2017年11月16日木曜日

Anastasia

11月のブロードウェイはちょうどシーズンの入れ替わりで、昨シーズンの作品が終わったばかりだけども、それと交代する新作はまだ準備中かプレビュー中という、ミューオタを悩ませる時期である。


まず細かいことを語る前にこれだけ言わせてほしい。


ラミンが見れなかったーーーーーーーーーー。ラミーーーーーーーーーーン


※ラミンとはお顔、身体、声と三点そろったイラン系カナダ人のスーパースターです

※史上最も人気のある怪人の一人で、クラシックからロックまで何でも歌える超人なのでとりあえず彼をいれておけば、ショーの質があがる感があります。

11月をもって、降板することが決まっていたラミンを観れる貴重なチャンスに滑りこだと思ったんですが、その日はunderstudyが代打しており、イランの誇る美声が聴けなかったのは大変口惜しかった。でも、切り替えます。12月には日本コンサートにくるので。もちろんチケットぽちってるので。


もう一度だけ、言います。


ラミーーーーーーーーーーーーン


はい。気が済んだしたので、通常レビューに戻ります。


Anastasiaは97年に上映されたアニメ作品を原作としている。今回なぜこのショーを観に行くことにしたかといえば、理由は極めてシンプルで、小学生の私はこのアニメ作品の大大大ファンだったのである。バスで1時間以上かけて通学していた私は、当時から音楽ジャンキーで、一番好きなテープ(そう、当時はカセットテープです)がAnastasiaでした。好きすぎて、いまでも持っているくらいです。





そんな腹の底から好きなスコアなので、もちろん音楽はとてもよかった。多少順番や歌詞を変えていたけれど、それも違和感がなかったし、元の音楽コンテンツはうまく料理されていた。物申すとすれば、新しく足された曲目が少し完成度として霞んでしまったように思う。その点、同じくアニメ原作のアラジンなどは、元の作曲家(名匠アラン・メンケン氏)がついたことで、新曲も含め、全体をプロデュースが成功したのだが、Anastasia はどうしても継ぎ足した部分の完成度のムラが否めないかなというきがした。電車シーンの"Traveling Sequence"や、パリの"Land of Yesterday"などはうまくはまっていたように思う。あと、エンディングの名曲At the Beginning が完全カットされてたのが残念。カーテンコールでもいいからかけてくれればいいのに!

キャストの歌唱力も素晴らしかった。特に今回発掘された新人さん、アナスタシア役の Christy Altomareは、とても伸びある声でありながら、イノセントな印象も残しており、ハマり役だった。今後も純粋な少女役に期待できる。


あとは満足度が高かったのがアンサンブル。本作、キャスト人数は決して多くなく、ロマノフ一家から、人民、軍部まですべて10人ほどでこなしていたのだが、コーラスが10人とは思えないほどの厚さであった。特にロシア風の曲のときには、このコーラスの重さがしっかりでていたことでまとまりが出ていた。


さて、音楽と歌唱面からレビューを始めましたが、この作品は「小規模予算の舞台作品がどう試行錯誤するか」という観点で見たときにとても面白かったように思う。去年Dear Evan Hansenというオフブロードウェイあがりの低予算作品がシアター界を席巻したことからもみられるように、ミュージカルは最近ますます「お金をかければ良い」という世界ではなくなってきている。そんな作品がどんな戦略を打って万年戦国時代のブロードウェイを勝とうとするかはとても興味深い


残念ながら制作費をネット検索からは突き止めることはできなかったが、Anastasiaも使っている劇場、プロデューサー陣、キャスト陣などからして、そんな小規模予算の作品の一つであることは察しがつく。そんな作品の難しさは予算を均等に分配できないことにある。潤沢にない予算をどこに重めにふるか、そんなセンスと手腕に問われるのだ。そのため、凸凹感がある、それが低予算作品の特徴である。


Anastasiaにおいてはキャストや衣装はきちんとコストがかけられている部分であった。キャストは幸い(?)男女の主演が若いという設定だったので、イキがいいけれども、まだまだ売り出し中の(言ってしまえばコスパが高い)2人を中心に、ベテラン勢も粒ぞろいであった。おそらくキャスティング料が圧倒的な高いラミンを筆頭に、助演クラスが手堅く、Vlad 役のJohn BoltonとLily役の Caroline O’Connor のおじさまおばさまが際立ってよかった。なによりコメディシーンの質がたかい。コメディは実は高級感を出すのが一番難しいというのが、私の持論であり、下手するとすぐ「安っぽさ」が、でてしまう。その点若い2人はまだそこの経験が足りず、いくつかダイコンモーメントがあったのだが、このベテラン2人がいることで、作品としての安定感は一気に増していた。曲もこの2人がはいっていると、まとまりが全くちがった。Vivaベテランパワーである。


逆にここは予算薄いな、とかんじたのは振り付け。本作どの役職をとってもプロデュース側にもビッグネームはいないのだが、それにしても振り付けはもう少しどうにかなったのではないかと思う。冒頭に帝政ロシアのロマノフ家の晩餐シーンがあるのだが、そこの舞踏シーンが安すぎてちょっと、はじまっていきなりのダイコンモーメントにどうしようかと思った。ダンスルームシーンをやるのならば舞台版シンデレラくらいの本気が欲しい。あっちは完全なるフィクションであれだけ揃えてきてるのである、歴史物であるはずのAnastasia で帝室シーンにボロがでると、一気に作品がbelievable ではなくなってしまう。総じて、振り付けなしの曲が自然だったしいいかんじでした。ちなみに先に述べたDear Evan Hansenもほとんど振り付けがありません。低予算の場合はむしろそういう潔さもあってもいいのかなと思う。





低予算舞台における近年みられるもう一つの特徴として、テクノロジーによる制約克服がある。舞台世界にもイノベーションの波はきている。資金面の制約を技術で乗り越える試みが最近よくみられるようになり、面白い時代になってきていると思う。Anastasia はなんといってもCGとプロジェクションなしには語れない。最近ミュージカル界(特に韓国系)で人気のプロジェクションの活用だか、本作は今まででみたことないほどにデジタル映像の活用が多かった。どのくらい多かったかというと物理的にでてきたセットが、机、イス、などの家具と、鉄道の車両内セットくらいである。特に屋外シーンは全てが背景スクリーンといっても過言ではない。
なんというかもはやメディアミックスに近いというくらい装置が映像で代替されていた。サンクトペテルブルクの大聖堂や、パリのエッフェル塔、鉄道で逃げるシーンで窓の外を走る景色、これら全て映像で表現されていた。

これまで観てきたプロジェクション映像はそのシーンにプロジェクションを使うこと自体に意味をもたせていたが、Anastasia において、はじめてプロジェクションであること自体の意味は透明な映像活用手法をみた。


おそらく好みが出るとおもう。特にオールドスクールな古典好みな人たちは、ディズニーランドのショーみたい、なんていうだろう。でも、ブロードウェイで同時にライオンキング、アラジン、ノートルダム、アナ雪、を公開しようとしているような市場環境の中で、むしろミュージカルがどこまでエンタメショーと本当に違うんだという気もする。私はセットを作る莫大な予算を持たずしても作品を世に出せるようになった、技術革新は歓迎したいなと思う。見てるときの違和感でいえば、アバターのときは超賛否両論だった3Dももはや、まったくもって「普通」になったじゃない?多分制作側の使い方の慣れと、観てる方の慣れの問題です。


今回は少し興行的な観点から作品を語ってみました。Anastasia は総じて大劇場のスター作品にはないような凸凹を楽しむ作品である。「ここがこんなに卓越しているのに、ここなんでこんなになっちゃったんだ?」なんてシーンも含めて満喫するのが乙。とりあえずミューオタにとって最も大事な楽曲が鉄板なのでそれを安心感に、スタートアップ・ミュージカルともいうべきこの作品はトライしてほしい。結局は引っかかる所のないまん丸の「優等生ちゃん」な作品よりも、こういう作品の方が案外クセになってしまうのが舞台のおもしろさだと私は思う。


