2015年5月31日日曜日

モザイク模様のアイデンティティー

イランは国内の地域色が豊かな国だ。
国境をイラク、トルコ、アルメニア、アゼルバイジャン、トルクメニスタン、アフガニスタン、パキスタンと接しており、多様な文化圏との繋がりをもっている。

今回私が旅をしたのはこんなルート


A:Teheran→B:Marivan (Kurdistan)→C:Hamadan→D:Esfahan→E:Shiraz→F:Yazd→G:Teheran

どの都市も筆舌に尽くしがたいほど、素敵な場所だったのだが、独特の魅力をもっているなと思った都市について少し書いておきたい。

一つは、Marivan。私がテヘランの次に向かった街。
Marivanはイラク国境際のクルディスタンにある村。クルディスタンとは、「世界最大の国家を持たない民族」とも呼ばれるクルド人が住んでいる地域である。その居住地域は、トルコ、イラク、イランにまたぎ、それが一つの国となればフランス国土に匹敵する広さとも言われる。特にトルコでは厳しい弾圧と迫害にあっており、分離運動がたびたびトルコ軍と衝突を繰り替えてしている。他方イラクでは自治権を有しており、イランでは自治権はないものの、コルディスタン州という行政単位として認識されており、トルコほどの差別はないが、独自の文化圏として認識されている。

私がクルドについて、はじめてきちんと学んだのは大学一年生のとき、中東研究者の先生のテーマ講義であった。そのとき、先生が語っていた人情に溢れるクルドの村での思い出はとても印象的で、私もいつかこの地に足を運べないかと頭の隅で思っていた。

クルディスタンには、ガイドブックを色鮮やかに飾るような建築物やランドマークはない。でも、訪ねる者を全力で歓迎してくれる人がそこにはいる。


日本に比べてとても乾燥しているイランだが、クルディスタンはとても青々としている。
小高い丘に上るとそこには、原っぱに湖、花畑が広がる。





村を歩いている私たちはすぐに村の人の目を引いた。イラン人/クルド人は本当にいろんな顔立ちの人がいるので、欧米人であれば歩いているだけでは目立たないのだが、なんせアジア人顔はほとんどいない。小さな小さな子供でさえ、はじめて見た、顔が平たく、目が細いわたしの顔に驚いている。気づけばあっと言う間にあちこちの家から人がでてきて、「どこから来たの??」の嵐。子供たちはペルシャ語もクルド語もはなせない私と友人に駆け寄り、一生懸命なにかを話しかけてくれる。気づけば手を引かれ、村中を案内されていた。

子供たちとはしゃいでる姿をみて、一層警戒心が解けたのか、そこからは通る道、曲がる角ごとにお茶に誘われた。
何軒かのお家にはお言葉に甘えてお邪魔したのだが、なかでも、特に印象にのこったのが、ある7歳の男の子。村のほとんどの人がペルシャ語とクルド語しかはなせない中、彼は学校で習っている英語を総動員して、家族と私たちの間をつなぎながら一生懸命私たちと会話をしてくれた。Marivanの印象をきかれ、「とても素敵な街だね」と答える私たちの言葉にKianooshという名の彼は顔をほころばせ、「Yes! Marivan is very very very clean!!!」と満面の笑みで何度も言っていた。彼のいうとおり、Marivanは街中もお家の中もとても整然としていた。お邪魔したお家はどこも、床の上に無駄なものがほとんどなく、部屋の空間をとても広く使っている。店が並ぶ道路脇もごちゃごちゃしておらず、店先でおじさんたちが日向ぼっこしているようなピースフルな場所だ。


暖かいチャイとほっぺの内側がキーンとなるほど甘いスイカをいただいていると、お母さんがクルド衣装まで出してきてくれて、色鮮やかなクルドのドレスをわたしに着せてくれた。お家を去るときには、これを日本にもってかえってほしい。とまで言ってくれて、さすがに受け取れないと断ったが、「また、クルディスタンに来るのよ」と手を握りながら何度も言っていた彼女が忘れられない。




イランは本当に東西の間に位置するのだなと思うほど、色々な顔立ちをした人がいる。気のせいかもしれないが、クルドは特にその多様性が多いと感じた。金髪、黒髪、栗色の髪から、目の色も緑、茶、青まで本当に一瞬どこにいるのだかわからなくなる。
国境を越えて広がるクルディスタンは通商ルートとしても重要である。先の投稿で、テヘランガールズの飲酒事情について書いたが、多くのお酒は私が訪ねたイラク国境を越えて入ってきているようだ。イラク側では自治権が与えられていることもあり、イラン−イラクのクルディスタンは治外法権とまではいかなくとも国家の境界に妨げられないボーダーレスな関係が構築されているようだ。私たちが訪ねた二つ目の村では、町内会の方のお宅でネギ焼きをごちそうになったのだが、ここのお父さんも毎日イランーイラク間の運搬業に携わっているそうで、そこに「国」の感覚はあまりない。



