すると、やはり削られてしまうのは人件費なのだろう。

Crazy Horse Paris こちらはミュージカルじゃなくセクシーショーだけれど。
綺麗なお姉さんたちの素敵なダンスを堪能


ただ、頭の体操をここで止めてしまうと、韓国の舞台人気の真意には迫れないと思っている。
そもそも、上記の良循環のスタートである、

「観劇人口が多い(ファンやオタクじゃなくても観る)」

の理由がなぜだかが一番ひも解かなきゃいけない、ミステリーの肝だと思う。
日本のミュージカル劇場にいくと、
そのほとんどが「観劇ファン」で、特に宝塚、四季など特殊な舞台ともなると、
観客は「ヅカ・ファン」「四季ファン」と、とても狭くコアな人たちになってくる。
年齢は30-50代の女性が半分以上。

しかし、ソウルの劇場は、
親子連れや、カップル、若い男性のお客さんも多い。
当日券も買う人も多い(日本では固定層のファンがいくので、当日駆け込みでフラッと行く人はとても少ない)

周りの知人・友人に聞いてみても

「ミュージカルたまに行くよー」

と、映画とディズニーランドの間ぐらいの感覚で
馴染みがある。作品名をいっても有名どころは知っている。


ここからが、推論でしかないのだけど、
私は、これが駐屯米軍の影響ではないかと思っている。
そう思う一番の理由は他の米軍駐屯先にも同じような現象がみられるから。
例えば、ASEAN内ダントツでブロードウェイや米国音楽界に逸材を輩出している国といえばどこだか、ご存じだろうか。フィリピンである。

知っている人にはおなじみのミス・サイゴンの、オリジナルキャスト(キム役)のLea Salongaは
ブロードウェイで最も成功したアジア人女優だけど、彼女はフィリピン系(その後も、Les Misérables のÉponine, Fantine, Aladdin のJasmin, Mulanと輝かしい経歴。最新の作品ではWWII中の日系アメリカ人訳)
ご存じの通り、フィリピンはASEAN圏で最も大きい米軍拠点の一つであり、
ローカルなポップ文化にかなり深くアメリカ文化が浸透している。

Lea Salongaのうたう On my Own (Les Misérablees) 圧巻です。

もう一つ、身近な例が沖縄。
沖縄は、その人口規模を考えると驚くほど、日本の音楽界で活躍する人が多い。
特に90年代は顕著だ。
さらに、関東圏でもやはり横須賀周辺はJAZZの震源といわれるなど、米軍を中心とする音楽文化の広がりというのは無視できないものがある。

私が今回足を運んでいたBluesquare theatreも漢江鎮(ハンガンジン)も、
駐屯地がある、梨泰院(イテウォン)の隣駅だ。

ミュージカルとの関連性でいうと、
つまり、米軍駐屯エリアでは、米兵文化の広がりから、
洋楽カルチャーが醸成され、Barなどで洋楽を流したり、歌ったりする需要が生まれるとともに、
洋楽を聞く文化も大衆の間で一般的になったのではないかと。
現に、世界の音楽マーケットではJ-POPよりもK-POPの方が成功を収めているが、あれは音楽的に洋楽と親和性が高いからだと私は思っている。
つまり、需要側でいうとソウルの人は歌詞の意味が完全にわからなくても洋楽を聞くという文化が形成され、結果音楽的に洋楽への傾倒ができたとともに、言語面でも外国語で歌う舞台を鑑賞することに抵抗がなくなったのではないか。

そこで、まずは海外からの来韓公演を望む声が生まれ、人気があがり、
そこから派生する形で韓国語・韓国キャストで海外作品を制作するように。
音楽人材の観点からも、すでに洋楽的な歌唱の需要があり、しかも舞台俳優としても十分に稼げるため、人材にも困らないのではないか。

だから、日本も沖縄に劇場があったら、
実はもっと集客が望めるんではないか、なんてソウルから帰国後思ったりした。
(このあたりは、沖縄出身の日本のミュージカル女優、知念里奈あたりに聞いてみたいところ)


そんなわけで、
今アジアで熱いシアター都市はソウルなんです。
福岡に行くくらいの気持ちと予算でいけてしまうのでこれは癖になりそうです。

次に狙っているのは韓国キャストのNext to Normal
繁忙期のオアシスの逃避行をもくろみ中



2015年10月9日金曜日

The dead end of a very public secret -ルック・オブ・サイレンスレビュー


虫が寄生している木の実がコロコロ転がるのを見ながら、息子を虐殺された母は言う「早く出ておいで。いるのは分かっているんだよ。出てきてくれなきゃ、本当にいることが見えないじゃないか」

インドネシアの田舎の村の公然たる秘密。木の実がコロコロ転がるのだからそこにあることはわかっている。でも、それはこじ開けられることなく、重い沈黙で鍵がかかっていた。

前作アクトオブキリングについて私はこう書いた
「後悔と賞賛、嘔吐と歓声を往き来する彼らに精神の崩壊をみた。」(Act of Killing レビュー)