プレスコール動画(ラミン含)。キャストの伸びやかな声がとてもよい


2017年10月15日日曜日

流浪と隔絶に生きる豊かさ、逞しさ —インド・カッチ地方のお針子さんたちを訪ねて

Kutchというお針子の街がある。
パキスタンの国境近く、インドのグジャラート州にある地域だ。
まさに辺境というにふさわしく、グジャラート第2の都市Vadadoraから鈍行列車に7時間も揺られてやっと辿り着くそこの、その周縁の、周縁であるが故の魅力の虜になった。
カッチの手芸は本当に手の込んだその繊細さ、独特なデザインが美しく、
一度目にすると、arts & craft が好きな人なら誰でも一瞬にしてそこに心惹かれる。
しかし、世界中に点在する手芸自慢の地域の中でもカッチが特別に思えるのは、
それが、一つの手芸品を名産とするのではなく、
地域の中で肩を寄せ合うように、多種多様な手工芸をつくる村が密集しているところだからだ。
蚕がとれるから絹織物が、質の高いチークがあるから木製家具、といったその風土を吸い込んだ一つの手工芸を冠しているのではない。
銅細工から、染め物、木工品から、刺繍まで、
ありとあらゆる手工芸が隣合う村々の中で、それぞれ特化され、華めく。
手先自慢の職人さんやお針子さんたちが、なぜか方々から集まり、
創る生きたアトリエ。
カッチはそんな不思議で奇特な魅力に溢れる地域だ。



まだ、観光客もすくないこの地域を、
リキシャを半日、車を一日貸し切って、村から村へと一つ一つ行脚した。
土ぼこりが少し舞う中、自分の足で踏みしめて、
村々をあるくと、改めてその不思議な魅力に取り憑かれる。
いずれの村も、商売上手な商人やバザールなどはなく、
お家の一角にある作業場で創られた手工芸が、そのすぐ脇で、
またはその職人集団を取りまとめるリーダーのお宅で手売りされている。
特に刺繍などに関していえば、元々は売り物ではなく、
お家で使うものとして受け継がれてきたものなのだなということがよくわかる。
私たちがドアをノックすると、みんな「まぁチャイでも飲むといい」と
お茶をまずは出してきて、
「まぁま、まずは見ていけばいいよ “Watch and Learn” と言わんばかりに、
黙々と作業に戻っていく。
本当にここは職人さんの集まりなんだなと言うことがよくわかる。
大体の工房には英語を話すおじさまが一人おられて、
その手工芸の制作の課程や由来等を丁寧に説明してくれる。
決して押し売りするような素振りはなく、
その伝統や風土をまずは知ってほしいという姿勢がとても素敵で、
ああ、なるほど私は職人とアーティストの村にきたのだなということをひしと感じさせる。


Ajrakのブロックプリンティング、繊維産業の工業化の第一ステップとも言われる。
模様を象った判子を寸分のズレもなく組み合わせて押していく

そして、やはり不思議に思わずにいられないのは、
その小さな地理の中に、多種多様な工芸が密集しているカッチの特性である。
わずか1日半の間に巡った村々では、
織物、染め物、木細工、ひまし油の布描画、銅細工、刺繍がそれぞれの村の職人集団に創られており、
まるで、手工芸のワンダーランドに迷い込んだような、
幻想的な空気を吸い込むかのような感覚になる。

なぜ、この人たちはそれぞれ異なる特性や技術を携えて、
この限られた範囲の中に集まったのか。
それを辿ることが、カッチ刺繍の他の地域とは見違えない独特さを見いだすことにもなるのではないかと思った。
その少しばかりのヒントが旅中に見聞した話と、
その後に少し追いかけた話から拾えた。

Bhujodi 村の織物
ゾミア、という言葉を知っているだろうか。
人類学の学術用語として世に現れたこの言葉は、
James Scottという東南アジアをフィールドにした学者によってその名を広く知られるようになる。
Scott の専門は政治学やサバルタン・スタディーズと呼ばれる分野で、
人類学的手法をとりながら、権力構造から "疎外された” 農村社会による抵抗を専門としている。
彼は自らの研究対象である東南アジアの山岳地帯に住む人々について、 "自発的に近代的統治から逃れた人々である” と評した。
つまり、地理的に国家の中心から "隔絶され"、それ故に "取り残された人々” かのような描写に、スコットは異を唱え、
「そうではない、彼等はむしろそんな統治を自ら拒絶し、自主的に支配の円の外に逃げることを好んだ人々である」ということを述べた(参考:The Art of Not Being Governed - James Scott)
彼の元々の研究対象である東南アジアの山岳地帯を指すゾミアという言葉は以来、そんな統治から逃避する周縁の人々、を指す言葉となった。

インドのカッチ地方の手工芸の豊かさと多様性はまさに、そのゾミア性を養分として育まれた文化のように思える。


ニローナ村の銅細工
現在ちょうどインドの西端、パキスタンとの国境際に位置するカッチの村々の人は、その起源を様々な場所に辿る。インド国内では、マトゥラー(UP州)、ジャイサルメール(ラジャスタン州)、お隣パキスタンからは、シンド州やバロチスタン州を出身とする人々が、そして、遠くはイラン(ペルシャ)から渡ってきた人々もいる。

インド、パキスタンどちらにも長らく道路網がなく、
広大な塩性の湿地帯によって、物理的に中心から隔絶されてきたカッチ。
そこにはインド、パキスタンどちらの支配の及ばない、周縁に逃げ込むひとたちが多く移り住んだのだろう。彼らはスコットがいうように、隔絶により、周縁に追いやられた、「取り残された人々」ではなく、まさに、その支配の円からするりと抜け出した人々なのである。
村を案内してくれる女性
ニローナ村のRogan Art (ひまし油の布描画)オバマが来印したときにも贈られた逸品

加えてこれらの村々から一番の近隣にある都市Bhuj とMandivi港は18世紀ごろまさにインドを西に開く貿易の玄関口の一つといわれたそうだ。現在のBhujで、ほこりの舞う道路をてくてくと歩いているとまさに、そこはインドの田舎といったところで、この地は交易で栄えたことなど想像もつかないが、その頃、当地を訪れたオランダ東インド会社の手記によれば、このころからこの場所はインドネシア人、アラブ人、エチオピア人、パシュトゥーン人の商人が港を行き交う交易の街でもあったという。

カラフルな木工
地元に住まう人同じほどに、旅の商人が絶えず来てはさっていく土地であったカッチはその交易の流れの人々の流動性の中で育まれて来た場所なのである。この土地において、"ここの人"と"よそ者"の区分は限りなく曖昧で、ゆるやかな人の流れがかつてよりあった場所だと想像される。欧州、南アジア、中東、アフリカの間の交易を結ぶハブとして、シルク、染め物、織物など様々なアートとクラフトが持ち込まれたカッチは当時より、そんな手仕事の品で栄えてきた里だった。

そんな色々な人々が身を寄せる豊かな周縁カッチにおいて、多様にある手工芸の中でも刺繍は特にアイデンティティーと密接に結びついてる。元々、刺繍は売り物ではなく、それぞれの村、民族の中の伝統として受け継がれてきた。
特に、多くのカッチの村において、鮮やかな刺繍は女性の嫁入り支度として準備され、彼女達は十分な刺繍の品を準備ができて、はじめて婚姻の儀礼ができたという。
女性が結納金がわりに金品や家畜等をもって嫁ぐ文化は他の文化圏でもみられるが、カッチの場合は、
その金銭的な価値と同時に、女性の技術、そして一族の伝統をきちんと継承していること示すことが刺繍に求められていた。
私が村々をまわったときも、ある小さな村ではまだ刺繍が商品化されておらず、刺繍をみせてほしいというと、女性たちが自分たちの洋服をもってきて、その場で縫い付ける姿をみせてくれた。