クルド人のトレードマークのクルド・パンツ。股上が深いダボダボパンツ。
サルエルパンツ人気はここに端を発したと私は信じている。
もう一つ、印象的だった街がヤズドだ。先のクルディスタンとは打って変わり、乾燥地帯と岩砂漠に囲まれている街。
ここはゾロアスター教の聖地として有名な街である。
普段聞き慣れない宗教だが、有名どころだとバンド・Queenのボーカルのフレディ・マーキュリーがゾロアスター信者だった。


ゾロアスター教の歴史はイスラムよりも古く、紀元前6世紀、アケメネス朝のペルシャに遡る。一説にはユダヤ・キリスト・イスラムのアブラハム系宗教にも強く影響したともされる。教義は二元論を基礎とするもので、光と闇、善と悪が拮抗する世界を描く。ゾロアスター教は拝火教とも呼ばれるが、これは彼らが光に神聖な意味をもたせ、礼拝の時に必ず火をともすからである(そのため、性格には「火」を拝んでいるのではない、とゾロアスター教徒には念押しされた)

またアニミズム的な性格も強く、自然を大地、空、などの要素によって捉えている。ゾロアスターについてもう一つのイメージが鳥葬であるが、遺体を鳥がついばむがままに任せる、この行為は霊魂が文字通り天に昇華されるための慣習である(鳥葬自体は200年前ほどに廃れ、1930年には正式に宗教権威が禁止を言い渡した)


鳥葬場は「沈黙の塔」と呼ばれる。(上)はヤズドの沈黙の塔。(下)は頂上の遺体を据えていた場所。
ゾロアスター教徒は現在世界で15万人ほどいると言われており、そのうち10万ほどはインドに住んでいる。残りの5万のうち3万ほどがイランに住んでおり、そのほとんどがヤズド近辺に住んでいると言われる。7世紀にイランがイスラーム化されてから、それまで国教であったゾロアスター教は一変してマイノリティの宗教となる。


ヤズドの見所の一つ。カルナック。何と4000年前から20年ほど前まで人が暮らしていた小さな村。
街の建造物すべてが土レンガでできており、砂漠気候のヤズドで夏は涼しく、冬は暖かくなるようにできている。
(下)は案内してくれたゾロアスター教徒のドライバー兼ガイドさん

断絶を挟みながらも国教が長らくイスラムであるイラン/ペルシャにおいて、ゾロアスター教徒の立場はつねに危うかったが、その習慣や教義は多くのイラン人に愛されていると感じた。例えば、イランが年間もっとも盛り上がる行事の一つに、ペルシャ正月であるヌールーズがあるが、これは元々ゾロアスターの習慣である。クルド人にも広まったことで、いまは彼らを媒介して、クルド文化としてトルコやイラクのクルド人でも祝われている。また、ゾロアスター教のシンボル、プラヴァシは少し気に留めるとあちこちで見かける。私が泊まらせてもらったテヘランっ娘のお宅の冷蔵庫にもプラヴァシのマグネットが貼ってあった。そして、誰に聞いてもこのシンボルの意味やゾロアスター教の教義の基本をよく知っている。「ゾロアスター教徒」という人の数は減れど、その考え方や習慣は一種の道徳として人々に享受されている。そんなところが、日本における神道や中韓における道教にとても近い、という印象を受けた。


ゾロアスター教のシンボル、プラヴァシ


事実、私たちを案内してくれたゾロアスター教のお兄さんは「ゾロアスター教はとても柔軟だし、排他性をもたないんだ」と言っていた。「ゾロアスター教には教典があるけれど、別にそれは硬直的なものではなく、教義の解釈は頻繁に行われ、柔軟にかわっていくんだ」と。彼いわく、ゾロアスター教では、現代にはいってから、輪廻の考え方も否定しないとの立場を明らかにするようになったといい、これは当初の教典の教えの中で明示されていないことらしい。加えて、イスラム教以外の宗教とは両立を認めているらしく、他の宗教の信徒として入信したとしても、その人はゾロアスターであり続けてよいのであるとか。お兄さんも11年前に仏教徒になったのだと言っていた。毎日瞑想はかかさずおこなっており、「仏教の自分と向き合うことで自らを高めるという内省的な面に惹かれた」そうで、自分の外ではなく、自らの内面に思いを照らすそのピースフルな考え方はゾロアスターの教えとなんら反発しあうものではない、とのことだ。


