2022年1月12日水曜日

レマン湖の白鳥は冬やってくる

祖父が亡くなった。

数日前から携帯から目が離せない日が続いた。LINEの画面にぽっと浮かんだ母からのメッセージを見た時は驚きはなく、ただそうか今だったのかとおもいながら重い息をついた。身の回りを片付けたり、家族と連絡をとりながら、ふと急な空腹に追われた。なぜこんな時に、しかも日も変わった夜中に空腹を覚えるのか、自分でもその間の悪さと、場違いな様に乾いたような笑いが出る。明日のために作っておいたチキンカレーに火をかけ、冷凍ご飯をチンした。

 

役人をしていた祖父は日本からまだ外貨の持ち出し制限があるようなころ、ジュネーブに長期出張をしていたことがあり、ジュネーブで勤める私によく嬉しそうに思い出話をしてくれた。毎朝食べれるクロワッサンがそれはそれは美味しかったこと、羽目を外してフランス側シャモニーにスキーに出かけたらうっかり足を怪我してしまったこと。

 

熱々のチキンカレーにスプーンを沈め、はふはふ言いながら食べる。ガラムマサラを多めに入れたカレーのピリピリとした香りが空腹を埋めていく。

 

冬のジュネーブにはレマン湖に越冬しにきた大きな白鳥がいるよね。こっぺは湖のどちら側に住んでるの?私が普段歩き、目にする景色を鮮明に思い描けるというだけで、東京で仕事をしていた頃よりも私の仕事を身近に感じてくれていた気がする。

 

熱々のカレーをまた口に運ぶ。

数日前からできている口内炎が染みる。

 

祖父は家事をすべからく自分でできるかといえばそんなことはないし、ポリティカリー・コレクトではない言い方をしてしまうことはなくなはなかったが、少なくとも孫の私に対して女性だからと振る舞うことは全くなかった。いつでも「しっかり頑張りなさいね」と仕事をする私を激励してくれた。最後に言葉を交わした時も、私がきたとわかると手を握って、「しっかり頑張んなさいよ」と優しく言った。

 

最近はめっきり人に「頑張って」ということが減った。その言葉が呪縛となって、辛い思いをする人があまりにも多く、頑張れという言葉が肩にのしかかり、相手を地面にじりじりと沈めてしまうのではないかということの方が心配だからだ。一生懸命な人、辛い境地にいる人、踏ん張り時な人をみれば見るほど、張り詰めた気を抜いてほしくて、「のんびりね」「いつでもやめていいからね」という事の方が多くなった。

 

でも、祖父の「頑張りなさいね」は不思議とそんなプレッシャーは感じさせることはなかった。とてもオープンな考えであることに加えて、超がつくほどポジティプ思考な祖父は、親や祖母が心配しているときも、私や他の孫たちをみても「まぁ大丈夫だろう」という圧倒的な自信と安心が感じられた。祖父の言う「頑張れ」は「辛くても、歯を食いしばって頑張れ」ということではなく、「何をしたってどうにかなるんだから、歩きたい方向に歩くことを応援してる」という意味だったと私は受け取っている。果てしなく辛い環境にいたらきっとすぐに辞めてもいいと言う人だったし、それも含めて、自分の思うことに自信をもって、行動に移す勇気をもっていい。そんな「頑張りなさいね」だった気がしている。

 

亡くなるほんの2週間ほど前に祖父と話していたとき、ふと祖父は「こっぺの仕事は世界の人のためになってるんだから」と言った。今の自分の仕事があまりに取るに足らないような矮小さで、恥ずかしさで隠れたくなった。私なんて組織の末端の末端しかも、支援の場からは距離がありすぎて、私が明日からいなくなっても世界の平和と厚生には微塵の影響もない。援助という行為事態、あまりに多くの難しさを抱えており、私は世の中のただの中間搾取だと感じることも多い。世界のためになる仕事をしていると言うことは慚愧に堪えない。私がこの仕事をしているということで胸を張れることがあるとすれば、こうやって祖父が「うちの孫はジュネーブで世界の人のためになる仕事をしている」と思ってくれることそれ自体だったかもしれない。

 

「頑張るね、おじいちゃん。私はこれからもっともっと世界の人のためになる仕事をするね」なんて言うことはあまりに陳腐で、そんな自分自身にもわからないことを言うことは傲慢すぎてできないけれど、祖父が誇らしく、今以上に誇らしく思える仕事はしていきたいなと思った。

 

電線につもった雪が暗い空に白く網のように張り巡らされてるのをみながら、サクサクと雪を踏み締めた。東京には珍しいほどに雪が降りしきる日でした。


冬の間レマン湖にやってくる白鳥たち

2021年8月23日月曜日

彼女が心痛めるその貧困はどこに

先日ジュネ友たちと例によって仕事終わりにグダグダとご飯を食べながら、あれやこれやを話していた時だ。話は旅行をしばらくできていないみたいな話題に及び、私は友人たちに好きな旅行先、または恋しくなる旅行先はあるかと聞かれた。私はこの質問を聞かれたときにいつもそう答える通りに、「それはやっぱりイランだなぁ」と答えた。もちろん大好きな旅行先はいくつもあるけれど、イランに魅了された2度の旅行以来、私は過小評価されすぎなイランの名前を必ず出すことにしている。


かつて「世界の半分」とも言われたイランの古都エスファハーン

もちろん友人たちには何故イランがいいのかと聞かれた。私は過去の投稿でも話している通り、それはイランの人が国をあげて旅行者としてのわたしたちを歓迎してくれたからだ、と答えた。外の人がめったにこない数十人の村で受けるような歓待を、他人に対する無関心が染みついていてよいはずの大都市に行っても受ける。それがあまりにも特異だと話した。そしてそれは、外の人が目にするイランについてのハイポリティクスのイメージ(その多くは反米的な政権、核開発、経済制裁の話だ)からはあまりにかけ離れていて、私はそのイメージを気持ちよく覆される場所としてもイランは素敵な旅行先だ、と自信をもっていった。


それに対して、友人の一人は言った。「でもどんなに人は親切で、ハイポリティクスと市民生活は関係ないと言っても、抑圧を目の前で目にして心が痛まないの?」
一瞬私はなにを聞かれているのかわからなかった。あきらかに困惑した顔をしていたであろう私の顔をまっすぐ見ながら彼女は続けた。「だって、イランにいったら女性はみんなブルカでしょ?それを見てこの国で受けている抑圧に心が痛むでしょ。」
まず、初めにことわっておくとイランでよく目にするのはブルカではない。ブルカは顔まですべて覆っている衣服で、主にアフガニスタンなどで着られることが多い。私の限られた知識と理解では、イランで最も皮膚を出さない衣服として多く着られているのは顔の正面だけを出している、ニカーブやチャドルだ。
彼女がブルカとすぐに言ったことにも驚いたが、そのことはとりあえず置いておいて私は返した。
「でもイランではスカーフを巻くのが法律できまっているからね。もちろん女性はみんなスカーフを巻いてるけど、体すべてを覆っている人が多いどころか、本来一番隠さなきゃいけない髪もガンガン出ている人がむしろ多くて抑圧で胸が痛くなるっていう光景ではないよ」