見終わった直後、今作は一作目に比べてナラティブが薄いと感じた。一作目はそれまで得意げに虐殺を語っていたマフィアボスが「自分は罪人なのか?」と涙ぐみ、暴力を再現した場所で嘔吐しているシーンで終わる。そこに狂気と正気が絡まりながら堕ちていく様を感じた。ルック・オブ・サイレンスでは加害者の語りをあと、賞賛もなければ糾弾もない。なにを描きたいのか、それは一作目と同じなのか、それとも違うのか、スッとはわからなかった。でも、タイトルを改めてみて、そのなにも生まれない重苦しい空白こそ本作の核ではないかと気がついた。

虐殺を語ったあと、アディは加害者をただただ見つめる。虫の音、扇風機の風が響く部屋。インドネシアの蒸し蒸しとした湿度までが観ているこちらの肌を這うような感覚になる。その語りを通して、確執は解決せず、納得も生まれず、赦しは訪れない。

公然たる秘密を開けたところにあったのは沈黙という空白と、どこにも行かない行き止まり。そのどうしようもないやるせなさこそがこの2作目の向けた眼差しだった。木の実が地に落ち、芽を生やすにはまだまだ時が必要である。

The dead end of the very public secret

ルック・オブ・サイレンス


虫が寄生している木の実がコロコロ転がるのを見ながら、息子を虐殺された母は言う「早く出ておいで。いるのは分かっているんだよ。出てきてくれなきゃ、本当にいることが見えないじゃないか」

インドネシアの田舎の村の公然たる秘密。木の実がコロコロ転がるのだからそこにあることはわかっている。でも、それはこじ開けられることなく、重い沈黙で鍵がかかっていた。

前作アクトオブキリングについて私はこう書いた
「後悔と賞賛、嘔吐と歓声を往き来する彼らに精神の崩壊をみた。」Act of Killing レビュー

見終わった直後、今作は一作目に比べてナラティブが薄いと感じた。一作目はそれまで得意げに虐殺を語っていたマフィアボスが「自分は罪人なのか?」と涙ぐみ、暴力を再現した場所で嘔吐しているシーンで終わる。そこに狂気と正気が絡まりながら堕ちていく様を感じた。ルックオブサイレンスでは加害者の語りをあと、賞賛もなければ糾弾もない。なにを描きたいのか、それは一作目と同じなのか、それとも違うのか、スッとはわからなかった。でも、タイトルを改めてみて、そのなにも生まれない重苦しい空白こそ本作の核ではないかと気がついた。

虐殺を語ったあと、アディは加害者をただただ見つめる。虫の音、扇風機の風が響く部屋。インドネシアの蒸し蒸しとした湿度までが観ているこちらの肌を這うような感覚になる。その語りを通して、確執は解決せず、納得も生まれず、赦しは訪れない。

公然たる秘密を開けたところにあったのは沈黙という空白と、どこにも行かない行き止まり。そのどうしようもないやるせなさこそがこの2作目の向けた眼差しだった。木の実が地に落ち、芽を生やすにはまだまだ時が必要である。


2015年9月13日日曜日

Pippin

シアターオーブ今年のラインナップの中でも、間違いなく来日してることが事件。

予想外の最前列で鑑賞してしまった。息が止まりそうだった。寸分の間も無駄にしないほどに詰め込まれた演出。ピタゴラスイッチで空に上がる打ち上げ花火のように、緻密で大胆で、華やか。一つの花火が空に溶けるのを待たずに、またすぐにそれに覆い被さるかのように舞い上がる。息をつく暇などなかったのだ。





やりすぎと思われるほどに、掛け算なその演出にくどさを感じないのは、一つ一つの挙動はとても丁寧だから。ピタゴラスイッチと呼んだのはそれが故。一つの大きな装置を動かすように、一人一人、一つの一つが正確に、ピースをはめていくように演じる。

歌がシンプルなこともくどさを感じさせない一つの理由。Pippinは全体的に曲調が似た曲が多い。アンサンブルで雰囲気を積み立てていって、そこからソロでグッと引いて、あえてスローダウンしたテンポで怪しげに締める。ニヤリと口角をあげる語り部の余韻にゾワゾワする。

そのコントラストを含めての魅力なので、事前に 音源だけを聴いただけでは全然良さがわからなかった。なんだか似たような曲ばかり、華もあまりない。Pippinは2009年のBest Revival of a Musical部門で最優秀賞をとっている。古い演出の動画をみてみた。かつての演出はもっと、アングラっぽかった。黒子のようなキャストが、舞台に張りめぐらされた蜘蛛の巣を、すばしこく這い回るような。主人公のピピンが内に飼うキャストという設定を大事にした故だろう。

それに対して新演出は正に「魔法の仕立て人」としての作りがとても秀逸だった。だれしも、あんな魔法で日常を彩ってほしい!そう願わせるような、胸踊る細工が圧倒的だった。そして、それを含めての最後の大胆な引き算。魔法の仕立て人がピピンだけのものではないこと、誰のところにだって潜み込んでくれる!そんな期待とわくわくを余韻に残していく。

