2017年1月20日金曜日

Dear Evan Hansen -生きづらいと感じる君への手紙-

先日ゴールデングローブ賞で、La La Landが主要各賞を総なめにしたことが話題になった。まだ一般公開されていないこの作品は一躍今シーズン最も注目される映画となった。そんなla la landの作家/監督が書き下ろした舞台作品が実はシアター界では去年から評判になっている。Dear Evan Hansen だ。



最近のミュージカルは既存作品のリメイクや舞台化が多い。
Aladdin(アニメ)、Waitress(映画)、Color Purple(映画)、Kinky Boots(映画)、Anastasia(アニメ)、Fun Home(漫画)....
昨年のメガヒット、Hamiltonは大きな例外ではあるものの、近年の新作舞台の脚本・構想は、既にある素材をどのように舞台として仕上げていくか、という作業であることが多かったように思う。
そんな中、原作もなく、歴史モノでもないDear Evan Hansenはオフ・ブロードウェイから火がついたように人気を獲得し、一年足らずで華麗にブロードウェイデビューを果たした。
キャストも特にビッグネームがいるわけではない中、口コミが瞬く間に広がったこの作品がどうしても気になり、今回真っ先にチケットを入手した。


Dear Evan Hansenは観ていて苦しくなる舞台だ。
Kinky Boots のように手をあげて歓声をあげたり、Book of Mormon のようにお腹を抱えて笑う作品ではない。アラジンやライオンキングのように、目の前の華やかなパフォーマンスが目を奪う作品でもない。
観ていて苦しくなりながらも、舞台上のキャラクターを抱きしめたくなるほどの愛おしさを感じる作品だ。
生きづらさを一度でも感じたことある人なら、どうしたら「必要とされる存在」になれるか頭が擦り切れるほど考えたことがある人なら、舞台上に立つ主人公 Evan にかつての自分が透けてみえる。




Evan は自分の居場所が見つけられない高校生だ。セラピストは彼が社交不安障害(Social Anxiety Disorder)だという。しかし、症状に名前はついても、彼の日常の難しさが解決される訳ではない。診断は彼の困難を分類はしてはくれても、その原因や解を示してはくれないから。Evanの日常は惨めな訳ではない。彼は学校でイジメを受けたり、追い詰められたりされている訳ではない。違う。彼のいる世界は彼に対してあまりにも無関心だ、少なくとも彼はそう感じている。彼がいようが、いまいが、日常は等しくまわり、彼の存在はなんの重みも持っていない。

それはまるで1人ガラス窓の向こう側にいるようで、彼は外の全てが見えていても、行き交う人は彼に一瞥もくれない。そんな彼の気持ちを歌ったWaving through a Windowがこの舞台のメインテーマだ。舞台を観る前から、この曲を聴いた瞬間、その言葉が耳から離れず、「この舞台を観なきゃ」と思った。

ガラス窓の向こうでは浮遊するような不安定さの中で立ち続けるためのバランスを探さなくてはならない。かつてそれが自分の日常だった時のことを思い出した。私はそのことをガラス窓ではなく、「ドーナツの輪」と呼んでいた。ドーナツの中に入っているはずなのに、自分はドーナツの実態にはなれない。それが囲っている中身のない空洞に座っているだけのように感じていたからだ。それを訴えたり、相談することは躊躇われる。なぜなら、イジメのように主体的、能動的な悪意に苦しんでるわけではないからだ。誰も自分を傷つけようとしているわけではないし、何かをやめてほしいとも言えない。周りが自分自身に興味がないことについて、どれだけ彼らを責められるだろう。それはただただ自分に価値や魅力が足りないからのように感じられた。Evan のように中学や高校にいた頃の話だ。毎日通う小さな教室に自分の世界のほぼ全てがあったと思っていた頃。その頃の私も Social Anxietyや、対人恐怖があったのかもしれない。でも、そう言われていたとして、だから?としか思えなかったように思う。社交に対して不安しかないし、対人関係が怖い、それは分かっている。ただどうしていいかが分からなかった。

主演Ben PlattによるWaving Through a Window

そんなEvanはセラピストからの宿題で自分自身への手紙を書く。"Dear Evan Hansen..."から始まるその手紙に彼は自分の不安のほんの一片を綴る。しかし、運悪くEvanはそれをクラスメイトの1人に見られてしまう。同じくはみだし者のConnorだ。彼はEvanの手から手紙を奪うとポケットに押し込み、そのままどこかに行ってしまう。その日の午後、Connorは自ら命を絶つ。無くなった彼のポケットに入っていた手紙をみた両親はConnorが最期の遺志をEvanへの手紙に託したのだと思い込む。亡き息子の姿を手紙の中に必死に探すConnorの両親を見て、Evanはどうしても否定しきれず、その勘違いに乗ってそのまま嘘をつく。Connorと自分はお互いにとっての唯一のかけがえのない友達だった、と。そこからEvanは瞬く間に「自殺してしまったConnorを支えた友人」として学校、地域、ネットで時の人となる。一夜にして、「意味のある地位」を得たEvanは死んだ子の友人という地位を必死につなぎとめることで自分の居場所をつくろうとする。周りの人たちを少しずつ巻き込みながら。