「でも、インドで貧困にあえぐ人をみたら、胸が痛むでしょ。それと同じよハイポリティクスに関係あるもの、目の前の女性の抑圧は。」


何度かこのやり取りを繰り返したが、堂々めぐりで議論は熱を帯びるばかりだったので、私は早々にこの話を切り上げた。


アフガニスタンとの国境の街でお邪魔したサフラン商人の家。イラン人のお宅はどこもびっくりするほどめっちゃめめちゃきれいである


でも、はっきり言ってショックだった。この街で同志と思ってきた人のソーシャルバブルではめったに聞くとのなかった暴力的な他者化と想像力の放棄を久しぶりに突き付けられた。彼女の指す「インドで貧困であえぐ人」とは誰の事なのだろうか。


世の中ではもちろん9%、6億人以上が絶対的貧困の中で暮らしている。インドで絶対的貧困下で暮らす人は約3億の人にも上る。私は自分がその貧困が課す苦しみに無関心だと言いたいわけではない。例えば、私が心を痛める貧困を映す光景として彼女の言葉を聞いて瞬時に思い浮かべたのは、あまりにも有名なケビン・カーターの「ハゲワシと少女」の写真だ。あれこそ貧困にあえぎ、食料が得られないばかりか今にも食糧になり果てようとしている子供の辛いシーンを切り取っている。また、イエメンで支援が十分に届かず、栄養失調の子どもの姿だ。あれも圧倒的な貧困を映した画だし、心が痛む。しかし、旅行先で訪れたインドで私たちが人々が貧困にあえぐ姿を目にすることは果たしてあるだろうか。私は大学在学時に開発経済の先生にくっついてスラムにホームステイさせてもらったことがある。私の同窓である読者たちにとってはあまりになじみ深く定番すぎる引用でいささか恥ずかしいくらいだが。彼らは某東南アジアの国で間違いなく最も多面的な貧困に苦しんでいるコミュニティの一つだった。しかし、私が彼らをみて心を痛めるかといわれると自分の前に広がっているのは与えられた状況で何とかやっている人たちなのである。私が最も滞在中にハッとさせられたのは、ハエのたかる生肉を切った肉切り包丁でそのままチューペットの口を切り、幼児にそのまま渡した瞬間だった。そのときみた衛生観念の欠落と、それがもたらす脆弱性、情報(広くは教育)がいかに人をレジリエントにするかを生で感じた。しかし、それは目の前の苦しい状況に心を痛め涙を流す状況とは明らかに違う。たとえ国に3億人絶対的貧困人口がいても、今にも人が死にそうで苦しむ姿を見ることは容易ではない。今にも人が死にそうな状況というのはある極限状態であるか(戦地のイエメンのように)、日常のある瞬間的な危機状況を切り取った瞬間(ハゲタカと少女のように)だ。例えば、上記の不衛生なチューペットをしゃぶった幼児がその直後下痢でなくなったら私はひどくショックだったろうし、かなりつらかったと思う。しかし、旅行で行った先で、戦地を縦断をかいくぐりながら歩くことや、今にも死にそうな子を目にすることはどれだけあるだろう・・・。



インドで貧困にあえぐ人、と言った彼女は、インドには行ったことがない。イランにも行ったことがない。行ったことのないインドで歩きながら横でバタバタ人が倒れていることを想像しているか(切り取ったような危機が常態化している)、またはただただその日を送っていかなきゃいけない人たちの日常に対して自分の定義する健康で理想的な生活を重ね、その乖離に自己中心的な涙を流している(自分の尺度で相手の辛さを判断している)、のではないだろうか。


地元の茶屋でシーシャをくゆらせるひとたち

話をイランに戻すとことはより鮮明に映る。イランではもちろんスカーフを被ることが法律で決まっているし、それは女性に対する権利の制約が政権の考え方を反映している。しかし、それで横にいる私たちは胸を痛め涙を流すだろうか。それは程度問題でどこだって、制約はある。日本のジェンダー不平等は世界でなかなか類をみないぐらい酷いし、労働倫理もなかなかに劣悪な状態だ。じゃあ、彼女は日本にきてヒールを履く女性をみて「女性性に対する抑圧の象徴だ」といって胸を痛め、過剰サービスなコンビニ店員をみて「低賃金の過重労働だ」と辛さにコンビニアイスを握りしめるのだろうか。私はもちろんイランで女性が裁判で不当な判決をうけたとして平等や公正を求めていたらそれには連帯したいし、インドで下痢でなくなる子が減るように上下水道を整備する案があったらそれには賛同を示したい。


ムスリムの女性も実は不自由を望んでいる、あれは男性による加護の印であり、彼女らは満足している!とか、それを抑圧と決めつけるのは西洋の横暴だ!、とかそんな稚拙なことを言うつもりはない。どこにだっていろんなものを好む人はいるし、それはインドだって、日本だって、イランだってそうだが、そんなこと当たり前で議論の余地もない。私が聞く限りイランでも多くの女性はスカーフの法律をうざいと思ってるし、かったるいと思っている。政権めんどくさいなぁ、変わらないかなぁとも思っている。でも、人がただ送る日常を一気に客体化して、横で勝手に「あなたをみて辛いわぁ」というのはあまりにも暴力的だし、横暴で、その人にとってはそれが最も失礼な行為だと思う。


なぜかナスだけを売ってるナスおじさん

私も日本のジェンダーギャップにはイラついているし、労働倫理もクソだと思っているが、私の結婚後の新姓をみて、「あなたも改姓させられたのね、なんて抑圧!かわいそう!」と目の前でハンカチをぬらされたら、え、ちょっと私いま可哀そう?って言われてる?勝手に可哀そうな人にされた?と困惑するし、なんなら結構腹が立つと思う。もし冒頭のジュネ友がイランを路上のかしこで人が鞭打ちにされているような惨状だと想像していないのだとしたら、そのただただそこにある制約の下暮らしている人に対して自分の価値で哀れみを表明するのは私には暴力だと感じられた。


もちろん、より構造的な問題として、自由の抑圧化が制度化されていたり、そのような抑圧がいちいち「苦しい」と感じないほどに常態化しているイランの状況は気がかりだ。衣服を制限されるのだって十分イライラするが、それにとどまることなくあらゆる面で女性たちが、市民が「日常」として自由の制約に耐えなければいけないのは個人の生活や人生の選択肢を奪うどころか、フィードバックメカニズムの欠如はより大きな悲劇をもたらす危険性を常に抱えている。その困難を打破するための市民のレジスタンスには私は連帯を示したいし、外部がサポートを差し伸べたり、共感することは暴力どころかむしろ重要なことであるとも思う。