あえて言うとすれば、主演のピピンの歌唱力がやや不安だった。ピピンはダンスも難易度高くないのでおそらく演技力でとられているのか(演技はたしかにとても良かった)。新演出オリジナル•ピピンの純朴さ、歌唱力の高さがみれなかったのはやや惜しい。それ以外のキャストについては語り部含め大満足。むしろ王、女王、祖母に関してはオリジナルよりよかったかもしれない。

とにもかくにも、間違いなく今年一でした。
圧倒的打ち上げ花火。浴衣で鑑賞にいったのは嬉しい偶然。


2015年8月12日水曜日

2世

私たちの思考や思いは言葉をもって運ばれる。ある言葉を知ったことで、自分の中で、全く新しく概念が生まれるということがある。

私は10年前くらいに「被爆者3世」という単語をきいて、その瞬間自分の中にアイデンティティーが新たに見出されて、とても驚いた。
それまでも、その後も言葉を通じた概念との出会いは有ったけれど、この時ほど、はっきりとした衝撃を伴ったことは後にも先にもない。
それは、水を泳ぐ魚が「君は海の生き物だよ!」と言われ、初めて水やその外の陸を意識するような気持ちだった。

毎年この日、ニュースでは平和を「被爆者3世」の活動が、現代へのつながりとして報道される。



(余談だが、長崎の方が3世アクティビズムは多い印象)


3世たちが、平和を訴える様子、非核を求める声が放送されるのを聞きながら彼らを活動へと突き動かす、意義や理由は私にもあるのだ、と思う。

「◯◯3世」という表現はどんな場合においても使えるわけではない。◯◯の厳格な定義には当てはまらないけれど、その地位が受け継がれているものに使われることが多いのではないかと思う。移民2世、在日コリアン3世などがその典型だ。被爆者3世という単語にびっくりしたのは、多分その地位に「継承性」があると思っていなかったから。

例えば、ひめゆり2世とか、ホロコースト被害者3世、は聞いたことがない。

何故、被爆者には3世が生まれるのか。

言葉を知ったあとすぐの考えたのは被爆体験は世界でも経験者が少ない特異な体験だからということ。その語り部としての地位が世代で引き継がれるということなのか。しかし、その点においてはダッカウの収容所経験者もなんら変わりない。そして、語り部の役目を果たすのは親族でなくたっていい。それよりも、「広島市民」とか「長崎市民」などその地に住んでいることの方が、語り部の地位に相応しい気もする。

おそらく「2世」概念に最も強く影響しているのは、原爆被害の遺伝性のように思う。単に広島市民じゃなくて、2世という概念が、生まれるのは、地縁ではなく血縁を円心とした被害の広がりがあるから。
例え、直接被爆していなくても、2世には疾患が及ぶことがある。うちの祖母は第一子である叔母が生まれるときは相当心配し、孫である私や従姉妹になんらかの生まれつきの身体傾向(大したものではない)があるとかならず、遺伝疾患のことが脳裏をチラつくという。

そして、やはりいまなお、原子力が平和利用、軍備として利用されていることの影響は無視できない気がする。チェルノブイリや福島の後、被爆被害の甚大さについて一番説得力をもつのは、その遺伝的リスクを僅かであれ背負った2世、3世である。だから、彼らは「3世として」、あえて血縁を誇示するかたちで運動を行う。被爆者の当事者性は世代を越えて共有されている。

政治学やシンクタンクという第三者性が絶対に必要とされる分野において身を立ててしまった私は「当事者」として行動したり、主張することがとてもヘタクソだ。それに飲み込まれるのが、怖くなってしまう。冷静に判断ができる自信がないから。

でも、8月6日には毎年かならず思う。もしかしたら、私も飛び込むに値する当事者性があるのかもしれない。
まだどうしたいのは分からない。

でも、一つだけいえる。「2世」にも治まらず、「3世」が生まれてしまっているのは、原爆投下がまだ現在進行形の問題だから。それは未だ移民が「2世」「3世」と連なっていき、いつまでも日本人、フランス人になれないのと同じ。そこにあるのはかさぶたでたはない。まだ生傷だ。



2015年8月11日火曜日

Who was Charlie? 今シャルリー・エブドを再考する

シャルリー・エブドの襲撃事件から半年以上が経った。
事件当初フランスではレジスタンスぶりと言われる数十万人規模のデモが各地で起き、ついには各国首脳まで行進に参加するなど、異例の熱気と怒りが同国を覆っていた。
その事がずいぶんと昔のことに感じるほど、今のフランスには1月の騒乱の面影はない。ニュースを聞いていても、ギリシャのEU離脱危機や債務問題、ツールドフランスなどが耳をかすめていくが、民衆の支持を一気に集めた極左雑誌の名前はもう聞くことがなくなった。

Charlie Hebdoを巡るフランス共和国の動揺、騒乱、言説の渦について、当初から私は胸がとてもザワザワした。過激派に襲われた12人のジャーナリストの死への悔やみや、犯人への怒り、がものすごいスピードで何か違うものに転がり落ちていっているように感じた。はっきり言って、とても怖かった。

