今年のミュージカル納めはChicago。シアターオーブの気合いの入った2015年ラインアップの締め。去年来日が決まった時から楽しみにしていた公演。
Chicagoは多くの人と同じように映画をみて初めて知った。ゼルウィガーの刺すようなかっこよさにしびれた。曲はもちろん全部知っているし、中学からずっと聴き続けてる。
舞台のChicagoはやはりその派生系である映画とは違った。舞台はもっと生臭い。
映画Chicagoは絶妙におしゃれだ。やりすぎず、力をグッと抜いて、シックにまとめてくる。女優の投げる視線、控えめな照明、綺麗な衣装には高級感がある。しかし、Chicagoは酒とジャズに溺れ、欲に駆られた女囚のはなしだ。ミュージカル版の女性たちはもっとその汚さを乱暴に突き出してくる。Cell Block Tangoではそんなお上品にとどまってなんかいない。男を殺めた自分の罪状を噛み付くように声をあげて正当化する、ダンスも心臓が鼓動を打つように衝動的だ。髪も乱れていれば、衣裳も挑発的だ。
むしろ、舞台全体に妖しさを醸していのは男性のアンサンブル。透けたトップスやはだけた上半身にはハットを乗せている。名と役がある女性と違い、彼らは全て匿名、あくまで女性を崇め、立てる存在としている。女性が急なら、男性は緩だ。身体をくねらせながら、ゆっくりフロアを舐めるように舞う。
この良さが最高に出たのがRazzle Dazzle 。正直映画版ではなんてことない曲と思っていたのだけど、男性の振り付けがとても良かった。あと何と言っても、ミラーボールや銀紙を降らす、ようなチープな演出が絶妙だ。舞台だったらもっといろいろやることもできるだろうに、敢えてその安さをだしているのが、ロキシーとヴェルマの目指す大衆劇場の空気を表現していた。
Chicagoの演出はとてもminimalistだ。使う大道具(ほぼ小道具に近い大きさだけど)も椅子くらい。あとは銃、ステッキ、ハシゴしかないのじゃないだろうか。バックダンサーから裁判官まで何役もこなす演者もずっとスケスケの衣裳のままである。衣裳も、人も、大道具も変わらないのに、その何もない真っ黒な舞台で全てを魅せてみせているのが本当にすごい。
そしてChicagoで忘れてはならないのは音楽の素晴らしさ。最近のミュージカルはオケボックスを舞台裏隠してしまうことも多いが、Chicagoではむしろ舞台の「上」中央、一番いい位置にオケが設置されている。ピアノを除いてはほとんどが一つの楽器につき1人だし、ソロも多い。そう、Chicagoではミュージシャンもキャストなのである。指揮者は途中セリフも入るし、最後カーテンコールではMCも務める。シロップのようにどろりと甘美なメロディー、スパイスのようにピリリとエッジの効いたリズム、観劇ファンでなくともジャズを聴きにくるだけでも十分に楽しめるのがChicagoだ。
そしてそして、last but not least、 キャストだ。
今回の来日で一番注目されたのがやはり、シャーロット・ケイト・フォックスだろう。名前に聞き覚えがなくても、朝ドラ、マッサンの妻エリー役の女優といえばわかる人は多いのではないだろうか。はっきりいえば、観劇ファンからすれば、舞台の実績がほとんどない彼女の主役への抜擢は観劇ファンからすると、「日本での話題作りだな」という印象をうける。日本はまだ芸ではなくて「ヒト」の人気で客を呼んでいる。海外公演の方が芸のレベルが高いのに、人が入らないのはそのせいだ。しかし、幕間で席を立った時に思った、「シャーロットのロキシーはこれとしてアリだな!」。ロキシーはヴェルマとは違う。元々虚弱で甘えったれで、果てしなく男に依存してる。そんな彼女が自分のチープな名声によって、キラキラ、クルクル回るのをシャーロットはよく表現していた。ロキシーはかっこいい必要はないし、痺れるようなキレと自立心を持ってる必要はない。経験が浅いことを割り切り、逆手にとった「未熟で自己陶酔したロキシー」はとても清々しく、エロティックなロキシーからのアルターナティブは好感が持てた。
そして、Amra-Faye Wright。シカゴのヴェルマといえば彼女。年齢を検索して驚いた、55歳!空気をピタリと止めるようなキレと若さには出せない貫禄。15年もこの役を演じきった彼女にしか出せない圧倒的自信。それなのに、まだ毎回即興もいれているらしい。信じられないエンターテイナーだ。だから。10年以上やっていても、人はまだ彼女のヴェルマを観に行くのだろう。彼女のシカゴを観れたことはとても幸運だった。
Chicagoで締めくくる2015。ジンは冷たく、ピアノが熱いジャズフロアのように、来年も緩急がピリリとついた年になりますよう。