大事なのは共感は、「共に」「感じて」いるから共感ということだ。至極当たり前なことだが、当事者の心が動いているタイミングでそれを想像し寄り添うからこそ、共感になるのであり、いつでもいいからと当事者の状態もみずに、勝手に何かを感じて表明をすることは共感ではない。いつ示すかによって同じ感情も共感になったり、独善的なステートメントになったりする。だから旅行先で道行く人などというほとんどコンテキストが与えられていない人に対して示せる共感なんて「今日はみんな暑くて大変だよね」くらいだと思う。文化に優劣はない、ある文化の基準でその他の文化を判断することはすべきではない、というオリエンタリズムのレッドラインは多文化の中で生きるにはイロハ中のイロハだ。自分のサバイバルのためにも意識を張っている人は多い。しかし、共感を示したつもりが独善的なステートメントになるリスクは寄り添おうとした故起きる齟齬であるためなかなかその暴力性に気が付くのが難しいのかもしれない。連帯したいと思っている相手を一気に客体におしやり他者化してしまうという、とても不幸な暴力を自分自身が起こさないためにも、問うてほしい。「あなたが心を痛めるその不幸はどこに」。


バーベキューした先で一緒にお花摘みをしたおばちゃま。原っぱでお花を探してルンルンしてて最高にかわいかった


2021年5月6日木曜日

国際機関就活と臆病でマッチョになりたいわたし

 国際機関への入り方はについてよく聞かれる。

JPOのような指定校推薦的な制度については散々語り尽くされているが、若手選抜枠の先に公募で仕事をつないでいくって結局どういうことなのか。

国際機関とは一般的にアカデミアと同じように、短期契約をつないでいく世界である。特定の役職に空席がでた、もしくは新しく役職が新設されると、組織のリクルーティングサイトに公募がだされ、それを閲覧した人たちがこぞって応募書類を提出し、その後選ばれた人たちが、面接を経て職を得る。場合によっては試験を課すところもある。

さて、公募の競争で選ばれるとはとんでもないことである、と最初に言っておく。
私は一つ前のポジションで採用側にもまわったが、一人のポジションに対して応募は100を超えた。これでも少ない方だと思う。この中で私たちが最終的に選んだ部下さんは本当にとてつもなく優秀だった。あの中で光る一人に選ばれるのは本当に大変だ。

ではどうやったら生き残れるか。数百分の1の賭けに毎回出て連勝を収めるのはきつい。自分より少しでもよくできる人、よくパフォーマンスできる人がいた時点でどんなに自分が優れていてもゲームオーバーだからだ。

答えは、プレイするゲームを競争ゲームじゃなくするということである。具体的に方法は3つ。1)出来レースをつくること、2)自分でプロジェクトをたちあげること、もしくは3)自分でポジションをつくること。

1)は既存のポジションを出来レース状態にもっていくことだ。これはアカデミアでもよくあることだと思う。
・仲良くした上司が別の部署・事務所にいったときに、そこでの公募を通して、一緒にお供させてもらう。
・一緒に仕事をした別のマネージャーから見染められて、そこの部署が出した公募を通して採ってもらう。
・ドナーに評価されることで、彼らが自分に組織内にいてほしい、という意向を示して特定の公募で通りやすくしてもらう
などなどパターンは色々だが、要は意思決定権がある人と懇意にする、評価されることで、
タイミングよく出た公募のポジションで、有利にしてもらう、ということだ。

2)自分でプロジェクトをつくること
今や国際機関で働く大半の職員はフィールド(途上国の現場)で働いている。
ほとんどのフィールドワーカーにとってはこの手段が最も身近で現実的であるとおもう。
国際機関がいまや政府の下請けコンサルのようであるということは先の投稿でも述べた。
資金のほとんどが義務的拠出金ではなく、プロジェクト委託費である現在、国際機関のピープルマネジメントの最も大きな制約の一つは人件費だ。
コンサル業を経験したことがある人は、6割以上の職員が特定のプロジェクトの人件費で雇われている状況を想像してほしい。
「あなたのことは本当に評価しているし、いてほしい。でも・・・うちの事務所は今カツカツなのよ」
こんなセリフはあなたがフィールドで働く国際機関職員なら、聞きなれたセリフだろう。

この状況を逆に最大限に利用した方法が、プロジェクトを自分でつくる、という手段だ。
つまり、ドナーに営業をかけて、とってきたプロジェクトの人件費で自分を雇う。
これは最も自分にコントロールの効く就活方法だ。

なぜなら
・オフィスは大抵年から年中プロジェクト・プロポーザルをかいており、むしろその人手はたりない。
・自らの通常業務をやっていれば、「私営業かけるんで!」というのを止めるマネージャーはなかなかおらず、むしろ歓迎される。
・自らプロポーザルをかけば想定されるスタッフの専門性や、何人どの職位で人をつけるかも(少なくとも一次案は)計画できる。
・ドナーと自ら責任者として話を握りに行けば、プロジェクトの委託が決まった時に、自分が体制にいることを対外的に前提にするように持ち込むこともできる。
・一度失敗しても営業をかける機会はいくらでもあるので、何度だって挑戦できる。

逆にリスクは
・今の国、事務所(風土気候があわない、パワハラが横行してる等)があまり自分に合わない場合、別のオフィスのプロジェクトをたてるのは管轄的に難しい。強いていえば広域プロジェクトを立てることは可能。
・マネージャーや事務所長がパワーフリークだった場合に、それはそれ、これはこれ、で結局プロジェクトを立ち上げたのは自分でも人繰りは全部直接ぐいぐい手を回してきて、気づいたら人事上のコントロールがなかった。(1年分の人件費をくんだはずなのに、同じ役職の人を二人に増やして半年しか延命できなかった、そもそも自分が同プロジェクトの人材にはいってなかった)。
・大きなオフィスだと、ひたすら営業する営業部隊と実行部隊が分かれていることがある。その場合営業部隊としてプロポーザルを書いても、結局100%実行部隊に人件費をもっていかれてしまう、または実行部隊だから営業資料書かせてもらえない(これは稀)等の部署間の分業問題に阻まれる。
・結局プロジェクト費を充てるので、そのプロジェクト期間中しか延命できない。

だが、多分これが普段のルーティンワークから最も遠くない方法で、
自分でイニシアチブを握って就活をする方法ではある。

さて、私は実は前職では3つ目の方法を試した。
それは
3)自分でポジションをつくること
である。
ここでポジションをつくるといったときそれはプロジェクト費を用いた2)の方法ではなく、
それは基幹予算(Core Budget)をもちいたプロジェクトに紐づかない予算を用いた正規ポストである。通常これは、一番難易度が高く、リスクが高すぎるといわれる就活手段である。
それはそうだ。
国際機関の非プロジェクト予算(義務的拠出+間接費)の割合が年々減っていくなかで、
多くの組織では、もともとは基幹予算を使って雇っていた正規ポストを切る話のほうがもっぱら耳にする。
これまであった正規ポスト数をぐっと減らしたり、柔軟に取り潰しや復活が利くプロジェクト費に切り替えたり、とことがどこの組織でも日々行われている。
よほどのことがない限り、新しいポストなんてつくらない。

なぜ私がそれでもこの手段を選んだのは以下の理由からだ
・本部所属であったため、そもそもプロジェクトが著しく少なく、そもそもドナーもプロジェクトをほとんどつけてくれない
(中央集権的にプロマネしている組織はもう少し状況は違うと思われる)
・本部の職域上、民間企業でいうところの経営企画職にいたので、そもそもプロジェクトが立てにくい。
(組織の中計の立案支援、とかプロジェクトにするのはかなりむずかしい。ドナーからすると何の委託やねんこれ問題が発生する)
・直属のボスがとっても偉い人だったので、組織全体の予算プロセスに噛んでいた。


あとはこれが一番大事なのだが、

仲のいい社内の友人がこの手段に成功していたのでガンガン入れ知恵してくれた←!!

