私たちの思考や思いは言葉をもって運ばれる。ある言葉を知ったことで、自分の中で、全く新しく概念が生まれるということがある。
私は10年前くらいに「被爆者3世」という単語をきいて、その瞬間自分の中にアイデンティティーが新たに見出されて、とても驚いた。
それまでも、その後も言葉を通じた概念との出会いは有ったけれど、この時ほど、はっきりとした衝撃を伴ったことは後にも先にもない。
それは、水を泳ぐ魚が「君は海の生き物だよ!」と言われ、初めて水やその外の陸を意識するような気持ちだった。
毎年この日、ニュースでは平和を「被爆者3世」の活動が、現代へのつながりとして報道される。
(余談だが、長崎の方が3世アクティビズムは多い印象)
3世たちが、平和を訴える様子、非核を求める声が放送されるのを聞きながら彼らを活動へと突き動かす、意義や理由は私にもあるのだ、と思う。
「◯◯3世」という表現はどんな場合においても使えるわけではない。◯◯の厳格な定義には当てはまらないけれど、その地位が受け継がれているものに使われることが多いのではないかと思う。移民2世、在日コリアン3世などがその典型だ。被爆者3世という単語にびっくりしたのは、多分その地位に「継承性」があると思っていなかったから。
例えば、ひめゆり2世とか、ホロコースト被害者3世、は聞いたことがない。
何故、被爆者には3世が生まれるのか。
言葉を知ったあとすぐの考えたのは被爆体験は世界でも経験者が少ない特異な体験だからということ。その語り部としての地位が世代で引き継がれるということなのか。しかし、その点においてはダッカウの収容所経験者もなんら変わりない。そして、語り部の役目を果たすのは親族でなくたっていい。それよりも、「広島市民」とか「長崎市民」などその地に住んでいることの方が、語り部の地位に相応しい気もする。
おそらく「2世」概念に最も強く影響しているのは、原爆被害の遺伝性のように思う。単に広島市民じゃなくて、2世という概念が、生まれるのは、地縁ではなく血縁を円心とした被害の広がりがあるから。
例え、直接被爆していなくても、2世には疾患が及ぶことがある。うちの祖母は第一子である叔母が生まれるときは相当心配し、孫である私や従姉妹になんらかの生まれつきの身体傾向(大したものではない)があるとかならず、遺伝疾患のことが脳裏をチラつくという。
そして、やはりいまなお、原子力が平和利用、軍備として利用されていることの影響は無視できない気がする。チェルノブイリや福島の後、被爆被害の甚大さについて一番説得力をもつのは、その遺伝的リスクを僅かであれ背負った2世、3世である。だから、彼らは「3世として」、あえて血縁を誇示するかたちで運動を行う。被爆者の当事者性は世代を越えて共有されている。
政治学やシンクタンクという第三者性が絶対に必要とされる分野において身を立ててしまった私は「当事者」として行動したり、主張することがとてもヘタクソだ。それに飲み込まれるのが、怖くなってしまう。冷静に判断ができる自信がないから。
でも、8月6日には毎年かならず思う。もしかしたら、私も飛び込むに値する当事者性があるのかもしれない。
まだどうしたいのは分からない。
でも、一つだけいえる。「2世」にも治まらず、「3世」が生まれてしまっているのは、原爆投下がまだ現在進行形の問題だから。それは未だ移民が「2世」「3世」と連なっていき、いつまでも日本人、フランス人になれないのと同じ。そこにあるのはかさぶたでたはない。まだ生傷だ。
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