南の商都ホーチミン、北の政都ハノイ以外に今回どうしても訪れたかったのが、
中部にある二つの古都、ホイアンとフエ
ホイアンは鮮やかな提灯が彩る夜景が有名な古都。
海のシルクロードとも呼ばれる中国のベトナムの海路を支えた街。
日本との交易をはじめ、中国との通商も盛んだったことから、海洋貿易の要所として栄えた。
日本の鎖国により、往来が途絶える前、15〜16世紀には日本人町が形成されていた。
最盛期だった秀吉の時代には1000人ほどの日本人が住んでいたそう。
今では、ホイアンはランタンの町として有名。
赤・黄、様々な色の紙の提灯が町中にかかっていて、夜のホイアンの街を彩る。
一説には、2011年のディズニー映画、ラプンツェルのランタン祭りのモデルの一つとも言われている(他にもタイのロイカトン[灯籠流し]などもモデルと言われる)
昼しか滞在できなかったけど、きっとよるはとても幻想的なんだろうな
その後、19世紀後半からは海運がその勢いを失うとともに、商都としては停滞してしまったそうだが、そのことを理由に急激な都市化が訪れなかったためか、古い町並みがいまでも奇麗に残っている。
今は、ほとんどが土産屋かレストランとして経営されている元・民家は壁が黄色く塗られたものが多い。あとから調べてみたところ、中国人も多かったこの地域では、黄色が高貴な色として好まれたようである。何でも、中国(当時は清)では皇帝しか黄色を使うことは許されなかったため、ベトナムにきた華僑たちは、この制約がなくなり、ここぞとばかりに自分の家を黄色くしたようだ。今でも、ホイアンはその景観を守るために、建物を黄色くすることを条例で定めている。
先に触れたように、日本人街が形成されていたホイアン、街のアイコンの一つの来遠橋は通称「日本橋」と呼ばれている。
一見、デザインが日本的なのかと思わせるこの名前(そして欧米人はおそらくその認識のまま観光を続ける人が多いのだろうけど)。でも実際に、現物をみると日本庭園からイメージされるような弧をいくつも描く橋というより、装飾も含め中国的な影響が強い(屋根あるし)
この橋が日本橋と呼ばれるのは、これが日本町エリアへの入り口だったから。
実際、橋の中には日本語が書かれていたりする。
元・日本人街として知られているものの、実際ホイアンの町並みは中国人街そのもの。
儒教のお寺や元集会所などが街のみどころ。
(実際、ホイアンに限らず、ベトナムは中華文化がとても色濃くのこっている)
そして、もう一つ訪れた中部の街はフエ。
王朝の栄華を残す古都。
2008年はじめてベトナムを訪れたときから、どうしても行きたかった場所。
1802年から1945年まで143年の間続いたベトナム最後の王朝があった都
1883年のフランスによる占領以降も、傀儡政権ではあるものの王朝を連綿とつづけてきた。
今も遺跡として残る王宮の建設には11年以上かかったそうで、その間建設のために国では3割の増税がおこなわれていた(ピラミッドといい、どこも同じですね)
中国、ベトナム、フランスの様式を取り入れた建築が特異といわれている。
フエの王宮がなんといっても美しいのは、荘厳でありながらも、石造りのシンプルなたたずまい。そして、その王宮を囲うお堀の蓮。
この風情がすばらしく、気温の高い中部は40℃近かったけれど、
蓮と遺跡の組み合わせは暑さも忘れる優雅な趣だった。
フエにはホイアンほどの華やかさはない。
でも、私はフエがとても好きだった。
例えるならば、ホイアンは京都で、フエは奈良のよう。
ホイアンは街全体が世界遺産とあり、見た目に鮮やかで賑やか。
ある意味、街が観光なれしていて、店もほとんどが観光客向け。
短パン、タンクトップのバックパッカーで溢れている様は修学旅行生を思わせる。
一方、フエはもっと素朴だ。王宮を一歩でると、おじさんがちりんちりんと鳴らす自転車の音が風に乗ってくる、そんな街だ。
たまたま、バスで乗り合わせたおじさんが買ってくれたヤシジュースを袋の角から吸いながら、水面にゆれる蓮を城壁の陰で眺める、そんなゆとりのある街。
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