社内に精通している友人は本当に大事・・・。
このジュネ友、本当に個性的で私のジュネでのキャリア上も生活上も不可欠な人なので、もっと語りたいところですが、
その話はまた別の機会に。

ここまでが国際機関の主要3つの就活方法。
ここからは3)を選んだ私のその後の話である。
実際ポジションをつくるときってどんな状況なの、ということ、
その先私自身の場合どうなったの、という話。
半分以上は小話として読み飛ばしてくれればと思う。

上記のジュネ友とお弁当しながら(ジュネーブは不味くて物価が高いので我々みんなお弁当です)
来年どうしよっかなーと私がつぶやいていると、
あんたもこうすればいい、と自分の時のことをあれこれと教えてくれる。
重要なことをまとめると要はこういうことであった。

・組織の予算のスケジュールとステップを完全に把握する(これが最も大事)
・自分のボスに残留意向をつたえ、自分の部署に人件費の予算マージンがないか単刀直入に聞く
・予算ステップのラウンドのどの段階でどの粒度のものをボスが提出するか把握し、どこまでどんな承認が通ったかポイントポイントで確認し、上記相談を根気よくつづける

自分で改めて書いていて思ったが、
自分のボスとかなり関係構築ができていて、いろんなことがざっくばらんに話せるのが結構大事な前提条件ですね。
うちのボスはあまり馴れ合いとか、わちゃわちゃした公私混同の関係を好かない人で、結構業務上は業務上の関係、コミュニケーションはオブラートなしに簡潔にみたいなタイプ(要はちょっと社交ではコミュ障タイプ。親近感・・・!)だったので、逆にこういうことは正面切って話しやすかった気がします。

加えて、小間使いのようには働いていた私が残ることで一番得するのははっきりいってボスで、そのボスが部署の予算案決定権をもっていたのはとても大きかった。
最終的に自分の部下の管轄範囲だけやる人より、自分に直接くっついて色々やっているくれる人がいたほうが彼女も楽だから。

ボスへの相談は最初は「できたらねー」「どうなるかねー」
みたいなかんじだったのが、気づいたら「部長さん会議にこういう職務内容で予算もう決めちゃうって通しちゃうから」
になっていて、心配していたのに正直拍子抜けした。

気づけば職務内容にほかの人にあまりないような私の技術が特記されていて(この技術を持っている人は優先されますとあった)
もう勝った、と思った。完全にポジションを作れたし、公募で競争しなければいけないにせよ、出来レースだと思った。
また、その職位につける最年少の年次ではっきりいって浮かれていた。

ただ、最後の最後で誤算が生じた。
それはボスの異動である。
ボスが急遽別のオフィスに異動することになった。
ボスは自分が最後まで選考プロセスに関われないかもしれない、というリスクを見越して
自分の部長級の部下に選考を任せた。

結果、任された部長はボスがどうせもう自分の上司ではなくなるし、と彼女を見限って、
自分の好きなように別の人を選んだ。
私は結果を正式な発表よりも前にボスの驚いたメールを通じて知った。
「本当に私もびっくりしたんだけど」から始まるそのメールを読んで私は放心状態になった。
一番つらかったのはそれまで毎日一緒に仕事をしており、本当に慕っていた先輩がその選考パネルの中にいながらも、その状況に対して何もアクションをとらず、私以外が選考されていくのをただただ見ていたことである。
ポスト作る就活、また前述の出来レースに持ち込むパターンの場合、つらいのは
手違いがおきたときに、それを訴え出てどうにかする手段がないことである。
なぜなら公募による選考は「自由な競争によるもので、選考パネルが決めるはずのものだから」である。

「何言ってるの?これ私が受かるはずのポジションでしょ?」

といいに行く場所はない。
政治的にポジションを決めにいこうとしていたのはこっちだからである。
それが裏をかかれて、別の人の政治に覆されてしまったときに、相当大事にして人事や倫理委員会を巻き込んで「いかに自分の方が優れていて落ちるはずがないか」などと傲慢きわまりないと思われるプロセスを踏まない限り、不当性を訴え出ることはむずかしい。

仲良くしていた先輩は無垢すぎた。
とまわりの仲のいいひとたちからは言われた。
部長は自分の都合に融通できそうな人を選び、いろいろと私に難癖をつけた。
無垢な彼女は本当にそれを真に受けた、と。
ボスは何かこういうことが起こったときのために先輩を送り込んでいたのに、その何かが本当におこってしまったときに、公正明大な彼女は、「それでもこれをパネルの外に漏らしてはいけない」とボスに報告しなかった。
ボスも私と同じくらいつらかったと思う。
信頼して託した部長には裏切られ、念のために同席してもらった先輩は期待どおりに動いてくれず。

かくして、私は自分の契約が切れる5日前になぜか職に就きもするまえに次の職から失業した。しかも、一番信頼していた先輩が私よりずっとふさわしい人がいる、という部長の話に説得されてしまったこと、彼女に直接いろいろ尋ねても「これは公正な選考だったから」と半ば怒り気味にいって言われたことで、本当に傷ついた。
それまで先輩は私が思い描く上司の鏡だと思っていただけに、なおさらショックは大きかった。「だからやっぱり私は職場の人と仲良くなるのはやめよう」と人間不信になりかけた。
そしてそんな混乱と傷心のなか、別のポジションに急遽不時着し、そこで起きたのが先の投稿にかいた、新しい上司のハラスメントだった。

今までだって、ゆるやかな鬱っぽい症状や、心理的な理由による体調不良は経験したことはあったけど、こんなにいきなり頭に隕石をドッジボールのようにぶつけられたことは初めてで、約一年前の私は心身の健康に相当な支障をきたした。1年以上前から準備してきた就活が人間関係もぶちこわしながらだめになり、不時着した別のポジションが、まさにCrash landing onやばい上司で、しかも相談した先の人事がパワハラだった。
我ながらアメリカのわざとらしいオフィスドラマだって、こんなことが4週連続立て続けに起こったら、「ありえなさすぎて、うそっぽい」と笑ってチャンネルを変えると思った。

でもチャンネルを変えられないのが人生というやつだ。

国際機関はそんなに倍率の高い選考を勝ち上がっていて雲の上の存在しかなれない、
何度も何度も就活をするとか、終身雇用の方がよほどよい、

こうした話は今でもよく耳にするが、
私は選考はゲームへの戦略次第だとおもうし、
就寝雇用の下、勝手に望まぬ配属に付き合ってる方が辛い、とは本気で思う。

しかし、この業界で就活をつづけるということは上記のようなアメリカドラマ以上のアップダウンに巻き込まれる可能性はいつだってはらんではいる。
本来は配属のほうがよほどコントロールが効かないはずなのに、
こんなにもショックなのは、コントロールがある程度効くからだと思う。
それは自分の毎ステップにオーナーシップを持つと決めたことで伴う必要経費なのかもしれない。

