イランは神権政治の国だ。言うまでもなく神権政治とは政教同体の政治体制であり、宗教指導者が同時に政治指導者を勤めていることを指す。現在、神権政治の政体を採る国はほとんどない。定義にもよるが、バチカンやチベット自治区が該当するともいえる。
さらにいえばイランの特殊性はこの神権政治がわずか36年前、“革命”で成立されたことである。単線的な民主主義発展論を唱えるつもりはまったくないが、多くの国は宗教的権威による統治をとってかわるかたちで民主制が発展してきたわけであり、政教同体をわざわざ革命をもって再導入する、という、一見「逆行」するようにも思える変革を起こしたという点でイランはとても興味深い。
テヘラン(上)と、地方都市クルディスタンの街マリヴァン市内(下)。地方にいってもイランの街はとても整然としている。どこもゴミなど落ちておらず、街中は街路樹や花で明るい雰囲気
イランについて、日本で日常生活を送っていて自然に耳にはいってくることはとても限られている。神権政治、イスラーム革命、アメリカ大使館人質事件、核開発、などからも狂信的な国だという印象をもっている人は多い。しかし、一度足を踏み入れるとこの国に驚くほどの矛盾が絡まり合っていることを全身でかんじた。
「イラン人は嘘をつくのがうまいんだ」
私がイラン滞在中に、現地で知り合った人たちはよくこの言葉を口にした。
例えば衣服や風紀について。
シャーリア(イスラーム法)を国内法として採用するイランでは革命以降、女性はベール(ヒジャブ)を被ることが義務付けられるようになった。それは外国人でも例外なく、イラン到着の飛行機では到着前にみんな一斉にヒジャブをかぶる。しかし、街中を歩いているとむしろイランの女性のヒジャブのかぶり方はとても適当なことに驚く。もちろん、全身黒い布ですっぽり覆われたチャドルの女性も多くいるが、都心の若い女性は特に、「仕方ないからやってるのよね」といわんばかりに薄いストールをくるくると頭に緩く巻いてる人が多い。ヒジャブとはもともと頭髪を隠すためのものだが、ふさふさのロングヘアーをベールの端から垂らしていることは稀ではないし、お化粧も派手な人は多い。
私をテヘランで泊めてくれた今どきテヘランっ娘は、外出するときにベールをめんどくさそうに頭にのせながら、私の方をまっすぐみて言った。「こんなのね、私にとっては嘘っぱちなの。言われてるからやってるのよ」
イランの見所の一つ、古都エスファハーンのモスク。外壁のモザイク柄が息を飲むほど美しい。
それもそのはずだ。イランはいまでこそ神権政治の国だが、革命前の王政時代は中東のなかでも、特に自由な気風が強く、街なかにはミニスカートの女性が闊歩していたという。ヒジャブも1936年に「後進性」の象徴として禁止されていたこともあったくらいだ。それが、革命を期に一気に揺り戻った。しかし、大衆文化がそう一気に廃れることはない。革命直後の気運はわからないが、今のイランのポップカルチャーはその体制が発する厳粛なイメージとはかけ離れている。
イランではパーティーが盛んなことに知っているだろうか。パーティー文化は革命前から盛んだったらしいが、表立ったクラブや飲み屋が姿を消した今、パーティーも陰を潜めたのかといえば、とんでもない。舞台は街角から家の中に場所をかえただけで、いまでもイラン人はパーティー好きだ。先にあげた私の泊めてくれていたテヘランっ娘も大のパーティー好き。とくに大学生になって、自由が増えてからは、毎週のようにみんなで宅飲み(!)をしているそうだ。
イランではパーティーが盛んなことに知っているだろうか。パーティー文化は革命前から盛んだったらしいが、表立ったクラブや飲み屋が姿を消した今、パーティーも陰を潜めたのかといえば、とんでもない。舞台は街角から家の中に場所をかえただけで、いまでもイラン人はパーティー好きだ。先にあげた私の泊めてくれていたテヘランっ娘も大のパーティー好き。とくに大学生になって、自由が増えてからは、毎週のようにみんなで宅飲み(!)をしているそうだ。
私にも「さきもgathering来ないー?」というので、てっきり女子会みたいなものを想像して、
「それなにするの?みんなでお茶するの?」
と返したら、
「さきー、つまらないこと言わないでよ、お酒呑むに決まってるでしょ?!」と返された。
(上)エスファハーンの川沿いで遭遇したギャルのピクニック。イラン人はとてもピクニックが好き。通りかかったら、誘われたので一緒にお茶をした。(下)パン屋で夕食用のパンを買うチャドルの女性
そこから、彼女は前週のパーティーの写真もみせてくれた。バブルのジュリアナにも負けないばっちりメイクとミニスカに胸元の大きくあいたドレス。
「この時はみんな彼氏もつれてきてたのー。」と。
