2015年10月9日金曜日

The dead end of the very public secret

ルック・オブ・サイレンス


虫が寄生している木の実がコロコロ転がるのを見ながら、息子を虐殺された母は言う「早く出ておいで。いるのは分かっているんだよ。出てきてくれなきゃ、本当にいることが見えないじゃないか」

インドネシアの田舎の村の公然たる秘密。木の実がコロコロ転がるのだからそこにあることはわかっている。でも、それはこじ開けられることなく、重い沈黙で鍵がかかっていた。

前作アクトオブキリングについて私はこう書いた
「後悔と賞賛、嘔吐と歓声を往き来する彼らに精神の崩壊をみた。」Act of Killing レビュー

見終わった直後、今作は一作目に比べてナラティブが薄いと感じた。一作目はそれまで得意げに虐殺を語っていたマフィアボスが「自分は罪人なのか?」と涙ぐみ、暴力を再現した場所で嘔吐しているシーンで終わる。そこに狂気と正気が絡まりながら堕ちていく様を感じた。ルックオブサイレンスでは加害者の語りをあと、賞賛もなければ糾弾もない。なにを描きたいのか、それは一作目と同じなのか、それとも違うのか、スッとはわからなかった。でも、タイトルを改めてみて、そのなにも生まれない重苦しい空白こそ本作の核ではないかと気がついた。

虐殺を語ったあと、アディは加害者をただただ見つめる。虫の音、扇風機の風が響く部屋。インドネシアの蒸し蒸しとした湿度までが観ているこちらの肌を這うような感覚になる。その語りを通して、確執は解決せず、納得も生まれず、赦しは訪れない。

公然たる秘密を開けたところにあったのは沈黙という空白と、どこにも行かない行き止まり。そのどうしようもないやるせなさこそがこの2作目の向けた眼差しだった。木の実が地に落ち、芽を生やすにはまだまだ時が必要である。


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