ゾロアスターの聖地の一つ、チャックチャック。その昔王女が逃げ込んだ場所と言われ、礼拝所に滴り落ちる雫のチャックチャック(=ポタポタ)という音が王女の涙になぞらえられる。6月には世界中から信徒が集まるそう。(上)火を灯す礼拝台、(下)乾燥したヤズドでこの場所は不思議とわき水が絶えず流れており、その雫の音、湿った空気は確かに神秘的。
イランはイスラーム革命を期に、アイデンティティーを宗教で形成するようになり、物理的な境界をもつナショナル・アイデンティティーは陰を潜めてきた。現に革命とともに、ゾロアスターの教義を教える宗教学校もすべて取り潰しになり、その教えの伝承は一般家庭に人を集めて細々と行うよりほかなかった。また、政府からは実質的にその存在を否定され、制度的にも抑圧されてきた。
信徒に特定の行いを義務づけることがイスラームにくらべ少ないゾロアスター教では、飲酒も許されている。私たちを案内してくれたガイドさんは、一年前ビール一杯飲んでいるところを、風紀警察に見つかり、地裁で「むち打ち150回の判決」を受け、鞭にうたれた腫れで数ヶ月、普通の姿勢で眠れなかったそうである。ヤズドという地域にたいして、イスラーム体制がどのような姿勢をむけてきたは定かではないが、テヘランの子がお酒7リットルをもっていて、一晩留置所で過ごしておわりだったことを考えると、彼の出自が関係したのではと思わずにはいられなかった。また、他の都市の自由な気風をみていると、鞭打ちや石打ちなんか本当にあるのか⁈、等と思っていたが、自己体験としてこんなエピソードが本人の口からひょうひょうと語られるのを聞くと、そのリアリティーにハッとする。イラン国内に存在する果てしないギャップに、キンキンと耳が奥から響いた。




乾燥地帯のヤズドでは、熱い夏、冷気を入れるための煙突(バードギール)がたくさんある。(上)(下)は野菜などを貯蔵していた製氷庫
しかし、近年、イスラーム体制に対する信頼の低下をうけ、イランでも、ペルシャ・ナショナリズムが復興しつつある。イラン人はペルシャの誇りを強く持っている人々であるが、その中でも、アケメネス朝をはじめとする、ペルシャ帝国の栄華はその華を飾っている。その時代から連綿とつづくゾロアスター文化を大事にする傾向は以前にもまして高まっているようだ。



ヤズドとクルディスタンはどちらも、目の覚める様なモスクや、華やかな広場がある場所ではない。でもこの地域にわたしはペルシャの奥深さとモザイクの様に鮮やかで、しかし一筋縄にはいかない多様性の一片をみたきがした




2015年5月18日月曜日

ベールが覆う嘘と本音

イランは神権政治の国だ。言うまでもなく神権政治とは政教同体の政治体制であり、宗教指導者が同時に政治指導者を勤めていることを指す。現在、神権政治の政体を採る国はほとんどない。定義にもよるが、バチカンやチベット自治区が該当するともいえる。

さらにいえばイランの特殊性はこの神権政治がわずか36年前、“革命”で成立されたことである。単線的な民主主義発展論を唱えるつもりはまったくないが、多くの国は宗教的権威による統治をとってかわるかたちで民主制が発展してきたわけであり、政教同体をわざわざ革命をもって再導入する、という、一見「逆行」するようにも思える変革を起こしたという点でイランはとても興味深い。


テヘラン(上)と、地方都市クルディスタンの街マリヴァン市内(下)。地方にいってもイランの街はとても整然としている。どこもゴミなど落ちておらず、街中は街路樹や花で明るい雰囲気

イランについて、日本で日常生活を送っていて自然に耳にはいってくることはとても限られている。神権政治、イスラーム革命、アメリカ大使館人質事件、核開発、などからも狂信的な国だという印象をもっている人は多い。しかし、一度足を踏み入れるとこの国に驚くほどの矛盾が絡まり合っていることを全身でかんじた。

「イラン人は嘘をつくのがうまいんだ」

私がイラン滞在中に、現地で知り合った人たちはよくこの言葉を口にした。

例えば衣服や風紀について。
シャーリア(イスラーム法)を国内法として採用するイランでは革命以降、女性はベール(ヒジャブ)を被ることが義務付けられるようになった。それは外国人でも例外なく、イラン到着の飛行機では到着前にみんな一斉にヒジャブをかぶる。しかし、街中を歩いているとむしろイランの女性のヒジャブのかぶり方はとても適当なことに驚く。もちろん、全身黒い布ですっぽり覆われたチャドルの女性も多くいるが、都心の若い女性は特に、「仕方ないからやってるのよね」といわんばかりに薄いストールをくるくると頭に緩く巻いてる人が多い。ヒジャブとはもともと頭髪を隠すためのものだが、ふさふさのロングヘアーをベールの端から垂らしていることは稀ではないし、お化粧も派手な人は多い。

