国際機関への入り方はについてよく聞かれる。
JPOのような指定校推薦的な制度については散々語り尽くされているが、若手選抜枠の先に公募で仕事をつないでいくって結局どういうことなのか。
国際機関とは一般的にアカデミアと同じように、短期契約をつないでいく世界である。特定の役職に空席がでた、もしくは新しく役職が新設されると、組織のリクルーティングサイトに公募がだされ、それを閲覧した人たちがこぞって応募書類を提出し、その後選ばれた人たちが、面接を経て職を得る。場合によっては試験を課すところもある。
さて、公募の競争で選ばれるとはとんでもないことである、と最初に言っておく。
私は一つ前のポジションで採用側にもまわったが、一人のポジションに対して応募は100を超えた。これでも少ない方だと思う。この中で私たちが最終的に選んだ部下さんは本当にとてつもなく優秀だった。あの中で光る一人に選ばれるのは本当に大変だ。
ではどうやったら生き残れるか。数百分の1の賭けに毎回出て連勝を収めるのはきつい。自分より少しでもよくできる人、よくパフォーマンスできる人がいた時点でどんなに自分が優れていてもゲームオーバーだからだ。
答えは、プレイするゲームを競争ゲームじゃなくするということである。具体的に方法は3つ。1)出来レースをつくること、2)自分でプロジェクトをたちあげること、もしくは3)自分でポジションをつくること。
1)は既存のポジションを出来レース状態にもっていくことだ。これはアカデミアでもよくあることだと思う。
・仲良くした上司が別の部署・事務所にいったときに、そこでの公募を通して、一緒にお供させてもらう。
・一緒に仕事をした別のマネージャーから見染められて、そこの部署が出した公募を通して採ってもらう。
・ドナーに評価されることで、彼らが自分に組織内にいてほしい、という意向を示して特定の公募で通りやすくしてもらう
などなどパターンは色々だが、要は意思決定権がある人と懇意にする、評価されることで、
タイミングよく出た公募のポジションで、有利にしてもらう、ということだ。
2)自分でプロジェクトをつくること
今や国際機関で働く大半の職員はフィールド(途上国の現場)で働いている。
ほとんどのフィールドワーカーにとってはこの手段が最も身近で現実的であるとおもう。
国際機関がいまや政府の下請けコンサルのようであるということは先の投稿でも述べた。
資金のほとんどが義務的拠出金ではなく、プロジェクト委託費である現在、国際機関のピープルマネジメントの最も大きな制約の一つは人件費だ。
コンサル業を経験したことがある人は、6割以上の職員が特定のプロジェクトの人件費で雇われている状況を想像してほしい。
「あなたのことは本当に評価しているし、いてほしい。でも・・・うちの事務所は今カツカツなのよ」
こんなセリフはあなたがフィールドで働く国際機関職員なら、聞きなれたセリフだろう。
この状況を逆に最大限に利用した方法が、プロジェクトを自分でつくる、という手段だ。
つまり、ドナーに営業をかけて、とってきたプロジェクトの人件費で自分を雇う。
これは最も自分にコントロールの効く就活方法だ。
なぜなら
・オフィスは大抵年から年中プロジェクト・プロポーザルをかいており、むしろその人手はたりない。
・自らの通常業務をやっていれば、「私営業かけるんで!」というのを止めるマネージャーはなかなかおらず、むしろ歓迎される。
・自らプロポーザルをかけば想定されるスタッフの専門性や、何人どの職位で人をつけるかも(少なくとも一次案は)計画できる。
・ドナーと自ら責任者として話を握りに行けば、プロジェクトの委託が決まった時に、自分が体制にいることを対外的に前提にするように持ち込むこともできる。
・一度失敗しても営業をかける機会はいくらでもあるので、何度だって挑戦できる。
逆にリスクは
・今の国、事務所(風土気候があわない、パワハラが横行してる等)があまり自分に合わない場合、別のオフィスのプロジェクトをたてるのは管轄的に難しい。強いていえば広域プロジェクトを立てることは可能。
・マネージャーや事務所長がパワーフリークだった場合に、それはそれ、これはこれ、で結局プロジェクトを立ち上げたのは自分でも人繰りは全部直接ぐいぐい手を回してきて、気づいたら人事上のコントロールがなかった。(1年分の人件費をくんだはずなのに、同じ役職の人を二人に増やして半年しか延命できなかった、そもそも自分が同プロジェクトの人材にはいってなかった)。
・大きなオフィスだと、ひたすら営業する営業部隊と実行部隊が分かれていることがある。その場合営業部隊としてプロポーザルを書いても、結局100%実行部隊に人件費をもっていかれてしまう、または実行部隊だから営業資料書かせてもらえない(これは稀)等の部署間の分業問題に阻まれる。