この舞台はなんといっても主演のBen Plattの真摯な演技が観客をそのストーリーに引き込む。
人と話すときに会話の糸を掴もうと必死な様、
なにをしても「正解」じゃない気がして言葉1つ、動き1つもぎこちなくなる様、
人と関わるのが怖いのに、同時にどうしようもなく人に気づかれたいと願う思い、
それらの思いが全て溢れすぎて結局はうまく立ち回れず、そんな自分に失望する様、

彼の演じるEvan は手にとって「分かる」と思えるほど、そのリアリティーが繊細だ。またストーリーを通じて彼が大きくは変わらないのがとても好ましく思える。この手の青春の葛藤を描く物語は概して、それを通じた精神的成長が過度に強調される傾向にある。しかし、本作の場合どちらかと言えば変わるのは周りであり、Evanその中でただただ必死に泳ぎ続けようとするだけだ。
ストーリーが進んで行こうとも相変わらずぎこちないEvanが自己開示する様子は歌のシーンを通じて描かれる。それまで挙動不審な彼が音楽が流れ出すと、決意を感じさせる落ち着きで歌い出す。歌のシーンはいわばモノローグであり、彼が腹を決め、ゆっくり言葉紡ぎ出すときに使われている。Ben Plattの高音まで伸びやかで、まっすぐに開いていく声はそんな独白にぴったりだ。対人関係の中ではなかなか自分自身の思いを表現できないEvanが奏でる歌に手を引かれ私たちは彼の気持ちの深部に触れる。
正直に言って、ブロードウェイ作品としてはキャストの歌唱力が飛び抜けた舞台ではない。少人数舞台ならではのコーラスのまとまりは魅力の1つではあるのだが、いわゆる誰が口を開けても主役級の歌で圧倒する、というタイプの作品ではないことは確かだ。また、音楽もそのトーンは全体で一貫して、弦楽器を主としたシンプルな曲が多い。秦基博やJason Mrazを思わせるような曲調だ。ドラマチックな曲運びやトーンの違う曲を織り交ぜて客を飽きさせない、ウェバーの作品(オペラ座の怪人、キャッツなど)とは大きく異なる。この作品の曲の良さは半分以上が主演Ben Platt が成すものだと言っても過言ではない。


Dear Evan Hansen より、Waving Through A Window, Only Us, You Will Be Found

演出についても少しばかり。
Dear Evan Hansen をみて、「あ、2010年代の現代ミュージカルが出てきたんだな」と感じた。かつて、RENTはミュージカルをそれが上演された「今」の文脈にはめ込んだことで大きなインパクトを与えた。それは路地裏の猫や20世紀初頭のオペラ座の話ではなく、劇場のすぐ外を生きるニューヨーカーの話だったことが、ミュージカルの文化を変えたと言われている。その後、いわゆる現代劇のミュージカル作品は珍しくなくなった。しかし、Dear Evan Hansenをみて、それらの現代劇の描く「現代」は既に古いことに気づいた。本作の1つの焦点はソーシャルメディアだ。舞台上にはいくつもの縦長のスクリーンが並び、そこにはfacebookTwitterYoutubeの画面が読めないほどの速さでめまぐるしく映される。発言1つ1つは分からないし、それを発信している個人も可視化されない。しかし、Connorの死も、Evanの発言もいつのまにか、そのソーシャルメディアの渦の中で広がって彼らの知らぬところで得体の知れぬ動きになっていく。しかし、舞台のシーンとして目の前に広がるのは、ほとんどがEvanの部屋や家の中であり、その匿名のうねりたるソーシャルメディアとはどこか切り離されてる。ソーシャルメディアと社会関係について、ここまでアップデートした演出を用いた作品はメインストリーム作品としては初めてであるように思う。確かに私たちは、溜まり場のバーで店主のツケで飲み食いしながら夜な夜な話をしたり、社会に主張するために創作パフォーマンスを路上でやるRENTの人物たちとは少し違う時代にいる。しかし、それがこんな形で演出されるまで、それが古い「現代」ということに気づかなかった。現代的な文脈を演出を通じてうまく展開した点においてもこの舞台は新しかった。




ラストシーンが終わる頃、劇場ではあちこちからすすり泣きが聞こえた。私が足を運んだ時は、いわゆる「大人」の観客が大半だったが、Evan と同年代のティーネージャーにも観てほしい舞台だった。もし、Evan の中にいまの自分をみているように感じたら、この作品の1つが謳う通り、#Youwillbefound の言葉を持ち帰ってほしい。あなたはまだ見出されてないだけだから。いまいる教室は世界の全てではないと。席には自分がEvanだと感じて涙を拭う人がこんなにいる。君が1人ななわけはない。



また1つお気に入りの舞台ができました。

2017年1月16日月曜日

Waitress

2015-2016年 ブロードウェイのシアターシーンは完全にHamilton 一色だった。シアターを超えて社会現象とまでなり、大統領選を巡って様々な論争が吹き荒れる中で、オバマ政権の精神性を象徴する舞台でもあった。