復習もかねて、簡単に事件のあらましを説明する。
2015年1月7日にムスリム過激派数人が、フランスの雑誌 Charlie Hebdoの編集部を襲撃し、同誌が刊行したイスラムを冒涜する風刺画に対する報復として、社内にいたコラムニストや風刺画家を銃殺した。犯人はすぐさま警察にその身を追われ、翌日には倉庫で見つかり、その場で銃殺される。しかし、事件のショックはこれで収まらず、同事件に対する講義のデモは国全体を動員するかと思う市民運動に発展した。

この運動の大きな特徴として、それが、「共和国」の名の下に、共和国的価値観(les valeurs républicains)を護ることを大義として行われたという点がある。

 Je ne suis pas d'accord avec ce que vous dites, mais je me battrai jusqu'à la mort pour que vous ayez le droit de le dire.  Voltaire 


私は君と意見を異にするが、君がその意見を表明するためには命をかけて戦おう —ヴォルテール


これは、多くのデモでスローガンとして掲げられた言葉だ。

例え異なる価値観が共存する中でも、それらが自由に交わり、正当性を主張し合う場が用意されることこそ、res publica の目指すところであるという強い信念に基づいている。
いわば、「表現の自由」の原点。

CHの事件がおこった直後の反応みて、私の直感的な反応は「怖い」だった。
私がそう思うのは、自分が犯人に同調や同情しているからではもちろんなく、過激な暴力はどんな思想を背景にしようとも許されるべきではないと思う。
でも、それでも怖さを感じたのは、この事件がなぜ「民主主義」や「共和国理念」の下、ここまで多くの人を動員するのか理解できなかったからである。


・「共和国」に対する攻撃?
もう一度立ち返ると、この事件は極めてマージナルな過激派が、これまた政治的に急進的な週刊誌を襲撃したという事件だ。これが、なぜ「共和国」という体制に対する攻撃だと受け取られたのか私には解せない。

この事件を簡略化すると、イスラームを冒涜する風刺画を掲載した一民間誌に対して、激怒した過激思想を有するムスリムが、その表現者に対して暴力をもって報復した、という構図になる。
語弊を恐れずに言うと、私はCH事件はその過激性・暴力性に違いはあれど、その構図においては「フライデー襲撃事件」と何ら変わらないと思う。
(フライド襲撃事件:北野武のプライベートで交友関係のあった民間人に執拗な取材をおこなったフライデーに対して、たけし軍団が、編集者に押し入り、傘などで編集部の人間を殴打するなど傷害を追わせた事件。)しかし、この時、社会が「言論の自由のため」に立ち上がるということはなかった。それは、たけし軍団がフライデーのみを直接の標的としたからであり、彼らの行為がメディア各社に脅迫状をおくる等、社会の中で自らの意見を発する術を奪おうとする行為ではなかったからである。では、なぜ過激派→CHの攻撃はフライデー襲撃事件と同じように整理されず、その攻撃には公共性を付与されたのか。
これは報道と名誉毀損の攻防ではあれど、「共和国主義」に対する攻撃を意図されたものではなく、そのような図式の下、解釈されることは問題の危険なすり替えではないか。


・シャルリー・エブドは共和国主義の代表性を有するか?—Are you really Charlie?—
もし、CH事件を共和国への攻撃とするならば、それは、CHの掲載する表現やその政治的思想が共和国と高い同一性/融和性を有していることを認めざるを得ないと思う。ようは、CHの発していた言論を「我々」の声としてフランス共和国の市民を代表する声であるとするならば、これを死に至らしめようとした過激派はまさしく共和国への攻撃であろう。

しかし、共和国理念と同体どころか、シャルリー・エブドはとても周縁的な雑誌である。元々政治的には極左であり、元々の創刊時の雑誌名はなんと日本語からとった「Hara-Kiri(腹切り)」だった。大衆誌とはほど遠く、多くの人からは眉をひそめられるような政治的には過激な部類に入る雑誌だ。強い批判と皮肉を込めた風刺画が同誌の売りの一つであり、権威性のある大抵のものは攻撃の対象となった。宗教でいえば、イスラム教だけでなく、キリスト教、ユダヤ教、政治的ならば、極右はもちろん、中道左派まで、完全にこき下ろす。体制、権威、権力の影のかかるものはすべて嫌うという、アナーキストに近い、アンチシステムな論客である。

そのため、同誌の政治的な立場は元々”Anti-gaulliste=反ド・ゴール主義”と称される。
ド・ゴールとはいわずとも知れた、シャルル・ド・ゴール将軍。フランス人に最も愛される大統領であり、第五共和制の創始者。共和国主義の権化である。ということは、反ド・ゴール主義のCHはその中核的な思想の真っ向から対峙する政治的立場をとっているといっていい。また、Hara-Kiri時代から読者は極端に少なく、1981年には売り上げ不足で廃刊においこまれ、10年した1992年にやっと、CHとして再スタートをきっており、購読者とい浮観点からも到底大衆の意見を代表しているとは言いがたい。