私をテヘランで泊めてくれた今どきテヘランっ娘は、外出するときにベールをめんどくさそうに頭にのせながら、私の方をまっすぐみて言った。「こんなのね、私にとっては嘘っぱちなの。言われてるからやってるのよ」


イランの見所の一つ、古都エスファハーンのモスク。外壁のモザイク柄が息を飲むほど美しい。

それもそのはずだ。イランはいまでこそ神権政治の国だが、革命前の王政時代は中東のなかでも、特に自由な気風が強く、街なかにはミニスカートの女性が闊歩していたという。ヒジャブも1936年に「後進性」の象徴として禁止されていたこともあったくらいだ。それが、革命を期に一気に揺り戻った。しかし、大衆文化がそう一気に廃れることはない。革命直後の気運はわからないが、今のイランのポップカルチャーはその体制が発する厳粛なイメージとはかけ離れている。

イランではパーティーが盛んなことに知っているだろうか。パーティー文化は革命前から盛んだったらしいが、表立ったクラブや飲み屋が姿を消した今、パーティーも陰を潜めたのかといえば、とんでもない。舞台は街角から家の中に場所をかえただけで、いまでもイラン人はパーティー好きだ。先にあげた私の泊めてくれていたテヘランっ娘も大のパーティー好き。とくに大学生になって、自由が増えてからは、毎週のようにみんなで宅飲み(!)をしているそうだ。

私にも「さきもgathering来ないー?」というので、てっきり女子会みたいなものを想像して、
「それなにするの?みんなでお茶するの?」
と返したら、
「さきー、つまらないこと言わないでよ、お酒呑むに決まってるでしょ?!」と返された。


(上)エスファハーンの川沿いで遭遇したギャルのピクニック。イラン人はとてもピクニックが好き。通りかかったら、誘われたので一緒にお茶をした。(下)パン屋で夕食用のパンを買うチャドルの女性

そこから、彼女は前週のパーティーの写真もみせてくれた。バブルのジュリアナにも負けないばっちりメイクとミニスカに胸元の大きくあいたドレス。
「この時はみんな彼氏もつれてきてたのー。」と。

結局、前後に移動が控えていたので、"gathering"にはお邪魔できなかったのだけど、代わりに、パーティー場所が見つからないときによくやるという”ナイトドライブ”の仲間にいれてもらった。夜23時ごろから一時間ほど、テクノ音楽(イラン・テクノ)をガンガンにかけながら、みんなで熱唱して、夜の街をドライブするというのが、そのお作法。特に男の子の集団の時は、「ナンパ・ストリート」繰り出していって、ナンパ待ちの女の子にウィンドウ越しに声をかけにいくらしい。そのとき、車を長い間止めてナンパをしていると、風紀警察にばれるので、その道をなんども"グルグル"とまわって同じ娘と話すらしく、そのドライブナンパのことを”ドルドル(=ペルシャ語でグルグル)”と呼ぶとか。

「風紀警察にばれてヤバいことになったことないの?」と聞くと、
「この子とかさ、一回パーティーくる途中酒7リットル持っているところ警察にみつかってさ、一晩留置所にいくことになったよね」
「あれは、やばかった。7リットルとかごまかしようがなかったもんー」

と。それでもパーティー文化は廃れない。
イランではパーティーするのもスリリングだ。


イランの国花は薔薇。白い薔薇が街中、公園内、でよく植えられている。気高いその気風はペルシャ人にとても似合う。

誤解を招かないように断っておくと、彼女たちはいずれもテヘランの一流大学の大学生。決して、ヤンキーとかではないということ。彼女たちがテクノで歌い狂ってる様は日本でお酒の味を覚え始めた大学生となんら変わらなかった。

もちろん、私が今回話してきたのは、主に富裕層や外国人にもオープンな中間層であって、平均的な地方の貧困層の意見まで上記が代表しているわけでは決してないと思う。
しかし、それが一部であったとしても、私はイランの体制の性格と大衆感情のあまりの隔たりに本当に驚かされた。それは、かけてきたとも知らなかったサングラスを正面から歩み寄って、フッと取り去られたような感覚だった。光の下で直視するイランはもっと鮮やかだった。