自宅で刺繍を実演してくれた女性
このように婚礼を通じて受け継がれていた流浪の民のアイデンティティーの礎が、手工芸として、家の外、カッチの外に知られるようになったのは、奇しくも大きな天災がきっかけだった。
2001年1月、カッチは大地震に襲われ、全住民の10%にあたる13,000人が命を落とした。
復興のため、政府機関やNGOが積極的にこの地域に入り、支配の円の外にいたはずのカッチは突然 drasticな介入を受ける。その中で、主にNGOにより、彼等の復興の術として見いだされたのが刺繍だった。
元々隔絶された土地であるカッチが、震災の被害から立ち直るのは容易ではない。
それまで関心や規範から逃避していた彼等は、自らのアイデンティティーの象徴である刺繍をグローバルマーケットの日の目に出すことで、復興の手綱を引き寄せたのであった。
「インドの少数民族が創る秘められていた刺繍」、そんなオリエンタリズムにくるまれて、隔絶を好んだ人々が自らの姻族の象徴を商業化することは、少なくなからずの躊躇や抵抗があったのであろうと想像する。
それでも、そんなグローバルマーケットに利用されるどころか、自分たち側こそグローバルマーケットをうまくつかってやろうという気概が地元に密着したNGOからはかんじられ、逞しかった。

パッチワークを仕上げる女性
カッチにいつまでもそのゾミア性をもとめ、隔絶された地でいてほしいと願うのは、それこそ一つのオリエンタリズムであり、感慨に浸った憧憬である。私自身、グローバルマーケットに放たれたそのブランドに惹かれ、この地に降り立ったのだ。
カッチの地は、絶えず移り行く状況や土地の変化の中に身を委ねその流動性の中で育まれてきた。未曾有の天災に見回れ、周囲との関わり方、手工芸の機能やあり方を、見直していったそのしなやかさにこそ、カッチの本質はあるように思う。


刺繍やブロックプリンティングの美しい生地でつくった衣装を身にまとう女性たち
村巡りをしていて訪ねた最後の村で、日も暮れたころ、
美しいミラーワーク(鏡面を縫い込んだ刺繍)を施した女性の衣装にであった。
ミラーワークはカッチ刺繍の特徴的な技法の一つであるのだが、それまでいくつ村を訪ねても商品化されたミラーワークに出会えずにいた。
これはどうしても布地を手に入れたいと考え、聞いてみるも、
これは商品ではあるが、この刺繍が施されたものは服しかないのだと、返される。
先の花嫁支度の話を思い出しながら、なるほど、いまも刺繍の心臓は衣服に生きているのかもしれない、そんなことが頭をよぎった。
服を買ってもどう考えたって着る術も場所もなく、購入はとても迷ったが、
私を最初にこの地に引きつけたその刺繍が手放せず、
日本にもって帰ったのだった。
帰国してから仲良くしているデザイナーさんに相談し、この布地を一つのクラッチバックに仕立て直してもらった。



カッチで自らの身をたて、土地を守ってきたお針子さんたちのしなやかな強さが糸に縫いこまれた作品を、こうして日本のお針子さんにお預けし、できたクラッチを手に乗せながら、
自分自身もその流浪性、周縁であるが故の逞しさにほんの少しだけ息吹を絡ませることが出来た気がして、単純にうれしかった。

そんなクラッチを脇にかかえ、私はこれから友人の婚礼の儀に向かいます。

2017年9月27日水曜日

Finding Neverland -創造力の帆を広げ、現実をすすむ舵を切る-

2015年のトニー賞以来、ずっと気になっていた作品がある。
Finding Neverlandだ。

(このポスターデザインもとても好き。このためだけにパンフレットを買いかけた)

この年あたりから(まだほんの二年前)、来日公演に飽きたらず、現地公演情報を熱心に収集するようになり、観に行けない作品も限られた情報を湛然に調べ上げるようになった。そんなタイミングでテレビ越しに見たミュージカルの祭典であるトニー賞は私にとって新作を総浚いするまたとない機会だった。一年に一度開催されるこのイベントは、いわばミュージカルの競りのようで、その時、そのタイミングで一番 "活きのいい" 作品が次々と並べられ、我こそはと最高値(トニー賞)のために競う。

この年の話題作はあるレズビアン女性の自叙伝、Fun Home、リバイバル公演で王様役を渡辺謙が日本人として39年ぶりにノミネートされた King and I であった。

しかし、数あるパフォーマンスの中で、私が目を引かれたのは、ノミネートさえされていなかった、作品だった。それがFinding Neverlandである。

(Tony賞のパフォーマンス。Matthew Morrisonが歌う Stronger)

この作品がそのブロードウェイでの常演作品としての寿命を終え、来日するというので、万難を排して観に行ってきた。

Finding Neverlandでなんといっても特筆すべきは、その個性的で洗練された振り付けと、巧緻を極めた演出だろう。本作は2004年、ジョニー・デップが主演した同名の映画を原作としている。ロンドンの劇作家ジェイムズ・バリーが、「ピーターパン」を書き上げるまでの課程、その創作の源泉となった家族との交流についての実話を描いた作品だ。彼の生の生活、その手がける創作、その狭間を揺らめく想像が、切り分けられないほどに密に交錯する様を、視覚的に描出する振り付けと演出がすばらしかった。

ピーターパンを書いていたときのバリーの実生活は、作家が描くファンタジーとはかけ離れた気鬱に帯びていた。興行収入ばかりにとらわれた劇場オーナーに駆り立てられ、社交界での見栄に気を払う妻に素行を咎められる中で、彼にとって現実こそが茶番に満ちたフィクションだった。舞台上では、舞台関係者との打ち合わせや、自宅での晩餐こそ、チープなコーラスと、子供じみたジェスチャーで表現される。

Circus of My Mind や We Own the Night のカラクリ仕掛けのような振り付けではこれが特に際立つ。

(冒頭、We Own the Night、28分ころからCircus of Your Mind. ブロードウェイのオリジナルキャストより)

それに対して、バリーの創作の世界は、眉をしかめるような悲痛な表情で、でも愛おしさの溢れる必死さで、マイナーコードのバラードで空間いっぱいに広がる。

そのコントラストが本当にとても巧みであり、哀惜と憂いに満ちながらも、夢を語るバリーの世界がとても真摯に表現されていた。
特に、父を失い、病に倒れる母をみて、無理矢理に「大人」のように冷めてしまった少年ピーターと、
現実の世界に帰る場所を見出せない「子どもでいたい」バリーの歌う世代を超えたmale duet、
When your Feet Touch the Groundは胸に響く悲痛で愛おしい曲だ。

[Barrie]
When did life become so complicated?
Years of too much thought and time I wasted
And in each line upon my face
Is a proof I fought and lived another day
When did life become this place of madness?
Drifting on an empty sea of waves of sadness
I make believe I'm in control
And dream it wasn't all my fault
When your feet don't touch the ground
When your world's turned upside down
Here it's safeIn this place
Above the clouds
.....
[Peter]
Everyday just feels a little longer
Why am I the only one not getting stronger?
Running 'round pretending life's a play
It doesn't make the darkness go away
I may be young but I can still remember
Feeling full of joy, crying tears of laughter
Now all my tears are all cried out
Make believe, but count me out
'Cause my feet are on the ground
And the inner voice I found
Tells the truth
And there's no use
If your head's in the clouds

[Barrie]

I was once like you
Life was a maze
I couldn't find my way out
But what I say is true
You'll be amazed
Make believe and you will find out that it's true


(When Your Feet Don't Touch the Ground - Matthew Morrison)