結局、前後に移動が控えていたので、"gathering"にはお邪魔できなかったのだけど、代わりに、パーティー場所が見つからないときによくやるという”ナイトドライブ”の仲間にいれてもらった。夜23時ごろから一時間ほど、テクノ音楽(イラン・テクノ)をガンガンにかけながら、みんなで熱唱して、夜の街をドライブするというのが、そのお作法。特に男の子の集団の時は、「ナンパ・ストリート」繰り出していって、ナンパ待ちの女の子にウィンドウ越しに声をかけにいくらしい。そのとき、車を長い間止めてナンパをしていると、風紀警察にばれるので、その道をなんども"グルグル"とまわって同じ娘と話すらしく、そのドライブナンパのことを”ドルドル(=ペルシャ語でグルグル)”と呼ぶとか。
「風紀警察にばれてヤバいことになったことないの?」と聞くと、
「この子とかさ、一回パーティーくる途中酒7リットル持っているところ警察にみつかってさ、一晩留置所にいくことになったよね」
「あれは、やばかった。7リットルとかごまかしようがなかったもんー」
と。それでもパーティー文化は廃れない。
イランではパーティーするのもスリリングだ。
イランの国花は薔薇。白い薔薇が街中、公園内、でよく植えられている。気高いその気風はペルシャ人にとても似合う。
誤解を招かないように断っておくと、彼女たちはいずれもテヘランの一流大学の大学生。決して、ヤンキーとかではないということ。彼女たちがテクノで歌い狂ってる様は日本でお酒の味を覚え始めた大学生となんら変わらなかった。
もちろん、私が今回話してきたのは、主に富裕層や外国人にもオープンな中間層であって、平均的な地方の貧困層の意見まで上記が代表しているわけでは決してないと思う。
しかし、それが一部であったとしても、私はイランの体制の性格と大衆感情のあまりの隔たりに本当に驚かされた。それは、かけてきたとも知らなかったサングラスを正面から歩み寄って、フッと取り去られたような感覚だった。光の下で直視するイランはもっと鮮やかだった。
これほどまでに大衆感情とギャップがある体制について、政治について、人はどう感じているのか、気になった。イランは世界一頭脳流出「brain drain」が多い国と言われる。社会階層でものを語りすぎるのは危険ではあるとおもうが、生活に困った低所得者が出稼ぎに行っているのではなく、知識人、エリートが国を「諦めて去る」現実は深刻だと思う。イラン人のエリートの間には国の体制ゆえに、自らの能力を十分に発揮できない、それを持ち腐れにしている、という思いが強いと感じた。私をシラーズという街で案内してくれた生物学のPhDを持つ男性は、現在無職だった。「イランでは今宗教的な指標で社会的地位を得る構図ができている。学術をきわめても"徳を積んでる"奴に勝てないんだよ。この無力感てないだろ」といっていた。テヘランの大学生たちも、「もし、イスラーム的な理で考えたとしても、あいつら(政治的地位を持つ聖職者)はおかしいのよ。イスラーム科学者は本来"科学者"なのだから、サイエンスもわかっていた上でその権威を認められるはず。でもあの人たちは聖典と自分の地位しか、わかっていない。そんな人たちに学をおさめている私たちのことや政治がわかるわけがない。あの人たちがどうして偉いのかわからない」。実際、イランは石油による不労収入がありながら、その産業・学術においては内的動力が湾岸諸国に対して強い国だと思う。経済制裁をうけながらも、多くの産品を国産でつくることができ(国産自動車は50万台生産している)、PhDの6割は女性、去年は数学の最高峰フィールズ賞をとったのもイラン人女性だった。それが、政治体制に足かせを受けているという声には、思わずうなずきたくなった。
「今のイランは脳に腫瘍を抱えた秀才さ」
シラーズを案内してくれた彼はいっていた。
「じゃあ、革命は失敗だったの?」
「79年当時の王政は確かにあのままではいけなかったでも、必要だったのは "improvement" だったんだ、"Revolution"ではない。でも今僕らは"improvement"なんかじゃ足りないかもしれない、"revolution" でもしないとこの腐った状況はかえられないかもしれない」
「これは英語だからいえることだけどね」バザールを歩きながら、彼はいたずらな目でにこっと笑いながら言っていた。
今回いくつかの街を訪れる中で、どの街でも仲良くなる人は去り際の私に必ずこういった。
「これからの旅、イランでは誰も本当には信じちゃダメだよ。イラン人は本当に嘘がうまいんだから。」
イラン人の誇りペルシャ帝国の栄華。ペルセポリスの遺跡。
実際、いく場所、行く場所で私は地元の方の歓迎を受けて、不快な思いなどしなかったのだけど、その言葉は妙に耳に残った。嘘が"うまくなってしまった"イラン。その言葉の余韻に悔しさと寂しさを感じながら、もっとたくさんの人に、イラン人の「本音」をこの美しい国と一緒に観てほしいと思った旅だった。
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