そんな中、Hamilton の陰に隠れた良作があると言われている。Waitressだ。



舞台作品のショーレースであるトニー賞では、最優秀作品や主演女優賞をはじめメジャーどころの賞はほとんどにノミネートされている。授賞式で二曲以上披露する枠をもらったのも Hamilton 以外では同作だけ。さらにいえば、入れ替わりの激しいBWで今シーズン、新作の中でまだクローズせずに残ってるのもHamiltonWaitress以外にはもう一作くらいしかない。もしHamilton がほとんどの賞をかっさらっていかなかったら、Waitress こそ2015-2016年シーズンのスター作品だったのではないだろうか。

Waitress の良さはその飾り気のなさだ。ストーリーはアメリカ南部の田舎町を舞台にしており、主人公はその名の通りパイ屋さんで給仕をして、生計をたてる女性たちだ。ミュージカルは表現上の特性から、どうしても派手になりがちだ。それはそうだろう。普通に話していたかとおもったら、急にその衝動で歌って、踊りだすのだから。その押し付けがましさがファン以外には苦手意識を与えたりする。しかし、Waitressは良い意味で地味である。語弊を恐れずにいえばメインキャストに言わゆる容姿が目を引くほど際立つ人はいない。そして、これが何よりも独特なのだが、いわゆる Divaタイプの歌い手もいない。



ミュージカルはbeltingと呼ばれるいわゆる喉をお腹から震わせるような全力の歌が見せ場だ。メインキャストはここぞというところで、渾身の歌声でそのエンドノートを打ちに行く。しかしWaitressではbelting シーンがほとんどない。歌い手は皆一級である、beltできないわけではない。しかしそこであえて、そっと伴奏に乗せるようなウィスパーにも近い歌声で緩急をいれていくことで、このショーは包み込むような優しさをつくりだしていた。

この魅せ方が特に光っていたのが主演のJessie Mueller。高温ではかすれゆくような切ない歌い方はとても特徴的で、今の生活を脱したいと願う主人公Jennaの葛藤や哀愁を抜群に表現していた。全力で絞り出す歌の力強さはもちろん迫力がある。しかしJessie Muellerがウィスパーで優しく歌いながらも、芯の通ったビブラートを響かせるのをきいて、「これは誰にもできる芸当ではないわ」と感服するより他なかった。

このショーの見せどころは楽曲とJessie Muellerと言われるが、その通りだろう。彼女が他のキャストと入れ替わった時点であのショーは別のものになる気がする。

公開稽古より Bad Idea


そんなJessieの芯のあるウィスパーが抜群に映えるのがハモり曲である。Waitressはハモり好きにはたまらないくらい、ハーモニーが一級だ。この作品、なんと楽器隊はステージ上にいる、ピアノ、キーボード、チェロ、ギター、ベース、ドラム、の6人だけ。とても伴奏はシンプルなのに、そのことにしばらくしないと気づかないほどメロディーが豊かだ。まずは何よりもシンプルにハモりが多い。既に書いた通りbelterが多いミュージカルではサビの部分のここぞというところで大きい音の伸ばしでハモリを持ってくることが多い。しかし、waitressではもう歌い始めのAメロから、転がるように流れるたくさんの音の全てをハモりで重ねてくる曲が多い。技術的にはとても難しく、かなりの練習が必要であろうそのメロディーは心地よいくらいに軽やかに重ねられていく。この難易度の高いハモりは、そっと音に乗せるように歌う本作の歌唱演出ならでは映える手法だ。



演出はやはりシームレスに舞台に流れている料理シーンが1番の魅力だ。Waitressの会場である Brooks Atkinson Theatreに一歩入ると、甘く香ばしいパイの匂いが立ち込めている。このシアターでは開演前から舞台上で本当に使うパイを暖めて匂いを放つことで、パイ屋さんの暖かな雰囲気を香りから演出している。全体を通してパイ作りを基点として流れるストーリーの中で、キャストの手でフッと吹かれた小麦粉は魔法のように舞い、砂糖やミルクは流れる音楽とともに軽やかに宙から高く注がれる。主人公Jennaがその喜び、フラストレーションをぶつけるようにパイ生地をこねるところまで、押し付けがましくなくも、観客を飽きさせない遊び心の効いた演出だった。

公開稽古より Soft Place to Land

この作品、Waitressはブロードウェイで初めて女性オンリーのクリエイティブチームで挑んだ作品として有名だ。特に作曲家のSara Bareilles がアクティブなフェミニストなこともあり、見る前はそれが全面にでているのではないかな、というのが少し懸念された。でも、蓋をあけてみると、そんな顔に押し付けるようなメッセージ性はなく、この作品全体が醸す飾り気のない優しさ、それでいて女性キャストたちを媚びさせない芯の強さこそ、彼女たちの女性性が美しく活きているなと感じた。



疲れた時、自分も、生活もままならない時、立ち上がれよと鼓舞するのではなく、パイを差し出すように、そっと包み込んでくれる舞台である。