また、バリーの内なる葛藤を描いたstronger、
シルビアとバリーのキャンドルライトのダンスシーン、
シルビアの最後の旅立ちのシーンは、
影や、風など、いわば「手に取れない」効果を使った実験的な演出が多く、
この意味でも自身が劇作家であったバリーの創作世界を「ワクワクさせる」ような魅せ方で表現することにこだわられた作品であったと思う。

これほどまでに精緻に細かやかを追求した作品も珍しいと思ったが、それだけに日本ツアーをしていたカンパニーがその目指した完成度に達していなかったのは少し残念でもあった。バリー役、シルビア役の哀愁ある演技、アンサンブルのダンス、子役の演技、いずれも、ブロードウェイでやっていた時のオリジナルキャストには到底及ばず、その完成の形を知っていると、口惜しい気持ちにならざるを得ない。特に先に述べた、「あえての」チープさや、悲痛さを秘めた愛おしさ、などの表現はその複雑さがカギであり、そこが徹底されないと、コントラストや、作品メッセージの本質がなかなか伝わらない。自宅に帰って掘り出したオリジナル講演の動画、思わずあぁーー、と声をもらしてしまう。

裏を返せば、それはオリジナルキャストの凄さに尽きるともいえよう。私が元々のトニー賞でみたバリー役のマシューモリソンは特に圧倒的な表現の完成度であったが、彼はもはや1人の演者というよりも製作陣と共に本作を作り上げたのであり、作り手として演じた彼の表現力はやはり他の追随を許さない。

単に想像に逃避をもとめるのではなく、想像と現実のアンビバレントで不安定なバランスを描いた Finding Neverland は、ピーターパンの放つ曇り一つなきファンタジーのイメージに反し、とても人間臭く、それがとても響く作品だ。バリーが自分と子どもを救いたい一心で描くファンタジーや、それを劇中劇として表現する本作の創意工夫ある演出は想像力が掻き立てられる以上に、クリエイティビティーを刺激される。観るものにその場限りの癒しを与えるのではなく、その後自ら自分の世界を創作する少しばかりの思い切りと、不安はそのまま抱えてよいのだよ、といわんばりの安心感をくれる作品だ。

2017年4月3日月曜日

自分を育て、自分が育てた言葉について ー「台湾生まれ、日本語育ち」を読んでー

台湾で生まれたのちに、3歳からずっと日本に住む作者がことばとゆっくり刻んできた関係を丁寧に丁寧に綴ったエッセイ。自分が人生の大半を過ごしてきた国の言葉と「母国語」という関係が結べないこと、自分の母国である台湾の國語、中国語が思うように操れず、どこか切り離された母と子のようにかんじること、大陸から「南方の言葉」と呼ばれながら、國語と不可分に肌に浸透している台湾語、彼女を育てた3つの言葉との揺らぎながら親密な関係、そこから馳せる、国、国籍、越境への思い、すべてが愛おしくなる切実さで記されている。

私は母国語、母語を聞かれた時に迷いなく日本語と答えるだろう。私は両親も親戚も皆日本人だし、国籍も日本だ。一方私は日本語と同じように英語にも育てられてきた。バンコクのインターナショナル・スクールに通っていた私は温さんがちょうど日本語を「国語」として学びはじめたのとほとんど同じタイミングで、ある日突然全てが英語の世界におかれることになった。
幸か不幸か英語は「グローバル言語」としての地位をすでに我が物にしており、そして私がそれを学んだのがタイという第三国だったということもあり、私はその時点で国語や国籍について心を悩ますことは、作者の温さんほどにはなかったように思う。
でも、自分の中に生きている複数の言葉がその地位を変え、その中で自分が育っていく感覚に私はとても強く共感した。
一言も英語が話せなかった7歳の私は、気づけば1年半ですでにまわりのいわゆる「ネイティブ」の子どもたちと新しく自分の中にやってきたその言葉を遜色なく扱うことができるようになっていた。そのタイミングから、日本語は私の中で「お家で話す言葉」になっていく。物事をどんどん吸収していく時期、その知識を運んできてくれるのは英語であり、私の中で広がっていく世界はほとんど英語によって構成されるようになっていった。

小学校5年生後半に日本に帰国した私は100点満点の漢字のテストで8点しかとれなかった。
学校の子たちにはそれからしばらく「8点」と呼ばれ、からかわれたことをいまでも覚えている。
帰国したときは、自分の自我を構成するあまりにも多くが英語、そしてタイに根ざしていて、東京のマンションのダイニングテーブルで私は大声をあげて泣いたことを覚えている。

一方で、日本語はわたしと日本を最も強くつなぎとめていたものだったようにも思う。
アジアのはずれのタイに居た自分にとって、東京や日本は「憧れ」だった。同時にそれは私の「母語」でもあった。日本語は私を父や母と結ぶ言葉であり、従妹や祖父母と結ぶことばである。温さんが、言葉の境界を軽々しく飛び越えてはいかないように感じていた、とつづっているように、私も家では日本語で話すもの、と誰から言われることもなく強く思っていた。英語でしか言葉が浮かばないときに私はそれを恥じたし、どうしても英単語を混ぜなくてはいけないとき、私のあたまの中で探し出せなかったその日本語の単語を母に探してもらい、必ず置き換えてもらっていた。

その後、私は中学校を日本ですごし、失われかけていた母国語の地位を日本語は驚くほどの速さで取り戻していった。
高校になると私はオーストラリアに引っ越す。父の赴任の話をきいたとき、私はタイから日本に帰国した時点での日本語と英語の地位がもう完全に逆転していることに気づいた。私の精神世界は日本語がそのほとんどを占めていて、かつて主だった英語は隅に追いやられていた。家庭の言語も日本語だったわたしにとっては、自分が拾い上げてあげなければ、その灯火はいつか消えてしまうように感じられた。そして、今度は自分の失われた「国語」を再び取り戻すために私はシドニーに行きたい、と両親に伝えた。その時の感覚が中国語を学ぶときの温さんの感覚にとても似ている。

かつて自分の中で絶対的な中心を占めていた英語が気づけば小学生のレベルで足踏みをしていた。私が飛び込んだのは高校である。発音ばかりいいものの、言語的な世界は様変わりしていた。九九をおぼえたり、物語文を読んでいたはずのかつての英語世界はそこにはなく、シェイクスピアと物理・化学が待ち受けていた。しかも、英語に対してタイが第三国であったのに対して、オーストラリアは英語を「所有」していた。私は、圧倒的なよそ者として、自分の稚拙な英語をひっさげていくことになる。そこからの三年間はまさに温さんが中国語を取り戻していったように、自分の「失われた国語」を取り戻すような時間だった。英語が下手にできるからこそ、私はとても英語に神経質になった。なぜならそれは「間違えてもいい外国語」だと割り切れないから。私を育て、自分のコトバだと思ってきた言語に対して、稚拙さを露呈することは許されなかった。英語を自分の言葉のように操ることが私を私たるものにし、私の流浪性を可視化させ、日本と日本語に対する揺らぐ関係を説明するものだったから。「英語がうまいね」といわれることは褒め言葉ではなく、自分の自尊心を羞恥で燃やし、失意に落とす一言だった。完璧であることしか、自分に対して許さない英語とわたしの関係はこのころから少し緊張感のあるものだったように思う。

その後、私は再び大学で日本に帰る。グローバル化が叫ばれる今だ。よく聞かれる「なんでそのまま海外の大学に行かなかったの?」。しかし、私の中で日本に帰ることはあまり迷う余地がなかった気がする。それはこのまま大学教育も英語で受けていたなら、今度は私の日本語が自分の精神世界で中学生のままに置き去りにされてしまうことをわかっていたから。英語という「国語」を一生懸命取り戻していた間、私の日本語はまたすべり落ちるぎりぎりのところに居たように思う。