これほどまでに大衆感情とギャップがある体制について、政治について、人はどう感じているのか、気になった。イランは世界一頭脳流出「brain drain」が多い国と言われる。社会階層でものを語りすぎるのは危険ではあるとおもうが、生活に困った低所得者が出稼ぎに行っているのではなく、知識人、エリートが国を「諦めて去る」現実は深刻だと思う。イラン人のエリートの間には国の体制ゆえに、自らの能力を十分に発揮できない、それを持ち腐れにしている、という思いが強いと感じた。私をシラーズという街で案内してくれた生物学のPhDを持つ男性は、現在無職だった。「イランでは今宗教的な指標で社会的地位を得る構図ができている。学術をきわめても"徳を積んでる"奴に勝てないんだよ。この無力感てないだろ」といっていた。テヘランの大学生たちも、「もし、イスラーム的な理で考えたとしても、あいつら(政治的地位を持つ聖職者)はおかしいのよ。イスラーム科学者は本来"科学者"なのだから、サイエンスもわかっていた上でその権威を認められるはず。でもあの人たちは聖典と自分の地位しか、わかっていない。そんな人たちに学をおさめている私たちのことや政治がわかるわけがない。あの人たちがどうして偉いのかわからない」。実際、イランは石油による不労収入がありながら、その産業・学術においては内的動力が湾岸諸国に対して強い国だと思う。経済制裁をうけながらも、多くの産品を国産でつくることができ(国産自動車は50万台生産している)、PhDの6割は女性、去年は数学の最高峰フィールズ賞をとったのもイラン人女性だった。それが、政治体制に足かせを受けているという声には、思わずうなずきたくなった。

「今のイランは脳に腫瘍を抱えた秀才さ」

シラーズを案内してくれた彼はいっていた。

「じゃあ、革命は失敗だったの?」

「79年当時の王政は確かにあのままではいけなかったでも、必要だったのは "improvement" だったんだ、"Revolution"ではない。でも今僕らは"improvement"なんかじゃ足りないかもしれない、"revolution" でもしないとこの腐った状況はかえられないかもしれない」

「これは英語だからいえることだけどね」バザールを歩きながら、彼はいたずらな目でにこっと笑いながら言っていた。

今回いくつかの街を訪れる中で、どの街でも仲良くなる人は去り際の私に必ずこういった。
「これからの旅、イランでは誰も本当には信じちゃダメだよ。イラン人は本当に嘘がうまいんだから。」


イラン人の誇りペルシャ帝国の栄華。ペルセポリスの遺跡。

実際、いく場所、行く場所で私は地元の方の歓迎を受けて、不快な思いなどしなかったのだけど、その言葉は妙に耳に残った。嘘が"うまくなってしまった"イラン。その言葉の余韻に悔しさと寂しさを感じながら、もっとたくさんの人に、イラン人の「本音」をこの美しい国と一緒に観てほしいと思った旅だった。





2015年1月12日月曜日

Kinky Boots

はじめてブロードウェイにいって、Kinky boots をみてきた。
とにかく圧倒された。
ストーリーは老舗の革靴屋をついだ青年がドラッグクイーン(女装家のパフォーマー)との出会いを通して、女装市場向けのブーツを作り始めるという話。
設定が設定だけに、歌も、踊りも、何より衣装がとても派手でエネルギッシュ。
それがイギリスの片田舎をイメージした古臭いセットと絶妙に不釣り合いだ。(そして、それがとてもよい)

この話は社会不適合者のお祭りさわぎである。そう聞くと、とてもアングラな匂いがするのだけど、そうではないのだ。この劇はその社会との摩擦を高らかに笑いあげ、踊るその足のステップとともにエネルギーに発散していく。驚くほど、健康的な劇だ。ドラッグクイーンのover-the-top (やりすぎ)なあのかんじは吹っ切れていてとてもホッとする。あの 派手な出で立ちはそれこそ、自分たちの周縁性を全て余すことなく日の目にさらけ出すということで、"まだ、そんなこと言ってるの⁈ くっだらない!"と言わんばかりの自信である。それが本当に清々しい。

パフォーマーを題材にした作品なだけあって、ダンスと歌はそれはすごい。

作曲は True Colors で有名な Cindy Roper。80年代の音楽シーンを席巻したダンスミュージックのパンチがぴったり。ドラッグクイーンの話とあり、この作品はミュージカルには珍しく歌い手がほとんど男性。力強さが桁違いだ。打楽器のような音の波がお腹の底を震わせる。ダンスもとてもダイナミック。それを牽引するのがメインを張ってるLowla役のBilly Porter。自身もゲイの彼は自分自身を作品に重ね合わせていることもあり、目が醒めるような熱演だった。彼でなくてはこの作品は成り立たないと思うほど。

日本キャストではなかなか出来ない演目なので、ブロードウェイデビューの作品としては文句なしだった。
All hands together for the amazing Kinky Boots cast

2015年1月2日金曜日

星と縞の渦巻くなかで

仕事でアメリカにいってきた。
アメリカには去年の2月に初めていったのだけど、その時は12時間ほどの滞在だったので、ほぼ初めてに近かった。

私は帰国子女は帰国子女でもいわゆる「お登りさん系」である。というのも、パリ留学以外は東京がダントツで都会で、いわゆるロンドンやNY帰国ではないので、(ほぼ)初めての、しかも仕事でのアメリカ上陸はとてもドキドキした。

