ベトナムは戦争がまだ近い。
日本にとって直接参戦した最後の戦争の経験は第二次世界大戦。
昨日は終戦記念日だったが、それをきっかけに思うこと、考えることはあってこそ、
祖父母が青年の頃の戦争の話はどこかリアリティがない。
一方、ベトナム戦争の終結は1975年である。
街中では手足を失った人の姿をみかける。
私が居候していた友人もお父さんが地雷で片足がないのだと教えてくれた。
ほんの一世代前まで、ベトナムは南北に分断され戦火の中にあった。
博物館でみる写真はカラーだ。
戦争を描いた絵画の画風は”モダンアート”だ。
戦争の影はすぐ後ろにある。
先日、日本は憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使容認をした。
戦争へ参加するということが、そんな事を意味することを果たしてどれだけの人が肌で理解しているのか。蜷川実花が撮る写真が、村上隆の画が戦争に染まった社会を私たちは想像できているのだろうか。
ベトナム戦争の傷はアメリカ社会も深くエグったことは先のMiss Saigonレビューでも書いた(ロシアでどう捉えられるのかも気になる)しかし、ベトナムでは驚くほど現代において反米意識は希薄だ。日本での祖父母世代のアメリカに対する感覚と似ている。失礼を承知でベトナム人の友人達に滞在中聞いてみたけれど、なんというか、アレはアレ、今は今と割り切っている。ベトナム人の友人によれば、アメリカ人と結婚したいといえば、きっと祝福してくれるだろうし、よく「アメリカに留学はしないの」とも聞かれるという。わたしも祖父母世代もきっと私に同じことをいうだろう。しかし、ベトナムの現政権は社会主義なのだし、陸上戦もあったのだ。その感覚には少なからず驚いた。これは、やはりアメリカのConsumerist cultureとそれのもつソフトパワーの成せる技なのか。(屋台コーヒーが根強いベトナムでさえ今はスターバックスがある。あれだけ反米感情がつよい中東でだってコーラはある。)いくら政治的にはアメリカの理不尽さと対立したとして、その消費者文化はやはり抗いがたい魅力があるのだろう。
一方、私が同時に驚かされたのはベトナムにおける反中感情。
今年ベトナムでは5月ごろ、反中デモが全土に広がった。
きっかけは中国がベトナムのEEZ(排他的経済水域)内での中国による海底資源の採掘活動とその前後の船舶拿捕に端を発するもの。しかし、これは根底を流れる反中感情が起爆されたことによる部分が大きい。
1979年、ベトナム戦争を終結からほどなくして、中越戦争という戦争があったそうだ。
私は恥ずかしながらこの戦争についてしらなかった。カンボジアのポルポト政権、反政権派をそれぞれ支持した二国の間の戦争だった。交戦期間こそ短かったものの、その後も両国の関係は改善せず、今回のような、領土紛争などが断続的に発生。もともとベトナムには、中国支配をうけていたという反感もある。ベトナムにおける中国への不信感は強く、私の友人たちは”中国人と結婚するなら勘当だ”と言われているらしい。理由をきくと、”中国製品のずさんさ”、”環境に対する無思慮な態度”が不誠実だという答えが返ってくるそうだ(このあたりの意見も日本で聞かれるものと共通する)。私はとても無知なので、同じ政治趣向の2カ国はむしろ近しい仲なのではないかと思っていたほどだ。
南北ベトナムに話を戻す。
政治的な分断で一度は南北に別れたベトナムだが、その頃の影響か、元からなのか、
ベトナムではよく”北は◯◯、南は××”という言い方がされる。
そのコントラストがおもしろかったので、ここで少しまとめてみる。
*ちなみに私の主たる情報源である3人の友人はいずれも中部出身。
なかでも、ホームステイさせてもらったコは中部出身→ハノイ(北)で大学進学→ホーチミン(南)で就職しているので、割とバランスがとれている視点だと思う
【北ベトナム】
ケチ/倹約家
家食が好き
堅実
友人形成は徐々に、他人に対して少し壁がある
サービス精神が低い(これはやはり共産文化か?)
【南ベトナム】
金遣いがあらい/太っ腹
外食好き
社交的、おしゃべり
人懐っこい
こうして見るとなんとなく、関東↔︎関西の対比に近いものがあるような気もする。
北在住者に曰く、こんなジョークもあるそうだ。
”彼にもし、100万ドン(5000円)をもらったら、彼女は何に使うか。
南の彼女は全部ショッピングにつかいます。
北の彼女は半分貯金して、半分は彼のためにプレゼントを買う”
友人たちいわく、これは北が「農民気質」で南が「商人気質」だからなのだそうで、
これにそれを助長するような、資本主義と共産主義の趣向も加わったのだと想像する。
ちなみに、北と南の話がもっとも出るのは、料理についてで、
これは別の投稿で詳しく。
友人の一人は自分の地元は気質は人懐っこい南ベトナムで料理は北部風でいいとこどりで最高と言っていた笑
南北の間の亀裂は今はほとんどないそうで、
ただ、南はそのまま資本主義を突き進んでいれば、
自分たちは今頃もっと発展していたのに、という苦々しさは少し残っているらしい。
真偽のほどはたしかではないが、南ベトナム時代のサイゴン(=ホーチミン)はその頃バンコクよりも経済発展していたとか。
このあたり、統一後の東西ドイツの住民感情も対比としてとても気になる。
南の伝統芸能、水上人形劇
市内のなんでもないポスターがやたら共産色なのが面白かった
今回、ベトナムはホーチミンから北上5都市の旅だったのだが、
一国内における地域性の違いが垣間見れるのが、周遊の旅の醍醐味。
最後の投稿はそんな地域それぞれの食を紹介します。