英語がそうであったように、日本語についても私は完璧でなければ自分自身が肯定できないとおもってきた。どちらの言語も不自由なく操れることで私ははじめて認められる存在であると。日本語ができることで、私の英語がときに滑らかさに欠くことは説明されるし、私が英語ができることで私の日本語が時折不自然なことは正当化される。常にそう感じてきた。そうでなければ、自分はどこにいてもただの半人前だと。

随分前から、私は単一の言語では完全に自分の精神世界を表現できなくなっている。温さんのママ語がそうであるように、温さんのなかで「わたし」という一人称が既に「日本語のわたし」であるように。完全には鏡映しにはならない二つの言語を使う中で、どちらかに自分の言語を限定しなければいけないことは、それだけで制約であった。でも、高校で日本語は決して英語のなかに織り交ぜてはいけないものであったし、日本語の中に英語を混ぜなければいけない自体は恥ずべきことだった。幸い、大学以降そんな複数の言葉がうずまく世界を共有する仲間をみつけ、また書いて自己表現するということを覚え、一つの言語で自分をすべからく表現しなくてはいけない、という呪縛からは解放された。
日本語も英語も完璧でなくてはいけないという、自分で自分に課した足枷からも少しずつ解かれつつあるように思う。

言葉は誰のものでもない。言葉が所有されていると思うからこそ、その境界を飛び越えることは何かを侵しているような気持ちにさせられる。赤子のころからその耳から注ぎ込まれる音に自分自身が育てられるように、自分と外を繋ぐために紡ぐ言葉は自分が拾い、育てあげてきたものである。本来それを括り、縛り上げる必要などないはずであり、しかし、それを実感し、気づけるまでに、多言語の中に暮らす当の本人たちが一番葛藤を抱え、時間を要する気がする。作者の温さんが、台湾語・中国語・日本語を混ぜて話す母の言葉は何語でもなく、ママ語である、と言うように、
複数の言語が一つの旋律として奏でられるそのこと自体を豊かである、
それをゆっくりかみ締めることを思い出させてくれたエッセイでした。

2017年3月11日土曜日

La La Land

89回アカデミー賞であらゆる意味で話題をさらった本作品。ここまで前評判で話題になってしまったこと、また「ミュージカル映画」という謳い文句を背負っていたことで、(ミュージカルファンとしては)妙に構えたスタンスで観に行ってしまったことは否めない。シンプルに観後感を表現するとすれば、映画としては、工夫に凝らされたチャーミングな作品、ミュージカルとしては・・・、いやミュージカルとしては評価できない、と思った。




まず映画としての話をしたい。私は同監督の出世作『セッション』は観ていないのだが、ララランドはなんといっても、デミアン・チャゼルの抑えきれないほどの音楽への愛がこもった作品だ。ジャズをそれこそ「恋人のように」愛する主人公セブの眼差しや、鍵盤に転がる指から溢れる想い、物語の随所で流れ始める音楽、弾ける笑顔で踊るミア。2人が視線でかわす感情の網を縫うように流れるメロディー。「そんなことだからジャズは死にかけている」と言うセブの必死さは、音楽が好きで好きでたまらない監督の切な想いをまさに表現していて、その人間くささがとてもよかったとおもう。「説明なんてできないんだ、とりあえず聴いてくれ」という音楽バカらしさが滲み出ていた。

同時に、ララランドは技巧に凝らされた作品でもあると思う。最も顕著なのはライトワークである。ここまでざっと目にした批評のなかではほとんど触れられていないことが不思議なくらいララランドは照明にこだわりがある。音楽に注目が行きがちだが、この作品のdramatic effect、これを「舞台」たらしめているのはむしろ光の使い方だとおもう。リアルをそのままに映しているかに思われたシーンに急にスポットライトが落とされ、主人公の浴びる光以外、真っ暗になる、その誇張されたdramatic effectこそ、この映画がリアルと戯曲を行ったりきたりする効果を生んでいる。本当だけど、どこか嘘、なこの作品の印象はそんなところから来ている。このライトワークとうまく相乗効果をもたらしているのが、衣装。現実だとしたら、バカバカしくみえるほどに鮮やかでradiantな衣装が舞う様は画に華を添え、ライトワークをより鮮明にしている。エマ・ストーンの演技の素晴らしさも相まって、色鮮やかな衣装で次々と画面を舞う彼女をみるためだけに観にきてもいいなと思ってしまうところさえある。

さて、ではミュージカルとしては、どうか。はっきりいって、これはミュージカル・ファンにとってはミュージカルではないのだ。良いか、悪いかとかではなくて評価するのが難しい。なぜか。シンプルにいえば、この作品が戯曲として表現されていないからだ。これはあくまで「戯曲風」なのである。

どういうことか。
ミュージカルは突然歌ったり、踊ったりすることにその特徴、もしくは違和感があると良くいわれる。前者は全く持ってその通りだと思う。しかし、違和感を覚えるかというと、見始めると意外と毎度毎度突っ込みたくなる類の妙なかんじはない。サッカーを見はじめてから「どうして手を使わないだろう」と気にならないのと同じで、一度そういうルールのものだとして観はじめるとそこは不問となる。

しかし、ララランドは違和感だらけだ。踊りはじめるたびに、なんで「この子たちは急に踊り始めたんだ!」と思うし、主人公が歌いはじめる瞬間、照明がおち、スポットライトが当たると、毎度「なんだ、リアルを描いていたのではないのか」、と感じる。ルールが一貫していないのだ。つまりバットを持っていたと思った次のシーンで足でボールを蹴りはじめているような感覚を覚える。現代ミュージカルのなかには、いわゆる「日常っぽさ」にシームレスに馴染むものも手法もたくさんあるのだが、この映画が引用し、用いているのは、50〜70代のいわゆる古典作品。これ見よがしな演出が多い作品ばかりを使っていることもこの唐突さを強調する。

ララランドはこれを全て「あえて」やっている。これは最後のシーンに顕著に表れる。オルタナティブな筋書きを寸劇風に流す最後のシーンでこの作品が示しているのは、

「人生って戯曲、でも戯曲ほどうまくいかない、それが人生でもある」

というメッセージではないか。そんな日常の危うさ、戯曲以上に時にドラマチックで、でも戯曲よりも残酷で陳腐なこともある人生をあえて違和感もまじえながら銀幕に映すのがこのララランドという作品だ。そう、その陳腐さがまさに映画としてスクリーンに映されているところもポイントだ。ララランドはその踊りと歌が一見示しているかのような底抜けなハッピーさは持っていない。むしろ、セブが弾くピアノの旋律のように、胸にひっかかる、拗らせた不協和音が全体を通してながれている。でも、だからこそ、この映画は踊るし、歌う。そして、その行為をさりげなく、自然にしようとはしない。泣きたくなるような悲痛さをあえて戯曲かのように示していることも含めて魅せた映画だとおもう。

だから、この映画について、「ミュージカルってやっぱり微妙」とか、「ミュージカルも案外いい」と言われるとなんとなく複雑だ。これは、ミュージカルのように戯曲を戯曲としてみるものではないし、それがゴリゴリと放つ違和感を泣き笑いしながら見て欲しい、音楽バカな監督がそう願う作品なのではないかとおもう。


2017年2月26日日曜日

日本舞踊を観に行ったら ラーマヤーナとPerfumeを感じたこと

先週、知り合いのツテで日本舞踊のお教室の発表会にお邪魔してきた。
舞台芸術が好きと公言しながら、私は恥ずかしいことに日本の古典はまだ疎く、とても少しずつ観賞の幅を広げているところ。
日本舞踊をみるのも初めてでした。

これを読んでいる方は日本舞踊に対してどのようなイメージをお持ちだろうか。
私は、舞踊というその呼称のまま、それは「ダンス」であると理解していた。
例えばそれはタップダンスや、ブレイクダンス、ジャズダンス、ベリーダンスのようなものと同じ円の中に私の頭の中に区分されていた。
ダンスの定義自体はむずかしいところだけど、
私は舞台芸術の中でも、記号が多様される、抽象性が高いジャンルという風に理解している。

