89回アカデミー賞であらゆる意味で話題をさらった本作品。ここまで前評判で話題になってしまったこと、また「ミュージカル映画」という謳い文句を背負っていたことで、(ミュージカルファンとしては)妙に構えたスタンスで観に行ってしまったことは否めない。シンプルに観後感を表現するとすれば、映画としては、工夫に凝らされたチャーミングな作品、ミュージカルとしては・・・、いやミュージカルとしては評価できない、と思った。
まず映画としての話をしたい。私は同監督の出世作『セッション』は観ていないのだが、ララランドはなんといっても、デミアン・チャゼルの抑えきれないほどの音楽への愛がこもった作品だ。ジャズをそれこそ「恋人のように」愛する主人公セブの眼差しや、鍵盤に転がる指から溢れる想い、物語の随所で流れ始める音楽、弾ける笑顔で踊るミア。2人が視線でかわす感情の網を縫うように流れるメロディー。「そんなことだからジャズは死にかけている」と言うセブの必死さは、音楽が好きで好きでたまらない監督の切な想いをまさに表現していて、その人間くささがとてもよかったとおもう。「説明なんてできないんだ、とりあえず聴いてくれ」という音楽バカらしさが滲み出ていた。
同時に、ララランドは技巧に凝らされた作品でもあると思う。最も顕著なのはライトワークである。ここまでざっと目にした批評のなかではほとんど触れられていないことが不思議なくらいララランドは照明にこだわりがある。音楽に注目が行きがちだが、この作品のdramatic effect、これを「舞台」たらしめているのはむしろ光の使い方だとおもう。リアルをそのままに映しているかに思われたシーンに急にスポットライトが落とされ、主人公の浴びる光以外、真っ暗になる、その誇張されたdramatic effectこそ、この映画がリアルと戯曲を行ったりきたりする効果を生んでいる。本当だけど、どこか嘘、なこの作品の印象はそんなところから来ている。このライトワークとうまく相乗効果をもたらしているのが、衣装。現実だとしたら、バカバカしくみえるほどに鮮やかでradiantな衣装が舞う様は画に華を添え、ライトワークをより鮮明にしている。エマ・ストーンの演技の素晴らしさも相まって、色鮮やかな衣装で次々と画面を舞う彼女をみるためだけに観にきてもいいなと思ってしまうところさえある。
さて、ではミュージカルとしては、どうか。はっきりいって、これはミュージカル・ファンにとってはミュージカルではないのだ。良いか、悪いかとかではなくて評価するのが難しい。なぜか。シンプルにいえば、この作品が戯曲として表現されていないからだ。これはあくまで「戯曲風」なのである。
どういうことか。
ミュージカルは突然歌ったり、踊ったりすることにその特徴、もしくは違和感があると良くいわれる。前者は全く持ってその通りだと思う。しかし、違和感を覚えるかというと、見始めると意外と毎度毎度突っ込みたくなる類の妙なかんじはない。サッカーを見はじめてから「どうして手を使わないだろう」と気にならないのと同じで、一度そういうルールのものだとして観はじめるとそこは不問となる。
しかし、ララランドは違和感だらけだ。踊りはじめるたびに、なんで「この子たちは急に踊り始めたんだ!」と思うし、主人公が歌いはじめる瞬間、照明がおち、スポットライトが当たると、毎度「なんだ、リアルを描いていたのではないのか」、と感じる。ルールが一貫していないのだ。つまりバットを持っていたと思った次のシーンで足でボールを蹴りはじめているような感覚を覚える。現代ミュージカルのなかには、いわゆる「日常っぽさ」にシームレスに馴染むものも手法もたくさんあるのだが、この映画が引用し、用いているのは、50〜70代のいわゆる古典作品。これ見よがしな演出が多い作品ばかりを使っていることもこの唐突さを強調する。
ララランドはこれを全て「あえて」やっている。これは最後のシーンに顕著に表れる。オルタナティブな筋書きを寸劇風に流す最後のシーンでこの作品が示しているのは、
「人生って戯曲、でも戯曲ほどうまくいかない、それが人生でもある」
というメッセージではないか。そんな日常の危うさ、戯曲以上に時にドラマチックで、でも戯曲よりも残酷で陳腐なこともある人生をあえて違和感もまじえながら銀幕に映すのがこのララランドという作品だ。そう、その陳腐さがまさに映画としてスクリーンに映されているところもポイントだ。ララランドはその踊りと歌が一見示しているかのような底抜けなハッピーさは持っていない。むしろ、セブが弾くピアノの旋律のように、胸にひっかかる、拗らせた不協和音が全体を通してながれている。でも、だからこそ、この映画は踊るし、歌う。そして、その行為をさりげなく、自然にしようとはしない。泣きたくなるような悲痛さをあえて戯曲かのように示していることも含めて魅せた映画だとおもう。
だから、この映画について、「ミュージカルってやっぱり微妙」とか、「ミュージカルも案外いい」と言われるとなんとなく複雑だ。これは、ミュージカルのように戯曲を戯曲としてみるものではないし、それがゴリゴリと放つ違和感を泣き笑いしながら見て欲しい、音楽バカな監督がそう願う作品なのではないかとおもう。