CHは共和国主義を真っ向から切り捨てる思想を有しており、支持者はとてもすくなく、とてもではないがメインストリームといえる立場を有してはいなかった。同誌に共和国主義を見いだすのは、それこそ手のひらを返すようなご都合主義な気がしてならない。


・声を持たぬ市民はだれか—identifying the subaltern—
そもそも、「表現の自由」の名の下制限されるのは、公権力であり、政権の暴走や専制を防ぐことがその意図である。公的権力がその権威の下に自らに対する批判や反論の「表現」の術を断つこと、そのことで自らの主張を有無を言わせず押し進め、独裁性を帯びていく、という危機が念頭にある。市民の声が正常に政治・行政に反映されなくなるとき、民主主義は機能不全に陥ることから民主主義のための必要条件の一つとされる。言葉の成り立ちや定義は重要ではないという意見もあるだろう。問題であるのは、ある主張が暴力をもって断たれたことであって、それが公権力であるかどうかは二次的だと。でも、これが民主主義、共和国主義に対する冒涜だという主張するためには、やはりこの基本理念の理解の下に問題を整理する必要があると思う。

CH後の一連の動きの中で、やはり最も衝撃をうけたのは、1月11日にフランス全土で行われた370万人のデモである。このデモの先頭をに立ったのは、名だたる国家首脳である。仏オランド、独メルケル、英キャメロン、イスラエルのネタンヤフなど44カ国以上の国家主席があつまった。日本からも駐仏大使が参加している。
(彼らはRépublique広場(共和国広場)からNation(国民広場)までVoltaire大通りを抜けて行進した。これだけでも、それに込められたシンボリズムは言うに及ばないとは思う)


 国家主席の”デモ”・・・?


 
  共和国広場に集まる人
—Paris Match

このデモの画をみて「公的権力が表現の自由を主張して行進する」ということの矛盾と怖さについて考えずにはいられなかった。風刺というのは、権力を持つ者に対して、力を有さない市民が批判の全力を筆と言葉に込めて突き上げることにこそ、その力強さと正義を宿しているのであり、権力を既にもたれし者が主張する表現の自由は、全体主義とどうやって峻別しようがあるのかわからない。

もう一度、考えてみたい。フランス社会において今、力を持たない市民と、チェックアンドバランスを受けるべきマジョリティーは誰なのか。




上)ムハンマドの裸体
下)「”フランスではまだ攻撃はありません”—「一月終わりまでお願い事かなうんだよ!」」
これが、本当に共和国主義や言論の自由を掲げてまで守るべき、言説なのだろうか?
シャルリー・エブド誌より



ムスリムはフランスの中で今最も抑圧される市民の一つだ。彼らを揶揄することで「風刺」は成立しない。それは、弱き声をさらに押し込める「弱い者いじめ」と何ら変わりない。繰り返すが、CHの襲撃や暴力は断固として糾弾されるべきだ。しかし、「表現の自由」の下、公権力たる国家主席がフランス社会のサバルタン、ムスリム市民に対する攻撃の矢を擁護したことには暴力的であり、ムスリム・コミュニティーとの溝をこれまで以上に深くえぐったと思う。

CHと表現の自由を巡る言説については、1)共和国主義との対立構図、2)共和国主義とCHの代表する思想の不和、3)公権力がマイノリティーに対する攻撃的な言論を擁護する不当性、という3点において正当性・整合性がないという思われる。でも、ここで思考を止めてはならない。問題は、なぜそのガタガタの議論が370万人の人を動員し、支持を得たかである。

・メディアの第三者性
とても、表層的なことから指摘すると、この運動が驚くほどの早さで加熱したことには、間違いなく、メディアの力がある。今回、多くのメディアは「被害者」として語っていた。CH誌に自らを自己投影しながら、報道した彼らは「They」ではなく、「We」として報道を行った。ジャーナリスト達が「当事者」として、自らの権利の侵害を訴えたことで、報道の客観性は損なわれ、情動的に訴える論調が吹き荒れた。普段は、社会情勢の、権力のWatchdogの最前線を走るジャーナリストが「一番冷静さを失った人」になってしまったことのエンジンは大きかったように思う。

The legitimacy and wisdom of criticism directed at offensive speech is generally inversely proportional to the level of mortal danger that the blasphemer brings upon himself...when offenses are policed by murder, that’s when we need more of them, not less, because the murderers cannot be allowed for a single moment to think that their strategy can succeed.
New  York Times
—不敬な言説はそれを発した者に死のリスクが伴えば伴うほど、その不敬な言説に対する批判は正当性や良識さを失う。つまり、もしもその攻撃や無礼が殺人の脅迫を招くならば、それこそその攻撃がもっと必要であるという証拠だ。なぜなら、殺人者に一時たりとも彼らの戦略が成功していると思わせてはならないからだ。
ニューヨークタイムズ

(ニューヨークタイムズの論説は、不敬な攻撃的発言が殺害予告をまねけば招くほど価値あると主張していた・・・。相手を激昂させることが報道の目的ではないはずではないか)