よく、自分や家族との生活に自由を勝ち取るために実力で殴り勝ちに行けるようになりたい。そのためにレベルアップを常にしたい、と言ってきた。
それはとてもマッチョな言い草に聞こえるかもしれないけれど、
実は、去年の私のような心の軟な部分をザクザクと刺される経験をしたくないというのがその本心だ。

臆病で傷つきやすい自分を守るために、喧嘩なんて吹っ掛けられないかっこいいマッチョになりたい。


Interlaken を挟む湖の一つThun湖

2021年2月8日月曜日

おじさんが嫌いだ

おじさんが嫌いだ

ほとんど嫌悪しているといってもいい。
働きやすさ働きやすさとこんなにいわれるようになったのに、日本の労働環境の変化はあまりに遅い。こんなに遅くては私たちは待ってる間に老いて死んでしまう。

先日久しぶりに会った友人はもうすぐ育休明けだ。最近復帰に当たって人事面談を上司とした。異動が少なくない会社である。彼女は明確に伝えた「異動自体は構わない。でも小さい子供を2人抱えているので働く時間や長さ、休みやすさの自由度がないチームは難しい。例えばAチームでの勤務はかなり困難だ」。数日後上司は「異動がOKだと言ってたからAチームにいってもらうよ」

話を聞いていたのか?Aだけは無理だと彼女は述べた。何のための人事面談なんだろう。
それは上司が「部下の話をきいた」と証拠をつくるための面談だ。彼女の要望はきかれない。なぜなら彼女の毎日の健やかな暮らしよりも、おじさんが別の異動対象者をみつける手間を減らすことが大切だからだ。毎日子供2人と格闘し、家でも必死になって疲弊するのは彼女だ。その責任をおじさんはとってくれない。

別の友人はハラスメントや超過労働があまりに見過ごされる職場を見かねて仕事だけでもいっぱいいっぱいなのに自分からこの環境を変えようと気持ちを奮い立たせ労働組合にはいった。彼女は組合としての交渉で会社に伝えた「せめて法令遵守に基づいた措置はしてほしい。労働法の侵害や社則、社内規約に反することが行われた場合は罰則を設けてほしい」。至極真っ当な訴えだ。何が許容され、何が許容されないか白黒つけるのは難しい。でも少なくとも、社会が、またはその会社自身がきめたラインを踏み越えたらそれは罰則を課されるべきではないか。むしろかなり相手に寄り添った主張だ。会社はこう返した。「罰則や処分はできない。管理職のモチベーションが下がるから」

言葉を失った。ショックすぎて、その言葉を冷静な口調の友人から聞いたとき鼓動がはやくなるのがこめかみから聞こえた。モチベーションが下がる?その通りである。やるべきでないことをした人のモチベーションを下げるための措置だ。
モチベーションをさげないようにそのやるべきでない行為を抑制するためのアクションだ。

そのおじさんが言い放った言葉がしめしていることは明白だ。「僕らの会社はチームメンバーの心身の健康よりも、おじさんのモチベーションを重視します」。それをハラスメントや超過労働を理由に休職していた人を前に言い放つ。友人が直面したその場面のあまりの暴力性に辛くなった。この言葉の暴力性が気付かれもせず普通に発せられているうちはこの状況は変わらない。

おじさんというときに私は男性ジェンダーの話をしていない。年齢の話もしていない。おじさんは私の中では概念だ。日本の職場には女性でも若手でもおじさんはいる。

「海外にずっといたからやっぱりは彼氏は外国人がいいの?」
「そんなんじゃモテないぞ!」
「今日も愛妻弁当?」
「まだ子どもつくらないの?」

挨拶がてらなんの抵抗もなく軽々とこれらの言葉が投げられるとき、女性だろうが若手であろうがこの人もおじさんなんだなと私は思う。
それこそ差別だ、ラベリングだ。君だって特定ジェンダーと年齢を想起させる乱暴な言葉で人を括ってるじゃないか。

そうだ。

私もそこは自覚している。正しさをもった概念では全くない。それは権力のあまりの傲慢と暴力に晒されてきたことへの抵抗なのだと思う。

そう、おじさんを産むのは権力とそれに対する甘さだと私は思っている。

日本の労働市場で質的にも量的にも最も強い権力性をもっているのは年長の男性である。おじさんは圧倒的に権力をもっている。上記の発言を若手や女性がすることも珍しくはないとは言ったが、それが発されるのは圧倒的に中年以上の男性であることが多い。

新入社員の女性が自分の上司に「やっぱり薄毛ってどんどんモテなくなりますか?」と聞く姿は想像するのがなかなか難しい。

上記で書き連ねたおじさん的な発言も基本的には相手が開示したくないかもしれないプライバシーを無理矢理こじ開ける質問だ。そのセンシティビティに対して愚鈍であることを許しているのは権力である。

その発言をしても目下のものなら自分に不利益はない。居心地の悪さを感じるのは自分ではなく相手だから関係ない。

日本の労働市場では年長の男性が圧倒的に権力性を持った結果、その検閲を全く経ずしてでてくる言動は家父長的で男性シスジェンダーの固定観念に帯びていることが多くなってしまった。だから、権力がかざす暴力におじさんを感じてしまう。その暴力を防具も持たずに腹にグッとちからを入れて耐えてきた私や私以上にずっとずっと辛い思いをしている友人達をみて、私もついグローブをはめて殴りたいと思ってしまったのだとおもう。その一発のカウンターがおじさんという言葉だ。

私はここ2年国際機関で働いている。ある意味ひどく潔癖症で国文脈を脱したこの職場ではおじさんに会うことは激減した。
それを話すとこう言われることがある。「でもそんなプライバシーとか暴力とか言われたら仲良くなれないじゃん。ビクビクしてお話もできない」
でも私がいた最初の職場のかしまし部屋や、プライベートでも仲のいい友人たちを思い返すとそんなことは全くない。むしろ女子校をしばしば想起させる私の職場は日本にいた頃よりずっとおおっぴらで自由に話していたとかんじる。
じゃあ何をいったいどうしてるのかと言われれば、みんな仲良くなりたい時の踏み込みは自己開示から始めるということである。

それこそ自由だった私の職場ではウェディングドレスの採寸の話から、生理用品の話から、プロポーズやこどもの話までかなり踏み込んだ話はたくさんされていたが、基本的には誰かの独り言からはじまる。「いまめっちゃ気になってる生理用品があってさー」。それを聞いて話したいと思ってかつ暇な人だけが会話に乗っかる。
一方自分から相手に投げかける質問にはかなり神経を使う。例えば各国出身者がいると当然出てくる国籍や出身についての質問や疑問もタイミングをかなり選ばなければ聞きにくいと私は感じる。自分がさも国籍で人を判断しようとしている、と相手に受け取られることを恐れるからだ。

