Then why are you traveling?
-We travel just to travel
(Motorcycle Diaries)
So I'm finally off my hard and enduring high season. My boss gave me a go for a few days off and so my flights were booked within a blink. I had that craving for the smell of "somewhere not here". To physically detach myself from the ordinary.
I had places and sites that I longed to visit, but more essentially it was traveling itself I so strongly so strongly yearned for
Some tropical ray and carefree stay should pump in some vitamins for the mind and soul
なぜ旅をするの?
-旅をするためにだよ
(Motorcycle Diaries)
繁忙期がようやくおわり、
部署で突然「有給奨励月間」が言い渡された。
気が変わらないうちにしなくてはと思い、気づけばフライトチケットを購入していた。
「ここではないどこか」にどうしても行きたくて。
物理的に日常から離れたかった。
行きたいところなんて、いつだってたくさんありすぎる。
でも、本質的には「旅」それ自体がどうしてもどうしてもしたかった。
荷物をまとめて向かったさきは、
インドネシアはジョグジャカルタ。
A地点がジャカルタ(首都)で、
B地点がジョグジャカルタ
ジャカルタから飛行機で約一時間の同じジャワ島の都市。
名前が似ているので、"小江戸"のようなネーミングなのかとおもいきや、
実は正式な表記はYogyakarta(c.f.ジャカルタはJakarta)
発音ももともとは"ヨグヤ"カルタ。
元々、インドネシアは(旧宗主国)オランダ式のアルファベット表記。
ヤ行は"J"で綴る。
これを英語式に発音した時に、奇遇にも音が似てしまったとのこと。
地元では、もっぱら"ジョグジャ"の愛称で親しまれている。
そんなジョグジャは歴史・文化が豊かなことで知られる古都
日本で言うと京都と例える人が多い。
というのも、ジョグジャはクラトン(王宮)が今日にいたるまで連綿と続いており、
その繁栄とともに、洗練された芸術文化が発展してきた都市だからである。
最も有名なのがその遺跡や史跡の数々。
市内のクラトン宮殿やタマンサリはもちろんのこと、
やはり多くの観光客を惹きつけるのが、ボロブドゥール寺院と、プランバナン寺院。
ボロブドゥール寺院
プランバナン寺院
その他、ジョグジャを代表的する文化といえば、
バティックと呼ばれるろうけつ染め、銀細工、影絵劇、ガムラン音楽、ラーマヤーナ・バレエ等。
バティック染め工場を見学。柄一つ一つに意味がある。
プランバナン寺院園内の野外ステージを使った
ラーマヤーナバレエの公演。
夜風に吹かれて見る舞台は一際気持ちがいい。
とにかく、文化芸術に触れる場には事欠かず、
とても、豊かな街である。
京都の「雅」な雰囲気がこれになぞらえられるのにも納得。
*実際京都とは姉妹都市らしい。
そんなジョグジャは先に触れたとおり、ジャワ島に位置するのだが、
ジャワ人は日本人は似ているとよく言われるらしい。
Javanese are like Japanese but more relaxed
Japanese are like punctual Javanese
来る前に偶然話したジャワ人の人もいっていた。
その最たる例は、礼儀作法と敬語体系。
ジャワ語はおろかインドネシア語が一言もわからない私には具体的に説明できないのだが、
日本語の敬語がおそろしく複雑なのは言わずもがなだが、
ジャワでもその宮廷文化の影響で、大変厳格な敬語のしくみがあるらしい。
日本語でいうところの、尊敬語・謙譲語・謙遜語のような区分けがあり、
それぞれ、音が全く違うことは稀ではない。
日本語で、「食べる」に対して、謙遜語 の「頂く」と謙譲語の「召し上がる」
の二つがあるというようなことである。
(冷静に外から見ると、こんな複雑な敬語体系はすごく特殊である。
外国人だったら、なぜ、Taberu が Itadaku や Meshiagaru になるのか意味がわからないだろう。
私だって意味がわからない。)
数日たりきの滞在だった私には、これ以上の比較は難しいが、
滞在中に見聞きした人に限って言えば、
日本文化と親和性が高いという評価には納得できるものがあると感じた。
(それが、果たしてインドネシア性なのか、ジャワ性なのか、ジョグジャ性なのかはわからないのだが)
まず、アメリカのポップカルチャーにどっぷり浸っている
ご近所のフィリピンなどと比べて、
インドネシアはその傾向は薄いと感じた。
(繰り返すがジャカルタの状況はまた違うかもしれない)
音楽といえば、かかっているのはもっぱらJustin BieberにTaylor Swift,
女の子のファッションといえば、ピタッとしたタンクトップに美脚ジーンズ
男はLakersのバスケシャツ、
という光景は少なくともジョグジャにはない。
じゃあ、今やアジア域内で一世を風靡するKPOPが至るところを埋め尽くすかと
いうとそうでもない。
最近仕事で、アジアの女性の美意識についての調査を目にする機会があったのだ、
ASEAN6ヶ国の中で「美容、といったときに憧れる国はどこか」という質問に対して、
韓国を抑え一位だった唯一の国がインドネシアだった。
なんというか、一言で言うともっと地味なのだ。
ティネイジャーたちをとっても、
こう、きゃっきゃっしながら、でも少しシャイなかんじがすごく
日本のJKぽいのである。
例えば、インドネシアで今流行っているものの一つに「自撮り棒」がある。
これは友人もしくは彼氏/彼女と揃って写真を撮りたいときに、
カメラやスマートフォンを装着して前にかざすことで、
楽に自撮りができるという、優れものである。
ちなみに「自撮り棒」とは私が勝手につけた名前。
これが、とにかく至るかしこに出現していた。
あとは、最近はいわゆる日本でいうところの"肉食系女子"のようなボキャが流行ったり。
「ミニスカ×ケバい化粧×男を狩猟している」女の子を
総称してチャベチャベアン(=唐辛子女子)と呼んでネットではこれを揶揄ったイラストなどもでまわっているとか。
でも、こういう表現が生まれること自体、一歩引いた立ち回りが”スタンダード”だとされている一つの証拠だと思うの。
顔だけワントーン薄いのは厚化粧だから
それから.....