・Identité Française—フランス社会のアイデンティティーの犠牲—
もっと本質的になぜ今回の事件が共和国主義を掲げた市民の動員になってしまったかを考える。それは、ムスリム市民が今フランス社会のアイデンティティーを外縁的に定義する「他者」だからではないか。ここからは、自分の修論の主論とかなり重なってくるのだが、現在、グローバル化、EU地域統合など、国家の意義や境界が揺らぐなか、自らを規律・制度的なアイデンティティーで自己定義してきたフランスはアイデンティティー・クライシスに陥っている。自らの国を規律してきたルールにおいてネーション神話を気づいてきたフランス共和国は、その国を律するルールがより越境的に形成されるにしたがって、その根底を揺さぶられている。「国外」と「国内」の線を引くことが難しくなったフランスは、自らの「中」に「外」を見いだすことで、「あの”他者”ではないということが共和国市民である」という意味付けをするようになった。そして、その「内なる他者」となったのが、ムスリムだ。最も顕著なのは、国民アイデンティティー省なるものまで創立し、ことあるごとにムスリムに周縁性のレッテルを貼り続けた前サルコジ大統領だが、その流れは政権が変わろうともフランス社会の中で途切れることなく続いている。ムスリムの、イスラームの「共和国主義」と反する要素を見つけるにつけ、これを「共和国への反逆だ」ということで、フランス・アイデンティティーは今支えられていることは否めないと思う。




フランス中道右派の週刊誌 L'Expressの表紙
上)革命の象徴、ドラクロワのマリアンヌがペンを持ち、民衆を導く画
下)「イスラムに対峙する共和国」



”「あんなことを断固許さない」「あんなことは絶対しないこと」がフランス国民”

「私はA!」じゃなくて「私はBじゃない!」といって定義されるアイデンティティー


そんな言説によっって、いまのフランス国民の紐帯はつなぎ止められている気がしてならない。

そんなことをしたところで「他者性」に追いやられるムスリムとの軋轢は強まるばかり。
移民であることが経済的弱者であることと同義になっていること、
移民一世の社会的劣位が世代を越えて継承されてしまっていること、
それゆえに、異文化性の問題と社会層間の軋轢が区別できなくなってしまっていること、
社会的な差別について「悪い市民」というだけで、それを制度的に対処しようとしないこと、

これらのことが解消されない限り、フランスがいくら共和国主義を歌い上げようとも、暴力的な衝突は止まない。民主主義への暴力を考えるときに、その「攻撃されているとする」民主主義は正しく機能しているか、今一度考えたいものです。

(本当に言論の自由を考えるべきなのは、CHのデモがおこる地球の裏で、「ピースとハイライト」のパフォーマンスが政権批判ではない、とサザンが謝罪声明を出さざるを得なかった日本なのではないか、そんな事もちらつきます)

シャルリーは誰だったのか、
それは共和国広場で民主主義の旗をひるがえすマリアンヌ?
それとも、自らの築いた礎を揺るがされ、石畳を彷徨うCharles (≒Charlie) de Gaulle?

2015年5月31日日曜日

モザイク模様のアイデンティティー

イランは国内の地域色が豊かな国だ。
国境をイラク、トルコ、アルメニア、アゼルバイジャン、トルクメニスタン、アフガニスタン、パキスタンと接しており、多様な文化圏との繋がりをもっている。

今回私が旅をしたのはこんなルート


A:Teheran→B:Marivan (Kurdistan)→C:Hamadan→D:Esfahan→E:Shiraz→F:Yazd→G:Teheran

どの都市も筆舌に尽くしがたいほど、素敵な場所だったのだが、独特の魅力をもっているなと思った都市について少し書いておきたい。

一つは、Marivan。私がテヘランの次に向かった街。
Marivanはイラク国境際のクルディスタンにある村。クルディスタンとは、「世界最大の国家を持たない民族」とも呼ばれるクルド人が住んでいる地域である。その居住地域は、トルコ、イラク、イランにまたぎ、それが一つの国となればフランス国土に匹敵する広さとも言われる。特にトルコでは厳しい弾圧と迫害にあっており、分離運動がたびたびトルコ軍と衝突を繰り替えてしている。他方イラクでは自治権を有しており、イランでは自治権はないものの、コルディスタン州という行政単位として認識されており、トルコほどの差別はないが、独自の文化圏として認識されている。

私がクルドについて、はじめてきちんと学んだのは大学一年生のとき、中東研究者の先生のテーマ講義であった。そのとき、先生が語っていた人情に溢れるクルドの村での思い出はとても印象的で、私もいつかこの地に足を運べないかと頭の隅で思っていた。