プライベートな会話を避けるべきというのが本質ではない。権力性を前提にして相手のしたくないことをさせてしまうかとしれない、ということに敏感であるということが前提だ。
日本の労働市場でおじさんがあまり自由で横暴なのは権力が何をしてもいいという甘さがあると述べた。だから、この嫌悪感を胸に、次に恐るべきは自分がおじさんになることだ。いくら自分に向けられる権力による暴力を嫌悪していても、人は自分の権力には盲目になることはあまりにも多い。それは強い強い自戒の念を込めていっている。自分は女性というマイノリティーなんだから発言だって権力性をもつわけがないというignorance。パートナーや家族、その人との特別な関係に甘んじて発揮されてしまう権力性。先進国市民、健常者、社会層、など自分が普段不可視化してしまっているレイヤーでの暴力的な視点。そんなことが肌に潜むように自分の中で息をするようにならないと私だっていつだっておじさんになる。そして、間違いなくすでにおじさんとしてたくさんの場面でその手で人を殴っている。

私はおじさんを強く嫌悪している。

それはフィードバックが機能しないことで鉛のように重く愚鈍になった権力とその無思慮を象徴しているからだ。
でも強い思いを下支えしているのは、自分自身もおじさんになるかもしれないという蓋然性を、強い嫌悪感で抑え込みたいという恐れに近い感情なのかもしれない。


去年の今頃行ったケニアにて。真っ直ぐに背を正した立ち姿が美しい



2020年8月20日木曜日

Szégyen a futás, de hasznos

仕事をやめました。
8月頭に日本に戻ってきて、
ジュネーブで2.2年間勤めた職場を昨日やめた。


はっきり言って今はかなり疲弊しているし、この数ヶ月、経験したことのないようなストレスで心身ともにギリギリだった。今までも、前職や、短期出張先で、上司があわない、労働環境がきつい、などが理由で結構なストレス負荷の中で仕事をしたことがあったが、個人を標的とされて、数ヶ月にわたる心理負荷をかけられたことは初めてで、自分にはちょっと耐え難かった。


この数ヶ月で色々「ああすればよかった」「こうできたかもしれない」とか今も後悔や迷いを感じることはあるが、なにか正しい選択をしたとすればそれはその耐えがたい心理的負荷から逃げたことである。逃げた自分は全力で褒めたい。


さて、ここでもTwitterなどでも今まで転職がうまくいった人の典型みたいな余裕と満足感を放っていたとと思う。急にそれがこんな展開を迎えて驚かれるかたもいるとおもう。


この数ヶ月で気づいたことは、私がこの2年間ラッキーだったということだ。2年の間、私はそれはそれは良い大ボスの下で、白すぎて蛍光色かとおもうくらいのホワイトな労働環境で働くことができており、どこかそれを組織の性質と同一視していた。しかし、離職をめぐる数ヶ月でわかったことは、うちの大ボスのようなマネージメントを組織的に担保する仕組みはないということだ。長期出張では限りなく対局を体験したし、組織の戦略系の役務についていたこともあり、組織的な課題も理解してるつもりだったが、あまりに日常が健やかそのものだったので、どこかで楽観視しているところがあったのだと思う。


私が経験したことはかなり特異であるとはいえど、ある程度は国際機関に共通する構造的な問題である。国際機関の特徴の一つに短期の有期契約をつなげていく、流動的な雇用形態がある。一年以上のフルの福利厚生がついた契約をもってる専門職(P-staff、ローカル職員のことはG-Staffという)は国連では半分以下。4-5年の契約なんてみつけようものなら、「長期」契約をもってる特権階級だなんて揶揄われたりするものだ。


このような有期契約なので、全ての契約は部署と特定のタスクに紐づいている。言い換えれば人事異動はないし、その組織全体としてその人を抱えたという意識は希薄である。よく言えば、古き良き会社であるところの「会社が従業員を所有してる」みたいな感覚もない。


そんなわけなので国際機関は採用は9割部署・現場権限で行う。その部署やオフィスが予算獲得して、ニーズがあるので、といって募集をかけ、その採用者の上司にあたる人や管理職で採用チームを組み人を選ぶ。結果、人事の権限が非常に弱くなる。考えてみてほしい、人事異動も採用も行わない人事だ。一体何をしてるんだろうと日本の終身雇用の会社からは思われてもおかしくない。


もちろん人事規則の番人としての機能は有しているのだが、「わたしが採用したわたしの仕事をする部下なのだから、私のチームはこうする!」というマネージャーに対して、それに対抗する術をもたない。


結果、私の機関では特に顕著だったが、「上司ガチャ」で誰を引くかでかなり明暗がわかれた。なぜなら、どうしようもない上司を引いてしまったときに、それを自浄するガバナンス機能を有していないからだ。


国際機関には組織内のガバナンスを担保する様々な仕組みは役職としては用意されている。Ethics & Conduct(倫理課)、Ombudsperson(仲裁制度)、労働組合、産業医。ただ、実質的にハラスメントにあったときにその上司と対等に掛け合い、場合によってはそこに指導や処分をするに十分な仕組みはなかった。労働組合や仲裁制度は結局量的に訴状が積み上がらないと動けず、産業医はあくまで自分自身の心身の健康をサポートしてくれるエキスパートである。一番所轄範囲に近いと思われる倫理課は、結局匿名で訴えを出しても、その内容からその過程で誰かは明白になり、散々ネガキャンをくらって、あとのキャリアに響くというのがうち組織でも他機関でも聞かれることだ。結局短期契約の世界では次がつながらないと組織生命はおわる。「ま、私のこと訴えてもいいけど、次雇わないよ、あんたのこと」という態度をとるマネージャーを防ぐことは難しい。


加えて、開発(Development、平時の支援)と緊急人道支援(Humanitarian/emergency assistance、戦時や災害などでの支援)のうち、後者を所轄範囲として有している機関はこの「上司が絶対」カルチャーはかなり強まる。一言でいえば、命に関わる危険な環境だからだ。前に長期出張先での話を書いたときにも言及したが、緊急人道の世界はかなり、体育会系だ。自分たちもリスクの高い場所にいるし、裨益者もタイミングを誤れば命を落とす。そんな環境では軍隊型の組織運営は是とされる。合理的だ。「はやくしないと人死ぬよ!」ってときに「じゃあみんなの意見をまずは順番に聞こう」とかやってる余裕はないのだ。緊急人道においては縦型の指揮系統がちゃっちゃと成果を出す傾向にある。


そのため、緊急人道をやっている組織は、このような上司に強い権限を与えるようなマネージメントを是認するような人事規則や規範の中で運営されている。厳しくしすぎると、体育会運営が必要な場所でそうできなくなるから。


私は夏に上司がこのような体育会バリバリの人に変わった。コロナ下で本当にさまざまな「想定外」が起こる中で、かなり多くのことは「部署や現場判断にまかせます」というのが組織見解となった。そのため同じ課題に直面しても人によって対応はバラバラだった。私は自分に降りかかった課題について、自分の古巣で多くの人がとっている対応をお願いしたいと新ボスに願いでたがそれはことごとく叩きつぶされた。私としては理性的に話を詰めたかった。別に納得ができる理由があるなら良いと思った。しかし、そのようなキャッチボールはできず、新ボスは「私があなたのボスだから。いいからやれ」という態度を崩さなかった。