あえてややこしい言い方をしたけれど、
言いたいことは、ダンスは多くの場合、まずVerbal(言語をもちいた)コミュニケーションを用いない。
「花びらが舞う」ことを伝えたいとして、
それを身体的に表現するのがダンスである。
これは伝え方の話。

加えてそもそも伝えたいコトも抽象的であることが多いと思う。
例えば、「人魚として生まれた女の子が、父親に反対されるも、地上の世界に憧れ、海をでて地上の生活を謳歌することを夢見る」(人魚姫)
ではなくて、
「いま解き放たれる自由な私」(という感覚)を言葉を使わず身体性だけで表現する世界である、
筋、といういうより、核たるメッセージを伝える世界だとというのが私のダンスに対する捕らえ方である。

だから、日舞をみる前も
「春はあたたかで気持ちがいいですね」っていう気分の高揚を
身体で表現するのが日本舞踊の属する世界であるとおもっていた。

しかし、2演目くらい終わった時点で、予想だにしなかったものと日本舞踊が酷似しているとかんじた。

Perfumeだ。

そう、あのテクノ系ポップユニットのPerfumeである。
Perfumeを少しでも知っている人なら彼女たちの振り付けが、
とてもユニークであるのを知っているかもしれない。
リオの閉会式をプロデュースしたことでもしられるmikikoが手がける振り付けは、
手話なのではないかと思うほど、歌詞を具体的に表現する。
「時」といえば、カチカチ回る時計の針を表現し、
「前をみて歩く」といえば、横をむいていた首をぐっと前に回し、目を指して、足を踏む。


観ていると、日本舞踊もまさに驚くほどの具体性をもった振り付けだった。
波の間から出ずる月といえば、水平線を手でスッと引き、月にみたてた扇をゆっくりあげていく。
駆けていた娘が転ぶと歌うと、実際に倒れこむようにして、膝をつく。

非言語的な「感覚」を非言語のまま表現するというよりも、
言語的な内容を、なるべく、その言語を想起させる形で具体的な身体表現に転換して示す芸術であることがとても新鮮であった。
Perfumeとおなじく、歌詞世界をなるべく忠実に表現することを目指しているように感じられた。


さらに見続けると、もう一つ気に留まる点があった。
それは、日本舞踊の演目に筋がある、ということである。

昨年私は遅まきながらはじめて歌舞伎を鑑賞したのだが、
そのときは、その表現方法が芝居というよりも、舞踊に近いと感じた。
バレエにも「この動きは小鳥のような軽やかさを表現している」みたいないわゆる型があると聞くが、
歌舞伎も動きや所作がが記号化されていて、お唄の言葉を聞き取るだけで理解することは難しく、
その型の意味もあわせて、初めてwholisticな理解が得られるという印象であった。

その意味では、今回みた日本舞踊は想像以上に記号が多く、誌的であったので、
「では日本舞踊と歌舞伎の違いとはなんなんだろう」とはたと考えた。
舞踊と演劇、としてカテゴライズされてはいるものの、むしろ互いにもう一方の特徴に近い部分が見られ、
両者はとても似ているように感じられた。

後日、日本舞踊のお家の友人に尋ねると、
そもそも、表象方法という意味において両者に本質的な違いはないという。
元々は、日本舞踊とは歌舞伎をみていた裕福なご婦人方が、
自分自身もやってみたくなったことを契機としてできたお稽古事として発展してきたそうである。
つまり、歌舞伎と日本舞踊は単にちかいだけではない
歌舞伎から、日本舞踊が派生しているのだ。

目から鱗だ。

それこそ、私は歌舞伎の舞の部分を構成しているのが、日本舞踊、だと考えていた。
(私はそれこそ舞台をみる際いつも、ミュージカルを基礎としてしまうのだが)
歌舞伎という舞台中に、雅楽、長唄、日本舞踊、という芸術の構成要素があり、
それらを全部パッケージにした総合芸術であると捕らえていた。
ミュージカルに、ジャズ音楽とタップダンスとゴスペルが詰め込まれていることがあるように。
しかし、友人の話によれば、むしろ歌舞伎をよりシンプルにし、広く色々な人に開いたのが日本舞踊であると。
それは、両者は似るわけだ。
語弊を恐れずにいえば、日本舞踊はいわば長編小説に対する短編集、短歌に対する川柳のようなもので、
両者に本質的な違いはない。

日本舞踊はストーリーをもっているナラティブを詩的に紡いでいくものと知って、
それはラーマヤーナのようだとはたと思った。
ラーマヤーナは古代インドの長編叙情詩だ。
ヒンドゥー教の神話を起源としているが、現在にいたり、東南アジア、特にタイやインドネシアでも語り継がれ、敬称されてきた。
タイは熱心な仏教国だが、仏教の寺院にいくとながーい壁に
ラーマヤーナの物語が屏風絵のように描かれている。
各シーンが線でくぎられることなく、流れるように、
同じ人物と見受けられる人が少しの距離をおきながら登場し、
時空が緩やかに進んでいくその詩的世界は神秘的だ。

そんな叙情詩を表象する舞踊が、
タイやインドネシアにある。
ラーマヤーナ・バレエと、西洋式に呼ばれたりする。
言葉はつかわないものの、日本舞踊のように、
その詩的世界をナラティブとして紡いでいく世界がそこにはある。

横浜の、さかを上がった先にある能楽堂で、
くるりと翻るセンス、揺れる着物の裾、響くすり足の音を効きながら、
ドクっ、ドクっとビート音とおもに刻まれるPerfumeのダンスや
少し汗ばむ夜風の中、野外舞台でみたラーマヤーナに思いを馳せ、
繋がるその表象の世界に、その広さと緊密性に少しわくわくとしたのでした。

《日本舞踊・藤間流『長唄 -傾城』》
※03:18あたりから


《Perfume『Dream Figher』》

《ラーマヤーナ舞踊ーインドネシア・プランバナーン宮殿にて》

2017年2月13日月曜日

チャートから見えるミュージカルファンの拡大可能性

ご承知の通り、私は自他共に認めるミューオタ(ミュージカルオタク)なわけですが、兼ねてから思っていたわけです。海の向こうではポップカルチャーとして普通に楽しまれてるミュージカルがなぜ日本においてももっと親しまれないのか。オタクとて観劇人口はできれば増えてほしいわけです。共有できる人増えるし、なんたって役者も作品も市場が拡大すればクオリティーがあがる。

あの手この手で愛を語ってきたわけですが、ふと思ったわけです。
人との共通理解のツールって感性だけやないじゃん、
私ってコンサルじゃん、シンクタンク勤めじゃん。
ってなわけで、ミュージカルをロジカルにチャートプロットしてみました





結論からいいます(Conclusion first ですコンサルなんで)
日本におけるミュージカル人口の少なさは、
それが【エンタメ性を追求した外形的なパフォーマンスを楽しむもの】という限定された理解で認識されていることに起因します。
世間のミュージカル・イメージは同芸術のほんの一部しか代表していない、と私は主張したい。
以下のチャートからはそのイメージが広い広いミュージカルのライナップにおける非常に限られた一部であり、かつ局所に偏ったものであることがわかります。

このチャートは二軸で構成されてます

●縦軸
縦軸はストーリー軸
これは
高エンタメ性⇄内省的/厨二
の極をとります。

●横軸は表現軸
これは
ものがたり重視⇄演芸/パフォーマンス重視
の極をとります。
 *このときパフォーマンスとは外形的な表現方法と定義する

こうしたとき、日本におけるミュージカル理解は右上の「大衆ウケ」セグメントに限定されていることが非常に多い。これが先に【エンタメ性を追求した外形的なパフォーマンスを楽しむもの】と表現したイメージがもたれている所以です。Lion King, Cats等がその代表的な例でしょう。
また日本で「ミュージカルが好き」というと大抵「劇団四季?」と聞かれますが、同劇団の作品の大半もこの一角に属しています。

つまり,日本ではミュージカルに対するイメージがその一部に偏っていることによって,根本的な誤解があるのではないかと課題提起いたします。


さらにこうしてプロットすると、Wicked、 レミゼラブル、Hamiltonあたりのメガヒットミュージカルは先の「大衆ウケ」セグメントではなく、むしろ両軸でちょうど真ん中らへんに位置するものが多く、両軸においてバランスがとれているものこそ、訴求対象が広いことがわかります。

言いたいこととしてはミュージカルが表現ジャンルの1つであって、内容ジャンルではないということ。

「ミュージカル」とは「本」と同じです。
本の中には、絵本もあれば推理小説も自伝もあるように、ミュージカルも一つの表現形態であってその中に多様性を持っているということを伝えたい!