クルディスタンには、ガイドブックを色鮮やかに飾るような建築物やランドマークはない。でも、訪ねる者を全力で歓迎してくれる人がそこにはいる。


日本に比べてとても乾燥しているイランだが、クルディスタンはとても青々としている。
小高い丘に上るとそこには、原っぱに湖、花畑が広がる。





村を歩いている私たちはすぐに村の人の目を引いた。イラン人/クルド人は本当にいろんな顔立ちの人がいるので、欧米人であれば歩いているだけでは目立たないのだが、なんせアジア人顔はほとんどいない。小さな小さな子供でさえ、はじめて見た、顔が平たく、目が細いわたしの顔に驚いている。気づけばあっと言う間にあちこちの家から人がでてきて、「どこから来たの??」の嵐。子供たちはペルシャ語もクルド語もはなせない私と友人に駆け寄り、一生懸命なにかを話しかけてくれる。気づけば手を引かれ、村中を案内されていた。

子供たちとはしゃいでる姿をみて、一層警戒心が解けたのか、そこからは通る道、曲がる角ごとにお茶に誘われた。
何軒かのお家にはお言葉に甘えてお邪魔したのだが、なかでも、特に印象にのこったのが、ある7歳の男の子。村のほとんどの人がペルシャ語とクルド語しかはなせない中、彼は学校で習っている英語を総動員して、家族と私たちの間をつなぎながら一生懸命私たちと会話をしてくれた。Marivanの印象をきかれ、「とても素敵な街だね」と答える私たちの言葉にKianooshという名の彼は顔をほころばせ、「Yes! Marivan is very very very clean!!!」と満面の笑みで何度も言っていた。彼のいうとおり、Marivanは街中もお家の中もとても整然としていた。お邪魔したお家はどこも、床の上に無駄なものがほとんどなく、部屋の空間をとても広く使っている。店が並ぶ道路脇もごちゃごちゃしておらず、店先でおじさんたちが日向ぼっこしているようなピースフルな場所だ。


暖かいチャイとほっぺの内側がキーンとなるほど甘いスイカをいただいていると、お母さんがクルド衣装まで出してきてくれて、色鮮やかなクルドのドレスをわたしに着せてくれた。お家を去るときには、これを日本にもってかえってほしい。とまで言ってくれて、さすがに受け取れないと断ったが、「また、クルディスタンに来るのよ」と手を握りながら何度も言っていた彼女が忘れられない。




イランは本当に東西の間に位置するのだなと思うほど、色々な顔立ちをした人がいる。気のせいかもしれないが、クルドは特にその多様性が多いと感じた。金髪、黒髪、栗色の髪から、目の色も緑、茶、青まで本当に一瞬どこにいるのだかわからなくなる。
国境を越えて広がるクルディスタンは通商ルートとしても重要である。先の投稿で、テヘランガールズの飲酒事情について書いたが、多くのお酒は私が訪ねたイラク国境を越えて入ってきているようだ。イラク側では自治権が与えられていることもあり、イラン−イラクのクルディスタンは治外法権とまではいかなくとも国家の境界に妨げられないボーダーレスな関係が構築されているようだ。私たちが訪ねた二つ目の村では、町内会の方のお宅でネギ焼きをごちそうになったのだが、ここのお父さんも毎日イランーイラク間の運搬業に携わっているそうで、そこに「国」の感覚はあまりない。



クルド人のトレードマークのクルド・パンツ。股上が深いダボダボパンツ。
サルエルパンツ人気はここに端を発したと私は信じている。
もう一つ、印象的だった街がヤズドだ。先のクルディスタンとは打って変わり、乾燥地帯と岩砂漠に囲まれている街。
ここはゾロアスター教の聖地として有名な街である。
普段聞き慣れない宗教だが、有名どころだとバンド・Queenのボーカルのフレディ・マーキュリーがゾロアスター信者だった。


ゾロアスター教の歴史はイスラムよりも古く、紀元前6世紀、アケメネス朝のペルシャに遡る。一説にはユダヤ・キリスト・イスラムのアブラハム系宗教にも強く影響したともされる。教義は二元論を基礎とするもので、光と闇、善と悪が拮抗する世界を描く。ゾロアスター教は拝火教とも呼ばれるが、これは彼らが光に神聖な意味をもたせ、礼拝の時に必ず火をともすからである(そのため、性格には「火」を拝んでいるのではない、とゾロアスター教徒には念押しされた)

またアニミズム的な性格も強く、自然を大地、空、などの要素によって捉えている。ゾロアスターについてもう一つのイメージが鳥葬であるが、遺体を鳥がついばむがままに任せる、この行為は霊魂が文字通り天に昇華されるための慣習である(鳥葬自体は200年前ほどに廃れ、1930年には正式に宗教権威が禁止を言い渡した)


鳥葬場は「沈黙の塔」と呼ばれる。(上)はヤズドの沈黙の塔。(下)は頂上の遺体を据えていた場所。
ゾロアスター教徒は現在世界で15万人ほどいると言われており、そのうち10万ほどはインドに住んでいる。残りの5万のうち3万ほどがイランに住んでおり、そのほとんどがヤズド近辺に住んでいると言われる。7世紀にイランがイスラーム化されてから、それまで国教であったゾロアスター教は一変してマイノリティの宗教となる。