まず、着くや否や乗り込んだタクシードライバーは全力クリスマスキャロルを歌っている。私も最後は鼻歌で加勢していたけれど、あんなのドラマでの演出だけかと思っていた。パリやロンドンではタクシー運転手は悪態をついたり、雑談をすることはあっても、キャロルは歌わない。
そう、アメリカは何かにつけてドラマのワンシーンみたいなのだ笑。日本でも地方出身者が東京にきたときにこれを口にするけれど、まさにこの感覚なのである。

他にもブランチを食べてたら横に座ってたゲイのお兄ちゃんに「あらぁー、あなたのカメラちっちゃくてかわいいじゃないのー」って話しかけられたり。パリでは政治学の先生が実はゲイということがあっても、こんなカジュアルな絡まれ方はしない笑。

なんというか、「そんなの映画の中だけでしょ!ステレオタイプだよ!」と思うようなことを平然と全てやってしまうのが、アメリカである。

もう一つアメリカにいて感じたことがある。それはこの国が自分が大好きで大嫌いだということ。
よくも悪くもすごく自意識が高い。高すぎる。例えば、国旗。アメリカ人ほど自分の国旗をみにつけたがる国民を私は知らない。日の丸を身につけることなんて、あったとしても日本代表ユニフォームに腕を通すときにくらいだろうと思う。でも、アメリカ人はさも当然のようにStars and Stripesを着るし、普通のお店に特になんでもないときにも国旗がかかっていたりする。泊まったホテル(いわゆる東急インのようなチェーンだ)にジョージワシントンの肖像がかかっていた時には衝撃をうけた。ホワイトハウスに行くと、写真を撮る外国人観光客の横で、それと同じくらいのアメリカ人が官邸見学のために長い列をつくっていた。私は首相官邸からほど近いエリアで働いているが、見学ができたとしてもこれほどの列が日本でできるのは想像できない。国会議事堂だって、社会科見学の学生だけだ。自国の国家主席に向けられる関心の高さ、そこに見出されるカリスマ性をみると、アメリカは世界で最後の一国になろうとも国民国家神話を信じる国なのではないかと思えてくる。

一方、MoMaに行くと、アメリカのモダンアートは自国に対する痛烈な批判ばかりだ。現代アートはそのメッセージ性の高さから、社会批判を込めることは多い。多くは現代社会に対する風刺である。レディメイドと消費者主義の関係などその典型だ。しかし、アメリカ人のアーティストは他国以上に、「アメリカ」に対する批判を込めるのである。首を吊った男性の絵と牧歌的な風景を永遠繰り返す壁紙で”アメリカの汚点”を示すアーティスト、911とアフガン侵攻を痛烈批判したアーティスト・・・・etc

アメリカは葛藤と自己矛盾の繰り返される衝突に悩み、そのエネルギーとともに歩みをすすめてきている。国家、国民を強く感じていないネーションには上記のような反応はありえない。何か起こったときにそれは、「政権」や「政治」の問題となる。国民が個人として国家から自分を切り離している限り、それは「自己批判」にはならない。同じように国旗というシンボルも自己統一化されない。

国家に対する敬愛も、それに対する嫌悪感も同じコインの表裏。

アメリカ合衆国という集合体・その神話に対する強い強い自意識から来ているのだろうと私は思う。そして、その葛藤とturmoilがアメリカの抱える矛盾であり、この国の推進力でもあるのだと思う。想像の共同体の一番の体現者なのかもしれない、アメリカ合衆国は。

それから、NYで休日、DCで仕事をしてみて感じたこと。それはアメリカが驚くほどに異種なものに対してオープンなことである。なんというか、私が1.5mに満たない童顔だろうが、アジア人だろうが、時に言葉に詰まろうが、話す中でほとんど決めつけた態度をとられないな、と思った。もちろん、これは大都市で且つハイクラスな国際市民(低賃金の移民だけじゃないということ)がいるNYとDCだったからということは多分にあるのだけれど、なんと言うのだろう、「すごく当たり前」に接することに慣れているのだ。

例えばフランスでは(すぐ比較にもちあげてしまうが)、とても好感の持てる店員さんやインタビュー相手でも、どこか「わー、なんか小さくても頑張っている子だわ。」という視線の混じった暖かさであることも多い。(それに問題はまったくないし、可愛がられるのは嬉しい)でも、アメリカは”サッと”一瞬ですべてを受け入れる柔軟性がある。対等に扱われるし、生半可な態度もなければ、手加減もない。
そのなんだか、フェアプレイなところはとてもアメリカらしく、とても好感をもった。