むしろ玄人ウケというグルーピングで囲った作品などは、
内容的には踊りの一つも入らない、ものがたり重視で(そうです、踊らないミュージカルもたくさんあります)
中2病的なこじらせ方をしたストーリー展開だったりします。
いわゆる右角に位置する皆ハッピーキラキラ☆万歳の作風とは対極に位置します。

日本におけるミュージカル人気の拡大可能性は
このミュージカルに対するイメージのマーケティング次第で大きく広がるとおもうのです。
大衆ウケのポップスは確かに導入しやすい作風なのかもしれない。
でも本だってみんなが伊坂幸太郎のベストセラーを好むわけではないし、
音楽だって誰しもがいきものがかりやジャニーズを聞きたいわけではない。
「誰に対してもお勧めできるミュージカルがある」と私はよく言うのですが、
その言葉は割りと本気で言っていて、ミュージカルという表現形態(歌う舞台)というものが本質的に嫌いではないかぎり、
そのスペクトラムの中には色々な人の趣向にマッチする作品があると思う。


さらに、玄人的な楽しみ方としては、この左上に示したカラーチャートの文化圏別ミュージカルの傾向をみていくというという楽しみ方もあったり。





ブロードウェイはもはや、全方位、すべての象限をカバーするほど作品の層が厚いので、特定のエリアを色分けはできないのですが、その他の文化圏はそれぞれの特徴がでていることがわかります。

【ロンドン・ミュージカル】
まず、ロンドンミュージカルはやはり両軸で中心に近く位置する作品が多く、ブロードウェイまではいかなくとも、Andew Llyod Weberなどの巨匠やレミゼラブルなどの大作を生み出してきたその伝統と、バランス感覚がみてとれます。あえていえば、少しものがたり重視が好まれる傾向。このあたり同じアングロサクソンでもイギリス人的な趣向が出ている気もします。

【フランス語ミュージカル】
意外と思われるかもしれませんが、フランスは実は中身が薄いエンタメ性が高い作品が多いんです。ロミオとジュリエットや、三銃士など、いわゆる名作の古典文学等を題材としており、一見お堅くみえるのですが、実は話の筋は対して関係なく、パフォーマンスに徹底していることが多いのがフランス語ミュージカルです。これはおそらくフランスがオペラやバレエなどの古典芸術につよいからで、それとの棲み分けの結果ミュージカルは徹底してポップな芸術として仕上がっているのがフランス

【ドイツ語ミュージカル】
オタク以外にはあまり知られていませんが、音楽の都ウィーンはブロードウェイとロンドンと並べられるほどにミュージカルが盛んな場所です。非英語圏ミュージカルを支えるドイツ語ミュージカルはものがたり重視×中2病なミュージカルがメイン。死に異常な憧れがあったり、自意識を完全にこじらせていたり、ジメジメした人の鬱っぽいところをあえてドラマティックに展開しちゃうところにドイツ語ミュージカルの醍醐味が。前述のいわゆる「ミュージカル!」なイメージの対極にあり、ミュージカルの作品の幅の広さを感じさせてくれるのがドイミュ

【韓国語ミュージカル】
最近勢いが強いのがミュージカル界の東端のライジング・スター、韓国です。韓国はK-POP等のイメージがつよく、それこそポップなエンタメ!が得意そうかと思いきや。韓国は中2のオンパレードです。それもドイミュのようにものがたり重視の舞台色が強い作品でなく、歌って踊る中2病までとにかく、ありとあらゆる中2病感を味わえるのが韓ミュ。「俺曲かけないー」とか「引き裂かれる俺の思いー」とか「俺」圧倒的「俺」「私」感を楽しめるのが韓ミュです。まだオリジナル作品は他ほど多くないので現状、趣向が近いドイミュからの借り物がやや多め。

もちろんこれらはあくまでこれらの文化圏"発"の作品の特徴であり、もちろん人気作品は各国語に訳されて世界中を流通します。各作品がどこ由来かを知っていたりすると、チャート上幅広いジャンルの作品をカバーする糸口になったりします。

ミュージカルはハッピーなキラキラな、歌い踊らずにはいられないピーポーのお祭り騒ぎだけではない!
ということが十分に伝達されていないことが、ミュージカルのファン層を狭めており、逆にここに積極的に介入することによってミュージカルの愛好者はまだまだその人口を大幅に拡大する可能性を秘めていると思えるのです。
この表現形態の地平の果てしない広がりの一片でも伝わればと思い、プレゼンさせていただきました。
ミュージカル界にはプロボノでもなんでもするので、
是非この点について本気でご検討いただきたい。

これを読んでいる方もこれをきっかけに自分の好きな作品ジャンル
を探し出して、一度でも旅行先、または東京でも劇場で足を運んでほしい。
なんなら、いつでも喜び勇んでコンセルジュいたしますので、いつでもお声がけを。

2017年1月20日金曜日

Dear Evan Hansen -生きづらいと感じる君への手紙-

先日ゴールデングローブ賞で、La La Landが主要各賞を総なめにしたことが話題になった。まだ一般公開されていないこの作品は一躍今シーズン最も注目される映画となった。そんなla la landの作家/監督が書き下ろした舞台作品が実はシアター界では去年から評判になっている。Dear Evan Hansen だ。



最近のミュージカルは既存作品のリメイクや舞台化が多い。
Aladdin(アニメ)、Waitress(映画)、Color Purple(映画)、Kinky Boots(映画)、Anastasia(アニメ)、Fun Home(漫画)....
昨年のメガヒット、Hamiltonは大きな例外ではあるものの、近年の新作舞台の脚本・構想は、既にある素材をどのように舞台として仕上げていくか、という作業であることが多かったように思う。
そんな中、原作もなく、歴史モノでもないDear Evan Hansenはオフ・ブロードウェイから火がついたように人気を獲得し、一年足らずで華麗にブロードウェイデビューを果たした。
キャストも特にビッグネームがいるわけではない中、口コミが瞬く間に広がったこの作品がどうしても気になり、今回真っ先にチケットを入手した。


Dear Evan Hansenは観ていて苦しくなる舞台だ。
Kinky Boots のように手をあげて歓声をあげたり、Book of Mormon のようにお腹を抱えて笑う作品ではない。アラジンやライオンキングのように、目の前の華やかなパフォーマンスが目を奪う作品でもない。
観ていて苦しくなりながらも、舞台上のキャラクターを抱きしめたくなるほどの愛おしさを感じる作品だ。
生きづらさを一度でも感じたことある人なら、どうしたら「必要とされる存在」になれるか頭が擦り切れるほど考えたことがある人なら、舞台上に立つ主人公 Evan にかつての自分が透けてみえる。