これを人事部に相談してしまったところから、状況はさらに転がり落ちていく。運の悪いことに人事部の管理職も同じく緊急人道の叩き上げ、戦火からかえってきたような人だった。私の話を聞くや否や「あんたが問題だということがわかってるか?」と電話で詰められた。上司に楯突くというジェスチャー自体がショッキングというような反応だった。最終的には48時間以内に離職するか上司の指示を飲むか決めろと迫られた。すでにこちらのメンタルをギリギリと削ってくるようなコミュニケーションに精神が衰弱してる中、この連絡をうけて、人のウェルネスも含めてマネージしてるはずの人事がこのようなことをいう場所に私はこれ以上いられないとおもい、組織を去ることに決めた。


古巣や大ボス、同僚たちからは怒りやショックの声が寄せられた。「意味がわからない」「ひどすぎる」。

でも私も含めそのときに全員が痛感したのはそう思うカルチャーは私たちの部署のそれだったということ。組織が全体として浸透させようという意思をもってはいなかったということだ。


こんな話はっきり言って、日本の会社ではよく聞く。ましてや「社員を所有してる」と考えてる会社ではそんなこと息を吸うように行われてる。つい最近も日本の友人と話していたら、明確に「こういう働き方は家族の都合上無理です」と人事面談で告げた社員に、まさに行くのは難しいと伝えたその部署を移動させたという話をきいて驚愕したばかりだ。だから、私が心底苦しかったのは青い芝に囲まれていたからかもしれない。私の古巣のES(従業員満足度)を重んずるカルチャーを横目でみながら、脳天をおしつけられて地面にぐいぐいと埋められていくのはキツい。それはガラス瓶の中にいれられて、最初はたっぷりあった酸素が徐々に抜かれていくような気持ちだった。苦しい。どんどん苦しくなる。ガラス瓶の外はあんなに楽に息が吸えたのに、と手をガラスの壁に伝わせながら外を見る。


苦しくて、酸素がなくて耳鳴りがガンガン、あたまはぐるぐるで、まともにせいかつできなくなりそうだった。だから私はガラス瓶を割って出た。割ったその手は血だらけになって刺さった破片が今もとれないけれど、でも瓶の外には逃げた。


逃げる以外の選択肢はあの時点ではなかったと思ってる。


逃げるは恥だが役に立つというのは実はハンガリーの諺だ。私のジュネーブの2年間、そして離職プロセスを通して支えてくれた友人の1人はハンガリー出身の娘だった。


「日本ではハンガリーの逃げるは恥だが役に立つって諺が有名なんだよ。自分の納得できない嫌な状況を打開する女の子のドラマで有名になったから」


「なにそれおもしろい。でもなんかその使い方はちょっと違うかも」



「そうなの?」


「この諺はね、捕食されそうなとき、敵から逃げる動物のことをいうのよね。迫り来る脅威からは逃げよう、みたいな意味」


「あ、そうだったんだ」


私は少し考えてからメッセージアプリに指を走らせた。


「じゃあ、私の今の状況だったら使えたりするのかな?脅威から逃げてきたきがしてるんだけど」


すぐ既読になったメッセージに沢山の泣き笑いの絵文字がつく


「たしかに!それ最高ね。間違いない、あなたは正しく脅威を振り払って逃げてきたのよ。大丈夫。役に立ったから」


大丈夫。役に立ったから。


Szégyen a futás, de hasznos


ヨーロッパ最高峰のマッターホルン

スイスに来るなら夏の登山が本当におすすめ


2020年7月16日木曜日

人生は舞台みたいだけれど、やっぱり舞台ではなくて

ここのところ、とてもつらいことがあった。
自分が数年間積み上げてきたと思ったものが一気に崩れ落ちるような感覚で、
足元がぐらつく中でちょっとどうしいいかわからないくらいに自分を見失った。

大好きな舞台の音楽を聴きながら私は自分を役に重ねていた。
辛さに吸い込まれそうなとき、憤怒で拳をにぎりしめているとき、舞台の音楽の力強さに私はいつも救われる。
キャラクターの独白が自分の胸のなかでぎちぎちに絡まっているものをほどいて心象風景をあざやかにそこに広げてくれる。それはいわばカタルシスである。

Evanは心細さを、Janisが裏切られた自分を、ElphabaとMatildaは抑圧への不公平感を歌に乗せて重ねてくれる。

私は彼らの言葉をなぞりながら、安心する。
舞台は私に共感してくれるからだ。

でも舞台は私に共感はしてくれるかもしれないが、現実は舞台とは異なる。
ソロのバラードに乗せて私の周りの人たちが内面を吐露してくれるシーンはない。

私の話していた相手は八方美人のCadyか、流れに身をまかせるしかなかったEvanか、役に徹しながら本当はFor Goodを心刻むGlindaか、自分が正義と信じて疑わないFloroかはわからない。

相手の目を見ながら、メールの語彙一つ一つを手繰り寄せ、行間に見えない気持ちを探しながら、
悩むことしかできない。
だから現実は戯曲ではない。
相手の本当に考えていたことなんてわからない。
シーンはいつまでたってもすすまず、見えない相手の気持ちを確かめようと目を泳がせてるとき、
自分は暗転の中で立ちすくんでしまうような気持ちになる。

例えば、相手の気持ちを手に取ることが無理でも
自分がハッとスポットを浴びてモノローグで空気を握れたらいいのに、とも思う。
EvanがWords Failで嗚咽をあげながら告白するように、JanisがI’d Rather be meで自分を貶めてくる人に付き合ってる暇はない、と宣言するように、私だって自分が苦労してなんでもないフリをしなくてもよければいいのにと思う。
I wish I also owned the discourse of the moment と思ってやまない。

でも、Pippin がOh, it's time to start livin’, Time to take a little from this world we're givenというように、私や相手の気持ちがどうなろうと、現実のシーンは先に進む。そして、シーンは絶えず次に更新されていくからこそ、私は自分のこのプロットをどうにだってできる。
Matildaだっていっている、

Like Romeo and Juliette
Twas written in the stars before they even met
That love and fate and a touch of stupidity
Would rob them of their hope of living happily
The endings are often a little bit gory
I wonder why they didn't just change their story
…
But nobody else is gonna put it right for me
Nobody but me is gonna change my story
Sometimes you have to be a little bit naughty

私たちの現実は舞台ではない。
運命も、既定のレールもないし、エンディングなんてきまってない。
だから、今いるプロットが嫌なら自分でどうにだって変えることができる。
それはPippinが最後サーカス小屋を剥がしていくように。
これを謳っているのもまた舞台の主人公たちだということは、驚くほどのアイロニーとウィットである。

だから私は現実は舞台ではない、という冷厳な事実にたちすくみながらも、
また少しの余裕がでてきたら、自分の気持ちを舞台の歌に託すのだと思う。
私が舞台で演じきれなかったシーンを代弁してほしいという願いと、
これから自分が描きたいプロットに期待をよせながら。


