2020年2月3日月曜日

あなたが嫌いな日本の会社っぽさは、日本の外ではあなたの強みかもしれないー国連にみる一見日本的な企業文化ー

海外の企業で働く人、国際機関就職者、などをみると一辺倒に、「日本/海外」、「日本の会社/国連」という二項対立で語るひとが少なくないように思う。その中には、海外の会社はこれがいい!とか、日本の会社に比べて国際機関はこんなにいい!と手放しに海外の会社や国際機関を礼賛するものもあって、びっくりしたりする。

自分の好きなものや嫌いなものがあるとして、それが何によるものなのかは冷静にみつめることは大切だと思う。それは自分がいる会社が素晴らしいのかもしれないし、上司がすばらしいのかもしれない。本当に、「日本」、「国際機関」というところがポイントなのかは検討に値するかもしれない。

例えば、日本の古臭い企業文化、非効率の助長している要因としてしばしば挙げられるものは
国連の中でも散見されるものが多い。




これらは少なくともうちの組織や、話を聞いたいくつかの国際機関では珍しくないことではないようです。
仕事をしない老害が窓際にずっといる、管理職のローテーションで全然専門外の上司がきて困っている、こんなこともよく日本・海外の対比で聞かれますが、これも国連にもみられる現象です。

私が就職してからずっと心にとめていることとして、人を恨まず、構造を恨め、というものがある。基本的に組織においては、絶対するべきではないことは懲罰的措置がされ(情報漏洩したら処分など)、積極的にしてほしいことにはよいフィードバックが与えられる(売上に貢献したからボーナスアップ)。ある行動が蔓延しているとしたら、それには大抵それが助長されるような構造がある。だから、日本であろうと、海外であろうと構造が同じだと同じような言動が見られるようになる。

国連組織は基本的に官僚組織だ。私たちが小役人的仕事をしているということは前の投稿にも書いた。

加盟国はお客様、となりの機関は競合他社ーコンサルモデルとしてみる国連ー

国連で働いていると、普段の私たちは各国に対して指導的立場でかかわり、超国家的な権力で秩序を築いているという印象を与えていることが多いらしい。それは、おそらく本や、授業、世界史や時事で出てくる国連が人道的介入のような形で行動している事例が多いからなのではないかと思う。 ...


役人というと霞が関の官庁を想像されそうだが、官庁から市役所くらいの幅を想像してほしい。さて、官僚組織の中で特異にみられる現象の一つとして、会議のための会議というものがある。会議を開いて各部署から関係者を呼び、議題に沿ってみんな好き勝手話すけど、特にそこで意思決定がされるわけではない。国連ではこれをよくcoordination とかconsultationと呼ぶ。これらの会議がある意義は、二つ。

 ‐意見の代表性を担保すること
 ‐批判の事前予防

ある取り組みを進めるにあたって、テンプレ的な意見は「この取り組みは関係者全員の同意をとっているのか」。特に公共セクターにおいては、「全員」が強調されることが多い。Selective ではなく、Inclusiveな意思決定文化である。公共の利益を実現しようとしている故の文化だ。組織の幹部に説明するにあたっても、お金をだしてるドナーに説明するにあたっても、このピースが欠けることは許されない。すると、意見を聞きましたね!という場を設けることがとても重要になる。大した意見もでない、というのはむしろいいサインの場合もある。「特に是正するべきところはないので、そのままどうぞ!Keep Going」ということなので。大した意見が出ない会議を経ると、晴れてこの取り組みは「Consultした結果、全員のコンセンサスを得られました」と表立っていえることができる。
二つ目は、一つ目にも関係するが、意見を聞く、という姿勢事体が批判を牽制することにつながったりする。「は?そんなこと知らない場所でやってたの?何これ意味わからないじゃない」という憤りのほとんどは、「自分の知らないうちに」というところにかかっている。説明の場を設けて、他の人もいる目の前で建設的な議論をすることはあとあとの本質的な批判を受けることを予防することにもなる。
さらに、この会議のための会議を前にして、この人からは厳しい意見がでそうだなーっておもったら、するのが事前の根回しである。会議のための会議は概ね了承を得るためにするので、大きな意見の衝突が予想される場合は、事前にそのネゴは行っておくのが常だ。
Inclusive な文化に基づき、加点を狙うより、減点を避ける官僚の労働倫理において、会議のための会議や事前の根回しはまだまだ果たすべき機能が大きく、こちらでもなくなる気配はない。