今年は気づけばたくさんの場所に訪れていたけど、一番つかみきれなかったのはアメリカだった気がする。矛盾とエネルギーと限りなく研ぎすまされた自己意識の国。

紅葉のDC。10-21℃もあって、意外と暖かかった。


地元で人気のカップケーキ店。ポップな店内がかわいらしく、Chaiもカップケーキもすばらしく美味しかった。
奥に見えるのが星条旗。さりげない色々なところにかけてある。

この露骨さってとてもアメリカっぽくて、笑ってしまった。
経産省の建物。「仕事が一番ですよ!」っていうすごくシンプル横断幕

アメリカの現代とポップの代名詞。ウォーホル。全く同じものが限りなく生み出されるいま。

日本未上陸のバーガー店、Shakeshack.
アメリカにしては小ぶりでバンが甘くて、食べやすい。
バーガーショップなのに、ミドルクラスの中年の仲間が仕事終わりのご飯に使っていたり、
中流家庭が家族の外食につかっているところがアメリカ的である。
バーガーに対して、チープでジャンクなイメージが薄い。


2014年8月29日金曜日

ゴービトゥイーンズ展

終業後に駆け込んできた。
22:00まで空いている森美術館は素晴らしい


Go-Betweens
19世紀アメリカの移民二世を指して写真家Jacob Riisがもちいた表現だ。

ここでもなく、あそこでもない、そのはざま。揺らぎの中に生きるいろいろ。

子どもは一つの媒介にすぎないと思った。国、社会、人間関係、ジェンダー、様々なゆらぎの中の不安定さ、そのリアリティー、それを当たり前に描いていることに好感をもった。

混沌の中を走り回って、立ち止まる、その無秩序を一生懸命に吸い込む。子供の感性の素直さが根底を流れていることで展示全体がとても明るくポジティブな雰囲気をもっていた。

危うさを持ちつつも、健全さをつねに失わない展示。

どこでもない間にいることはいつしも、不安定な曖昧さをもつ。閉鎖的な尖った感性、普通からの逸脱、"誰にもわからない"という孤独を描くこともできる。これをポケットの裏を返すように明るい色にくるりと返したことにこの展示の良さがあると思う。

はざまを指す語にin-between-ness という言葉もある。”狭間”だ。間に挟まれて、狭く、窮屈でどこにも属さない物悲しさがこの語にはある。

この展示は"Go-betweens"!境界ではなく越境。どちらでもないそのスキマの妙で不思議な空間に、飛び込んでいく勢いと明るさを持っている。その未来に対するエネルギーにとても元気をもらいました。

2014年8月22日金曜日

ベトナムを食す

ベトナムといえば、タイと並んで東南アジアの美食の聖地。
とにかく何を口にしても美味しいし、味のバリエーションが多い(←これ大事。美味しくてもワンパターンだとどうしても飽きちゃう)、そしてヘルシー。

ベトナム料理と言ったときに、まず位の一番に紹介したいのが、
その野菜の多さ。
ベトナム人は本当によく緑を食べる。
どこの店で何をたべても大抵こんもりと葉菜がもられ、
そのよこにさらにお代わり用がザル一山 分ついてくる。
それが、もはや野菜というか、”葉っぱ”なのである。
ルッコラというレベルではない。あれが枝葉を成しているのが何種類も雑多にもられて来る。



しかし、これが美味しいのだ。
自分が何を食べてるのかよくわからない。
口いっぱいに葉っぱむしゃむしゃと食べているとキリンのような気分になってくるのだが、
それでも、期待は心地よく裏切られる。
”葉っぱ”ってこんなに食べやすいものなのか。
ベトナム料理を食べていると、日本は食用葉菜の選び取り方において、保守的なのではないかと思えてくる。

ちなみにこの得体のしれない葉っぱのザル盛り、今回聞いたところ、
ドクダミとバナナの花が入ってることは突き止められた。
その他コリアンダー、ミントは識別できたのだけど、それでもその他6種ほどは毎回チームに入ってる。帰国後調べたら、ベトナムでよく食されるハーブのまとめも発見。

ベトナム香草辞典


その多さに改めて驚く。
今度庭のドクダミもダメもとで食べてみようかな。

香草の種類の多さはいわずもがなだが、ベトナムは全体として食文化がとても豊かだ。

使っている具材がとても多彩で、調理法も様々。生野菜もよく食べるので、バラエティーが豊富だ。
ここで滞在中の食事の一部を紹介


バインミー。フランスから伝来したバゲットにひき肉とレバーでつくったパテと葉っぱを挟んだサンド。
中身はミートボールだったり、瓜だったりバラエティがある。
これはホームステイ先の友人のお姉さんがパテから自家製でつくってくれた。
これにハマりすぎて、朝ご飯はもっぱらバインミーだった。