ここ数週間自分を励まし、包んでくれた曲たち
自分の救急箱にしたくてプレイリストで残してみた。

2020年5月5日火曜日

居心地良さとソーシャルバブル

一昨年転職したときに、私は自分の比較優位が強い場所よりも居心地を求めていまの職場にきたとかいた。

語学ができる!「国際感覚」なる(なにかわかるようでわからないもの)がある!そんなことを武器にしていたコンサル時代から、身の回りに全員がそれを常識として働く国連にきた。

この一年半、私はそれはそれは心地よく働いてきた。自己弁護したり、それはちがう!と偏見と戦う闘士を無理やりやるようなことは激減した。それは私の日常の中で、仕事の本質以外でのストレス負荷を大きく減らした。

しかし、同時にいま私は新たなジレンマに直面している。感覚の近い人の多い集団を求めていくと、自分を取り巻くのはどんどん均質的になっていく。すると、その小さなソーシャルバブルが自分の社会生活のほとんどを占めてしまい、その外の感覚からはどんどん隔絶していく。
自分自身の心地よさと似たもの同士の中で隔絶されることの間のジレンマにいる。

例えば、私はいまジェンダーはニュートラルに扱われるのが普通だよね、という集団にいることが日常になった。すると、男女の分断が激しい集団や、家父長的な価値観に生に触れることは本当に少なくなってしまった。「これはこの集団が特殊なのだから」と意識できていることはまだよくとも、きっと私が深く内面化してしまい、勝手に「普通」だと思っている感覚は多くあるのではないかと思う。膠着したジェンダーバランスにある環境を指して、さもそれが簡単なことのように「そんなのさっさと女性を上にあげればいいのにね」なんてお花畑のようなことを言いかねない。

去年一年で私が一番ショックをうけた瞬間の一つは「あなたみたいな人がいるからトランプが当選する」と言われた時だった。
その言葉は自分のclose kinから出てきた言葉で、それがさらに私を鋭く刺した。

相手が(少なくとも私が理解するかぎりにおいて)示したかったのは、私のように自分のソーシャルバブル外で起こっていることから隔絶されていると、establishedな社会層が自分の「普通」が社会全体に共有されてるんだろうと盲目的に信じ、アメリカ大統領選の時のように社会の流れを読み誤る、ということだった。

ここで、トランプ政権に対する評価や、価値判断を語ることはしないが、私が自分に近しい人たちの殻にこもった結果、過激な思想をパワーにのし上げてしうるという指摘はとても打撃が大きく、ショックだった。

トランプの当選、BREXITの国民投票についての論考はしばしば社会の分断、establishedな社会層の感覚のズレ、という観点から語られた。
「私たち」が「普通の感覚」、「みんなの感覚」として信じてきたものは、そうではなかったし、
マイノリティーでさえあった。それは「そうだそうだ」と声を揃える集団の中へ、中へと多くの人が閉じこもり、それが世間の全てだと誤解したからだった。

しかし、このソーシャルバブルを破ろうとする努力は個人の日々の幸せを追い求めることとは時に逆行する。
決して心地よい作業ではない。
例えば、昨今のCOVID-19危機をうけて、ネット上にはいつも以上に心のひだに爪を立てるような言葉が飛び交うようになったと感じる。
日本における中国に対するスティグマ、ヨーロッパにおけるアジア人へのスティグマ、
様々な事情によって個人の安全と福祉のために日本に帰ってくる在外日本人に浴びせられる批判の矢、
公僕として働く人たちに対して、その背景とリソースをみずに、むやみやたら叩く言葉

それはみていて自分の中が掻き毟られるように痛痒いし、見ていて心地よくない。
はっきり言って不快である。
自分のまわりでも、ソーシャルメディアで特定の語彙をスクリーンアウトして見えなくする設定にする人も出てきた。
頭の中のノイズは減るし、心理的なストレスも軽減される。
その方が心の安寧のためには良いと私も感じる。

でも、そのノイズ切るスイッチがなかなか押せない。
というより、押してはいけない、と自分の指を止める声が頭の中で響く。
それは、冒頭にのべた言葉が脳内にジンジンと蘇るからだ。

このままヒリヒリとするような言葉をミュートしてしまったら、
私は一層ソーシャルバブルの殻の中に身を閉ざしてしまうのだろう。
その危機感がある。

ましてや、私はすでに自分の日々の環境という点では、日々のヒリヒリやストレスが嫌で、そこを振り解いてきてしまった。
私は自分の日々の居心地の良さと引き換えに、自分と異とする価値観に触れ合う環境を後にした。
多様性をもとめてこの環境にきた、と私は繰り返し呪文のように唱えてきたが、
立ち止まってみると、私は一つの多様性のために、別の多様性を後にしたという方が正確なのかもしれない。

先週実は某職のための就活の面接を受けたのだが、1時間かけて行われた面接の中で面接官が聞いた質問は
「多様性をあなたの言葉で定義してください。その上でinclusion(包含)とは何かあなたの考えをのべてください」
だった。それはもっといえば、「多様性をみとめない」という価値観をどう多様性として受け入れるか、という本質的な問いにもつながる。

私の職場では、ダイバーシティを尊ぶことは踏み絵だ。

候補者がこの質問に対して「多様性なんてものはいらないし、インクルージョンなんて労働効率をさげる」なんて言おうものなら、その瞬間に選考から一発アウトを喰らうことをこの業界の全員が知っている。

人の選抜からこのような基準を設けている。私の周りは国籍も宗教もジェンダーも様々だけれども、全員が口を揃えて「社会的属性に基づく差別はいけない」「基本的人権はいかなる状況でも与えられるべきものだ」と息をするように述べる。規律教育のたまものではなく、それを全員が信じているというある意味異様な空間だ。
多様性や人権についての考え方についてグラデーションのほとんどない、とても均質的な集団である。
私の今ついている国連という職業の一つのミッションは世の中にある偏見や差別を取り払うことである。
しかし、その中にいるほとんどの人は、そのような偏見や差別に日常的に浸かり、その摩擦と心をすり減らすという日常からは遠ざかっている。
ある意味、それは見えないなにかを掴む作業である。

人は「だから国際機関は」と均質性に染まった私たちを指差すかもしれない。
もちろんその批判は組織としては甘んじて受け入れるべきだ。
しかし、それぞれの構成員の幸せを考えた時に、差しかけた指は止まる。
なぜなら、彼らの多くもただただ自分の日々のストレスやノイズを取り払いたくてそこにいるからである。
自分が心地よい場を追求するのはその人個人の自由である。
あらゆる人にそう願うように、彼・彼女たちにもなるべく心安らかに日々を過ごして欲しいと願うし、
自分の日常もなるべくであったらそうであってほしい。

この投稿に残念ながら結論はない。
自らの幸せで安らかな日常を求めたいという基本的で実にシンプルな欲求と
均質的なソーシャルバブルの殻の中でその外の流れに盲目に自分になるまいとすることは、
本質的に相反する営みであり、ジレンマをうむ
そのジレンマに自覚し、葛藤することこそが外に目を開くことそのものなのかもしれない。



ヨーロッパでは日が長くなってきました。先日気晴らしにお弁当をつめて湖畔(近所)で夕飯ピクニックをしました。


人はこれだけ非常事態でも、花は黙っていつも通り咲く。季節はもうすぐ初夏