今回のインドネシア、私は初めて東南アジアのムスリム・マジョリティーの国!
国内がムスリム・マジョリティーであるどころか、インドネシアは世界一のムスリム人口を擁する国である。その中東圏との比較に興味があった。
今回は、そこまで徹底して宗教的側面を観察したわけではなかったけど、
一つ強く印象づいたことは、宗教的慣行と女性の社会進出が共存していること。
インドネシアで見る女性は女の子も含めそのほとんどが基本的にスカーフ(インドネシア語ではジルバブという)をかぶっているのだが、その風貌そのままにバイクをブイブイ飛ばしていたりするのである。
これはインパクトが大きい光景だった。
中東圏ではかたや最も厳しいワッハーブ派のサウジでは女性は車を運転することが法律で禁じられている。サウジの例は極端であるにせよ、少なくとも私が言ったエジプトやモロッコでは百歩譲って車はあってもバイクを乗り回す女性など見たことがない。
それから、ジルバブ以上に顔を覆うスカーフ類はみかけなかった。
インドネシアにもジュマ・イスラミーヤなど一部に過激派というのはいて、
私の想像では街中でみかける衣服ももっとグラデーションに幅があるかと思っていた。
逆に、動きやすい伸縮性ジルバブや、日差しのつばつきジルバブ、いちいち巻かなくてもよい被り式ジルバブなど、活動しやすく工夫されたものがよく目についた。
なんというか、実用性を非常にかねているのだ。
ジルバブ屋さん。一番手前が伸縮性素材、奥のオレンジや緑は日差しつき。
インドネシアにおけるイスラームの歴史的広がりについては全く詳しくないのだが、
私の数日いた印象では、インドネシアの女性の方が信仰と利便性を区別しているのでは、と感じた。要は、信仰上の敬虔深くとも、かならずしもそれのために生活上の利便性を代償にはおかないということ。特にそれが衣服などそれ自体が倫理的本質を大きく問わないものについては、実用性を損なわない範囲で慣行しているのかなというのが、印象。
では、これは単にインドネシアの方が、「信仰が薄い」ということでは?
と問われそうだが、私はそういうことではないと感じた。
なぜなら、中東では一般的に女性はスカーフを初潮を迎えたときから着用する人が多いが、
インドネシアでは幼稚園児の年齢から制服としてジルバブを着ている子がとても多く驚いた。
また、ファストフードの飲食店にまでお祈りスペースがあったり。
宗教的な信仰・慣習はそこまで色褪せてはないのだろうと感じた。
アジア圏のイスラームの方がよりPragmaticなのか、これについては是非専門の人に伺ってみたい。
さて、考えてみれば、海外"旅行"は一年ぶりだった。
最後に行ったのは卒業旅行の南米だ。
ジョグジャに行ってみて、いかに異国を旅することが恋しかったかに気がついた。
本当にただただ当たり前のことなのだが、
海外出張は仕事だ。
その国をほとんど知ることもなしに帰ってくることの方が多い。
とてもとても狭く守られたカゴの中で決まった場所で決まった人と面会して、
その外はほとんど見ることができない。
初めて出張したインドでは目が飛び出るほどの高級ホテルと、先方のオフィスと
その間を移動するチャーター車がわたしの滞在の全てだった。
私がその一週間のあいだに知ったインド要素はインド料理と、協業先だったインド人パートナーくらいしかない。インドには行ったとはいえ、口が裂けても”インドを知っている”なんていえないと思った。
だから、ほんの少しでもジョグジャに住む人の生活が追体験できたことがうれしかった。
特に、インドネシア式リキシャ―、ベチャの心地よさと言ったら。
人力でゆっくりゆっくり(pelang-pelang)風を切りながら、移動するのはとっても癒された。
坂になったらバテた漕ぎ手のおじさんに「一回おりて」って言われて、
三輪車を手で押すおじさんの横で一緒に歩いたり。
深夜までやってるフルーツの露店でいいマンゴスチンをお兄さんに選び抜いてもらったり、
Warung(屋台)や、(三輪式の稼働屋台)で朝食食べたり、軽食つまんだり。
改めてお守りをしてくれた友人に感謝。私もまた東京でせっせとリキシャーこぐぞ。