体育会文化もそうである。うちの組織は数百のオフィスを持っているが、同じ組織の中でも、
・作業の量と迅速性
・資金調達
を人事評価メーターにしたところはたいてい、厳しい体育会文化が育つ。
多くのことを早くやればやるほどよくて、お金を取ればとるほどよい、ということなら、
四の五の言わせずひたすら人を働かせるのが最も効率がいいからだ。
逆にチーム全体の働きやすさやスタッフの心身のケアをする責務についてマネージャー強く監督するようになると一気に体育系マネジメントは鳴りを潜める。もちろん、人格者な体育会系の人もいるが、厳しい体育会文化の下では合わないひとはつぶれてしまうことが多い。

そもそも海外!という主語が日本以外の190か国以上を十把一絡げにして、ありとあらゆる企業や文化を語ろうとしているので無理がありすぎるのだが、もしあなたが「今日も決済上げるためにハンコにかけまわり、会議の事前根回しして、隣の部署とはちっとも情報共有できてないし、日本企業なんて嫌だ!海外にいきたい!」とおもっているなら、転職先のビジネスモデルやマネジメントカルチャーはよく見てから吟味するといいと思う。
私は今の組織をとても気に入っているが、それは今までいた組織に比べて、ダイバーシティが当たりまえとされていて、フラットなマネジメント文化が際立っているからだ。
逆に上記にあげたような、会議のための会議や根回しは毎日のようにあるし、部署ごとのたこつぼ化(こちらではSylosという)はかなり激しい。しかし、これらについては私はあまり気にならないたちなので、逆に自分の強みになると思っている。こういう役人的な仕事が好きじゃない人は多い。それが苦にならないということだけで能力になる。(ということはこちらにきてよくわかった)

むしろ、官僚でなくても、民間でさえ役人ぽい仕事の仕方がしみついた日本の企業の出身者は国連の基幹業務(本部とか政策連携とか)に向いてるのではないかなぁというのが私の意見だ。
同じように日本でビシバシ体育会で鍛えられた部活出身者や、商社・ロジスティクス系の業界出身の人は、国連の中でも緊急人道側のお仕事で本当に強みがあると思う。あの特殊なカルチャーにフィットする人材は世界を見渡しても稀有だと思う。それが居心地がいいなら、それは能力なので自信をもったほうがいい(それが苦手だった私みたいな人材にはわるいことを言わないから、国連の中では開発側をすすめておく)
(緊急人道と開発の社風の違いについてはここでは割愛するが、詳細はこちらを参照)
「初めての緊急人道支援」体験記

日本の会社はこれだから疲れる、これだから窮屈だと考えて海外や国連を目指す人も少なくないと思う。日本のいまの自分の企業にないものを求めるのももちろんいいと思う。でも、まずは一度立ち止まって、自分の嫌いなその慣習や文化がどんな構造を背景として存在しているのか考えてみるのは、そう悪いことではないようにおもう。そうするとおのずと自分が次に目指したい場所、それが日本以外の国のほうがいいのかも浮かび上がってくる。
でも、もっといえば、日本の会社っぽい場所を見つけて、それを逆に強みに利用するのも手かもしれない。日本特有だと思ってる文化も、構造を同じくする全く違う国や業界でもしかしたら共通する文化かもしれないから。

先週出張で訪れたウクライナ、キエフ
ご飯がとてつもなく安くておいしくて、空色屋根のエレガントな教会建築が綺麗な素敵な場所でした。
こんなに寒くなくて、私がロシア語を話せたらぜひ住んでみたい街だった

 






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