2018年7月2日月曜日

正しさと正義の城下町

ジュネーブに来た。
ちょうど今週でここに越してから1ヶ月になる。
どう考えても特殊すぎるこの街に私はまだ慣れてない。
出勤初日。仮住まいのAirBnBからバスに乗った。乗ってくるひとは人種も様々、たくさんの言語が飛び交っている。でもどこを見回してもつけているのは国連マークのついたIDストラップだ。朝の混み合ったバスでひしめき合う人々のほとんどが国際公務員だという自体に目眩がしそうになる。バス停の名前は「ITU(国際電機連合)」、「Nations(国際連合本部前)」、「ILO(国際労働機関)」、「WHO(国際保健機関)」と並ぶ。

国連前のBroken Chair
ジュネーブの人口は19万人。大体東京台東区と同じくらい。そのうちなんと9500人が国連職員だ。なんとこの都市の5%が国連で働いている。これを各国の代表部で働く外交官も含めると7%にも登る。(さらに国連以外も含めると43の組織が拠点を構え、2700人が国際NGOで働いている)ここは世界のあらゆる都市で最も国連職員が多い場所らしい。

ここは正論とPCPolitical Correctness)で動く場所だ。人を見かけや出自で判断することはほぼ不可能に近いし、それはタブーである。物件の内見に行くと、迎えてくれたのはトゥブを着た恰幅のいいムスリムの女性だった。彼女はスーダンから着た国連職員でジュネーブでの5年の勤務を終え、ハルツームに帰るそうだ。スイス人のオーナーとも仲良く、「本当にいいオーナーよ」と私にその部屋を進めてくれた。飲食店やスーパーにいっても接客は丁寧だ。レジに並んでる人、街でバギーを押す誰がどこの外交官、どこの機関の要人かわからない。つい昨日もバスでヨレヨレのTシャツと短パンを履いてるおじさんが仕事帰りにジムにいったとおぼしきUNHCR(難民高等弁務官)の人だった。むしろ、「外国人」に見える人ほど、その確率は高いといえる。

Genèveのランドマーク、レマン湖の噴水。
お天気がいいと虹がかかって見える
新居に移るまで1ヶ月はAirBnBで居候をしていた。最初の2週間泊まった家はニカラグア人一家。週末なにやら広げ始めたと思ったら、市内のニカラグア人たちと数十人で集まって国連前でデモをすると言っていた。ニカラグアはいま反体制デモが本国で加熱し、すでに200人近くの死傷者がでて、国は1ヶ月以上機能停止している。
次に泊まったのは引退したてのバンカーだった。日本の大和証券にも勤めていたことがあるという彼は5ベッドルーム、トイレ3つ、バスルーム2つの大豪邸にすんでいて、色々な人を迎えるのが好きだからとジュネーブを見渡しても最低価格に近い値段でこの大豪邸を貸していた。帰宅すると私を捕まえては日本の企業文化がいかに素晴らしいか私に熱弁していた。

湖をまたぐ橋には週替わりで違う国連機関の旗がかけられる。
気のせいかもしれない。でも、PCが張り詰めたように意識されているきがする。多分ジュネボワ(ジュネーブ人)からすればそれは当たり前なんだろうと思う。空港を降りた瞬間、難民への支援を訴えるポスターが窓一面に貼られ、職場のトイレにはいると”Everybody wants to change the world but nobody wants to change the toilet paper”(世界を変えたいって皆いうけど、トイレットペーパーを変える人少ないよね[ロールを使い終わったら、変えよう])などと書いてある。市バスは、難民デー、女性デーなどがあるたびにそのキャンペーンフラッグを乗せパタパタとなびかせてる。

Do the right thing(きちんとしよう?正義は貫くよね?)ということが前提のように敷かれた場所だ。当たり前だ、国連という一大産業の城下町なのだもの。造船業が盛んなところで港が発達するのと同じようなことなのだと思う。でも、この違和感に似た何かは忘れずに居たくないなと思ってる。

「ポリコレ棒で殴る」という表現を最近よく聞く。私はいつも自分はそれを振りかざす危険がある側だと思ってきた。でもここにきて、ポリコレ棒と呼ばれるものが言わんとするある種の窮屈さみたいなものが、触れるか触れないかの距離で肌にスススっと通り過ぎていくのを感じることがある。
この感覚、この城下町で働いていると言うことをついためらってしまうような、この感覚は、摩耗させたくないなと思っている。

初めに滞在していたAirBnBの窓から。最近やっと自分のアパートに越しました。

街の中心地でもこんな感じ。
そのイメージに比べて実は随分のどかな街、ジュネーブ

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