2014年6月22日日曜日

Laurence Anyways



図らずして二度目の鑑賞をした。
一度目はあまりにその世界観に圧倒されてしまい、鑑賞後もその感想を同伴した友人とうまくシェアできなかった。その一回目の感想がこれ


----------【一回目レビュー】--------------
見終わった直後、なんだか腑に落ちない映画だと思った。監督自身もLGBT当事者であるこの映画、このようなジャンルは対外「特殊」だと思われがちな彼・彼女たちの集団をいかに「平凡」に描くか、その他社会に共鳴してもらうかに注力しているものが多いように思う。だが、この作品は違う。ところどころに出てくる主人公の妄想世界・情緒の具現化、非凡でビビットな色使いに衣装。そのどれもがあえて観客を遠ざけている気がした。突き抜けた感性・価値観をあえて強調する、あの共感を寄せ付けない感覚は独特だった。映画の原点はやはり共感メディアだと思うから。

中盤からは、映像美として楽しむのが自分にとっての正しい見方だとかんじながらみていた。

監督はまだ若い。ケベックの片田舎出身だし、決して今まで自分のアイデンティティーを背負っていくのは楽ではなかったのかもしれない。彼の尖った感性が研ぎ澄まされた作品だった。それに圧倒されてしまったのかもしれない。
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二度目の観賞後の感想は、
"これは映画であるというより文学だ"。
やや、雑な言い方だがこれに尽きる。

一度目の鑑賞のとき、私は上記の通り、監督の表現方法ゆえに、この映画に突き放されるような印象をうけた。
"私たちはあなたたちとは違うんだ!"と叫ぶような。

二度目に映画をみて、エキセントリックに映った映画の中の視覚世界は、現実というよりも心象風景という要素が強いのだと理解した。ストーリーを知っているゆえに、一度目よりもスクリーンに映る造形や色彩に視点が集中した。

文学に擬えたのはこのこと。文学作品でイコンやメタファーを拾って行くように観ると監督の意図したことがよりキャッチできるきがした。

一番目を引いたのは色。
冒頭車内でロランスとフレッドがイチャイチャしながら"楽しみを半減するものリスト"をつくっているとき。彼女たちは色の意味を確認していく。

赤は怒り、情熱
黄色はエゴ
茶色は性やエロチシズムの対局
ピンクとベビーブルーは健康に反する色
ダークチョコレートは自己破壊への一歩

その色への意味づけが二度目の鑑賞でとても気になって、頭のすみに置きながら残りは鑑賞した。
そうすると、鮮やかに彩られた画面がロランスとフレッドの心情の揺れ、その機微がをいっぱいに描きなぐったキャンバスであることに気がついた。

若くて、ナイーブで矛盾に満ちた二人の感情は言葉や表情じゃとても映しきれない。その混沌、激しさ、非合理性、surrealでナマなかんじが色のぶつかり合いとして表現されていた。

ロランスの受賞お祝いディナーの黄色い背景
フレッドの最初は赤く、最後には茶色い髪
常に黒い服をきたロランスの母とフレッドの妹ステッフ
インタビューでピンクとベビーブルーのスーツを着たロランスは、"不健康上等、ゲテモノでなにか不満でも?" と言うがごとく、marginalityをまとって歩くプライドを放っていた。

特に黒は社会規範やconventionalityを強く推し示す色だった。"ダークチョコレートは自己破壊への一歩"。溢れる自我を丸め込む箱。

混乱していたフレッドがむかったダンスホールは暗い部屋に真っ黒なスーツの人が溢れる。仮面のようなメイクをした群衆の中にフレッドは視線を浴びながら入っていくも、その中にもまれ、呑まれていく

数年後に見る所帯持ちのフレッドは、かつて、大嫌いだった"自己破壊へのはじまり"たるダークチョコをかじっていた。

衣装のディレクションまで監督自身が担当していることには意味がある。


黒がそんな色だから、2人の憧れの場所が"île au noire-黒の島"というのとても象徴的。彼女たちは自分たちでありつづけながらも、"社会"に受け入れられたいと願った。カミングアウトしたロランスはîle au noireに行きたいと言う。彼女はそのままの自分として学校という規範の鏡のような場にいつづけたいとねがった。しかし、結局Marginalityにおしやられ、夢と描いた2人の島行きもなくなってしまう。

再会した2人はそんな"真っ黒な島"に色の雨を降らせる。背景もセットもどんよりグレーが続く中、抱き合う2人に色とりどりのランドリーが降り注ぐ様は画一的な世界に一気に感性が注がれるかのよう。それは、まだ"ただの男女"だった頃、2人が路地の真っ黒な洗濯物の前で抱き合うシーンとの対でもある。

はじめて観たときこの映画を私は現実世界として受け取ろうとし、消化不良を起こした。でも、二度目の鑑賞を経て、これは文学であり、叙情詩だときづいた。実体や言動よりも、その中の渦巻く感情が核であり、画面はその具現化である。言って見ればこれはロランスとフレッドの感情が全てであり、その心象風景である作品だ。マージナルな2人がバケツいっぱいのエモーションをお互いに、モノクロ世界にぶちまけあったはなしなのだ。

  -Non sire, ceci n'est pas une révolte, c'est une révolution

 -いいえ、陛下これは反乱ではありません、革命なのです



おまけ
各国版のポスターのちがいがとてもおもしろい



カナダver
   

アメリカver

   

スペインver



イギリスver



ドイツver



香港ver

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