Evan は自分の居場所が見つけられない高校生だ。セラピストは彼が社交不安障害(Social Anxiety Disorder)だという。しかし、症状に名前はついても、彼の日常の難しさが解決される訳ではない。診断は彼の困難を分類はしてはくれても、その原因や解を示してはくれないから。Evanの日常は惨めな訳ではない。彼は学校でイジメを受けたり、追い詰められたりされている訳ではない。違う。彼のいる世界は彼に対してあまりにも無関心だ、少なくとも彼はそう感じている。彼がいようが、いまいが、日常は等しくまわり、彼の存在はなんの重みも持っていない。

それはまるで1人ガラス窓の向こう側にいるようで、彼は外の全てが見えていても、行き交う人は彼に一瞥もくれない。そんな彼の気持ちを歌ったWaving through a Windowがこの舞台のメインテーマだ。舞台を観る前から、この曲を聴いた瞬間、その言葉が耳から離れず、「この舞台を観なきゃ」と思った。

ガラス窓の向こうでは浮遊するような不安定さの中で立ち続けるためのバランスを探さなくてはならない。かつてそれが自分の日常だった時のことを思い出した。私はそのことをガラス窓ではなく、「ドーナツの輪」と呼んでいた。ドーナツの中に入っているはずなのに、自分はドーナツの実態にはなれない。それが囲っている中身のない空洞に座っているだけのように感じていたからだ。それを訴えたり、相談することは躊躇われる。なぜなら、イジメのように主体的、能動的な悪意に苦しんでるわけではないからだ。誰も自分を傷つけようとしているわけではないし、何かをやめてほしいとも言えない。周りが自分自身に興味がないことについて、どれだけ彼らを責められるだろう。それはただただ自分に価値や魅力が足りないからのように感じられた。Evan のように中学や高校にいた頃の話だ。毎日通う小さな教室に自分の世界のほぼ全てがあったと思っていた頃。その頃の私も Social Anxietyや、対人恐怖があったのかもしれない。でも、そう言われていたとして、だから?としか思えなかったように思う。社交に対して不安しかないし、対人関係が怖い、それは分かっている。ただどうしていいかが分からなかった。

主演Ben PlattによるWaving Through a Window

そんなEvanはセラピストからの宿題で自分自身への手紙を書く。"Dear Evan Hansen..."から始まるその手紙に彼は自分の不安のほんの一片を綴る。しかし、運悪くEvanはそれをクラスメイトの1人に見られてしまう。同じくはみだし者のConnorだ。彼はEvanの手から手紙を奪うとポケットに押し込み、そのままどこかに行ってしまう。その日の午後、Connorは自ら命を絶つ。無くなった彼のポケットに入っていた手紙をみた両親はConnorが最期の遺志をEvanへの手紙に託したのだと思い込む。亡き息子の姿を手紙の中に必死に探すConnorの両親を見て、Evanはどうしても否定しきれず、その勘違いに乗ってそのまま嘘をつく。Connorと自分はお互いにとっての唯一のかけがえのない友達だった、と。そこからEvanは瞬く間に「自殺してしまったConnorを支えた友人」として学校、地域、ネットで時の人となる。一夜にして、「意味のある地位」を得たEvanは死んだ子の友人という地位を必死につなぎとめることで自分の居場所をつくろうとする。周りの人たちを少しずつ巻き込みながら。

この舞台はなんといっても主演のBen Plattの真摯な演技が観客をそのストーリーに引き込む。
人と話すときに会話の糸を掴もうと必死な様、
なにをしても「正解」じゃない気がして言葉1つ、動き1つもぎこちなくなる様、
人と関わるのが怖いのに、同時にどうしようもなく人に気づかれたいと願う思い、
それらの思いが全て溢れすぎて結局はうまく立ち回れず、そんな自分に失望する様、

彼の演じるEvan は手にとって「分かる」と思えるほど、そのリアリティーが繊細だ。またストーリーを通じて彼が大きくは変わらないのがとても好ましく思える。この手の青春の葛藤を描く物語は概して、それを通じた精神的成長が過度に強調される傾向にある。しかし、本作の場合どちらかと言えば変わるのは周りであり、Evanその中でただただ必死に泳ぎ続けようとするだけだ。
ストーリーが進んで行こうとも相変わらずぎこちないEvanが自己開示する様子は歌のシーンを通じて描かれる。それまで挙動不審な彼が音楽が流れ出すと、決意を感じさせる落ち着きで歌い出す。歌のシーンはいわばモノローグであり、彼が腹を決め、ゆっくり言葉紡ぎ出すときに使われている。Ben Plattの高音まで伸びやかで、まっすぐに開いていく声はそんな独白にぴったりだ。対人関係の中ではなかなか自分自身の思いを表現できないEvanが奏でる歌に手を引かれ私たちは彼の気持ちの深部に触れる。
正直に言って、ブロードウェイ作品としてはキャストの歌唱力が飛び抜けた舞台ではない。少人数舞台ならではのコーラスのまとまりは魅力の1つではあるのだが、いわゆる誰が口を開けても主役級の歌で圧倒する、というタイプの作品ではないことは確かだ。また、音楽もそのトーンは全体で一貫して、弦楽器を主としたシンプルな曲が多い。秦基博やJason Mrazを思わせるような曲調だ。ドラマチックな曲運びやトーンの違う曲を織り交ぜて客を飽きさせない、ウェバーの作品(オペラ座の怪人、キャッツなど)とは大きく異なる。この作品の曲の良さは半分以上が主演Ben Platt が成すものだと言っても過言ではない。


Dear Evan Hansen より、Waving Through A Window, Only Us, You Will Be Found

演出についても少しばかり。
Dear Evan Hansen をみて、「あ、2010年代の現代ミュージカルが出てきたんだな」と感じた。かつて、RENTはミュージカルをそれが上演された「今」の文脈にはめ込んだことで大きなインパクトを与えた。それは路地裏の猫や20世紀初頭のオペラ座の話ではなく、劇場のすぐ外を生きるニューヨーカーの話だったことが、ミュージカルの文化を変えたと言われている。その後、いわゆる現代劇のミュージカル作品は珍しくなくなった。しかし、Dear Evan Hansenをみて、それらの現代劇の描く「現代」は既に古いことに気づいた。本作の1つの焦点はソーシャルメディアだ。舞台上にはいくつもの縦長のスクリーンが並び、そこにはfacebookTwitterYoutubeの画面が読めないほどの速さでめまぐるしく映される。発言1つ1つは分からないし、それを発信している個人も可視化されない。しかし、Connorの死も、Evanの発言もいつのまにか、そのソーシャルメディアの渦の中で広がって彼らの知らぬところで得体の知れぬ動きになっていく。しかし、舞台のシーンとして目の前に広がるのは、ほとんどがEvanの部屋や家の中であり、その匿名のうねりたるソーシャルメディアとはどこか切り離されてる。ソーシャルメディアと社会関係について、ここまでアップデートした演出を用いた作品はメインストリーム作品としては初めてであるように思う。確かに私たちは、溜まり場のバーで店主のツケで飲み食いしながら夜な夜な話をしたり、社会に主張するために創作パフォーマンスを路上でやるRENTの人物たちとは少し違う時代にいる。しかし、それがこんな形で演出されるまで、それが古い「現代」ということに気づかなかった。現代的な文脈を演出を通じてうまく展開した点においてもこの舞台は新しかった。




ラストシーンが終わる頃、劇場ではあちこちからすすり泣きが聞こえた。私が足を運んだ時は、いわゆる「大人」の観客が大半だったが、Evan と同年代のティーネージャーにも観てほしい舞台だった。もし、Evan の中にいまの自分をみているように感じたら、この作品の1つが謳う通り、#Youwillbefound の言葉を持ち帰ってほしい。あなたはまだ見出されてないだけだから。いまいる教室は世界の全てではないと。席には自分がEvanだと感じて涙を拭う人がこんなにいる。君が1人ななわけはない。



また1つお気に入りの舞台ができました。