定番の春巻き。これも友人宅で手作り。
ひき肉に香草人参などなど。
本場式は皮がとてもうすい。油も中華鍋にヒタヒタではなくて、フライパンにごく薄くひいて揚げる。


お姉さんをお手伝いしながらつくった、おうちご飯。
手前の薄出汁にゆでたビーフンを各々が食べる素麺式(次の写真参照)
右手は空芯菜。タイでたべるパックブン・ファイデーンとちがって油はすくなめで辛くない。
中央に見えるミョウガみたいなのがバナナの花





Lau ca keo
串焼き魚鍋。南の名物らしい。

シシャモみたいな串焼き魚がたくさんでてきて、
これを香草と鍋に通してたべる。これにもセルフ・ビーフンを加える。
焼いてから鍋にいれるっていうのが、新しいと思ったけど、
きりたんぽみたいな感覚なのかな。
魚と香草なので、とってもヘルシーで美味しい。


ベトナムのデザートといえば、これ。
チェー。ベトナム風ぜんざい。
ココナッツミルクと餡に浸した、緑豆や寒天が大好き。
東南アジアはデザートより生もフルーツの方がおいしいと思うことが多いけれど、これは大好物。


定番。生春巻き。
本場は皮がクタクタになってなくて、結構固めだった。
乾きものを戻すのではなく、生で作っているからかな。
この店は、生春巻き巻き放題店みたいなところで、私たちはサイドメニューのうどんをたべていたのだけど、横では皿いっぱいにもられた皮と具材をせっせと巻くご家族がたくさんいた。
手巻き寿司やサムギョプサルのよう。

生春巻きはとても南らしい料理らしい。
北出身の友人は、巻き放題のこの店も、「なんでも巻きたがる南の人らしい」と言っていた。


ホイアンで立ち寄った屋台。
とても個人的な見解だが、ベトナムは屋台の安心度が高いと思う。
一番の理由は生野菜文化があるので、水の処理がきちんとしていること。
濁った怪しげな水をおいたバケツや、やや不透明な氷がないし、
あと気候のせいなのか、ハエがたかっているということもあまりないし、
とても清潔感のある屋台が多い。
これは、手前が米麺炒め(おそらくタイ料理のパッタイみたいな味)、左が空芯菜。


ベトナムは地方色が豊かなのもよい。
これは、ホイアン名物 Kau lau。汁無しラーメンみたいなのだけど、
麺が一度軽く焼いてあるのか、歯ごたえがあっておいしい。


フエ名物のBun Bo Hue。地方の名物だけど、全国その他の場所でも食べれるほど定番。
辛めのスープとたっぷり入った香草がおいしい。


そして、大本命のフォー。
地元では朝ご飯に食べる人も多いらしい(タイのおかゆみたいな感覚か)
私も友人に連れられ、朝から食べに出かける。

私の北の友人たちは出かける前から口をそろえて「南のフォーはフォーじゃないから。絶対に北のを食べて」というので、フォーはハノイまでとっておいた。
ベトナムは南北で文化の違いを語ることが多いとは先の投稿ですでに書いたが、
食文化も例に漏れない。
南は甘い味付けが多いらしく、北の人からすると、「あんな甘い汁は別物だ」ということらしい。
四国の餡子をいれるお雑煮に「え?!」と驚く感覚と似ているのかな。
(ちなみに日本のベトナム料理屋は南が多いらしい)

私は今まで南風のフォーしか食べたことがなかったけど、
なるほど、確かにこっちのほうがすっきり飲みやすい気がする。



ハノイ名物 Bun cha。
北の人なら誰に聞いてもこれを食べてこいという。
これはベトナム風つけ麺で、
香草、ビーフン、ミートボールをつけ汁につけて食べる。
つけ汁は左端手前の澄んだ汁。
日本のつけ麺から想像するコッテリ系ではなく、甘くてうすーい酢だしみたいなもの。
付け合せはやっぱり春巻き。
このお店は1960年ごろからやっているらしく、ハノイ一だそう。





ベトナムの食文化で、はじめて訪れたときにもう一点とてもびっくりしたのは、
コーヒーが大衆文化としてなじんでいるということ。
フランス文化から継承されたコーヒー/カフェ文化は根強く、道に出るとどの時間もこんな具合に
屋台式でコーヒーを飲んでいる人がいる。
これは、他の東南アジアに比べてとても特異な光景だと思う。
タイやフィリピンやインドネシアでは道端でコーラを飲んでいる人はいても、エスプレッソをすすっている人はまずいない。
友達とすこし話にでかけたいなというときも「コーヒー飲みに行こう!」っという言い方をするらしく、
これも、On va faire un café? というフランス的な言い回し。

旅行から帰ると大抵、いつもより重い食事ばかりで、
胃もたれ気味なのだけど、
香草もたくさん食べて、汗もたくさんかいたベトナム旅行はなんだかデトックスされた気分です。