ミスサイゴンをみてきた。
レミゼラブルの黄金タグ、キャメロン・マッキントッシュとクロード=ミシェル・シェーンブルグのプロデュースとあって、音楽がすこぶる良い。
この作品、メインキャストが少ないこともあり、印象としては6割は主人公キムが歌っているのではないかと思うほど。だから、キムの配役で作品の印象が全然ちがう。
私は去年のレミゼのエポニーヌ役が気に入った昆夏美の回に。エポニーヌ→キムを同じ女優がやるのはよくある流れなだけあって、期待を裏切らないクオリティ。昆ちゃんの、芯がある声と、それに似つかわぬ華奢な身体、まっすぐな眼が純真で信念をもったキムぴったりだった。
あえて言うならば、男性キャストの高音が少し危うく、声がややインパクトに欠けたかな?とはいえ、合唱部分はやはり一級。レミぜに同じくやはり闘う男性のアンサンブルは太鼓の音のようにお腹にグッと落ちる感じが好き。
初めての鑑賞だったので、ストーリーについても少し。
ミスサイゴンはベトナム話ではない、と私は思う。あれをベトナムの話としてみると、端々に表れるステレオタイプが気になる(実際初演時はニューヨークのアジア人から抗議運動までおきたらしい)。ちがう、この作品はアメリカの話なのだ。そのベトナム・ベテランの無思慮なベトナム観も含め、描いているのだ。
ベトナム戦争はアメリカの自意識を破綻に追い込んだ戦争だった。アメリカであそこまで大規模な反戦運動が起きたのはベトナム戦争がはじめてだった。その後反戦運動自体はより常習的になったといえど、イラク戦争への反対運動でさえあそこまでの規模にはならなかったのではないかと思う。それまでアメリカは"正義の番人"として君臨して、その神話をNation-buildingの一つの柱としてきた。それは大敗を期したベトナム戦争で大きく揺るがされる。
兵士が大きな犠牲を払い、自分たちの手でモラルが侵され、大義も果たしえなかったベトナム戦争、その膿を描いたのがミスサイゴンだ。ベトナム戦争遺児を支援する基金を高らかに掲げながら、夜は悪夢にうなされ、それでも"あのときは他にどうしようもなかったんだ"と泣き崩れる、そんな人の矛盾と葛藤、そして自己満足な罪滅ぼしを描いている。
だから、最後にキムは救われない。"色々厳しいこともあったけど、この子を引き取って、彼は僕たちとアメリカで新しい人生を送って行く!"という自己満足の完結をこの劇は許さない。最後にキムは自死を選び、ベトナム戦争の膿は一層皮膚を深くえぐる。
そして、その膿を膿のままで残した点がこの作品に深みをもたせているところだと思う。これが、万事うまくいってしまう話ではあまりに不誠実なフィクションだ。
そんなミスサイゴンの初演が生んだスターLea SalongaのSun and Moon
お盆休みはベトナムに決まりました。今から楽しみ。