・結局プロジェクト費を充てるので、そのプロジェクト期間中しか延命できない。
だが、多分これが普段のルーティンワークから最も遠くない方法で、
自分でイニシアチブを握って就活をする方法ではある。
さて、私は実は前職では3つ目の方法を試した。
それは
3)自分でポジションをつくること
である。
ここでポジションをつくるといったときそれはプロジェクト費を用いた2)の方法ではなく、
それは基幹予算(Core Budget)をもちいたプロジェクトに紐づかない予算を用いた正規ポストである。通常これは、一番難易度が高く、リスクが高すぎるといわれる就活手段である。
それはそうだ。
国際機関の非プロジェクト予算(義務的拠出+間接費)の割合が年々減っていくなかで、
多くの組織では、もともとは基幹予算を使って雇っていた正規ポストを切る話のほうがもっぱら耳にする。
これまであった正規ポスト数をぐっと減らしたり、柔軟に取り潰しや復活が利くプロジェクト費に切り替えたり、とことがどこの組織でも日々行われている。
よほどのことがない限り、新しいポストなんてつくらない。
なぜ私がそれでもこの手段を選んだのは以下の理由からだ
・本部所属であったため、そもそもプロジェクトが著しく少なく、そもそもドナーもプロジェクトをほとんどつけてくれない
(中央集権的にプロマネしている組織はもう少し状況は違うと思われる)
・本部の職域上、民間企業でいうところの経営企画職にいたので、そもそもプロジェクトが立てにくい。
(組織の中計の立案支援、とかプロジェクトにするのはかなりむずかしい。ドナーからすると何の委託やねんこれ問題が発生する)
・直属のボスがとっても偉い人だったので、組織全体の予算プロセスに噛んでいた。
あとはこれが一番大事なのだが、
仲のいい社内の友人がこの手段に成功していたのでガンガン入れ知恵してくれた←!!
社内に精通している友人は本当に大事・・・。
このジュネ友、本当に個性的で私のジュネでのキャリア上も生活上も不可欠な人なので、もっと語りたいところですが、
その話はまた別の機会に。
ここまでが国際機関の主要3つの就活方法。
ここからは3)を選んだ私のその後の話である。
実際ポジションをつくるときってどんな状況なの、ということ、
その先私自身の場合どうなったの、という話。
半分以上は小話として読み飛ばしてくれればと思う。
上記のジュネ友とお弁当しながら(ジュネーブは不味くて物価が高いので我々みんなお弁当です)
来年どうしよっかなーと私がつぶやいていると、
あんたもこうすればいい、と自分の時のことをあれこれと教えてくれる。
重要なことをまとめると要はこういうことであった。
・組織の予算のスケジュールとステップを完全に把握する(これが最も大事)
・自分のボスに残留意向をつたえ、自分の部署に人件費の予算マージンがないか単刀直入に聞く
・予算ステップのラウンドのどの段階でどの粒度のものをボスが提出するか把握し、どこまでどんな承認が通ったかポイントポイントで確認し、上記相談を根気よくつづける
自分で改めて書いていて思ったが、
自分のボスとかなり関係構築ができていて、いろんなことがざっくばらんに話せるのが結構大事な前提条件ですね。
うちのボスはあまり馴れ合いとか、わちゃわちゃした公私混同の関係を好かない人で、結構業務上は業務上の関係、コミュニケーションはオブラートなしに簡潔にみたいなタイプ(要はちょっと社交ではコミュ障タイプ。親近感・・・!)だったので、逆にこういうことは正面切って話しやすかった気がします。
加えて、小間使いのようには働いていた私が残ることで一番得するのははっきりいってボスで、そのボスが部署の予算案決定権をもっていたのはとても大きかった。
最終的に自分の部下の管轄範囲だけやる人より、自分に直接くっついて色々やっているくれる人がいたほうが彼女も楽だから。
ボスへの相談は最初は「できたらねー」「どうなるかねー」
みたいなかんじだったのが、気づいたら「部長さん会議にこういう職務内容で予算もう決めちゃうって通しちゃうから」
になっていて、心配していたのに正直拍子抜けした。
気づけば職務内容にほかの人にあまりないような私の技術が特記されていて(この技術を持っている人は優先されますとあった)
もう勝った、と思った。完全にポジションを作れたし、公募で競争しなければいけないにせよ、出来レースだと思った。
また、その職位につける最年少の年次ではっきりいって浮かれていた。
ただ、最後の最後で誤算が生じた。
それはボスの異動である。
ボスが急遽別のオフィスに異動することになった。