ヤズドの見所の一つ。カルナック。何と4000年前から20年ほど前まで人が暮らしていた小さな村。
街の建造物すべてが土レンガでできており、砂漠気候のヤズドで夏は涼しく、冬は暖かくなるようにできている。
(下)は案内してくれたゾロアスター教徒のドライバー兼ガイドさん

断絶を挟みながらも国教が長らくイスラムであるイラン/ペルシャにおいて、ゾロアスター教徒の立場はつねに危うかったが、その習慣や教義は多くのイラン人に愛されていると感じた。例えば、イランが年間もっとも盛り上がる行事の一つに、ペルシャ正月であるヌールーズがあるが、これは元々ゾロアスターの習慣である。クルド人にも広まったことで、いまは彼らを媒介して、クルド文化としてトルコやイラクのクルド人でも祝われている。また、ゾロアスター教のシンボル、プラヴァシは少し気に留めるとあちこちで見かける。私が泊まらせてもらったテヘランっ娘のお宅の冷蔵庫にもプラヴァシのマグネットが貼ってあった。そして、誰に聞いてもこのシンボルの意味やゾロアスター教の教義の基本をよく知っている。「ゾロアスター教徒」という人の数は減れど、その考え方や習慣は一種の道徳として人々に享受されている。そんなところが、日本における神道や中韓における道教にとても近い、という印象を受けた。


ゾロアスター教のシンボル、プラヴァシ


事実、私たちを案内してくれたゾロアスター教のお兄さんは「ゾロアスター教はとても柔軟だし、排他性をもたないんだ」と言っていた。「ゾロアスター教には教典があるけれど、別にそれは硬直的なものではなく、教義の解釈は頻繁に行われ、柔軟にかわっていくんだ」と。彼いわく、ゾロアスター教では、現代にはいってから、輪廻の考え方も否定しないとの立場を明らかにするようになったといい、これは当初の教典の教えの中で明示されていないことらしい。加えて、イスラム教以外の宗教とは両立を認めているらしく、他の宗教の信徒として入信したとしても、その人はゾロアスターであり続けてよいのであるとか。お兄さんも11年前に仏教徒になったのだと言っていた。毎日瞑想はかかさずおこなっており、「仏教の自分と向き合うことで自らを高めるという内省的な面に惹かれた」そうで、自分の外ではなく、自らの内面に思いを照らすそのピースフルな考え方はゾロアスターの教えとなんら反発しあうものではない、とのことだ。


ゾロアスターの聖地の一つ、チャックチャック。その昔王女が逃げ込んだ場所と言われ、礼拝所に滴り落ちる雫のチャックチャック(=ポタポタ)という音が王女の涙になぞらえられる。6月には世界中から信徒が集まるそう。(上)火を灯す礼拝台、(下)乾燥したヤズドでこの場所は不思議とわき水が絶えず流れており、その雫の音、湿った空気は確かに神秘的。
イランはイスラーム革命を期に、アイデンティティーを宗教で形成するようになり、物理的な境界をもつナショナル・アイデンティティーは陰を潜めてきた。現に革命とともに、ゾロアスターの教義を教える宗教学校もすべて取り潰しになり、その教えの伝承は一般家庭に人を集めて細々と行うよりほかなかった。また、政府からは実質的にその存在を否定され、制度的にも抑圧されてきた。
信徒に特定の行いを義務づけることがイスラームにくらべ少ないゾロアスター教では、飲酒も許されている。私たちを案内してくれたガイドさんは、一年前ビール一杯飲んでいるところを、風紀警察に見つかり、地裁で「むち打ち150回の判決」を受け、鞭にうたれた腫れで数ヶ月、普通の姿勢で眠れなかったそうである。ヤズドという地域にたいして、イスラーム体制がどのような姿勢をむけてきたは定かではないが、テヘランの子がお酒7リットルをもっていて、一晩留置所で過ごしておわりだったことを考えると、彼の出自が関係したのではと思わずにはいられなかった。また、他の都市の自由な気風をみていると、鞭打ちや石打ちなんか本当にあるのか⁈、等と思っていたが、自己体験としてこんなエピソードが本人の口からひょうひょうと語られるのを聞くと、そのリアリティーにハッとする。イラン国内に存在する果てしないギャップに、キンキンと耳が奥から響いた。




乾燥地帯のヤズドでは、熱い夏、冷気を入れるための煙突(バードギール)がたくさんある。(上)(下)は野菜などを貯蔵していた製氷庫
しかし、近年、イスラーム体制に対する信頼の低下をうけ、イランでも、ペルシャ・ナショナリズムが復興しつつある。イラン人はペルシャの誇りを強く持っている人々であるが、その中でも、アケメネス朝をはじめとする、ペルシャ帝国の栄華はその華を飾っている。その時代から連綿とつづくゾロアスター文化を大事にする傾向は以前にもまして高まっているようだ。



ヤズドとクルディスタンはどちらも、目の覚める様なモスクや、華やかな広場がある場所ではない。でもこの地域にわたしはペルシャの奥深さとモザイクの様に鮮やかで、しかし一筋縄にはいかない多様性の一片をみたきがした