Be the change you want to see in the world.
とは言わずとも知れたマハトマ・ガンジーによる名言である。
私は最近この一句の示すところの大切さを切に感じている。
かの非暴力不服従にてインドを独立に導き、植民地主義で断固としたNOをつきつけたマハトマ先輩の言葉とあり、この一句の"change"も"world"もひどく大きなことのように感じる。
しかし、この一句はごく日常の場にもその芽を潜ませていると、というのが最近の気づきだ。
私が働くようになって一番ナンセンスだと思う考え方の一つに「辛い体験の継承」がある。新人、若手がなかなかキツい思いをしているとき「俺/私のときはもっとキツかった」とその発生源たる本人に言われることがある。
自身も大変な思いをしたし、それに意味があるとは思わないが、自分だってそれに耐えたのだから、お前もその洗礼を受けて当然だろう、というその言い草に私は納得できたことがない。
もちろん、中にはその仕事をする上で本当に不可避についてきてしまう困難だってある。ただ、上の世代が自分以降がその辛い体験をしないことに対して不公平を感じているだけならば、ここまでナンセンスなことはない。
自分が辛かったのなら、なくてもいいと思ったのなら、それは自分を最後の犠牲にしたいと私は思う。自分からその悪習に「change」をつきつけ、クルッとかえることで、誰かにとっての「world」は住みやすくなるかもしれない。
「社会」だけでなく、目の前の「人」をきちんと見ることができるとはそういうことだと思う。でなくばシステムの思考停止の1ピースになってしまう、誰しも。そんなのごめんだよね。
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