ボスは自分が最後まで選考プロセスに関われないかもしれない、というリスクを見越して
自分の部長級の部下に選考を任せた。
結果、任された部長はボスがどうせもう自分の上司ではなくなるし、と彼女を見限って、
自分の好きなように別の人を選んだ。
私は結果を正式な発表よりも前にボスの驚いたメールを通じて知った。
「本当に私もびっくりしたんだけど」から始まるそのメールを読んで私は放心状態になった。
一番つらかったのはそれまで毎日一緒に仕事をしており、本当に慕っていた先輩がその選考パネルの中にいながらも、その状況に対して何もアクションをとらず、私以外が選考されていくのをただただ見ていたことである。
ポスト作る就活、また前述の出来レースに持ち込むパターンの場合、つらいのは
手違いがおきたときに、それを訴え出てどうにかする手段がないことである。
なぜなら公募による選考は「自由な競争によるもので、選考パネルが決めるはずのものだから」である。
「何言ってるの?これ私が受かるはずのポジションでしょ?」
といいに行く場所はない。
政治的にポジションを決めにいこうとしていたのはこっちだからである。
それが裏をかかれて、別の人の政治に覆されてしまったときに、相当大事にして人事や倫理委員会を巻き込んで「いかに自分の方が優れていて落ちるはずがないか」などと傲慢きわまりないと思われるプロセスを踏まない限り、不当性を訴え出ることはむずかしい。
仲良くしていた先輩は無垢すぎた。
とまわりの仲のいいひとたちからは言われた。
部長は自分の都合に融通できそうな人を選び、いろいろと私に難癖をつけた。
無垢な彼女は本当にそれを真に受けた、と。
ボスは何かこういうことが起こったときのために先輩を送り込んでいたのに、その何かが本当におこってしまったときに、公正明大な彼女は、「それでもこれをパネルの外に漏らしてはいけない」とボスに報告しなかった。
ボスも私と同じくらいつらかったと思う。
信頼して託した部長には裏切られ、念のために同席してもらった先輩は期待どおりに動いてくれず。
かくして、私は自分の契約が切れる5日前になぜか職に就きもするまえに次の職から失業した。しかも、一番信頼していた先輩が私よりずっとふさわしい人がいる、という部長の話に説得されてしまったこと、彼女に直接いろいろ尋ねても「これは公正な選考だったから」と半ば怒り気味にいって言われたことで、本当に傷ついた。
それまで先輩は私が思い描く上司の鏡だと思っていただけに、なおさらショックは大きかった。「だからやっぱり私は職場の人と仲良くなるのはやめよう」と人間不信になりかけた。
そしてそんな混乱と傷心のなか、別のポジションに急遽不時着し、そこで起きたのが先の投稿にかいた、新しい上司のハラスメントだった。
今までだって、ゆるやかな鬱っぽい症状や、心理的な理由による体調不良は経験したことはあったけど、こんなにいきなり頭に隕石をドッジボールのようにぶつけられたことは初めてで、約一年前の私は心身の健康に相当な支障をきたした。1年以上前から準備してきた就活が人間関係もぶちこわしながらだめになり、不時着した別のポジションが、まさにCrash landing onやばい上司で、しかも相談した先の人事がパワハラだった。
我ながらアメリカのわざとらしいオフィスドラマだって、こんなことが4週連続立て続けに起こったら、「ありえなさすぎて、うそっぽい」と笑ってチャンネルを変えると思った。
でもチャンネルを変えられないのが人生というやつだ。
国際機関はそんなに倍率の高い選考を勝ち上がっていて雲の上の存在しかなれない、
何度も何度も就活をするとか、終身雇用の方がよほどよい、
こうした話は今でもよく耳にするが、
私は選考はゲームへの戦略次第だとおもうし、
就寝雇用の下、勝手に望まぬ配属に付き合ってる方が辛い、とは本気で思う。
しかし、この業界で就活をつづけるということは上記のようなアメリカドラマ以上のアップダウンに巻き込まれる可能性はいつだってはらんではいる。
本来は配属のほうがよほどコントロールが効かないはずなのに、
こんなにもショックなのは、コントロールがある程度効くからだと思う。
それは自分の毎ステップにオーナーシップを持つと決めたことで伴う必要経費なのかもしれない。
よく、自分や家族との生活に自由を勝ち取るために実力で殴り勝ちに行けるようになりたい。そのためにレベルアップを常にしたい、と言ってきた。
それはとてもマッチョな言い草に聞こえるかもしれないけれど、
実は、去年の私のような心の軟な部分をザクザクと刺される経験をしたくないというのがその本心だ。
臆病で傷つきやすい自分を守るために、喧嘩なんて吹っ掛けられないかっこいいマッチョになりたい。
Interlaken を挟む湖の一つThun湖